偽り男8

偽る心に壊れる心+仕事始めの日+妻と仲間と恋心

土方さんが優しい。
何も言わず、温かい身体で私が落ち着くまで抱き締めてくれた。

「…っ、…、」

いつまでもこうしていたい。
いなくならないでほしい。
そんな気持ちを土方さんに抱くなんて思ってなかった。

「…紅涙、」
「…っ…は、はい。」

目を擦って顔を上げる。土方さんは弱く眉を寄せていた。いつかに見た、あの時みたいな顔を。

「…簡単に泣くんじゃねェよ。」
「っ!…す…、すみません…。」
「隊士がメソメソすんな。誰も見てねェうちに顔拭け。」
「……はい。」

抱き締めてくれたのは、周りから私の顔を隠すためだった。あくまで真選組の名を汚さないため。

「…、」

その事実に、少し傷つく。
私は何を期待していたのか。これ以上深く…考えてはいけない気がした。

「……俺は、」
「?」
「俺は……この結婚を望んでる。」
「っ…!」
「お前らには急に決まった結婚に見えて、俺が納得してねェように見えてるのかもしれねェが、……俺は、楓のことを」
「やめてくださいっ!」
「…、」

…もういい。もう……わかった。
土方さんの気持ちも、…私の気持ちも。

「充分…わかりました。」
「紅涙…、」

土方さんは結婚する。
私が期待したものなんて、心の中には何一つない状態で。

「もう…っ、わかりましたから…っ。」
「…。」

それ以上、話さなくていい。それ以上、私に聞かせなくていい。

「……失礼します。」

私には、何も残さなくていい。

「…、…っ。」

明日は来る。
私がどれほど傷つこうと……明日は来るのだ。

そして、結婚式当日。

「早くしなせェ、紅涙。」

普段通りの格好で、沖田君が部屋へ迎えに来た。
隊服は正装扱い。私達隊士は全員、隊服で出席する。

「沖田君、ちゃんとシャツのボタンは全部とめてた?」
「全部って?」
「ボタン全部。スカーフで見えないと思ったらバレるよ。」
「ありえねェ。んなとこまで留めたら苦しくて死んじまいまさァ。」
「だよね。けど前に土方さんが…」

『ったく、今日くらいちゃんとしてくれよ…』

「…、」
「紅涙は留めてるってのかィ?」
「…うん。」
「外しときなせェ、動きにくい。」
「でも今日は…」
「野郎の結婚式だろうが何だろうが、俺達は隊士として護衛を頼まれた身。いつも通り仕事さえしてりゃ問題ねェよ。」
「…、」

首元のボタンに手を添える。

『お前がやらねェなら俺がする』

土方さんはきっと気付かない。今日は私なんかを見ていない。

「…そうだよね。いつもと同じ仕事するだけだもんね。」
「そうでさァ。俺達にしてみりゃ、なんてことねェ一日が始まるだけ。」
「……うん、そうだね!」

沖田君に笑った。沖田君も笑った。
私はシャツのボタンを三つ外し、その上からスカーフを巻いた。

「遅いよ、二人とも!」
「うるせェ山崎。」
「ごめんなさーい。」

山崎さんが新婦の控え室前で仁王立ちしていた。山崎さんも服装に目がいくタイプだけど、やはりスカーフの下のボタンは気付かない。

「それじゃあ後でな、紅涙。」
「うん、また後で。」

軽く片手を上げ、沖田君と別れる。沖田君は土方さんの護衛へ向かった。

「じゃあ俺達も挨拶しとこっか。」
「…楓さんはもう準備を?」
「うん、できてるって。」
「…、」

控え室は客間として使っているあの部屋。障子だけで隔たれた普通の部屋なのに、今日はここが神聖で特別な場所に感じた。

「……、…じゃあ開けますね。」

目を伏せ、そっと障子に手を掛ける。

「…失礼します。」
頭を下げたまま、障子を開いた。部屋を開けた後も私は目を伏せ続ける。

「あっ、山崎さん、紅涙さん!」

嬉しそうな楓さんの声が耳に入った。私の隣で山崎さんが歓声を上げる。

「うわ~っ!綺麗ですよ、楓さん!!」
「ふふっ、ありがとうございます。」

顔を上げるのが恐ろしい。心にある気持ちのせいで…昨日気付いてしまった感情のせいで、極端に怖い。

「…、」
「紅涙さん…?」
「どうしたの、早雨ちゃん。」
「……、」

見なきゃ。顔を上げなきゃ。

『惚れるなとは言わねェ。だが惚けるな』
『真選組に属している以上、私情は全て後回しにしろ。お前の感情なんて優先させる時なんてない』

感情を……捨てて。

「…。」
「どうですか…?紅涙さん。」

顔を上げた私に、楓さんは恥ずかしそうに微笑む。

「…綺麗です。」
「本当!?」
「はい、……本当に。」
「ありがとうございます!」

…嘘じゃない。それ以外の言葉が見つからないほど、綺麗だった。

「じゃあ行こっか。広間まで俺が前を歩くから、早雨ちゃんは楓さんの後ろをお願い。」
「…その間のドレスは?」

楓さんのウェディングドレスは丈が長い。引きずったまま歩くとなると、廊下のどこかで必ず引っ掛けてしまう。

「誰かに持ってもらわないと危険ですよ。私が持つと護衛できなくなりますし、他の誰かを…」
「あっ、それじゃあ私の家の人にお願いします。」

楓さんが答えた。後ろで控えていた使用人の女性が、「承知しました」と礼をする。

「…わかりました、ではお願いします。」
「広間に入ったら早雨ちゃんが裾持ちだからね。」
「…わかってますよ。」
「ドジんないでよ~?」

ニヤついた山崎さんが言う。楓さんが小さく笑った。私は、

「気を付けます。」

頭を下げる。すると山崎さんがギョッとした。

「…どうしたの、早雨ちゃん。」
「何がですか?」
「なんか今日…変じゃない?」

……、

「…『今日も』の間違いじゃないんですか?」

この人はよく私を変だと言う。
私は山崎さんを鼻で笑い、「行きますよ」と歩くよう促した。

単なる廊下が、今日だけは結婚式会場への道。
広間へ近付くにつれて、花も増える。色とりどりながらも淡い色の花ばかり。ウェディングドレスとの相性が良くて、みんなの頑張りが見えた。

「…、」

楓さんはゆっくりと足を進める。考え深げに辺りを見ながら。

「…早雨さん、」
「!」

前を歩く楓さんが立ち止まった。山崎さんも気付き、足を止めて振り返る。

「どうしました?楓さん。」
「広間は…もう近いですか?」
「ええ、そこですよ。」
「じゃあ……少し紅涙と話しをしたいんですが。」
「え?」

今?しかも私と?
楓さんが山崎さんを見る。

「少しだけお願いします。」

頭を下げた。

「いやー…えっと……」

山崎さんが困った様子で私を見る。私だって……困りますよ。

「…楓さん、皆が待ってますので。」
「少しだけでいいんです。ほんの少しだけ…私に時間をください。」
「…、」
「お願いします、紅涙さん。」

…そこまでして何を話したいんだろう。

「……わかりました。」
「早雨ちゃん、だけど」
「山崎さん、準備にもう少し時間がかかるって言っておいてください。」
「……う、うん、…わかった。」

山崎さんが走って行った。その背中を見送っていると、

「いい場所ですね、屯所って。」

辺りを見回しながら楓さんが言う。

「私、どうしてもここで式を挙げたかったんです。ここで挙げれば、私も十四郎さんの仲間になれる気がして。」

…仲間?

「…仲間になんてならなくても、もっといい存在になるじゃないですか。」
「…ふふ、」
「……何か可笑しなことでも?」
「いいえ、……そうね。でも私、仲間にもなりたいんです。そうしたら十四郎さんをもっとよく知れるから。十四郎さんって、自分のことを全く話さない人だから。」
「…口下手なんですよ。」
「でも仲間の話はしてくれるんですよ?近藤さんや沖田さん達の話はたくさん聞きました。私も分かりたくて、『どんな人ですか?』って聞いたりして。」
「…そうですか。」

…何これ。何の時間?こんな話を私にするために、皆を待たせたの?

「どんな話をしてる時も、ほとんど十四郎さんは感情を見せないんです。でも…、…。」

キュッとドレスを握る。顔を上げた楓さんは、

「あなたの話をする時だけは…違いました。」

無表情だった。

「どう…違ったんですか?」
「とても楽しそうに話します。おそらく、本人も無意識で。」
「…、」

…苦しい。

「……、…。」

胸が、どう受け止めていいか悩んでる。

「…十四郎さんにとって、仲間が全てだと知りました。だから私もそこに入りたい。すぐじゃなくていい。時間をかけて、私も十四郎さんの仲間になり…皆と仲良くなりたい、そう思いました。」
「…なれますよ、楓さんなら。」
「そこに紅涙さんは入ってますか?」
「……どういう意味ですか?」
「あなたは、本当に十四郎さんの仲間?」
「っ……、」

『賢い人だよ、あのお嬢さん』
近藤さんの言葉が鮮明によみがえった。

「…紅涙さん。あなたは十四郎さんに、仲間とは別の感情を――」

「楓。」

「「!」」

割り込んだ声音に驚く。楓さんが振り返った。

「十四郎さん…!」
「…遅いから迎えに来た。何してんだ?」
「ごめんなさい…、少し話したくて。」
「…紅涙とか?」
「はい。」
「…。」

土方さんが私を黙り見る。

「…、……楓、」

楓さんに視線を戻した。

「…綺麗だぞ。」
「と、十四郎さん…」

この二人を見ていると、

「…。」

私の心が少しずつ死んでいく。

「ありがとう、十四郎さん。あなたは優しい人ですね。」
「世辞じゃねーよ、」

ちりちりと心の端に火がついて、

「ほんとに綺麗だ。」

いずれ真っ黒に焼け焦げてしまうのだろう。

「…もういいですか?」

二人に声を掛けた。

「土方さんが来たなら…私の護衛は不要ですよね。」
「あァ…?」
「紅涙さん…?」
「先に行ってます。」
「…何言ってんだ、ちゃんと広間まで楓を」
「失礼します。」
「っおいコラ!!」

呼び留める声を無視して、私はその場を後にした。

にいどめ