弐
近藤局長が玄関口で私達の目を見る。念押しするような熱い視線は、言わずもがな『絶対ケンカするなよ!』だ。
「何かあったらすぐに連絡してくれ!すぐ戻ってくるから!ほんとすぐ戻ってくるからな!」
「わかったわかった。」
土方さんが面倒くさそうに返事をする。
近藤局長、ご心配なく。私と土方さんは皆が思っているより、かなり仲が良いんですよ。まぁ…あんなケンカをしたことは事実ですが。
「近藤局長も何かあったら連絡してくださいね。」
「ああ!」
「出来れば何か起こりそうな予感がした時に連絡してくれ。あと、とっつぁんに余計なゲームを始めさせねェようにな。」
「わかった!」
力強く頷く。
「それじゃあ行ってくる!」
「はい、お気を付けて。」
「頼んだぞ。」
二人で近藤局長の背中を見送った。が、ピタッと足を止めて振り返る。
「しまった、忘れものした!」
「忘れもの?何だ。」
「言ってくれれば取ってきますよ。」
「いや、ここからでいい。」
「「?」」
そう言うと、近藤局長は玄関口に立ち、スゥッと息を吸った。
「行くぞ総悟ー!!」
「「!?」」
そそそ総悟!?
「まだ屯所にいたんですか!?」
「まだ出動してなかったのか!?」
「あ、ああ。早雨君のことが心配だとか言って、皆とは行かずに残ってて……」
「大層、心配でさァ。」
「「ッ!?」」
「おう総悟、そこにいたのか。」
「何やら二人してテンパってるみてェですし。」
ほんとにいたァァー!!ちょ、えっ、さっき土方さんとこっそり手を繋いだの、見られたりしてないよね!?
「ほんとに大丈夫なんですかねィ、二人きりにして。」
「っ…、」
こ、こわい…。この真ん丸な瞳。心の中まで見透かそうとする、この深い瞳が怖い!
「紅涙が野郎と一緒にいれば、絶対ケンカになりますぜ。」
「だ、大丈夫だってば。心配ないから。」
「とっとと行け。」
「珍しく気が合ってやすね。」
「ぅえ!?」
「いつもは互いの話に食ってかかるってのに。今日は珍しく意気投合ですかィ。」
「っ、そ、そんなことないよ!?」
面倒だ…。このまま話し続けると、私か土方さんのどちらかが墓穴を掘る…気がする。いやおそらく私が掘る!掘り倒してしまう!ここはとっとと切り上げてしまおう…。
「…わ、私達、今回は近藤局長を心配させないようお互い大人になろうって決めたから…ね、土方さん。」
「ああ。」
「……。」
「……ぅっ。」
げ…限界だ。
「だから…その……っ、心配、ないから……、…。」
「……。」
「っ…、」
続きが思いつかない!
「あ…安心して、…行って?沖田君。」
お願いしますゥゥ!!頼むからもう行ってくださいィィ!!
私達本当は相思相愛なんです!こっそり付き合ってるんです!!そんな中で『二人きりの屯所待機』は、とんでもなく楽しい夜になる予感しかないんです!!
「行け、総悟。近藤さんを待たせるな。」
「…俺ァただ紅涙が心配なだけなんでさァ。」
「う、うん…そうだね、わかってる。ありがとう。でも本当に…」
「それに、」
「?」
『それに』?
「紅涙としたかったことがあったから。…残念でなりやせん。」
「…あァ?」
土方さんが眉を寄せる。私も初耳だった。
「したかったことって…何?」
「どうせ総悟の考えだ。ろくなことじゃねェ。」
「普通でさァ。一緒に短冊を書いて、見せたり見せなかったりしながらキャッキャウフフしたかっただけ。」
あら、ほんとに普通…。そんな可愛い計画をしてたなんて、ちょっと意外だな。
「じゃあ帰ってからしようよ、沖田君。」
「帰ってからだと明日になりまさァ。」
「明日でもいいじゃん。『日をまたいだ願い事は受け付けません』、なんてそんな心の狭い話じゃないよ、きっと。」
「……。」
「こういうのは気持ちが大切。でしょ?帰ってから一緒に書こう。」
沖田君は不満げな顔をしていたけど、
「…わかりやした、約束ですぜ。」
なんとか納得して、出動してくれた。近藤局長と屯所を出て行く背中に、深い溜め息を吐く。
「はぁ…。」
なにこの疲労感……。
「さっきの何だよ。」
「え?」
やや猫背のまま、土方さんに目を向ける。
「…『さっきの』って何ですか?」
「つまんねェ約束してんじゃねェよ。」
フンッと鼻息を吹きかけそうな勢いで顔をそむけ、歩いて行った。行き先はおそらく自室。
『つまんねェ約束』
…ほほう。要は、沖田君との約束が不満だったと言いたいわけですか。
「…ふふ、」
私は聞こえるか聞こえないか程度で笑い、
「やだなァ~、土方さんてば。」
立ち去る背中を掴まえた。
「ヤキモチを焼くような約束でした?」
「うるせェ。」
「拗ねないでくださいよ。」
土方さんの腕を掴み、顔を見上げた。
「ね?十四郎さん。」
「!」
目を丸くした土方さんが、サッと視線をそらした。耳が赤い。
「……、」
「ふふふ…、」
照れてる照れてる。
「…笑うな。」
「ごめんなさーい。」
「…部屋に行くぞ。」
私の手を取り、足早に副長室へ向かう。
新鮮だ。こんな風に手を繋いで屯所の中を歩いてるなんて。それに、すごく静かだし…
「なんだか空気が澄んでるみたい…。」
失礼な話かもしれないけど。人の気配がないというのは、これほどまで涼しく感じさせる。
「屯所に二人きりなんて初めてですね。」
「…そうだな。」
言葉短な返事。それだけなのに、少しドキドキした。
辿り着いた副長室は障子も開け放たれたまま。入るなり閉めようとすれば、
「閉める必要なんてねェだろ。」
土方さんが止める。
「誰もいねェんだから開けとけよ。」
「…誰もいなくても閉めておきたいものですけど。」
「見られたら困る相手がいるからか?」
「へ?」
どういう意味?
「紅涙、」
「は――…っ!?」
いきなり腕を掴まれた。グッと引っ張り込まれる。
「っな!」
転びそうになったところを支えられた。
「っ危ないじゃないですか!」
抱きとめてくれはしたけど、今ものすごく危なかったんですよ!?
「…俺だって、」
「はい!?」
「俺だって、ヤキモチくらい焼く。」
「!!」
な、なによ…、…もう。土方さんてば、
「…かわいい。」
可愛いんだから。
「……撤回しろ。」
覆いかぶさるようにキスをしてきた。
「んっ、ん」
舌が絡みつく。私の身体からは、力どころか息まで消えた。
「は、……っぁ、」
「…ったく…、面倒な関係だな。」
キスの合間に愚痴を漏らす。
そもそも私達がこうして関係を隠すことになったのは、土方さんの案なのに。
『風紀が乱れるだろ?局中法度の意味もなくなっちまうしな』
想いを通じ合わせた日、副長室でキスした後にそう告げられた。恍惚とする中、私はよく考えず「はい」とだけ返事したのを覚えている。
『つーわけだから、もう近付くな』
ベリッと音がなりそうな引き剥がし方をされ、
『…え』
次第に頭が回り始める。
『え、お、お触りも…禁止、ですか?』
『お触り言うな。だがそうだな、皆が出払った時くらいは解禁してやってもいい』
『そ、そんな日なんて…あります?』
『あるんじゃねーか?一年に一遍くらいなら』
『っ!?それでいいんですか!?』
『仕方ねェだろ。ま、たまーに相手してやるから』
『…………ぶうっ』
淡白というか、なんというか。
仕事と私を天秤に掛ければ問答無用で仕事にオモリを載せる、いや載せ続けるような人だ。ある程度は理解していた。分かってはいた。
…が!
やはりそれからしばらく経っても、皆が出払うことなんてない。一向にない!
『…土方さん、』
『ん?』
『ちょっとだけ…抱き締めてもいいですか?』
『言っただろ。そういうのは』
『っでも!誰も来ない時間ですから!!』
『分かんねェだろ?いつもはそうでも、イレギュラーなことだってある。油断すんな』
『っ…』
『理解できねェっつーんなら別れるぞ』
『っっ!!』
…そんな言い方されたら、
『土方さんの気持ちはその程度なんですか!?』
誰だってそう言いたくなるというものだ。
『どうしてすぐに別れるなんて言うんです!?俺の話が分からねェなら分かるまで寝かせねェ、とか言えないんですか!』
『言えるかボケェェ!!』
…こうして、私達は近藤局長も恐れる『副長vs副長補佐の斬り合い』に発展した。ケンカの中身を知らない皆は、ものすごく真剣な仕事上の言い争いで揉めたと思っているみたいだけど…実際の原因はこれだった。
で近藤局長が『やめてくれ』と泣いて止めに来た後は、
『…俺は、お前を考えて別れるって言ったんだ。こんな融通の効かない男に時間なんて割いてたら、お前の人生無駄にさせちまうだろうが』
…なんて、健気な告白を受け、
『っ土方さん!一生愛してます!!』
と、仲直り。
しかし結果として、あのケンカ以降『副長と副長補佐の仲は壊滅的に悪い』と噂が立ち、私達が火消しするほどに尾ひれを付け、周りから気遣われるほどにまで発展してしまった。
『ど、どうしましょう…』
『どうせなら噂を利用するか』
『利用?』
『不仲を隠れ蓑にする。ちったァ動きやすくなるんじゃねーか?』
…てなわけで。真選組隊士全員に認知される『犬猿の仲』が完成したのだった。
「…っ、ん、」
まぁ結局みんなが出払う時なんてものは今回のような時くらいしかなく、本当に年に一度程度。毎日一緒にいても、こうしてキスすることすら極めて稀なことで。
「ふっ…、」
まさに織姫と彦星。
…あ。そう言えば、後で短冊を書くんだっけ?何を書こうか考えておかなきゃなー…。やっぱり『ずっと一緒にいられますように』とか?…いやダメじゃん。沖田君と一緒に書くから土方さんのことは伏せないと。
「……、」
うん?その前に沖田君は短冊を用意してるのだろうか。結びつける笹も必要なのに見当たらないし……
「っ、待って、土方さん。」
「っあァ?」
土方さんの胸を押す。
「先に笹、用意しておかないと。」
「…笹ァ?」
「さっき沖田君が『帰ってきてから七夕する』って言ってたじゃないですか。なのに笹も何も用意してなさそうだから――」
「何だよ。」
眉間を寄せ、グッと顔を近付けてくる。
「だ、だから…用意、しててあげないと…って。」
「総悟が言い出したことだろ?紅涙が用意することじゃねェ。」
「でっでも私達は屯所で待機してるだけなんですから、それくらいしてあげなきゃ…」
「しない。」
「んっ、!?」
黙れと言わんばかりにキスをする。
「っち、ちょっと土方さん!」
「七夕なんてしなくていい。」
「そういうわけにはっ」
「せっかくの機会なんだぞ?二人で過ごす時間を優先しろ。」
「!」
土方さんがそんなことを言うなんて…!
「お前もずっと待ってたんじゃねェのか?」
「それはっ…そう、ですけど……。」
「だったら、」
チュッと私の下唇を吸い上げる。
「今は俺のことだけを考えてろ。」
「っ、ふ、ぁっ…、ん、っ、でっ、も」
「黙れ。」
「っは、ぁ、」
ああ…気持ちいい……。やっぱりこのまま土方さんと甘々に……
「紅涙…」
「ん…、」
甘々に…溶けたい……。
…いや、でも私には七夕の準備が……いやいや、もういいかな。沖田君が言い出したことなんだから私が準備しなくても私のせいじゃ…ない…し……
『紅涙、短冊はどこでさァ』
「!?」
「…どうした、紅涙。」
「い、いえ…。」
…やだな、沖田君の声が聞こえた。
『短冊を書くって言っておいたのに、何の用意もしてくれなかったんですかィ?』
う…うん、だって沖田君が用意してるのかなぁと思って。
『長ェ時間を二人で一体何してたんだか』
なっ…何も!?っいや、仕事!書類整理してました!
『そんな話を信じるとでも?』
っ…、
『紅涙、アンタまさか野郎と……』
「っダメだ!」
「へぶッ」
私は土方さんの顔面に手を押しつけ、身体を離した。
「てめェ…」
「やっぱり七夕の準備をしましょう。」
「まだ言ってんのかよ。」
「一緒に短冊を書くって約束した以上は、出来るだけ準備してておかないと。」
「アイツが勝手に計画したもんだろ?なんでお前が…」
「気を利かせておけば、変な疑いも掛けてこないはずです。そのためにも、ね?」
「……。」
ムッと口を歪ませる。その顔に私は思わず噴き出した。
「プッ。そんな不服そうな顔しないでくださいよ。焦らなくても、今夜はずっと二人っきりなんですから。」
「…別に焦ってねェし。」
「じゃあ、そこまでガツガツしなくても。」
「…ガッツいてもねェし。」
いや、ガッツいてますよ。
土方さんは淡白である、というのは、あくまでスイッチがオフの時。この人はオンとオフの差が非常に激しく、オンになるとそう簡単に解放してくれない。それこそまさに鬼の所業で……。
「…なんだその目は。」
「イイエ。」
だからやりたいことがあるなら、この人のスイッチがオンになる前にしておかなければならない…!
「とにかく。夜は長いんですし、先に準備してしまいましょう!」
「…俺は関係ねェのに。」
「何言ってるんですか、皆で短冊書きましょうよ。」
「アイツの言い回しは二人きりだったがな。」
「気にしない気にしない。それとも土方さんは不参加で?」
「……まァいい。」
フンッと鼻を鳴らし、隊服の上着に腕を通した。
「とっとと終わらせるぞ。」
「おお!急にヤル気に!?」
「早く終わらせたら早くヤレるだろ。」
「っ!?」
思ってるヤル気とちょっと違った…。
「ただし俺達が用意するのは笹だけだ。短冊は知らねェ。つーか必要なら総悟に用意させろ。」
「…わかりました。笹は買いに行くんですか?」
「いや、いつもの家で貰う。」
「いつもの…」
ああ…屯所近くの豪邸だ。
あそこの奥様、あまり好きじゃないんだよね…。理由は…至極簡単。
―――ピンポーン
『はい、どなた?』
「すみません、真選組の土方です。」
例の豪邸で土方さんがインターホンを押す。奥様はすぐにフリフリの可愛らしいエプロンを身につけて出てきた。
「あら~♡土方君、いらっしゃい。」
香水が風に乗って鼻に届く。甘ったるい…。
「今年もすみません、七夕用の笹を頂きたくて…。」
「待ってたわよ~♡さ、どうぞどうぞ。入ってちょうだい。」
「ありがとうございます。」
土方さんが豪邸の門をくぐる。私も続こうとすれば、
「あなたはいらないわ。」
即座に止められた。
「は…はい?」
「土方君だけで十分でしょ。」
「いや、でも笹を持たないと……」
「土方君一人で持てるわよ。だってこんなにもイイ身体してるんだから。ねえ?」
奥様が土方さんの腕を触る。土方さんは「いえそんなことは」なんて恐縮そうにしながらも、突き放したりはしなかった。…当然だけど。
「早雨、ちょっとそこで待ってろ。」
すっかり仕事モードになってるし。
「はーい。」
それから十五分。
豪邸から出てきた土方さんは、大きめの笹を背負っていた。
「お待たせ。」
「…遅くないですか?」
「なかなか刈り取れなくてな。デカイのを持っていけってうるさくてよ。」
あくまで笹の伐採に時間が掛かっていたと。
「ふーん…。」
「…なんだよ、怪しんでんのか?」
「べつに?」
「フッ。あんな短時間で何できるっつーんだ。ちょっとこれ持ってろ。」
「えっ!?ちょっ、」
大きな笹をバサッと私に押し付けてきた。
「なっ、何ですか強引に!」
重い!重すぎる!何より引きづる!
「煙草吸う間だけだ、頑張れ。」
「はァ!?煙草って…ちょっとぐらい我慢してくださいよ!」
「香水が鼻に付いてんだよ、早く消してェ。」
う…。そう言われると、我慢するしかない。
でも……重い!!
「まだですかっ!?」
「ちょっと取れてきた。」
「早くぅぅ、重いぃぃ、笹臭いぃぃ。」
「体力ねェな。もっと鍛えろ。」
笹に押し潰されそうな私を土方さんが笑う。
「紅涙、」
「はい?」
身を屈め、
「お前にも付いてるぞ、あの匂い。」
「えっ、」
―――チュッ
「取れた。」
「……、」
煙草味のキスをする。
「外…なのに。」
「笹で見えねェよ。」
私は奥様と接触してない。だから匂いが移るはずもない。…けど、
「…まだ、付いてる気がします。」
土方さんを見る。
「もっとちゃんと…消してください。」
「仕方ねェな。」
それでも陽が落ちつつある薄暗さと、誰も通らない道、大きな笹に甘えて、もう少しだけ、キスをした。