正しい犬の飼い方 10

Lesson 10

明日、土方さんと離れ離れになった後に控えている真選組の戦いは、私如きが考えても恐ろしく危険。
当の本人が心の底から『大丈夫』と言っているかは分からないし、もしかしたら私に言えないような不安を抱えているのかもしれない。
土方さんの思いを私が計り知ることは出来ないけれど、少なくとも、

「ただ、そうでありたいと願う最期の瞬間はある。」

真剣に、普段からそんなことを考えなければならない仕事だから。いつかここであんなことを話したよなって笑い合って、さらにいつかあなたの願いを叶えるために、

「…どんな最期、ですか?」

私は意を決して、土方さんのために聞いた。
【Lesson 10】

Go with me on difficult journeys.
Never say, “I can’t bear to watch it .” or
“Let it happen in my absence.”
Everything is easier for me if you are there.
and…

最期の別れの時には私の傍にいてください。
「つらくて見ていられない」とか、
「立ち会いたくない」とか言わないでほしい。
あなたが傍にいてくれるなら、
私はどんなことも安らかに受け入れます。
そしてどうか……

土方さんが望む最期。
私は頭に浮かぶその瞬間を振り払うように、土方さんの顔を目に焼き付けた。

「最期に見るものを、お前にしたい。」
「えっ…」
「たがもしお前の傍から離れた場所でくたばっちまいそうな時には、」

待って…。

「どんな形でも、お前の元へ帰ってきたいと思う。」

待って土方さん…。

「たとえそれまで心臓が持たなかったとしても、たとえお前が俺だと分からない物になっていたとしても、」

喉が詰まる。詰まって…苦しい。

「どんな姿になっていても、形すらなかったとしても、…最期はお前に会いたい。」

私は瞬きも忘れて土方さんを見つめていた。一言一句、その呼吸すらも聞き逃していない。…だからだ。

「そんな俺に、お前は会ってくれるか?」
「っ、…、」

だから視界が、滲んでいった。

「これ以上悲しまないでほしいって言ったのは…土方さんなのに…っ」

こんなの、泣いちゃうに決まってるじゃないですか。

「悪い。」

弱く笑い、指の腹で私の涙を拭う。
あんなことを私に聞くなんて……バカな人だな、土方さん。

「っ、…会いますよ、っ、」

どんな土方さんでも、土方さんだもの。

「会わずに…っ、さよならなんて、っ、出来ませんっ、」

会う。会いたい。たとえそれが服の切れ端だったとしても、土方さんだ。

「…そうか。」

拭いきれない私の涙に苦笑して、抱き締めてくれた。

「ありがとな。…安心した。」
「っ、安心なんて、…っしないでください…!」
「紅涙…、」
「ちゃんと、っ、生きて帰ってきて…!」
「……、」

土方さんが、さらにギュッと私を抱き締める。

「…ああ。当たり前だろ?」

身体がくっついて、心音が伝わった。その小さな音すらも愛おしく、優しく、…私を寂しくさせる。

「土方さんっ…!」

どこにも行かなければいいのに。
そう願い、目を閉じる。眼球にくっついていた涙が押し出されるように流れた。
この目を開けた時、もう全てが終わっていればいいのにな…。

そんな願いが、叶うわけはなく。

「お前の荷物…これだけか?」

日は明けて、退去期限の最終日。
土方さんが私の荷物を仮住居まで運んでくれるというので、まとめておいた荷物を手渡した。と言っても、私の荷物はたった一つ。

「随分少ねェが…?」
「はい、少ないです。」

一つだけにするのは結構苦労した。足りなくなった物は、足りなくなってから買えばいい。お金は勿体ないけど、全てはあの夢を再現しないためだ。

「ぐっ、なんだこれ…重っ!」
「一つのバッグに目一杯詰め込んだので。」
「分散させろよ!嫌がらせか!?俺が持つと分かっての嫌がらせなのか!?」
「もー。偶然ですよ、偶然。」

必死に担いでくれようとする土方さんをケタケタと笑った。
…うん、違う。夢とは全然違う。あの夢での私は暗いばかりだったけど、今は少し楽しい。昨日泣いたおかげかな…。

「行くぞー。」
「はい!」

夢との違いは、他にも多くあった。
現実の屯所内は夢のようにバタバタしていないし、女中の部屋は空き部屋のようにガランとしていない。人がいなくなっても、部屋には生活感が残っていた。

……でも。

「あの…土方さん、」
「んー?」
「と、屯所ってどっちでしたっけ?」

同じ点もあった。

「覚えなくていい。」
「えっ、でもそれじゃあ帰る時が……」

そこまで言って、口をつぐむ。ダメだ、無意識に夢をなぞろうとしている。

「……。」
「…なんだよ、黙り込んで。」
「……なんにもありません。」

話を終わらせるしかない。そうやって夢との差を広げていこう。そう思ったのに、

「拗ねんなよ。」

土方さんは笑って、

「道が複雑な場所を選んだのは事実だ。だがあくまで極力、春雨との接触を避けさせるため。」

まるで組み込まれているかのように、夢をなぞろうとする。どれだけ私が方向を変えようとしても、夢と同じ方向へ軌道修正する。そして結局、

「全部済んだら、俺がお前を迎えに行くから。…だから覚える必要なんてねェんだよ。」

そんな話をしたから、私はまた、夢と同じように切ない気持ちになった。

その後、

「あ……、」
「なんだ?」
「いえ…、」

辿り着いた部屋は、夢とは違った。外観も内装も、もちろん間取りも違う。
よかった…。心底ホッとした。

「荷物はここへ置けばいいのか?」
「はい、ありがとうございました!」

居間に荷物を置き、土方さんが肩を回す。そんなに重かったのかな…?

「あの、土方さん。お茶――」
「じゃあな。」
「っえ!?」

土方さんが玄関の方へと歩いて行く。

「ちょっ、もう帰っちゃうんですか!?」
「用は済んだだろ?俺は帰って刀を研ぎに行かねェと。」

そんな…。夢と違って部屋に入ったから、すぐに帰ると思ってなかった。これじゃあ夢と同じになる。

「おっお茶!お茶でも飲んでいきませんか!?」
「いらねェ。」
「じゃあ煎餅は!?おいしい煎餅持って来たんです!マヨネーズの――」
「紅涙。」
「っ……、」

バレた。引き止めようとしているのが土方さんにバレた。

「俺は帰る。そう言っただろ。」
「……はい。」

あがなえないんだ…。あれは正夢になる夢だったのではなく、予知夢だったんだ。じゃあ…この結末は……?

「っ…、…、」

嫌だ。

「紅涙?どうした。」
「……ないで。」
「ん?」
「帰らないで…、…土方さん。」

帰ったら……戻ってこなくなる。土方さんはもう……っ、

「行かないでっ、…、土方さんっ!」
「紅涙…」

ああ…言ってしまった。困らせたくなかったから、言わないよう気をつけていたのに、

「ごめん、っ、なさい…、」

言ってしまった。顔を手で覆う。
ごめんなさい、土方さん…。わかっているんです、『行かないで』と言っても行ってしまうこと。行かなければならないことを。言っても困らせるだけの、どうしようもない言葉だと分かっていたのに私は……

「……紅涙、」

ポンと私の頭に手を置く。顔を上げると、土方さんは弱く笑っていた。

「置いとけよ、その煎餅。」
「……?」
「帰ってきたら食うから。置いとけ。」
「土方さん…、」
「マヨネーズ煎餅なんだろ?絶対食うなよ。先に食ったら承知しねェからな。あと袋も開けんな。湿気る。」

話しながら土方さんは玄関で靴を履いた。私は半ば唖然としたまま、その姿を見る。なんというか…あんなことを言ってしまった後なのに、土方さんはいつも通り。もっとうんざりするとか、いい加減にしろとか、そういう態度を取るのだと思っていた。

「紅涙、返事は?」
「えっ…あ……はい。」
「聞こえねェ。」
「っはい。」
「…フッ。まァいい。」

土方さんは満足げに笑い、

「じゃあ行ってくるからな。」

玄関のドアを開けた。途端、胸がザワッとする。呼んで引き留めたくなる声を、喉で押し殺した。

「…なるべく、早く迎えに来るからよ。」
「っ、」

ドアを半分くらい開けて、顔半分だけこちらを向ける。私は込み上げる悲しさを呑み込み、必死に頷いた。

「っ…、待ってます、…、ずっと…っ、待ってますから!」
「ああ。」

涙が浮かぶ。隠すためにうつむいた。
―――パタンッ…
扉の閉まる音がする。いよいよ行ってしまった…。そう思いながら顔を上げると、

「え…?」

扉の前には、まだ土方さんが立っていた。

「なん…で…?」
「忘れ物した。」

…忘れ物?
首を傾げる。そんな私の手を土方さんが引っ張り、

「っわわ!」

身体がふらついた。上手い具合に支えられる。

「あ…危なっ……」
「…おい紅涙、」
「?」

顔を上げる。唇に、チュッとキスをされた。
それは、夢の時と同じように柔らかく優しいキスで、

「っ…、」

頭で考える前に、涙が出た。

「…じゃあな。」

土方さんは私に小さく笑い、背を向け、扉を開けた。そして今度こそ、
―――パタン…
部屋から出て行った。

「っ、」

胸の内側から突き上げるような悲しみに、思わず口元を手で塞ぐ。むせび泣きそうだった。唯一思えたのは、
『ご武運を…』
それだけだった。

月日は、
私が立ち止まったままでも何食わぬ顔をして流れていく。毎日寂しくて、毎日土方さんを想っていても容赦はない。
あまり日を気にし過ぎると迎えの遅さが気になるから、出来るだけカレンダーは見ないよう過ごした。

けれど。

「……、」

二週間経っても、一ヶ月経っても。土方さんは私を迎えに来なかった。

「夢みたいに…外で待たなかったのに。」

夢と同じ。何をしてもやっぱり同じになる。
…いや、一緒じゃない。同じ結末なんかには…絶対にならない。だって土方さんに話したもの。

『言いたくねェのか』
『言うのも…嫌で』
『…ならいいが、嫌な夢は人に言わねェと正夢になるって言うよな』

あの夜、夢のことを話したから。

「夢とは…同じにならない。」

私は部屋を出た。自分の目で確認する。
土方さん達は、開けていた屯所を片付けているせいで私達を呼び戻すのが遅くなっているのかもしれない。もしくは機密事項が多くて、まだ呼び戻せないとか。

「それでもいい…。」

だったらまだ私達は戻らなくていい。いつまでだって待てる。
とにかく土方さん達に変わったことがなければ…。
真選組に変わったことがないのかを……知りたい。

「あのっ…、」

私は大通りまで出て、道行く人に声を掛けた。話を聞いてくれたのは、変わった髪色の人だった。

「真選組の屯所ってどっちですか?」
「真選組?何、何の用事?誰か連行すんの?」
「い、いえ…違います。」
「あ、ストーカー系なら大江戸警察の方がいいんじゃね?」
「ちっ違います!私はただ屯所に行きたいだけでっ…」
「屯所に?ふーん…変わってんな。」

なんだかちょっと失礼な人だな…。

「じゃあ送ってってやるよ。」
「えっ、いいんですか!?」
「いいよいいよ、もう帰るとこだったし。」

なんだ、いい人!
その人は、傍にあった原付を動かす。後部座席をポンポンと叩かれ、私は先に腰を掛けた。座った時、ふと気付く。
ああ…これも夢と同じじゃないか。…だとしても、屯所へ行かなければならない。何も分からないし、私も納得できない。

「にしてもアンタ、物好きだな。あんなとこに行きてェなんてよ。」

親切な男性が話し掛けてくる。私は返事をしなかった。道中も夢と同じようなことを聞かれたけど、私は心の中で謝りながら聞こえないふりを続けた。

…そして、

「着いたぞー。」

到着した屯所の前。いつも開け放たれていた門は、

「……、」

堅く、閉ざされていた。
…まだだ、まだ分からない。夢と同じだとは限らない。

「何?お前、まじでここに用があったわけ?」
「……。」
「つーかお前、知らねェの?」

…やめて。

「ここは確かに馬鹿な犬ばっか住んでる屯所だった。」

やめてよ…、夢と同じことを言わないで。

「横暴でよ、喧嘩っ早くて、街を守るどころか破壊したりして。」

これ以上、夢をなぞらないで。

「まァ…今から思えば、悪い奴らじゃなかったけど…」

夢と違うこと、いっぱいあったのに。いっぱい、してきたのに。どうして……

「ほんと……最期まで馬鹿な忠犬だったよ、アイツらは。」
「……嘘だ。」
「あん?」
「そんなの嘘だ。」

「嘘ですぜ。」

「!!」
「勘弁してくだせェよ旦那。」

特徴的な口調に振り返る。

「何を勝手に殺してくれちゃってるんで?」
「や、やだなァ沖田君。ただの冗談じゃないか。…キミ、なんか目が血走ってんだけど。」
「そりゃァすいやせんね。まだ興奮冷めやらぬって感じでして。」

沖田さんだ…沖田さんがいる!

「沖田さん!」

沖田さんの元へ駆け寄った。彼の隊服は所々、破れていたり、血が滲んでいたりする。

「怪我は…?」
「ありやすぜ、山のように。」
「っ!」
「でも俺は、土方さんみてェに誰かに斬られて死ぬタイプじゃねェんで。」
「……え?」

今…なんて……?

「なになに、とうとう死んじゃったの?アイツ。」

ここまで送ってくれた男性がひょうひょうと尋ねる。容赦ない質問に、私の心臓はバクバクと音を立て始めた。
土方さんが…死んだ?そんな……、…まさか。

「おいコラ。勝手に殺してんじゃねーよ。」
「!!」

土方さんの声が聞こえた。なのにまだ姿は見えない。
幻聴…?そんな不安にさえ飲み込まれそうになった時、曲がり角から人影が現れる。

「生きてるわボケ。」
「…っ!」

土方さんだ。顔を見た途端、身体の力が抜けた。膝が折れる。

「っと、大丈夫か?」

傍に立っていた男性が支えてくれた。

「すみません…、」

生きてる…土方さんが生きてる!
後ろには他の隊士も連なっていた。みんなボロボロだ。ボロボロだけど…生きてる。よかった…みんな無事で…っ、本当によかった!

「おい坂田。紅涙から手ェ離せ。」
「テメッ、なんだその口振りは!誰がここまで連れて来てやったと思ってんだよ!俺だかんな!?俺がわざわざ」
「あーはいはい旦那。世話掛けやしたねィ。後日に甘味屋で礼しやすんで、どうぞお引き取りを。」
「…チッ。絶対だぞ!」

珍しく、土方さんの撒いたゴタゴタを沖田さんが治める。男性は最後まで小言を言って去って行った。

「…紅涙、」
「!」

土方さんに呼ばれ、なんだか泣いてしまいそうな気持ちで振り返る。

「遅くなって悪かったな。」
「っ、…ほんとに……っ、遅すぎますよ!」

私は土方さんに駆け寄った。土方さんが小さく笑って手を広げる。その胸へ飛び込もうとした時、

「待ちなせェ。」

沖田さんが私の前に立ち塞がった。沖田さんの後ろでは、原田さんが土方さんの肩に手を乗せている。

「副長、無理っスよ。」
「紅涙くらい平気だ。」
「無理ですって。」

…なに?

「土方さん?」
「来い、紅涙。」
「副長!」
「すいやせんね、紅涙。野郎が足をやっちまってまして。」
「え…?」

足、を…?

「大したことじゃねェよ。」
「っあ、副長!」

土方さんが原田さんの手を振り払う。周りの言葉も聞かずにこちらへ足を踏み出すと、

「ぐっ、」

たちまちその身体が傾いた。

「土方さんっ!」

慌てて私が駆け寄る前に、傍で立っていた原田さんが支える。沖田さんが「言わんこっちゃない」と笑った。

「俺ァそのまま傷を悪化させてくれりゃ、願ったり叶ったりなんですがねィ。」
「…させるかよ。」
「ひどいんですか…?足……、」
「心配すんな、ただの骨折だ。じきに治る。」

「それよりも、」と土方さんが私に小首傾げた。

「俺、帰ってきてんだが。」
「はい。」
「で?」
「……え?」
「何かあるだろ、ほら。」

顎で促される。
…なんだろ、帰ってきたら?…………あ。

「マヨネーズ煎餅ですか?あれはまだ――」
「違ェよ。帰ってきた人間に言うことあるだろ。」

帰ってきた人に…?……、…ああ!

「おかえりなさい、土方さん。」

土方さんは満足そうに頷いて、

「ただいま、紅涙。」

優しい声音で、そう言った。
and Remember I love you.

そしてどうか忘れないでください、
私はいつまでもあなたを愛しています。

正しい犬の飼い方

どうか…、

「土方さん、足は痛みますか?」
「いや?問題ねェよ。」
「してほしいことがあれば言ってくださいね。私、なんでもしますから。」
「なんでも…」

どうかいつか来る最期の日まで、支え合えますように。
それまで共に年を取り、共に成長できますように。
そしてどうか、

「見てくだせェ、紅涙。こうやって野郎のスネを蹴ると…」
「ぐはッ!そ、うごォォォッ!」
「声でどの程度まで治ってるのか分かりやすぜ。ちなみに今の感じは全く治ってない声でさァ。」
「お、沖田さん…」
「テメェェッ!!紅涙!俺の代わりにアイツを殴れ!」
「そ、それは無理です…。」

私の想いとあなたの想いが、いつまでも同じでありますように。

そう願いながら、私はマヨネーズ煎餅を開封した。

「土方さん、食べたいなら安静にしててくださいね。おすわり。」
「……おう。」
犬の立場=土方さん
2009.06.01
2019.12.05加筆修正 にいどめせつな

にいどめ