正しい犬の飼い方 6

Lesson 6

「それじゃぁこれも頼もうかねぇ。」
「わかりました!」

休憩時間も惜しいほど、私の仕事内容は増え、日々充実していた。立ち止まる暇もない。まさに文字通り、あちこち動い回っていた。
おかげで毎日、過ぎていくのが早い。楽しいから、それも言うほど苦痛ではないのだけれど。

「あらあら!紅涙ちゃん、それぐらいするわよぉ!」
「ああ!ありがとうございます!助かります。」

客間へのお茶出しを用意していれば、誰かが必ず気付いて助けてくれる。横の関係は強くなった。
頼り合うために、私じゃなくてもいいような仕事は他の女中へ回し、少し厳しいものを積極的に引き受ける。
そうしているうちに、いつの間にか私の業務内容に『お茶出し』という仕事はなくなっていた。
【Lesson 6】

Be aware that however you treat me, I’ll never forget it.

あなたが私をどのように扱っているか考えてみてください、
私はそれを決して忘れません。

「あっあの、早雨さん…。」

か細い声に振り返る。最近入ったばかりの女中が立っていた。

「どうしました?」
「あの、さっき…、……。」
「?」
「さっき…、副長さんに…お茶を出してきました…。」

そう言われて、ああもう15時かと思う。そろそろ夕飯の用意を始めないと。
廊下の掛け時計をチラりと見て、私は女中へ視線を戻した。

「お疲れ様でした、緊張しましたか?」
「……はい、すごく…。」

だろうなぁ…。心の中で苦笑する。
入って日の浅い彼女にはお茶出しを頼んでいた。簡単な作業だし、たくさんの人と顔を合わせるので、覚えてもらうのにちょうどいい。控えめな彼女の性格上、少し隊士と話せるようになった頃合で土方さんのところへ送ったんだけど……まだ早かったかな。

「怖そうに見える人ですけど、思い遣りのある優しい人ですから。大丈夫ですよ。」
「……はい。」

うーん…、これは相当な印象だったのかも。私が行けば済む話だけど…それだとこの子が成長しない。とは言っても、そもそも土方さんへのお茶出が私の仕事というわけじゃないんだけど。

「明日はどうしましょうか。もしどうしてもってことなら、他の人に頼むことも出来ますけど…」
「……いっ、いえ…頑張ります。」

前向きな姿勢が嬉しい。私は「その意気です!」と笑ってみせた。
…でも、実は後任が決まってしまうのは少し寂しかったりもする。決まらない限りは私の仕事…なんて思える部分があったから。

「あっあの…早雨さん…。」

「はい、なんでしょう。」
「その……、…私…やっぱり向いてないんでしょうか…。」
「……え!?」

いきなりで驚いた。今の今まで前向きだったのになぜ…。

「副長さんにお茶出し…した時に、……、…いらないって…言われて。」
「ええ!?」

それにも驚いた。
…初めてだ。土方さんがお茶を断ったことはない。というか、お茶くらい置いておいてもいいものだ。

「やっぱり…副長さんは私だから『いらない』って……」
「ちっ違いますよ!ただ……仕事が立て込んでて、イライラしていたんだと思います。タイミングが悪かっただけですよ。」
「タイミング…。」
「そうです、だから気にしないでください。」

それしか考えられない…よね。
この子はまだ土方さんと接触したことがない。嫌いになる理由もない。…いい大人なんだから、ましてや土方さんだからこそ、理不尽に嫌うわけがない。

「……でも副長さん…すごく冷たい目をしていて……」
「あ、それについては全く問題ないです。ああいう目つきの人なので。」
「…そうなんですか?」
「そうです!なので明日からは気にせず頑張ってください。」
「は…はい!」

表情がパッと明るくなる。彼女は「ありがとうございました」と頭を下げ、小走りに立ち去った。

「よかった…。」

少し自信を取り戻してくれたみたい。人手が足りないから、出来る限り辞めてほしくないんだよね。土方さんだけが理由ならなおさら……

「……様子、見に行ってみようかな。」

あの子にはああやって励ましたけど、土方さんの機嫌が悪いのは確かだ。おそらく仕事以外の理由がある。だって仕事で忙しいのはいつものことだもの。前に私が行った時も、「忙しい」と苛立っていたし。
けれど初対面の女中にまで当たるというのは異常。よほど仕事内容に焦りがあるのか、他に原因があるのか……。

私は閉められた障子の前で声を掛けた。

「…土方さん、紅涙です。いますか?」
「……。」
―――クシャッ…

紙を握り潰す音が聞こえる。返事はないが、中にはいるらしい。

「開けますよ?」

障子を開けた。一歩中へ入り、障子を閉める。
部屋の中はいつもと同じだ。多くの書類が競い合うように積み上げられ、土方さんはこちらに背を向けて座っている。ただ、灰皿の灰が今にも溢れてしまいそう。
…そっか、今日は15時のお茶出しで掃除しなかったから。あれだけでも片付けていこう。

「…何をしに来たんだ。」

土方さんが筆を動かしながら言う。私は「さっき、」と話した。

「さっきお茶を断ったと聞いたので、どうしたのかなと思って…」
「どうもしねェ。」
「……、」

どことなく棘を感じる。やはり相当苛立っているようだ。

「もし良かったら、お茶以外の物を用意しましょうか。」
「いらねェ。」
「……そう…ですか。」

『構うな』、そう言われている気がした。でも、

「……、」

顔くらい、見たかったな…。

「…まだ何か用あんのか。」
「い、いえ…、…その、……、」

言ったら迷惑、だよね。言わないと伝わらないけど…、…よし言おう。

「土方さんの…顔が見たいなと…思いまして……。」
「……。」

筆が止まった。
もしかして振り返る…?
そう思ったけど、土方さんは隣に積み上げた書類の中から一枚取るだけだった。

「…あいにく、」
「?」
「あいにく俺はお前みたいに、好き勝手に忙しさを調整できねェからな。」

好き…勝手?…なんだろ、その言い方。

「出て行け。」
「っ…、」

棘があるのは勘違いじゃない。土方さんの言葉は確かにいつもより鋭い。あの子が怖がるはずだ。私でも…怯みそうになる。

「…土方さん、忙しいからって…人に当たらないでください。」
「…あァ?」

振り返った。久しぶりに見た顔は、眉間に皺を寄せ、強く私を睨みつけている。
こんな顔が…見たかったんじゃないのにな。

「…さっき来た新人の子も怖がっていました。子どもじゃないんですから、そういうのはやめてください。」
「……お前、俺が忙しいから怒ってると思ってんのか。」
「違うんですか?」
「…ハッ。」

顔を歪ませ、笑い捨てる。

「こんな言い方してんのはお前にだけだ。」

そう言って、また机に向かって筆を取る。…つまり、土方さんは私に怒っていると言いたいらしい。

「…どうして……怒ってるんですか?」
「……。」
「…土方さん。」
「うるさい。」
「っ…」
「出て行け。」

そんな…そんな言い方…っ、

「言ってくれないと分かりません!」
「……。」

声を上げる私に、土方さんの手が一瞬止まった。

「私だって…っ色々、考えて……心を強くしなきゃと思って――」
「出て行け。聞こえなかったか?」
「っ!」
「お前の言い訳なんて聞く暇ねェんだよ。」

言い訳なんて……してない。

「私はっ」
「……。」

土方さんは私に背を向けたまま筆を動かす。
もう話す気はない、話を聞く気もない。…そう言われているようだった。

「……っ、…失礼します。」

見向きもしない背中に頭を下げ、部屋を出た。障子を閉め、廊下を歩いて……

「っ…、……。」

唇を噛む。
あんな言い方、初めだった。心臓が尋常じゃないほど速く動いている。どうしようって騒ぐみたいに。

「土方さんの……っ、バカ…!」

どこからともなく、煙草の匂いがした。土方さんが追いかけてきたわけじゃない。あの部屋で私の髪についた匂いだ。

「………、…バカ。」

悔しくて、苦しくて……悲しくて、寂しい。
髪についた香りが、いつまでも私の気持ちを落ち着かせなくした。

にいどめ