しゃぼん玉 2

現実と非現実

どうりで変なわけだ。
だって目の前に銀魂の土方さんがいるんだよ?コスプレなんかじゃなく本人だって言い張ってるんだよ?明らかに夢だよねー。
まぁ夢の中で夢だと気付いちゃいけないって言い伝えがあるけど、都市伝説みたいなもんだし。きっと私の想い入れが強いばかりに、出てきちゃったんだろうな。うん、良い夢だ。

……って、待って。
じゃあ私、チョコレートバイキングに遅刻してないってこと!?

「よかったー!」
「何が良かったんだよ。」

土方さんが眉を寄せ、小首を傾げる。
私は「これからチョコレートバイキングへ行く予定だったんですけど、」と話した。

「遅刻しちゃって、行けなくなってたんですよね。」
「全然良くねェじゃねーか。」
「いやそれが、これは夢だから何も問題なかったっていう。」

プププと笑い、「いやーほんとに良かった!」と伸びをした。

「ホッとしましたー、高いお金も前払いしてましたから。」

さて、そろそろ起きないと。これを正夢にしないよう気をつけなきゃね。まぁこうして土方さんと過ごす時間は貴重だけど――

「悪い、」

…え?
唐突に土方さんが謝る。煙草をコンビニ前の灰皿で軽く打ち、灰を落とした。

「お前の話、途中からよく分からなかった。」
「…あー。」

そっか、漫画に出てくること以外は分からないのか。

「えっとですね、チョコレートバイキングっていうのは色んなチョコを自由に食べ…」
「それは知ってる。」
「へ?じゃあどの辺が…」
「『これは夢だから何も問題なかった』ってところ。」

煙草を口につけ、ひと吸いする。

「夢ってどういう意味だ。」
「夢っていうのは……、…ドリームですよ。眠る時に見る夢。」
「ようは何か。今お前は眠っていて、ここは夢の世界だから問題ないって言ってんのか?」
「そうです!」

なんだ、分かってるじゃん!

「…夢の中で夢だと気付くのはマズいって言うよな。」
「あ、銀魂の世界でも言います?そんなストーリーあったのかな。」
「ストーリー?つーか、また『銀魂』かよ。」

怪訝な顔をする。

「いい加減なんなんだ、銀魂って。」

そう言えば知らないんだっけ。

「本当に分かりませんか?」
「分からねェな。」

銀魂の登場人物なのに、『銀魂』を知らないんだ…。

「少し繰り返しになりますけど、」
「どうぞ?」
「週間少年ジャンプっていう漫画誌があるんですよ。」
「ああ、さっきの『ジャンプ』はそのジャンプのことだったのか。」

そこは通じるんだ!…銀魂のストーリーに何度も出てるせいか。

「で?『ジャンプ』が銀魂とどう関係するんだ。」
「ジャンプで連載していた漫画の1つが『銀魂』っていうタイトルなんです。」
「……へえ。」
「わかりました?」
「銀魂のことはな。だが俺と関係あるようには思えねェ。」
「その銀魂に出てくるキャラクターの一人に、土方さんがいるんですよ。」
「……俺が?」
「そうです。」

頷くと、土方さんは口を半開きにしたまま固まった。

「な…何をバカなこと言ってんだ。冗談なんて求めてねェから。」
「冗談じゃありませんよ。名前も背格好も、顔や声まで全てが全く同じ、正真正銘の土方さんです。」
「…なんで漫画なのに声まで分かるんだ。」
「アニメ化されてますので。」
「……、」

指に挟まれている煙草から灰が落ちる。

「俺が…漫画のキャラクターだと?」
「そうです!」

土方さんはまた口を半開きにして、

「……そ、そんなことが…」

まだ長い煙草を灰皿に捨てた。

「そんなことが…信じられるわけねェだろ。」
「そうかもしれませんけど、事実ですし…。」
「俺がこうしてお前の前に立ってるのはどう説明するんだ。」
「夢の中だからじゃないですか?夢では何でもありです。」
「…夢じゃねェよ。」

少しの苛立ちが伝わってきた。

「お前は夢だ夢だと言うが、これは夢じゃない。」
「…どうしてそう言えるんです?」
「手ェ出せ。」
「?」

何だろ…。
片手を出した。すると土方さんが黙って、私の手を握る。

「!」

やっ、やば…、私の手を土方さんが触ってる…っ!!

「どうだ。」
「ど、どうだって…、あ、温かいです。」
「だよな。じゃあ次、」

今度は私の手を裏返す。そして、何の断りもなく手の甲をギュッとつねった。

「いっ…!?っ、何するんですか!」

恍惚な時間が吹き飛んだじゃないか!

「痛いだろ。」
「痛いですよ!」
「次はこれだ。」

パッと手を放し、今度は土方さんの手を私の目の前に出した。が、

「ブフっ!」
「あ、悪い。」

思いっきり突き出されたせいで、私の顔面が押し込まれる。

「は、鼻が…」
「悪かったって。で、どうだ?」
「何が…」
「匂い。」

匂い?

「俺の手、どんな匂いがする?」
「……、」

突き出された手を嗅いでみた。

「煙草の匂いがしますけど…。」
「だろうな。」

だろうなって…

「一体何なんですか?」
「次で最後だ。」

土方さんがポケットを探る。握り拳で手を取り出し、私に見せた。

「これは食堂の女中から貰った『のど飴』だ。お前にやる。」
「えっ、あ…ありがとうございます。」

いきなりだな…。
飴は見たことのないパッケージだけど、『かりん』と表記されている。

「食えよ。」
「今ですか!?べつに喉は痛くないんですけど…」
「今食え、すぐ食え、ただちに食え。」
「うっ、」

有無を言わさない迫力は漫画そのもの。いやそれ以上かも…。

「いただきます…。」

袋を開けて口へ放り込んだ。
うん、普通に美味しい。

「どんな味がする?」
「?…オレンジみたいな、たぶんかりん味だと思いますけど。」

『かりん』って書いてたし。
土方さんは私の返事に満足したのか、「決まりだな」と頷いた。

「お前は今、五感を使った。」

視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。

「夢の中で五感全てを使うことなんて稀だ。いや無いに等しい。つまりこれは、」
「夢じゃない…ってわけですか。」

そうかもしれない。そうかもしれないけど……

「やっぱり夢ですよ。」
「まだ認めねェか。」
「だって土方さんは漫画の中の人なんですよ?それがある限り夢としか…」
「俺と漫画は無関係ってことだろ。」
「無関係なわけありません!ほんとに何もかもそのままなんですから!」

私はスマホを取り出し、ネットを立ち上げた。
イラストを見せれば土方さんも認めざるを得ないはずだ。けれど、

「あ……。」

圏外なのを忘れていた。

「どうした。謝るのか?俺を漫画のキャラクターだなんて言って傷つけたこと。」

傷ついてたのか…。

「確かに五感を使いましたし、こんな夢は私も今まで見たことありませんけど、」
「だから夢じゃねェって。」
「土方さんが漫画の世界にいることは間違いないんです!」
「……。」

それがどうにか証明できれば……あ、そうだ!

「私の家に行きましょう!」
「はァ?なんで。」
「家に単行本があります。見せますよ、銀魂の土方さんを。」

というか家に行けばWiFiが使える!
そうすれば部屋に入らずとも、家の前で電波を拾ってネット検索したら…

「あ!」
「今度はなんだ。」
「もっと良い方法を思いつきました!」

コンビニの無料WiFiに繋げば済むじゃないか!
私は早速スマホを操作して、ここで拾えるネットワークを探した。なのに、

「なんで…」

ない。鍵付きのネットワークばかりだ。
まさかと思ってコンビニの入口付近を確認したが、いつも貼ってある無料WiFiのステッカーがなかった。

「…家に行きましょう。」
「なんなんだよ。」
「それはこっちのセリフです…。」

私は溜め息を吐き、足を踏み出した。

「ちょっと待て。」

土方さんが出鼻をくじく。

「なんですか~?」
「行く前に確認させてくれ。お前がこっち側の人間かどうか。」
「こっち側?」

そう言えばさっきも言ってたな…。

「土方さんから見れば私は『こっち側』の人間ですよ。」
「いや違う。」

違うって…。
土方さんは私に歩み寄ると、おもむろに頭を撫でてきた。

「なっ!?」

それも一度や二度じゃない。三回ほど続けて、頭頂部からゆっくりと撫でてくる。
な…なんか分からないけど恥ずかしい!

「そうか。」

難しい顔で納得する。すると今度は肩を掴まれ、後ろを向かされた。

「あっあの、何す――」

何をするつもりかと聞く前に、

「先に謝っておくが、確かめるためだからな。」

そんなことを一方的に告げられ、

「ひぃっ!?」

私のお尻をスルッと撫でた。

「ッなななな何をっ」
「信用する。」
「へ!?」
「お前がこっち側の人間じゃないって信用してやるよ。」
「だから私は『こっち側の人間』ですってば!」
「見てみろ。」

顎でコンビニの中をさす。
促される形で店内を覗き込むと、店員が退屈そうにレジの前で立っていた。でも、格好がいつもと違う。

「あれは…ケモ耳?」

頭の上にモフモフした耳が付いている。駅で見た女の子や恋人達と同じような物だ。
あのイベントが、コンビニでもキャンペーン中ってこと…?

「相当流行ってるんだ…。」
「流行り?そんなもん関係ねェよ。あれは天人。」
「っあ、天人!?」
「ここにはなぜか耳と尻尾を持つ天人しかいねェようだがな。」
「ちょ、ちょっと待ってください!天人って銀魂に出てくる宇宙外生命体の?」
「…銀魂がどうかは知らねェが、その天人だ。」

ど、どういうこと!?
ここは間違いなく私が暮らしてる街なのに…現実の世界に、漫画の世界が混じってるってこと?…ううん、そうじゃないよね。これは夢なんだもの。

「夢だから…何が起きても不思議はない。」
「…いい加減、今を現実だと受け止めろ。」

土方さんが私の肩を掴んだ。

「俺とお前は確かにここにいる。ここで今を生きている。それが現実。だろ?」
「っ、今はそうでも本当は違うんですよ。現実の世界に漫画の世界が混じるなんてこと…」
「なんでお前の世界が『現実』だと言いきれるんだよ。」
「っ!…それは…」

現実、ですから……としか言えない。

「逆かもしれねェだろ?」
「逆!?そんなこと…」
「俺は俺の知る世界が現実だと思ってる。ここの方がよっぽど架空だ。」
「っ…そうですよね。」

説得力がある。
土方さんはコンビニの裏に建つ家を指さし、「見ろ、あれを」と言った。

「あの四角い家は何だ。窓も小せぇし、屋根なんて薄い板じゃねーか。あんな家、三匹の子豚でも造らねェよ。」

鼻で笑う。そこで初めて気付いた。
このコンビニ、よく見たら名前が違う。外観も色味も私のよく知るコンビニにすごく似ているけど、

『大江戸マート』

銀魂の中に出てくるコンビニの名前だ。

「私が…銀魂の世界にいる…?」

銀魂の世界の中に、私の街と偶然似た場所があるの?土方さんは単にこの街を知らなかっただけで、ベースは銀魂の世界…。だから大江戸マートや天人が当たり前のように存在して……?

「……、」

まさか。そんなこと、あるわけない。あるわけないけど……だんだん自信がなくなってきた。

「とりあえずお前の家へ行こう。ここで話していても始まらない。」
「そう……ですね。でも私の家…ないかもしれません。」
「なんだよ、急に。」
「ここは私が知ってる世界じゃないかもって…思ってきて。」
「それがどうした。まだ可能性があるだけいいじゃねェか。俺なんて全く知らない世界なんだぞ?」

土方さんが吐き捨てるように笑う。
…言われればそうだ。今、土方さんは私以上に不安なはず。私はまだ見覚えがある景色の中で異変を感じる程度だけど、土方さんにしたら右も左も分からない場所でしかない。
きっと私より不安で……心細いんだろうな。

「俺は…今置かれている状況が分かるなら、どんな些細な手掛かりでも欲しい。」

ギュッと拳を握る。

「お前の分かる範囲で歩いてくれればいいんだ。思ってる場所に家がなかったとしても、俺はお前の傍にいるから。」

土方さん…。

「二人いれば、知らねェ世界でもどうにかなるさ。」

ああ…ヤバい、

「…はい。」

私、今キュンとしました…。

「そういや自己紹介、まだだったな。」

土方さんが右手を差し出す。

「俺は土方十四郎。真選組副長の…って、さっき言ったか。」
「私は早雨紅涙です。…一般市民の。」
「よろしく、早雨。」

『早雨』……うーん。

「あの…下の名前で呼んでもらってもいいですか?…ちょっと、堅苦しくて。」
「わかった。じゃあ改めてよろしく、紅涙。」

はうっ!

「よろしくお願いします!土方さん!」

差し出された手を両手で握り返した。

「なんだよ、妙に元気になりやがって。」

土方さんが笑う。私も笑った。不思議なことに、土方さんといると前を向ける。
…違うな、後ろ向きな気持ちが幸せで上書きされているんだ。土方さんと一緒にいるっていう幸せに。

「行きましょうか。」
「ああ。…っと、その前に忠告だ。」
「忠告?」
「天人の視線には気を付けろ。俺達が天人じゃないと知れたら面倒なことになる。」

話しながら、土方さんが辺りを見渡した。

「アイツら、すぐに通報するからな…。」
「通報…ですか。」
「天人じゃないヤツは犯罪者みてェな扱いをしやがる。俺がここに辿り着くまでも撒くのに苦労したんだ。」
「ええ!?そっそれならここに立ってること自体が危険なんじゃ…!?」
「それがそうでもないらしい。平然と立ってりゃ気付いてねェみたいだし。」

そう話す私達の横を、コンビニ客が通り過ぎる。こちらを気にする様子はなく、中で働く店員同様、至って普通だった。

「こ、こわいですね…。なんかドキドキする。」
「気を付けるに越したことはねェな。ヤツらに違和感を持たれたら終わりだ。」
「違和感…」
「どの程度かは俺にも分からねェが、出来るだけ地味に行動しよう。」

地味に、か…。ようは、注目を浴びないよう行動すればいいんだよね。

「土方さんは通報されたんですか?」
「通報しながら追いかけられた。警察が巡回を始めてるかもしれねェ。」
「ええっ!?…じゃ、じゃあ出来るだけで人通りの少ない道を通らないと。」
「そう出来るなら助かる。あと、紅涙の家で帽子か何かを借りていいか?パッと見で職質されるようなことは避けたい。」
「わかりました。」
「紅涙も帽子をかぶっておいた方がいいぞ。そのままだと耳がないのが一目瞭然だ。」
「あ…。」

そうだよね。尻尾は服の中に隠れてると思わせることが出来ても、耳の有無は誤魔化せない。よほどボリュームのある髪でもない限り、一瞬で『ケモ耳がない』とバレる。

「帽子を二つ、ですね。」
「頼む。…よし、じゃあ行くか。」

辺りを見渡してから二人でコンビニを後にした。

「家までどのくらいだ?」
「ほんの数分ですよ。…私が知ってる道であれば。」

ここから先の道が銀魂の世界と同じかは分からない。今のところ同じだけど、ずっと同じなんてありえないはずだから。
……だけど、

「どうして…」
「なんだ?」
「…いえ、」

道は、行けども行けども同じ。街並みも銀魂の世界観がない、私のよく知る家々だ。さっき見たコンビニは間違いなく『大江戸マート』だったのに……
本当にここは銀魂の世界?それとも土方さんが言ったように、私の世界が架空で…銀魂の一部だった……ってこと?

「……でも、」

それなら私の家にある銀魂の単行本はどうなるんだろう。銀魂のストーリー中で単行本なんて見たことがない。あるとすれば、なぜか銀さんが持っていたBL風表紙の単行本一冊くらいだ。
つまり銀魂の世界に、私が持っている銀魂の単行本は存在しない。しない…はず。

「大丈夫か?」

心配そうな顔つきで土方さんが私の顔を覗き込んだ。

「…土方さん、」
「ん?」
「『銀魂の単行本』って、見たことありますか?」
「…だから、その『銀魂』を知らねェんだって。」
「一度は見たことがあると思うんです。銀さんが持ってた本で、土方さんと銀さんが裸で抱き合うような表紙の…」
「ブフッ!ま、まさか…あれが『銀魂』なのか!?」

覚えてるんだ…。強烈だったもんね。

「おまっ、あれこそ架空だぞ!?あんな世界に俺が生きてるっつってんのかお前は!」
「おっ落ち着いてください!確かにあれは私が話してる銀魂とは少し違います。けどあんな感じの単行本は見たことありませんか?」
「ない!!」

ほんとかなぁ…?
まぁ本当にないとしたら、銀魂の単行本は鍵になる。
もし私の家に単行本があれば、私が生きてきた世界はやはり銀魂の一部ではなく現実ということ。…なんて言い方をすると、また「今が現実だ!」なんて言われそうだけど。

「…何か分かったのか?」
「いえ…。でも、さっき土方さんはここを『全く知らない世界』って言ってましたけど、そうでもないんじゃないかなと思いまして。」
「どういうことだ?」
「この街のコンビニは『大江戸マート』でしたし、天人もいました。いえ、むしろ天人しかいません。そのどちらも私の世界にはないモノ…。」

私にとってはそこが問題だけど。
だって、家に単行本があった場合、大江戸マートや天人のことをどう説明すればいい?『夢だから』は通用しない。土方さんの五感実験で、夢の可能性は薄くなっている。

「だから……、」

実は銀魂の世界にも単行本が存在した、のかな?…ないか。もし存在したら歴史書であり予言書だ。
なら本当に私と土方さんの世界観が入り混じってるってこと?…ありえるかな、そんな話。

「…紅涙?」
「っあ、すみません。えっと、この街のどこかに土方さんが知っている場所もあると思うんです。」
「お前の街にか?…ねェだろ。」
「私の街というか…ここは土方さんの街でもあるような気がして…。」
「?よく…わかんねェな。」
「すみません…。とにかく、私がこうして知っている道を歩けているように、土方さんもこの世界で自信を持って歩ける場所があると思います。だから不安に思わなくて大丈夫ですよ。」

今は見ず知らずの街でも、どこかに銀魂の世界を感じる場所が必ずある。私と土方さんの世界が混じっているとするなら…なおさら。

「…なんだ。お前、慰めてくれてたのか。」
「えっ、あ…そう…ですね、半分は。」
「あとの半分は?」
「現状を精一杯考えた推測です。」
「フッ…、そうか。」

土方さんは小さく笑い、私の頭に手を伸ばした。ポンと手を置くと、

「サンキュな、紅涙。」

頭を撫でる。

「うっ…!」

不意打ちは心臓に悪い!
私は思わず胸を押さえた。

「どうした、苦しいのか?」
「い、え…なんでも。」

き、危険だ…この先が思いやられる。
ただでさえ土方さんの仕草ひとつひとつに感動しているというのに…!だって目の前で動いてるんだよ?私の名前を呼んでるんだよ!?その上、頭まで撫でられたらっ……幸せすぎる!!

「紅涙…?」
「っは!…はい、すみません。」

ダメだ、…落ち着かなければ。

「行きましょうか。」

私は密かに深呼吸して、歩き慣れた道のりを辿り始めた。

家までの道は、何も変わらなかった。
土方さんを連れて、違和感ひとつなく歩き進める。そうして……

「あった…!」

無事、家へ辿り着いた。
外観も変わりはないようだ。間違いなく私の家…だと思う。

「とりあえずよかったな。」
「はい!それじゃあ帽子を取って来るので――」
「待て紅涙っ!」
「!?」

突然、土方さんが私の腕を引いた。
―――ザザッ
私を引っ張るようにして、向かいの民家の隙間に身を潜める。

「なっ、ど、どうしたんですか?」
「静かに。誰か出てくるぞ。」
「え…?」

私の家から?
そっと顔を出し、様子を窺った。
誰かが玄関に鍵をしている。鍵をかけ終えると、その人は私達が来た方角と反対の方へ駆けて行った。小走りに立ち去ったとはいえ、容姿はしっかり確認した。

「あ、あれは…」

耳と尻尾を生やし、着物に身を包んだ女性。

「…紅涙だったな。」

そう。まさに…私だった。

にいどめ