しゃぼん玉 1

ターミナル

今日は、なんでもない日。
でも少しだけ特別な日。

「行ってきまーす。」

家を出て駅へと向かう私の足取りは軽い。なぜなら今日は…

「念願のチョコレートバイキング!!」

そう!友人二人とチョコレートバイキングへ行くのだ!
五つ星ホテルで開催されるチョコレートバイキングは、お値段もさることながら、美味、かつメニューの数が半端なく多い。おまけに有名パティシエによるパフォーマンス付きだとか何とか。

まあ…食べられないものに時間を費やす予定は私達にないけれど。

「ああ~っ楽しみ!」

思わず声に出てしまい、さり気なく辺りを確認する。
助かった…、誰もいない。

「…ん?」

なんだろう、あれ。
電信柱の下で何かがモヤモヤと光っている。近付いてみて、私はさらに首を傾げた。

「なんで…?」

水溜まりだ。水溜まりの水が虹色に輝いている。おそらく何かしらの理由で油が混じったせいだろうけど…

「なんでここにだけ…水溜まり?」

雨なんて、昨日も一昨日も降っていない。今日だって一滴もない。現に空を見上げても、雲こそあるが晴れている。
油にしても謎だ。一体どこから混入した?一番身近な可能性は車関連だろうけど、誰かが洗車したような跡もない。

「不思議。」

ここにだけ出来てるなんて。

「…にしても、」

改めて見ると、本当に奇妙な輝きだ。
これは虹色…でいいのかな。それとも玉虫色?
水面がモヤモヤ揺れる。いつまでも見ていられそうな、吸い込まれてしまいそうな気さえ起きるほど不思議な輝きで……

――キラッ
「っわ!」

突然、水溜まりに太陽の光が反射した。

「ビックリしたぁ…、」

とっさに目を伏せたものの、視界の中央に緑色の光が焼き付いている。おまけに、

「イ、タタ…」

なんだか目の奥が痛くなり、軽い目眩までしてきた。

「こんなことしてる場合じゃないのに…!」

こめかみを強めに押さえ、時計を見た。

「えっ、ヤバ!」

もう電車に間に合わない時間だ。…いや、全力疾走すれば間に合う!
私は勢いよく走り出した。

「遅刻厳禁なのにっ!」

チョコレートバイキングは時間厳守。遅刻すれば入場できない厳しい決まりがある。
何より、友達を待たせるのは好きじゃない!
私は駅前の信号を渡り、握り締めたICカードで改札口を走り抜ける。ホームへの階段を駆け上がったところで、

『まもなく3番ホームに到着する電車は――』

駅のアナウンスが聞こえてきた。

「よ、よかった…!」

間に合った!!
肩で息を整え…たいところだが、人目を気にして必死に鼻で息をする。
…あれ?そう言えば、

「なんだろ…。」

今日はやけに着物姿の人が多い。同じホームで待つ女の子も、向かいのホームにいる恋人達も着物姿だ。
何かのイベント…?
女の子は皆同じような格好をしている。短め丈にアレンジした着物と、ニーハイソックス。一方、男の子の着物は至って普通。けれど男女共、なぜか付け耳をしていた。

「アキバ系かな…。」

いやいや、そう決めつけるのはよくない。音楽イベントかもしれないし。もしくは私が知らないだけで、最先端の流行ファッションなんてことも――

『白線の内側までお下がりください』

ホームにアナウンスが響く。

「…でもいいなぁ、着物。」

毎日着ないだけに、見ている側としては新鮮だ。苦しいだ何だと不便さはあるが、やっぱりたまに着たくなる。増してや恋人同士で着物とか…

「絶対楽しい…。」

向かいのホームにいる仲睦まじい恋人達を見ながらボソッと呟いた。すると聞こえたかのように二人がこちらを見る。

「っ、」

まさか…ね。
そう思いながらも、向こうからの視線を感じる。
気のせい?
辺りを見渡すが、私以外に誰もいない。なんだか急激に居心地が悪くなってきた…、移動しよう。
足を踏み出したその時、

『ただいま到着の電車は、10時4分発――』

電車がホームへ入ってきた。…が。

「え?」

到着した電車が、どこかおかしい。いや、どこかおかしいどころか全体的に変だ。だってこの電車、

「蒸気…機関車?」

銀河鉄道に出てくる、あの形状をしている。私が待っていた四角い電車とはまるで違う。しかし同じホームにいた女の子は、平然とその黒い電車に乗り込んだ。

「でも、…え…、…乗っていいの?」

何かのイベント車じゃない?乗れたとしても別料金が発生するとか――

「…ああ、そっか。」

これがイベントか!
おそらくテーマは『レトロ』か何かで、着物姿の人達はこの車両に乗って、下りた先の関連イベントに参加するに違いない。
だからこれは私が乗ってはいけない車両だ。

『3番ホームから電車が発車します』

蒸気機関車が駅を出る。その電車に乗らなかったのは私だけだったようで、ぽつんと一人取り残されてしまった。

「寂しー…」

ふと視線を感じ、何気なく顔を向ける。向かいの恋人達と目が合った。

「「……。」」

…もう。あの二人がいなくなるまでどこかに隠れていようかな。どうせすぐに私の電車は来るだろうけど……って、

電車遅くない?

スマホを取り出し、時計を見た。既に乗る予定だった電車の発車時刻が過ぎている。
え、なんで!?私ちゃんとホームで待ってたのに…

「まさか…さっきの蒸気機関車のせい?」

時刻表はアプリで事前に調べてきた。その情報に、イベントダイアが反映されていなかったとしたら…。

「ミスった…。」

とりあえず次の電車に乗ろう。友達には遅刻の連絡をしないと。私が間に合わない時は2人で行ってもらうよう伝えて…
メッセージアプリを立ち上げ、入力して送信ボタンを押す。だけどなかなかメッセージが送信されない。

「なんで?」

何度やっても出来ない。アプリを立ち上げ直してもダメ。首を傾げながらディスプレイを見ていると、電波がないことに気付いた。
…違う。ないというかバツ印が表示されている。つまり全く通信できない状態だ。

「なんで!?」

スマホを再起動しても変わらない。そうこうしてる間に、次の電車が来た。来たのに、

「また!?」

またあの蒸気機関車だ。これじゃあ乗るに乗れない、けど。

「間違えたって言えば、途中で降ろしてもらえるかも…。」

次の駅まででもいい。ここから一つでも進めば、私が行きたい路線に乗り換えられる。

「…乗るしかない。」

意を決して、私は蒸気機関車に乗り込んだ。タイミング良く、車内アナウンスが流れる。

『いつもご利用頂きありがとうございます。この車両は、直行、ターミナル行きです』

ターミナル!?何それ、どこそれ!?というか直行!?
慌てて電車から飛び降りた。背後でドアが閉まり、蒸気機関車は何事もなかったように走り去る。

「な、何なのよ、ターミナル駅って。」

今まで一度も聞いたことがない。そんな駅が出来たなんて噂すら知らない。

「なんかもう…今日最悪。」

アプリに時刻表は騙されるし、電車は蒸気機関車ばっかり来るし、恋人達には変な目で見られるし、チョコレートバイキングには間に合わないし。

「……はぁ。」

疲れてきた。
出掛けるのは諦めて、家へ帰っちゃおうかな…。どうせもう、どう頑張ってもチョコレートバイキングには間に合わない。…友達に連絡を入れよう。
スマホを取り出した。相変わらずネットワークは受信できていない。けれど私を待たないよう、少しでも早めに連絡を取りたい。

「確か公衆電話が駅の周辺にあったはず。」

改札を出て、辺りを見回した。

「…あれ。」

なかった。あったはずなのに、なくなっている。

「撤去されちゃったのかな…。」

近くのコンビニならある?外側に置いてあったような気がするんだけど…自信ないな。まぁ家へ帰るより断然近いし。
私は足早にコンビニへ向かった。しかし、

「…もー、」

辿り着いた瞬間に肩を落とす。
公衆電話は置いていなかった。念には念を入れて店の周りも確認してみたが、あった様子もない。

「置いててよー…。」

無駄足、無駄な時間、無駄な行動。
恐ろしいほど全て裏目に出ている気がする。天罰か何かなわけ?

「私が何したって言うのよー…。」

そこまで悪い人間じゃないつもりですよ、神様。…『つもり』だからダメなのか。

「あー、もう。」
「お前もか?」
「?」

声が聞こえ、顔を上げる。コンビニの軒下に人が立っていた。

「お前、混乱してんだろ。」

その人を見て、思わず目を見開く。

「……、」

思考が固まった。頭の中が真っ白になった。
だって……

「俺も同じだ。」

だってこの人……、

「ついさっきまでそこで総悟と歩いてたのによ。いつどのタイミングでこんなことになっちまったんだか…。」

この人、『銀魂』の土方さんにそっくりなんですけどォォ!!!

「すごい…。」
「ああ?」
「すごく…似てますね!」
「似てる?」

あなたは誰よりも完璧なコスプレイヤーだ!

「口調はもちろんですけど、声とか身なりとか…とにかく全部がそっくりです!」
「そっくり?…誰の話だよ。」
「誰のって…」
「お前、まさかこっち側の人間か?」
「こっち側?」

今度は私が聞き返す。
すると土方コスプレイヤーは、わずらわしそうに眉間を寄せた。

「もういい。忘れてくれ。」

やだ、ほんとに似てる!
ここまで忠実に再現できるのは、やっぱり顔と声が似てるせいだな。はぁ~……カッコイイ。

「お前は俺が――」

「おい、聞いてんのか?」
「え!?あっ、はい。なんでしょうか。」
「お前は俺が誰かに似てると思ったんだよな?誰に似てるんだ。」

土方コスプレイヤーが真顔で問いかける。
…これは試されてるのだろうか。

「またまた~。ちゃんとわかってますよ、そこまで完璧なんですから。」
「完璧?」
「声も顔も髪型も、もちろんその隊服もパーフェクトです!そっくり!!」
「だから誰に。」

意外としつこいな…。

「土方さんでしょう?銀魂の。」
「銀魂?なんだそれ。」

な、なんだそれって。

「銀魂は…銀魂ですよ、ジャンプの。」
「ジャンプ?俺は確かに土方だが、お前が知ってる俺そっくりな奴も土方なのか?」
「え!?いや、えーっと…そうじゃなくて、…うーん。」

なんだか話がすれ違うな…。

「と、とにかく私はあなたのコスプレが完璧だって伝えたかっただけですので。」
「…はァ?コスプレなんてしてねェよ。」
「へ?だって思いっきり銀魂の土方さんじゃないですか。」
「だからその『銀魂』って何なんだっつってんだ。店か?地名か?」
「……。」

おかしい。なにかおかしい。
銀魂を知らない人が、銀魂の土方さんに似せられるわけがない。土台が似てるせいで誰かに身なりを造られた可能性もある。けれど、仕草や口調は本人次第だ。
だったら一体…どういうことになるの?

「どうした?」
「ちょっと…混乱してます。」

土方コスプレイヤー(仮)は、「わかるよ」と頷いた。懐に手を忍ばせる。取り出したのは煙草だった。

「俺も混乱してる。今ひとつ状況が掴みきれなくてな。」

煙草に火をつけた。ライターは、あのマヨネーズ型のライター。もしこの人がコスプレイヤーなら、細部まで完璧なコスプレに拍手したいところ…だけど。

「あなたは一体…どなたですか?」

コスプレじゃないと言うなら、あなたは一体何者なの…?

「…ふぅ、」

土方コスプレイヤー(仮)が煙を吐く。そして、

「俺は真選組副長、土方十四郎だ。」

やはりどこまでも、銀魂なことを言った。

「真選組…。」
「ああ。」
「真選組って、こう…真って書く真選組ですか?」
「そうだ。」
「それの…土方十四郎本人だと?」
「そうだっつってんだろ。なんなんだ。」
「……あー…」

そうかそうか、わかった。今ようやく理解した。

私、夢を見てるんだわ。

にいどめ