正しい犬の飼い方 4

Lesson 4

翌朝。
目を覚ますと、私は土方さんにくっつくように眠っていた。

「あ……。」

そうだった…、あのまま土方さんの部屋で眠っちゃったんだ。思い出すのは、昨夜の悪夢と現実の優しさ。
『お前は何も心配しなくていい。大丈夫だ』
…大丈夫、か。眠る前はそうかもって思ったけど、やっぱり心配は心配。そこを拭える気はしない。…変なのかな、私。ただ土方さんを失いたくないだけなのに…。
私はもう一度、全身で温もりを感じるように目を閉じた。少し身じろいでしまったせいか、

「……ん…。」

土方さんが小さく呻く。少し背中を丸めた。
狭いのかな…?……ふふ。

「大好き…、…土方さん。」

聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで囁いて、私は仕度までもう少しある時間に身を沈めた。
【Lesson 4】

Don’t be angry at me for long and don’t lock me up as punishment.
You have your work, your entertainment and your friends.
I have only you.

私を叱り続けたり、罰として閉じ込めないで下さい。
あなたには仕事や楽しみがあるし、友達もいる。
でも私にはあなたしかいないのです。

「で、わざわざ土方コノヤローとの惚気話をするために俺を起こした、と。」
「ちっ違いますよ、沖田さん!」

昼間の休憩中。縁側で寝転がっていた沖田さんを見つけ、つい相談話してしまった。決して惚気話などではない。

「おっかしィなァ~。俺が眠ってるの分からなかったんですかねィ、この人は。」
「もちろん分かってましたよ!だけど沖田さんが一番土方さんのことを分かっていそうで…」
「俺ァ野郎のことなんか、これっぽっちも知りやせんぜ。じゃ、おやすみ。」

アイマスクに手を掛ける。私はそれを制止して、

「どうしたら『覚悟』が出来ると思いますか!?」

気付けば直球すぎる言葉で尋ねていた。

「覚悟?」
「…頭では分かってたんです。いつ…どうなるか分からないって…。」

大小関わらず、真選組の仕事はその辺の仕事よりも圧倒的に危険を伴う。毎日取り返しのつかない怪我をする可能性があるし……最悪の事態に繋がる可能性もある。

「わかってた…つもりだったんです。でも……」

うつむく。沖田さんの膝が見えた。土方さんに比べて細い。なのに、この人もそんな危険な場所に立つ一人。

「心配が……消えないんです。」
「……。」
「弱いからとかじゃ…なくて、今回の任務が……すごく、怖い。」

強い人でも怪我はする。強い人でも、命を落とす。

「土方さんに限らず、私はみんなのことが本当に心配で……」
「そりゃありがてェや。」
「…え?」
「俺ァ心配されたいですぜ。」
「沖田さん…。」
「心配されるってのは、誰かに必要とされてるってことだと思ってるんで。まァ俺の場合、そう言ってくれる相手がいないせいかもしれやせんが。」

沖田さんはアイマスクを額に置き、寝転んだまま足を組んだ。

「それに、残る側に『心配するな』ってのは無理な話だと思いやすぜ。」
「!…やっぱり、そう思いますか?」
「思いまさァ。でも野郎は置いていかれる側を知りやせんから。仕方がないと言やァ仕方ない話ではあるけど、どっちにしろニブチンには変わりねェや。」

その言い草に思わず笑う。沖田さんに聞いてもらって、少し楽になったかも…。

「あ、いたいた!紅涙ちゃーん、食堂に戻るよー。」
「っあ、はい!今行きます!」

もうそんな時間かー…。

「昼休み、終わりですかィ?」
「はい…、もうちょっと話したかったのになぁ…。」
「俺ァ腹いっぱいですぜ。…けど、夜なら付き合ってやっても構いやせんが。」
「えっ!?」

夜!?付き合う!?

「なに自意識過剰な警戒をしてんですかィ。」
「っ、…す、すみません。」
「まだ話してェことがあるんだろ?仕事が終わったら部屋に来なせェ。子守歌代わりに聞いてやりまさァ。」
「沖田さん…。」

優しいな…。嫌とか鬱陶しいとか言うくせに、ちゃんと面倒を見てくれる。そういうところが隊長向きなんだろうな。

そして、その夜。
私は二人分のお茶を入れて、沖田さんの部屋を訪ねた。

「入りなせェ。」
「…失礼します。」

部屋に入ると、掛け布団の上で寝転がる沖田さんにギョッとする。だけど、よくよく考えれば昼間と大差ない。寝転ぶ場所が布団か縁側かなだけだ。

「お茶、ここに置いておきますね。よかったらどうぞ。」

傍にあった机の上へ置く。

「紅涙が昼間に話してた『覚悟』って話ですが、」

いきなり本題!?

「は…はい。」
「出来ないと何か問題があるんですかィ?」
「…付き合う前、『覚悟できないと付き合わない』…みたいに言われてるんです。」

話しながら、布団の横に座る。…あれ?そう言えば私……

「…あの、沖田さん、」
「何でさァ。」
「私、沖田さんに土方さんと付き合ってること、話してましたっけ…?」
「何を今さら。言われなくても知ってやすぜ。昨日の夜、野郎の部屋に入るのも見てたし。」
「!そ、そうだったんですか……。」

なんか…恥ずかしい。
私は持ってきたお茶をひと口飲んだ。

「べ、べつに何もありませんでしたよ…?」
「興味ありやせん。」
「…失礼しました。」
「……。」
「?」

沖田さんが私をジッと見る。首を傾げると、なぜか溜め息を吐かれた。なんなんだ…。

「俺ァべつに問題ないと思いやすぜ。」
「何が…ですか?」
「紅涙が野郎に、『やっぱり覚悟なんか出来ない』ってカミングアウトしても。」
「…それは…、…。」
「できない?」

…できない。私は、ためらいながらも頷いた。

「言ったら土方さんの……重荷になるから。」

『もしいつか俺が斬られる立場になって、絶対に助からないとしたら……』

「そういう約束で……私達は付き合ったので、」

『やっぱり悲しい思いをさせちまった、って…、一緒にならなけりゃこんな思いをさせずに済んだのにって…後悔する』

「私が変わらなきゃ……いけないんです。」

苦笑して、目を伏せた。お茶の水面に、情けない自分の顔が映っている。こんな顔…土方さんには見せられない…。

「…ならいっそのこと、別れちまいなせェ。」
「っ…、…沖田、さん…?」

なんで…そんなことを……?
顔を上げる。いつの間にか沖田さんが座っていた。

「『誰かのために』と思うのは、いいことだと思いまさァ。でも相手の顔色ばっか見て楽しいですかィ?」
「……、…楽しい、ですよ。」
「それが本心なら、今は野郎を捕まえておくことに必死でそう思ってるだけ。」
「っ、捕まえるって…」

…確かに、付き合ってるわりに『絶対離れ離れにならない』なんて安心感はないけど。

「このまま誤魔化しながら生きて、紅涙が土方コノヤローと結婚したとする。」
「けっ……」
「そこからずーっと月日が経った頃、何かの拍子で紅涙は思うんでさァ。『本当の自分はこんなのじゃないのに』って。」
「……。」
「いやそれ以前に、野郎の方はどうなんですかねィ。」
「…土方さん?」
「人に合わせてばかりで自分らしさのない女と過ごして楽しいと?俺なら『そんな紅涙に惚れたわけじゃねェ』っつって別れまさァ。」
「っ…」

刺さる。沖田さんの遠慮ない言葉が、私の内側をえぐっていく。耐えるように湯のみを握った。

「じゃあ私は……素直に土方さんに伝えるしか…ないんでしょうか。」
「それもそうだけど、俺が言いたいのは。」

ポンと私の左肩に手を置く。

「紅涙、自分を持ちなせェ。自分を貫いていれば、自然と自分に必要なもんは付いてくる。」

彼は…不思議だ。

「今は紅涙がやらなきゃならねェことをやりゃいい。それを懸命にしてりゃ、いつの間にか紅涙なりの『覚悟』ってもんが見えるんじゃありやせんか?」
「沖田さん…、」
「俺はそう思いやすぜ。」

この歳で、こんなことを言えてしまうのだから。ある意味、土方さんより大人かも…。

「沖田さんは…きっと副長になれますね。」
「…ハッ。なに当たり前なこと。」

鼻先で笑う。その仕草が土方さんと似ていて、少し笑えた。

「野郎さえいなけりゃ俺ァ今すぐにでも副長でさァ。」
「ふふ、そうですね。」

ああ…なんだろう。沖田さんと話すと、前向きになれる気がする。頑張ろうって。土方さんが好きだから頑張ろうって思える。

「ありがとうございます、沖田さん。」
「俺ァ何もしてやせんよ。」

まるでカウンセリングを受けた気分だ。
私が「また来てもいいですか」と聞くと、「惚気はお断りで」と返された。また来てもいいらしい。

「…紅涙。茶、取ってくだせェ。」
「はい、どうぞ。」
「あ。すげェ太い茶柱が立ってる。」
「え!?どれ――」
「嘘でさァ。」
「もうっ。お布団の上でふざけないでください!というか、お茶飲み禁止です!こぼしたら面倒くさいんですから」
「女中が『面倒くさい』とか言ったら終わりでさァ。」
「うっ、うるさい!」

ひねくれたことを言ったり、真面目なことを言ったり。まさかここまで相談相手に適した人だと思ってなかったけど、おかげで気持ちが切り替わった。
…ありがとう、沖田さん。

次の日から私は、自分のやらなければならないことに力を注いだ。私がここにいるのは女中として働くため。隊士を支えるため。
仕事にもっと力を注ごう。そうすればきっと弱い自分が消える。ううん、弱い自分を小さく出来る。土方さんの言う『覚悟』にも応えられる人になる。
…でも、もしそこまで頑張っても心を強く出来なかった時は、偽らずに伝えよう。『これが私です』って。それも一つの『覚悟』だと思うから。今はただその日が来るまで、やるべきことに向き合う。

そう思いながら日々の仕事をこなした。
すると驚くほど忙しくなった。これまで行っていた業務内容に限らず、女中全般の業務を任されるようになり、より責任感も芽ばえて。

「頼もしい存在になったねぇ、紅涙ちゃん。」

嬉しそうに声を掛けてくれる女中仲間の先輩に、「そうですか?」と笑い返す。これまでなかった余裕が生まれた。仕事が楽しい。今は純粋にそう感じる。
ただ、

「はぁ~…今日は休みかぁ。」

休みの日は、ぷつりと糸が切れたような気分になった。退屈で、何かしたい。落ち着かない。
一体どうやって一日を過ごせばいいんだろう…。今までどうして過ごしてたっけ?
そんなことを考えていると、障子の向こうから声がした。

「紅涙、いやすかィ?」

沖田さんだ。

「どうしました?」

障子を開ける。沖田さんは笑っているわけでも怒っているわけでもなく、なんとも表情の読めない顔をして立っていた。

「最近、随分と忙しそうですねィ。」
「あ、はい!おかげさまで。休みの日が退屈なくらいです。」
「なら悩む暇もない、と。」
「悩む?ああ…そうですね。今は毎日に必死で。最近なんて日の感覚が分からなくなってきたんですよ。今日が何日なのかとか。」

ハハハと私が笑うと、沖田さんが少し眉を寄せる。

「俺ァそういう意味で言ったんじゃなかったんですが。」
「…え?」
「楽しいですかィ?今。」
「あ…はい、楽しい…ですけど。」

なんだろう。私、沖田さんのおかげで仕事を頑張ろうって思えたのに。どうしてそんな難しい顔を…?

「まァ紅涙が楽しいんなら構いやせんよ。じゃ、仕事頑張って。」

沖田さんはヒラリと右手を上げ、去って行った。
…え?何?一体何しに来たの?

「わけわかんない…。」

ぼう然としながら沖田さんの背中を見送る。ふと、その先にある副長室が目に入った。
そう言えば最近、めっきり土方さんの顔を見ていない。忙しくなってからはお茶出しを他の人達に任せているので、仕事中の接点がほぼなくなった。
けれど屯所を動き回っているのに全く会わないというのはちょっと不思議。土方さんがそれだけ部屋にこもっているということなんだろうけど、食事の時すら姿を見ていないなんて……

「会いに…行ってみようかな。」

忙しいんだろうけど…少しだけ。
私はそっと副長室へ向かった。

障子の前で耳を澄まし、中の様子を窺う。私は休みでも、土方さんは仕事。部屋にいるなら、おそらく何らかの音が聞こえるはず……

「……ふぅ、」

細い吐息が聞こえた。煙草の煙を吐く、あの吐息。土方さんは中にいる。

「あのぉ…」

恐る恐る声を掛けた。けど返事はない。

「あの、土方さん?」

静かだ。でも紙を捲る音はする。聞こえてないのかな…?意を決し、障子を開けた。

「土方さん、紅涙です。」
「……。」

机へ向かう背中に声を掛ける。それでもまだ振り向かない。机に置いてある煙草だけが、開けた障子せいで揺れて、私に気付いていた。

「…土方さん?」
「……。」
「…あの、」
「……。」

これは…無視?そう考えていると、

「クシュンッ、」

土方さんがくしゃみをした。

「風邪ですか?」
「……違う。」

やっと返事をしてくれた。

「あの、何か温かい飲み物でも…」
「いい。」
「……、」
「……。」
「…忙し…そうですね。」
「……ああ。」

そっか…、忙しいんだ。

「わかりました、すみません。」

私は一歩も部屋へ入らず、開けた障子に手を掛ける。閉めようと力を入れたけど…なんだか寂しくて。

「…土方さん、」

もう一度だけ、声を掛けた。

「……。」

土方さんは応えない。振り返りもしない。相当忙しいんだ…。

「…仕事、頑張ってくださいね。」

私は静かに障子を閉めた。

「……バカ野郎。」

土方さんの気持ちも、知らずに。

にいどめ