べつりべつ ~ side story ~

にいどめ

これはまだ、俺とキミが出逢う前。
まだ誰も…大切な人を失っていない日の話。

俺はいつものようにアイツらと話してたんだ。

キミも目にする、あの屋敷でね。

オリジナルボイスドラマ『べつりべつ』番外編ロゴ

心地よい陽が差し込む、午後の縁側。

「ねぇ、ロウ」

俺に声を掛けてきたのは『ミソラ』だ。
同居人の中で一番若いのに、色々知りすぎて一番毒づいてる男。

「今日の天気は晴れ?」
「いや、晴れときどき雨」
「え~?こんな晴れてるのに~?」

確かに空はいくつか雲が浮かぶ程度で、雨なんて降りそうにない。

それでも、

「降るよ、昼過ぎから」

必ず雨は降る。

「さすがに信じられないなぁ~」
「ああそう。ならご自由に」
「おいミソラ、」

厳しい口調で呼んだのは、中庭にいた『ハクジ』。
コイツは冗談を言えない堅物な男だ。

「ロウの天気予報が外れないことはお前も知ってるだろ」
「そうだけどぉ…僕、雨が嫌いなんだもん」
「嫌いなどと言うな。ロウに失礼だ」
「え、なんで俺に失礼なの?」
「お前には雨が欠かせない。雨が降らなければ仕事もない」
「うっ、……その言い方が一番失礼なんですけど」

こういうのを“歯に衣着せぬ言い方”って言うんだよね。
言ってることは間違ってないんだけど、ハクジっていつもストレート過ぎるんだよな…。

「で、どれくらい降りそうな感じ~?」

ミソラの問いに、俺は「小雨くらいかな」と返した。
すぐさま、「何それ!」と不満を漏らす。

「そんなの降る意味ないじゃん!降らなくていいよ!!」
「意味はあるんじゃない?よく知らないけど」
「やだよ~、このまま晴れにしてよロウ~」
「無理言うなって。いくら雨が予測できても、天候まで操れるわけじゃないから」

当たり前だ。
天気は個人でどうこう出来るものじゃない。

俺が雨を予測できるのも単なる直感なんだ。
少しくらいなら雲の流れも読めるけど、そこまで専門的な知識があるわけでもないし。

だからむしろ今まで一度も予報を外してないこと自体が不思議な話…で……って。

「…おかしいよな」
「何が?」
「一度も予報を外したことがないなんて……ちょっと変じゃない?俺」

普通じゃない…でしょ。
今まで気に留めてこなかったけど、偶然で片付けていいのか?

「こんなのありえないと思わない?一体なにを理由に俺は……」
「いいじゃん、べつに」
「え……」

ミソラの能天気な声音が、俺の思考を掬いとる。

「便利な特技なんだし、理由なんて気にすることないよ。全然変じゃない」
「ミソラ…」
「ハクジもそう思うでしょ~?」
「ああ。お前の予報は皆の役に立つ、それだけで十分だ」
「……」
「知る必要があるのなら、いつかその時が来る。それまでお前はお前のままでいい」
「!……、…そうだな」

コイツらの言う通りだ。
知ったところで、俺は俺。
今以上の存在になれるわけじゃないし、出来ることもそれほど変わらない。

そう思うと…突き詰めても無駄だよな。

「考えるのやめた」
「うん!それがいいよ」
「ところでロウ、今日は例の日じゃないのか?」
「え?…ああ、そうだね」

『例の日』
月に一度、俺がここの主である旦那様と出掛ける日。
旦那様と俺達の詳しい関係は、ここでは省略するよ。

「今月は行かないのか?」
「いや、行く…みたいだね。けど遅くなってる」
「だよねー。最近は行動もゆっくりしてるし、なんか歩きづらそう」
「そのように見えるな。家の中ならまだしも、外ではロウがいないとかなり厳しそうだ」
「まぁ俺としては役目が増えて嬉しいけどね」
「不謹慎だぞ」
「はいはい」

俺達はみんな、旦那様の世話になって生きている。
だから旦那様を大切に想う気持ちは全員同じ。
特に俺やハクジは古いから、その分、想いも強い。

「そう言えば僕さ、この前見ちゃったんだけど」
「何を?」
「旦那様が泣いてるとこ。それも奥様の写真を見ながら」
「「……、」」

去年、旦那様は長年連れ添った奥様を亡くしている。

「『もう一度会いたい。会えないなら、せめて夢の中に出てきてくれ』って言ってた」

夢の中…
つまり、現実じゃない世界。

「……どんな気持ちなんだろうな」

俺には…想像がつかない。
夢の中でも構わないほど会いたい気持ちは、一体どういうものだろう。

「『好意』というものだ」
「え?ああうん、それは知って――」
「えっとね~、僕の辞書によると、『好き・愛すると表現され、相手に心を惹かれて大切に想う気持ちのこと』だって!」

…コイツら、

「あのさ、そんなことは分かってるから」

一体、俺を何だと思ってるんだ?

「俺が分からないのは、俺達が旦那様に抱くものとどう違うのかってこと」
「ああ、そちらのことか」

好きだけど、大切だけど、
俺達が知ってる気持ちと、旦那様が奥様を想う気持ちは違う気がする。

この差が、俺には分からないんだ。

「どう違うと思う?」
「んーそれは僕にも分かんないなぁ」
「そっか…」
「役に立てなくてごめんね」
「いや、ありがと」
「ミソラが謝ることはない。さっきの答えで十分だった」

…俺は十分じゃなかったな。

「知りたいと思わないか?その違い」
「思わん」

ハクジが即答した。

「…なんで?」
「知る必要がないだろ。俺達が知ったところで何になる」
「それは…そうだけど。ミソラは?」
「僕はー…どうかな。思うような、思わないような。特に興味なしって感じ?」
「なんだよ、皆して」

俺が変なのか?

「気にならない?泣くほど誰かを想って、夢でも会いたくなる気持ち…とかさ」
「ならんな。俺は泣きたくなどない」
「……」
「もしかしてロウ、オニィからまた何か教わったの?」

オニィ?

「誰だ?それ」
「オニィはオニィだよ、カリヤス君のこと」
「カッ…!?」
「カリヤスを兄と呼んでいるのか!?」

さすがのハクジも驚いた。
それには訳がある。

『カリヤス』は、みんなに色んなことを教えてくれる物知りな男だ。
雑学から時事ネタまで、本当に色んなことを知っている。

ただ、その……美意識がすごく高いんだ。
綺麗なものや可愛いものが大好物で、兄よりも“お姉さん”と呼ばれる方が喜びそうな男。

……だから、

「嫌がってなかった?アイツ」

『オニィ』なんて呼ばれたら、キィキィ言ったに違いない。

「めちゃくちゃ嫌がってたよ!でもそれを見るのが面白いんだ~」

相変わらずだな…コイツ。

「しかしなぜまた“兄”などと…」
「カリヤス君って、僕をおっきくしたみたいじゃん?だからピッタリだなぁと思って」

言われてみれば、見た目は似てなくても中身に似た部分は多い…かな。

「って、そんな話より今はロウの話!」
「俺?」
「さっきのだよ。『違いを知りたい』ってやつ」
「ああ…うん」

知りたい。
カリヤスに吹き込まれたわけじゃなく、純粋に。

「本気で?」
「…ああ」
「そう。なら、僕も出来る限りの情報を集めてみようかな~」
「やめろミソラ」

ハクジがより一層低い声で制止した。

「無駄なことはするな」
「無駄じゃないよ。もしかしたらこれをキッカケに、ロウが何かを変える存在になるかもしれないじゃん」
「俺が?何を」
「それは分かんないけど」
「適当だな」

俺が笑うと、ミソラも笑う。
ハクジだけは笑わなかった。

「まずは恋を知らなきゃね~」
「だから知ってるって。相手に強く惹かれて…」
「そうじゃなくて。実体験しなきゃいけないって言ってるの」

実体験?

「そんなの…無理だろ」

出来ない。出来るわけない。
だって俺達は――

「なぜ無理なんだ?」

ハクジが問い掛ける。

「…え?」
「なぜお前は無理だと言うんだ」
「なぜって……俺達はここから出られないだろ?だから――」
「ロウ…」

ミソラが何とも言えない声を出した。
ハクジは呆れたような溜め息を吐く。

「お前は何を恋愛対象にしている?」
「!」

そこではじめて、…気付いた。

「お前は“なにもの”として話しているんだ」

俺は…

「いつから自分の立場を忘れるようになったんだ」

俺は……

「待ってよハクジ。僕達にも運命はある、可能性がないわけじゃないよ」
「ミソラ…」
「人は生涯に一人、運命の人がいるんだって。だからもしかしたら僕達の生涯にも――」
「その考えが残酷だと言ってるんだ」
「っ…ごめん」
「……、」

残酷…、
そうだ、俺は…俺はなんて残酷なんだ。

知らぬ間に、ここから去る日の…旦那様と離れる日の話をしている。

「……悪かった」

これはハクジに謝ったんじゃない。
旦那様に謝ったんだ。

俺はまだ役に立つ。役に立てる自信がある。
ここにさえ……いさせてくれれば。

「…ごめんなさい」

旦那様には、少しでも長く生きてほしい。
俺達は……いや、
俺はきっと、この居場所じゃなきゃ…もう『おしまい』だから。

「…でもね、ロウ」
「?」
「たぶんだけど、もし万が一そうなれる機会があるなら、旦那様はロウが自由に過ごすことを望むよ」
「……どう、かな。薄情じゃない?そういうのって」
「そんなことないよ、僕はいいと思う」
「フンッ、バカな話をするな」

ハクジが少し苛立った声音で口を挟んだ。

「俺達には自由に過ごす時間などないんだ。何のための時間だと思っている」
「だから万が一って言ってるじゃん。僕達がどんな最期を過ごすかなんて誰にも分かんないでしょ?」
「それ以前の話だ。ミソラ、どうしてお前までこんなくだらん話を――」
「ハクジは黙ってて」
「「!」」

コイツがここまで強く言うのは、初めてだ。

「僕は旦那様の声を聞く機会が多いから、皆よりあの人の気持ちが分かるんだ」

ここまで真面目に話すのも、初めてだった。

「だからロウ、その時が来たら感じてよ。信じて、自分の心を」
「心?」
「大切な人と出逢えば話し出すらしいから。…面白いよね、心が話すなんて」
「…?」
「おまけに、その人のことしか見えなくなるんだって。周りの声も聞こえなくなって、突っ走って行っちゃうって」

…ミソラの言ってることが分からない。
分からないことが多すぎて、相づちの言葉すら出てこない。

「……、」
「心配ないよ。その時になれば分かるはず」

ミソラは俺を笑い、「分かることが答えなんだよ」と言った。

「分かった時がロウの知りたい『違い』であり、僕達には分からない『好意』」
「そう…なのか?」
「だけど旦那様と奥様みたいに、お互いが同じ好意を抱けるかは分からない」
“まぁ同じ気持ちになれなくても、泣くほど誰かを想って、夢でも会いたい気持ちにはなれるらしいけどね”

…まだピンとこない。
でも、想いが一致するのは難しいということは分かった。

「旦那様と奥様はすごいんだな」
「だね~。膨大な数の中から二人は出逢って、すごい確率で一緒になってるんだよ」
「じゃあ失った悲しみが消えないのも当然…かな」

俺もそういう人に出逢えたら――いや、違う。
知りたいと思ったのは、単なる知識としての興味なはずだ。

べつに俺自身がどうこうなりたいわけじゃない。

…けど、もし。
もし“万が一”があったら、俺はどんな人に、どんな気持ちを抱くんだろう。
周りが見えなくなって、その人のことだけを想うような気持ちになる…のかな。

……ああダメだ、やっぱり思い描けない。

「ってなわけで~。ハクジ、もう喋っていいよ」

ミソラが「ごめんね」と話しかける。
…コイツ、ミソラに言われたて黙ってたのか。律儀なヤツ。

「別に構わん。呆れて口を挟む気にもならなかった」

…そうかよ。
どうせアンタには一生無縁な話だろうね。

その分、ミソラはまるで自分のことのように話してくれて…、……。

「……なぁミソラ」
「な~に?」
「本当は知ってるんじゃないのか?俺の知りたい『違い』」
「ううん、知らない。僕はただ情報を掻き集めて話してるだけだよ」
「…そっか」

情報ってすごいな。
カリヤスもそうだけど、俺にも欲しいな…そういうの。そしたらもっと役に立てるのに。

「俺も少々気になることがあるんだが、いいか?ミソラ」
「なになに~?」
「お前はなぜここにいる?」
「へ!?な、なんだよ、今さら!?」
「ふと疑問に感じてな。お前がここにいるのはおかしい。そうだろう?ロウ」
「あー言われればそうだね。どうせまた忘れられたんじゃないの?」
「なっ、違っ」
「ロウに必要とされても、旦那様にはあまり必要とされていないようだな」
「ちょ、ひどい!今のは謝ってよハクジ!」
「かわいそうにな」
「かわいそう、かわいそう」

二人でミソラに「かわいそう」と言う。
コイツがすぐムキになるのを知ってるからだ。

ミソラ風に言えば、『それを見るのが面白い』。

「かわいそうって言わないで!僕はちゃんと旦那様に必要とされてっ――」

『おーい、どこいったー?』

「お?」
「ウワサをすれば、か」
「ほっ、ほら!僕のこと探してるじゃん。も~ほんと忘れっぽいんだから。はいはーい、僕はここですよー」
「聞こえないって」

俺が笑うと、ミソラは恥ずかしそうに「分かってるよ!」と返す。
それを聞いたハクジが、フンッと独特な笑い方をした。

――これが、俺達の日常。
俺達なりの幸せがある、狭くて温かい世界だった。

「ミソラが呼ばれたということはロウもそろそろか?」
「だね。雨が降る前に戻って来られればいいけど」

知らないことばかりの俺でも、いつかは、この日常が崩れることを知っていた。

「大丈夫だろ。降り始めてもお前がいる」
「さすがに一度に二つのことは出来ないよ」

いつかは、皆が離れ離れになることも知っていた。
でもその先に、何があるかまでは知らなかった。

何もないと…思ってたんだ。

だから、

『さぁ行こうか』

キミとの出逢いは、衝撃的だった。

「じゃあ行ってくる」
「行ってきまーす!」
「ああ。旦那様をよろしくな」

これはまだ、キミと出逢う少し前。
日常が崩れる前の、大切な人を失う日に続く短い話。

俺の全ては、ここから始まってたんだ。

side story END
にいどめ せつな