出口の穴
「地球防衛軍~!!」
「静かにしろ!」
「すみません…。」
リサイクルショップ『地球防衛軍』だった。
「こんな深夜でも開いてるんですね。」
「だな。正直、俺も開いてるとは思ってなかった。叩き起こさずに済んで良かった。」
大胆にも叩き起こす気だったんだ……って、そんなことよりも。
「土方さん、ここはリサイクルショップですよ?ガソリンなんて…」
「置いてる。妙な機材や発電機を扱ってるんだから、試運転用のガソリンも常備してるはずだ。」
…なるほど。
「でもお金も使えないのにどうやって譲ってもらうんです?」
「まァ見てろ。」
土方さんは迷いなく店へ入った。
「邪魔するぞ。」
私も後に続く。
念願の入店!…なのに、どうやってガソリンを手に入れるか心配で楽しめそうにない。
「いらっしゃい。」
店主の女性が、キセルを指に挟んで出迎えてくれた。気怠そうでクールビューティな雰囲気は、漫画そのものだ。
「こんな夜更けに何の用だい?」
「ガソリン、あるか?」
「ガソリン?それなら向かいの道を越えた先にあるガソスタに行きな。」
「いや、金がねェんだ。」
「……ほう、」
鼻先で笑う。
「金がないのに、どうやって手に入れるつもりで入って来たのさ。」
「物々交換を頼む。」
物々交換…?交換できる物なんてある?
店主は土方さんの提案に浅く頷いた。
「あたしゃ構わないよ。何と引き換えるんだい。」
「煙草だ。」
煙草!?
「ライターも付ける。」
「そりゃまたチンケな交換だねェ。」
店主が煙草を手に取った。
「開封済みな上に、中身が一本足りないじゃないか。売り物にならないね。」
「ならアンタが吸ってくれ。俺達は数滴だけでもガソリンを貰えればいい。」
土方さんは小瓶を取り出し、店主の前に出した。
「それは?」
「ここにガソリンを入れてほしいんだ。…頼む。」
小さく頭を下げる。私も土方さんの隣で、「お願いします」と頭を下げた。
「…そんな少量を何に使うんだい。」
「教えたらタダにしてくれるのか?」
「まさか。どんな少量だろうと、形ない物と取り引きする気はないよ。こちとら道楽で仕事やってんじゃないんだからね。」
ダメなんだ…。だけどもう他に交換できる物なんて……
「まぁいいさ。」
「っえ!?」
「煙草で手を打ってやるよ。」
「いいんですか!?」
「ああ。こんな時間に来るような客だ。どうせろくな事情がないんだろう?」
「…まァな。」
店主はフッと笑い、小瓶を手にした。
「こいつとガソリンを交換するってのはどうだい?」
「出来ない。必要なもんなんだ。」
「なら仕方ないね。」
店の隅に置いてあった携行缶を持ってくる。『ガソリン』と書かれたそれにスポイドを突っ込み、小瓶へ注いでくれた。
「これくらいだね。」
小瓶を振る。深さ1cmくらいの液体がピチャピチャと音を立てた。
「充分だ。助かった。」
「ありがとうございました!」
頭を下げる。店主は私達を見ながらキセルに口をつけ、
「何に使うのかは聞かないけど、無理心中だけは止めておきなよ?」
目を細める。
「生きてりゃいいこともあるだろうさ。二人いるなら尚更ね。」
「……。」
「え、えっとー…」
この勘違い、どう正せばいいんだろう…。
「…紅涙。」
土方さんが小さく首を振る。訂正しなくていいと言っているようだ。
「じゃあ俺達はこれで。」
「…また顔出しに来なよ。」
「ありがとうございました。」
ガソリンの入った小瓶を大事に持って、外へ出る。
「やりましたね!」
「ああ。」
ようやく繋いだ物を手に入れた。これでいよいよ元の世界へ戻れる。…けど、
「手に入れたはいいが、これをどうすりゃいいんだ…?」
そこが問題だ。
小瓶の中で揺れるだけのガソリンは、何か起こりそうな気配などない。
「手に入れるだけじゃダメ、ってことですよね。」
「とは言っても、出来ることは限られてるよな…。」
ガソリンは、飲める物でもなければ、肌に塗れる物でもない。車を走らせたり、機械を動かすくらいしか……ん、車?
「車に乗ってみますか?」
「車に?」
「ガソリンは車から出た物だから、車に乗らなきゃ始まらない…みたいな。」
「それなら繋いだ物自体が車になりそうなもんだが…」
「あー…そうですよね。」
やっぱりガソリン自体で何かするのかな…。
「地面に何か書いてみます?」
「…ガソリンでか?」
「はい。名前とか…魔法陣的なものとか。」
「的な物じゃダメだろ。そもそも俺達が来る時に魔法陣なんてものは……あ。」
「?」
「…河原に戻るぞ。」
土方さんが確信を得たように歩き出す。
「え?あの」
「早く来い。」
手首を掴まれた。
そのままスタスタと歩き、先程まで休んでいた高架下まで足早に戻る。そして河原に落ちていたペットボトルを拾った。
「それ、どうするんですか?」
「これで水溜まりを作る。」
「水溜まり…、」
土方さんがペットボトルに川の水を汲む。
その水で水溜まりを?でもどうして急にそんなこと……
「…あっ!」
「そういうことだ。」
窪んだ場所に水を流し、小さな水溜まりを作る。
「俺達は水に浮かぶガソリンを見て、この世界へ来た。だからこの水溜まりにガソリンを垂らして…」
小瓶を傾け、数滴落とす。
「あの時の水溜まりを再現すりゃ、起こるはずだ。…同じ現象が。」
油は水に浮き、虹色になって広がる。モワモワした色彩が、あの時に見た輝きを思い起こさせた。
「…そうです、あの時もこんな感じでした!」
見つめていると、風もないのに水溜まりが波打ち始める。水面を覗けばキラッと光った。
「っ、これ…」
この眩しさ、覚えてる。
「…当たりだな。」
あの時は太陽の光が反射して目眩を起こした。けど今は深夜。月明かり程度ではこんな風に光らない。
ならこれはどうやって光ってるの?
もしあの時に見た光も太陽じゃなかったとしたら、これが私達を繋ぐ……
「紅涙!」
「!?」
突然、力強く腕を掴まれた。驚いて土方さんを見ると、なぜか悲愴な顔をしている。
「…どう、しました?」
「っ……あ、…悪い。止めちまった。」
「え?」
「たぶん…今、紅涙は戻るところだった。」
「ええ!?」
も、戻るって…元の世界に!?
「水溜まりが光った途端にお前の身体が水溜まりの中へ倒れ込みそうになって…。吸い込まれちまいそうだった。」
水溜まりに…。
「…悪かった、引き留めて。」
「いえ…。…よかったです、挨拶も出来ないままにならなくて。」
「挨拶?」
「戻る時はちゃんと、お別れを言いたいじゃないですか。」
ずっと一緒にいたんだし。…と言っても一日くらいだけど。
「なんだかすごく長い時間を一緒に過ごした気がしますね。」
「…そうだな。濃厚な一日だった。」
ガッカリしたり、ヒヤヒヤしたり、ドキドキしたり。
「初めはどうなるかと思いましたけど。」
「ああ。飲まず食わずな上に、禁煙までして。案外持つもんだな。」
「あっ、『飲まず食わず』!そうだった~…なんか急激にお腹が減っててきました…。」
「くく、単純なヤツ。もう少しの辛抱だろ?我慢しろ。」
土方さんが水溜まりに目を落とす。私も水溜まりを見ようとすると、
「紅涙は見るなよ。」
そう言われた。
「どうしてです?」
「おそらく二人同時に見ることで水溜まりは光る。」
同時に……。
「どういう原理でしょうね…。」
「俺達のいた場所が関係してるんだろ。」
「場所…?」
「元の世界の俺達は、全く関係ない場所にいるようで同じ場所にいた。」
……、
「え?」
すみません、よく分かりませんでした。
「俺が事故処理していた場所と紅涙が水溜まりを見た場所、正反対の同位置だったんだよ。」
「正反対の…同位置。」
「地図を見てみろ。」
先ほど地面に描いた地図を指さす。
「俺達がいた場所は、踏み切りを境に折り畳めば同じ場所だ。」
「……あ!」
土方さんの指摘通り、私達がいた場所は踏み切りを挟んで上下の違いだけで、大体の位置が同じに見える。
「この地図では大雑把な距離間だが、実際はもっと細かい単位で同じだったのかもしれねェ。」
嘘みたいだ…。銀魂の世界における地形と、私の住んでる街の地形が似てたってこと?
「だから私達はこの世界に…?」
「いや、その程度なら他に来てる奴がいてもおかしくない。何より、繋いだ物はガソリンじゃなくてもいいはずだ。」
うーん…そっか。
「これはあくまで俺の推測だが、」
「はい。」
「場所の一致に『干渉』が絡むことで、今の状況が引き起こされたんじゃねェかと思う。」
「かんしょう…」
「光の干渉だ。水の中に油が混じると、虹色みたいに見える現象。さっき見ただろ?あれのことだ。」
あー…言われればそんな言葉だった気がする。
「干渉による色彩は都度違う。にも関わらず、俺達は同じ場所で同じ色を見た。」
「あの水溜まりの?」
「ああ。狙っていたならまだしも、偶然同じ色彩を見る確率は極めて低い。」
「じゃあその偶然が重なって…」
「俺達には想像もつかない奇跡が生まれた、のかもしれねェな。」
土方さんは「そうなると、」と続ける。
「おそらく俺達を本当に繋いだ物は、ガソリンじゃない。」
「ええ!?でっでも、さっき確かにガソリンで水溜まりがっ」
「おそらく『干渉』で光ったんだ。たとえガソリンじゃなくても干渉が発生する物なら何でもよかった。」
ああそういうことか…。
「なんか…すごいですね。」
「信じ難いよな。」
「あ、いえ…それもそうなんですけど、土方さんがすごいなって。」
「俺が?」
「博識です!私なんて干渉の意味すら忘れかけてたのに。」
土方さんが鼻先で小さく笑った。
「単なる受け売りだ。昔、義兄に教えてもらってな。」
義兄…。
「確か、目の不自由な優しいお兄さん…でしたっけ。」
「!…そうか、そういうことも知ってんのか。」
「はい。でもお兄さんが『干渉』について話すようなシーンはなかったはずですけど…」
「本に載ってることが全てじゃねーよ。おおよそ、あそこに描かれてるのは、そこそこ非日常になった日のことだ。俺達が毎日飯食って風呂に入るような退屈シーンなんて描いてねェだろ?」
「…あ……、」
言われればそうだ…。
「あの本の中にはない時間が、俺達にもある。」
土方さんは薄く笑い、懐かしむように川の向こうを見た。
「『銀魂』の存在を知ってから、色々考えたんだ。自分が漫画の登場人物っつーのは、どういう存在にあたるのか。」
「土方さん…」
「初めは単なる創作物でしかないと知って虚しかった。脈打つものは何もないのかって。だがお前と行動している俺は、作者が描いていない俺だろう?」
「はい。」
「作者の意図しないところで動けるなら、やはり俺は生きてる。紅涙の世界では漫画の…紙の上で繰り広げられているだけの話だが、俺達はその紙の向こうで生きてんだよ。」
自嘲するように笑う。
「あの妙な世界は確かにあって、俺達はあそこで毎日を生きてるんだ。ただ紅涙達にそれを見せることは出来ない。描かれないからな。風呂しかり、トイレしかり、義兄の些細な思い出しかり。」
「……、…そうですね。」
目に見えるものが全てじゃない。
世界というものはどんな場所にもあって、そこに暮らす人達がいる。
私達はあくまで『銀魂』という本を通して彼らの一片を見ているに過ぎなくて。私達の知らない時間が、たくさんあるんだ。
「じゃあ…他にも色々教えてくださいよ、漫画に載ってないこと。」
もっと知りたいな…。
「無茶言うな。何が載ってて、何が載ってねェのか知らねーし。」
「それなら土方さんの一日を教えてください。事細かに朝起きた辺りから。」
「フッ、バカ言え。そんなどうでもいい話をしてどうする。」
「いっぱい持ち帰りたいんです、土方さんの話。」
つまらないことでいい。退屈な話でいい。ここでしか得られない、私しか知らないような話が聞きたい。
「そうすれば別れた後もたくさん思い出が残りますから。」
あんなことがあった、こんなことを聞いたと思い返せば、元の世界へ戻った後も少しは寂しさが紛れる…ような気がする。
「漫画に描かれないような小さな話、してくださいよ。」
「紅涙…、」
土方さんが何ともいえない顔をする。その顔を見て、ハッとした。
私、薄く告白してない!?
「あ、いえっ違います!違いますよ!?そのっ…貴重な時間だからですよ!?」
「…何が。」
「え、えっと…土方さんと話せる貴重な体験を…思い返したい…だけで、」
「……。」
「深い意味は…ないんですよ?」
「…キツい弁明だな。」
「……ですよね。」
苦笑いを返した。土方さんは弱く笑って目を伏せる。
ヤバい…。気まずくなった?何か話を変えないと…、…あそうだ。
「こっ、この水溜まり、一つ作るだけで大丈夫なんですかね。」
無理やり話を戻した。
「一つだけで私達が個々の世界に戻れるか微妙だと思いませんか?」
水溜まりを見る。顔をそむけている土方さんが水面に映っていた。
「…大丈夫だろ。ここへ来る時も俺達は違う水溜まりを使ったようで同じ水溜まりだったのかもしれねェし。」
「同じ…水溜まり?」
場所は同じだったかもしれないけど、水溜まりまで同じなんてことは…
「紅涙が見た水溜まり、雨なんて降ってなかったのにあったんだろ?」
「そうです。誰かが洗車したような痕跡もなくて。」
「だったらその水溜まりは、俺達の世界の水溜まりが滲んで出来たんじゃねーか?」
「…え、」
銀魂の世界の水溜まりが…私の世界に現れたってこと?
「ま、まさか~。」
「だがそれなら説明がつく。雨でもない、誰かが洗車したわけでもない日の水溜まり。」
「それは…そうですけど。さすがにありえませんよ。」
「なぜ?」
「だって…」
「『漫画の中なのに』、か?」
土方さんは『お前の考えなど分かっている』という顔で、フンと鼻を鳴らした。
「ならこの瞬間をどう説明するつもりだ。漫画の中にいる俺が紅涙の前にいるんだぞ?」
「うっ……」
「世の中、全てが綺麗に説明できるわけじゃない。逆を言えば、ありえないことなんてそうねェんだよ。」
「……ふふ、かもしれませんね。」
夢みたいな一時さえも、今なら現実だと言える。たとえ元の世界へ戻ることで覚めてしまう夢だとしても、今回だけは…忘れたくないな。
「楽しかったです。…土方さんと過ごせて。」
この想いは、ずっと変わらない。
「…もう聞いた。」
「そうでしたっけ?」
「……。」
「……すみません。」
「何が。」
「なんか…また空気を戻しちゃって。」
気まずくなったから話をそらしたのに…意味がなくなった。
「……、…はぁ。」
土方さんは大きな溜め息を吐く。
「…煙草、吸いてェな。」
ぽつりと呟いた。
「気分転換にちょっと歩くか。」
「今から…ですか?」
「ああ。付き合ってくれ。」
河原を歩き出す。私はその背中に少し出遅れた。
今すぐ元の世界へ戻れば煙草が吸えるのに、どうしてわざわざ気分転換する必要があるの?
「……、」
「どうした?」
「…いえ。」
不思議に思ったけど、口にはしなかった。限りある時間の中で少しでも長く一緒にいられるのなら、私はそちら方がいい。
「どの辺を歩きますか?」
「そうだな…、紅涙の街の方へ行くか。」
「私の?普通の住宅街で面白い場所なんてありませんよ。」
「俺にとっちゃ十分普通じゃねェよ。」
話しながら土手を上がり、川沿いの道を踏み切りの方へと歩き出す。…そんな時だった。
「はいはい、そこのお二人さーん。」
「「!」」
私達の呼び止める声は、
「ちょーっと待ってくれる?お話し聞かせてほしいんだけど。」
聞き覚えがある。
…血の気が引いた。土方さんを見ると、同じく思い当たるようで険しい顔をしている。
「聞こえてやすか~?」
「「……。」」
これは…マズい。
「…紅涙、やり過ごす自信は?」
「…がんばります。」
意を決して、振り返った。
「こんな時間に河原でデートですかィ?」
懐中電灯の光を向けられる。眩しさに目を細めた。白く飛ぶ視界の中で、二人の人影が見える。
「いやァ実はね、この辺りで変わり種の目撃情報がありやして。」
一人はもちろん、天人の総悟君。
「捜索中なんですが、どこかで見てやせんかね。」
「…見てません。」
「そちらの旦那は?」
「…ねェよ。」
土方さんは目を伏せ、うつむき気味に答える。総悟君は「そうですかィ」と感情の読み取れない声音で頷いた。
「ついでと言っちゃァなんですが、少しばかり確認しても?」
確認…?
「何のですか…?」
「身分を証明する物だ。」
「!?」
総悟君の隣に立っていた人が話し出す。その人は…
「お前らが変わり種でない証拠を見せてくれ。」