彼女は微笑む+始まりの合図
女中が忙しく手招きする。
「遅かったじゃないの~!」
「すみません…、」
「副長さんも紅涙ちゃんを探しに行ったっきり遅くて。局長さんの用事、そんなに大変だったのかい?」
「いえ…、…大した話ではありませんでした。」
「そうなの?」
「てっきり副長さんが怖い顔して戻ってきたから、何かあったのかと思っちゃったわ~。」
「ああ…、…。」
土方さんを見る。広間の入り口辺りで身支度を整えていた。…気難しそうな顔をして。
「副長さんには何かあったのかねぇ…。」
「紅涙ちゃん、知らない?」
あんな顔をさせてしまったのは…私。
「……すみません、何も。」
「そうかい…。」
「緊張してるだけかねぇ…。」
「……そうだと思いますよ。」
「まぁこれまでにない晴れ舞台だものね。さすがの副長さんでも緊張するわよ!」
「だったら私が花嫁役でもして、ほぐしてあげようかしら。」
「やだも~!」
ケラケラと肩を叩き合いながら女中が笑う。
―――カサッ…
手元で音が鳴り、思い出した。
「…楓さん、遅くなってすみません。これ、」
控えていた楓さんにブーケを差し出す。
「近藤さんから預かってきました。」
「まぁっ、綺麗!」
嬉しそうに両手で受け取り、小さな花束に顔を近付けた。
「紅涙さん、ありがとうございます!」
「……いえ。」
「…大丈夫ですか?」
「何がです?」
「顔色、少し優れないように見えますけど…。」
「……気のせいですよ。」
「…、」
楓さんの視線から逃れるように顔を背けた。…そう言えば、
「山崎さんは…?」
護衛してるはずの山崎さんがいない。
「次の持ち場へ移動されましたよ。」
「次…?」
「ここから先は広間の中で護衛してくださるそうです。」
「そう…ですか。」
そうだっけ?……ダメだな、仕事くらい真剣にしなきゃ。
「それじゃあ新郎新婦も揃ったことだし、始めてもらおうかね。」
「中に確認するわ~。」
一人の女中が広間の中へ声を掛けた。
「あっちもいいそうよ~。」
「二人とも並んでちょうだいな。」
女中の声に、土方さんと楓さんが入口の前に立つ。……いよいよだ。
「まずは副長さんからね。その後に新婦さん。」
「…楓、先に行ってるから。」
「はい、待っててくださいね。」
「…ああ。」
「それじゃあ副長さん、」
「行っておいで!」
二人の女中が襖を開ける。
「副長ォォッ!」
「おめでとォォッ!!」
指笛や歓声に溢れた。
「…っせーな。」
土方さんは鼻先で笑い、真っ直ぐ前を見て歩み出す。すぐに女中が襖を閉めたけど、それでも広間の中から冷やかす…いや、祝福する声が漏れ聞こえてきた。
「ふふっ、」
それを聞いた楓さんは嬉しそうに笑う。
「私、こういう空気も好きです。これまで周りになかったから……っあ!そうだ、大事なことを忘れてました!」
「…なんですか?」
楓さんが使用人を呼びつけた。使用人もハッとした様子で手荷物から何かを取り出す。
「これ、私が持っていてもいいんでしょうか。」
小さな箱を差し出した。赤いベロアを張った箱。これと同じ物をどこかで……
「…あ!」
指輪!
『各自が持ってるはずだ。それを一旦預かり、ここに置いた物を二人が取る流れ』
しまった!預かっておかなきゃいけないのに、土方さん持ったまま入っちゃった!しかも指輪を置いておく箱まで土方さんが持ったままだし!!
「あー……ミスった。」
「ミスった?」
「い…いえ、…なんでも。ではそちらは預かりますね。」
「はい、お願いします。」
中身だけ預かるのも不安だから、箱ごと預かった。
「準備はいいかい?」
襖の前で待つ女中に声を掛けられる。私は急いで楓さんの後ろへ回り、ドレスの裾を持った。結構…重い。
「紅涙ちゃんは、新婦さんが副長さんと合流したら来客席へ下がるんだよ?」
「わかりました。」
「…紅涙さん、」
楓さんが顔半分だけ振り返る。
「私、ブーケは紅涙さんに受け取ってもらいたいと思ってます。」
「…、」
彼女がどんな思いでそれを口にしたのか分からないけど、
「…ありがとうございます。女性の隊士は私だけですから、投げていただけるなら絶対手にする自信がありますよ。」
「……よかった、それなら安心ですね。」
もしかしたら、どこかで予感していたのかもしれない。…この後の惨事を。
「それでは開けますよ、お二人さん。」
「おめでとうねぇ~!」
「…はい、ありがとうございます!」
襖が開いた。ワッと歓声が湧く。
「めちゃくちゃ綺麗じゃん!」
「おめでとォォッ!」
「楓さァァんっ!綺麗だァァッ!」
「早雨がんばれ~!」
…私はいいって。
「じゃあ紅涙さん、…歩きますね。」
「…どうぞ。」
楓さんが足を踏み出した。真っ直ぐ伸びる赤い絨毯を一歩一歩、ゆっくりと。
「…。」
前へ進む度、彼女が何かを得ているように見える。それとは逆に、私は何か落としていくような気分だった。
「…、」
ただ赤い絨毯に視線を見ながら…歩く。短い距離だと聞いていたけど、思っていたより長く感じた。
「…楓。」
土方さんの声が聞こえて、ドレスの裾を置く。
「…紅涙さん、ありがとう。」
…わざわざお礼なんていいのに。
「……お幸せに。」
「次はあなたですよ。」
「…、」
楓さんが土方さんを見上げた。土方さんは楓さんの手を取り、前を向く。
…なんて遠い人達なんだろう。
「はけなせェ、紅涙。」
沖田君の声が聞こえて、客席へ移動した。
顔を上げると、祭壇に立つ近藤さん、最前列に座る松平長官と夏目さんが見える。
「…。」
ぼんやりその光景を見ていたら、
「あれがどう見える?」
隣に座る沖田君が小声で尋ねてきた。
「どうって?」
「テメェの目に、この結婚式はどう映ってんだって聞いてんでさァ。」
どうもこうも…ないでしょ。
「…屯所のわりには、ちゃんとした結婚式になったなと思うよ。」
「はい不合格~。」
「不合格?」
「紅涙、お前が好きなのは旦那か?」
なっ…
「…何よ突然。」
「どうなんでィ。」
「そ……そんなの…今関係ないじゃん。」
「どいつもこいつも…。」
呆れた様子で溜め息を吐く。
「当事者がこの調子じゃ骨が折れまさァ。」
「…べつに何も沖田君に迷惑かけてないけど。」
「掛けてる。お前らがそんなだから―――」
「早雨ちゃん、」
身を屈めた山崎さんが呼びに来た。
「もうすぐ指輪の交換だよ。準備して。」
その手にベロアを張った浅い箱がある。指輪も一つ置かれていた。
「あ、それ…!」
「副長から預かったんだ。なんで持ってたのか分かんないけど…楓さんの指輪は持ってる?」
「うん、ここに。」
箱ごと渡す。山崎さんが指輪を取り出した。
「よし、揃った。じゃあ早雨ちゃん、よろしく。」
「……、…はい。」
浅い箱を受け取った。大きさの違う二つの指輪が並び、輝いている。
「…、」
「紅涙、答えていきなせェ。」
「…何を?」
「お前が好きなのは誰だ。旦那か?それとも」
「もういいじゃん。」
「…。」
「私が今答えても……何の意味もないんだから。」
席を立った。壁際に控える。
「では指輪の交換を。」
近藤さんの声を合図に、私は土方さん達の元へ向かった。
「ぐすっ、」
すすり泣く音は夏目さんじゃなく、なぜか松平長官。
「大きくなったなァ…楓ちゃァん。」
いろんな想いがこの空間にある。誰もが二人を祝福している。…指輪を運ぶ、私以外は。
「…、」
私も祝福しないと。こんな気持ちでいいはずがない。いつまでもこんな気持ちを持っているのも……つらいだけだし。
「……どうぞ。」
二人に浅い箱を差し出した。顔は上げなかった。誰の顔も、見たくなくて。
「…世話かけたな。」
「っ、……いえ。」
土方さんの手が伸びる。指輪を取った。そっと楓さんの手を取り、左手の薬指へ通した。
「……ふふっ、」
指輪をはめた楓さんは小さく笑う。私が持つ箱から指輪を取ると、土方さんの薬指へ通した。二人の指に、同じ指輪が光る。
「…おめでとう!」
近藤さんが拍手すると、隊士達からも祝福の声が挙がった。私の目には、
「…、」
二人の指輪が焼き付いて、なかなか逸らせない。胸に黒いものが広がるのを感じた。それは染みのように滲んでいき、どんどん大きくなって……
「紅涙。」
「!」
沖田君が手を掴む。
「沖…田君…、」
「…下がるぞ。」
手首を引っ張られ、部屋の隅に移動した。
「…紅涙、これが最後でさァ。」
「最後…?」
「もう一回だけ聞いてやる。絶対答えろ。」
私の目を見る。強く、深く、
「お前は誰が好きなんだ。」
心をえぐるような目で、私を見た。
「…その話は」
「言え。遊んでる暇はない。」
「どういうこと?」
「旦那か?」
「っ…、…私は…、」
嘘はつきたくない。でも言う必要もない。なのになぜか沖田君から伝わる焦りが、言わなきゃいけないと思わせた。
「早く、紅涙。」
「…私っ…」
「近藤ォ、何やってんだ早く進めろ。」
松平長官の声がする。
「あ、ああ…ごめんよ、とっつァん。」
戸惑った様子の近藤さんが謝罪した。
「その…えっと、次は~…」
「次は誓いのキスだろォが。」
「よく知ってるな、とっつァん!」
「バカにしてんのかテメェ。」
沖田君はそんなやり取りに目もくれず、ジッと私を見ている。私の答えを待っている。
「……私は、」
「なんだ。」
「そ、それでは新郎新婦は誓いの口付けを!」
近藤さんの声に、会場内がドッと湧いた。土方さんはきっと今、楓さんのベールを上げていることだろう。
「…私は…っ」
「言っちまえ。」
私は……
「っ…土方さんが好き…っ!」
「…合格。」
ポンと私の頭に手を置き、沖田君は消えた。
「…え?沖田君…?」
「キャアァァァッ!!」
「!?」
耳をつんざく悲鳴に心臓が冷える。見れば、
「……え…」
沖田君が楓さんに刀を向けていた。
「お…沖田君!?」
「総悟ッ!」
「何やってんだキミはッ!!」
「全員動くんじゃねェ。動いたら、問答無用で斬る。」
「何を馬鹿なっ…ここでそんなことがまかり通ると思っとるのかね!」
腰を上げようとした夏目さんに、
「やめとけ、夏目。」
松平長官が制止する。
「アイツは殺るっつったら殺る男だぞ、今は座っとけ。」
「だが楓がっ」
「心配ねェ。ぶっ飛んだガキではあるが、理由なく危害を加えるヤツでもねェ。…だな?総悟。」
「さすがはとっつァん。よく分かってまさァ。」
……っ、
「何やってるのよ沖田君!」
「紅涙も例外じゃありやせんぜ。」
「っ、」
瞳孔が…開いてる。
「テメェも斬られたくなかったらジッとしてな。」
「……どういうつもりだ、総悟。」
土方さんが睨みつけた。それを沖田君が笑い捨てる。
「そろそろぶち壊してやろうかと思いやしてね、この茶番を。」
「茶番だと…?」
「茶番も茶番。ホームドラマ以下の最低な芝居でさァ。だから今すぐやめちまいな。じゃねーと、俺達が粛清する。」
粛清って…いや、『俺達』?
「これ以上の面倒は御免こうむりますよ、副長。」
楓さんの後ろにスッと影が落ちる。
「キャァッ…!」
「!?」
細い腕が後ろで束ねられていた。
「すみませんね、楓さん。こんなことになっちゃって。」
「山崎さん!?」
まさか山崎さんまで…!?
「お前まで何やってんだ、山崎ィィッ!」
「ヒィッ…、おっ俺は沖田隊長に賛同したまでです!こんな結婚式…っバカげてる!」
「お前らッ…!」
「さァ土方さん、俺達に降伏しなせェ。そして宣言しろ、」
沖田君が刀の切っ先を土方さんへ向けた。