偽り男9

忘れ者の頼み事+寂しいわけは

二人より先に広間へ辿り着く。
襖は閉められていて、前には女中が二人立っていた。

「あら、紅涙ちゃんだけ?」
「…はい、土方さんが迎えに来たので。」
「そうよね~!副長さん、中で待ってなきゃいけないのに『見てくる』って走って行っちゃったのよ。」
「そうだったんですか。」

言われればそうだ。新郎って、先に入って新婦を出迎えるものなのに。

「それにしてもビックリしたわ~、結婚なんて。」
「ほんとよねぇ~。しかも幕臣の娘さんでしょう?見初められちゃったのかしら。」
「どうなのよ、紅涙ちゃん。」

二人して興味津々の目を向ける。答えていいのかもしれないけど、私は苦笑して手を左右に振った。

「詳しい話は知らないんです。」
「あらそうなの~?」
「でもあれよね、こうして見てると紅涙ちゃんが新郎さんみたいだわ。」
「え…私が?」
「キリッとしてて格好いいわよ~。」
「いつもと同じですけど…」
「そうよねぇ。なのにどうしてかしら…雰囲気のせい?」

女中にとって隊服の印象は、新郎のタキシードと大差ないのかもしれない。おまけに腰には刀まであるわけだし。

「…ほんとですね、」

間違われても仕方ないか。

「楓さんとは大違いですね、私。」

小さく笑う。

「…こんな格好で新婦の裾持ちなんてしていいのかな。」
「構やしないよ。裾持ちって言っても、本当はそんなのいらないくらい短いんだから。」
「そうなんですか?」
「新婦の父親も一緒に歩けないらしいわよ~。」

楓さん、知ってるのかな?…知ってるか。

「まぁ神父さんもいないし、誓いの言葉と指輪の交換、誓いのキスさえ出来りゃいいって考えなんだろうね。」
「……あ!!」

突然、女中の一人が声を上げた。

「やだ~、私忘れちゃってたわ~!」
「どうしたんですか?」
「さっき局長さんが紅涙ちゃんのことを呼んでたのよ~!」
「っえ!?」
「遅くなっちゃったわ~、大丈夫かしら。」
「す、すぐに行って来ます!!」
「ごめんなさいね~。」

おっとりした女中に見送られ、すぐさま局長室へ走った。

―――スパンッ!
勢いよく障子を開ける。

「近藤さん!」
「!」

涙目の近藤さんが振り返った。…え、涙目?

「早雨くゥゥん!!良かった…、来てくれなかったどうしようかと…。」
「どっ、どうしたんですか!?」
「準備し忘れちゃったんだ…。」
「何を!?」

目元を拭い、顔を上げる。

「指輪…」
「指輪ァァ!?」
「…を預かっておく係の人。」
「……。」

なに、その間。

「実は俺…結婚式とかしたことなくて、」
「…そうだと思います。」
「新郎が指輪を渡すまで預かっておく人がいるなんて、想像もしなかったんだ。なんか聞いたところによると、新婦にも必要だとか言うし…、…うぅっ。」

顔を両手で覆った。

「今回の結婚式、こっちで全部請けちゃったから…っ、失敗したらとっつァんに何て言われるか…!」
「近藤さんがすればいいんじゃないですか?」
「俺、神父役だもん。」
「あー…。」
「他のヤツらも、余すことなく警備に使っちゃってるし…。」
「そうですね。」
「というか、アイツらに頼んでも雑に扱われそうだし。」
「まぁ…。」
「…、」
「…。」
「……早雨君、」

…やっぱりか。

「お願い…してもいい?」
「……。」
「他に任せられるヤツがいないんだ。早雨君なら…」
「わかりました。」
「おおっ!ありがとう!!」

…もうヤケクソだ。

「やりきったら寸志、…いや、昇給するよ!」
「ありがとう…ございます…?」

『やりきったら』って、やりきる前提のものでしょ…。

「じゃあ早速これね。」

新郎の手袋と、ベロアを張った浅い箱を差し出される。…ここに指輪を置くのか。

「指輪は…?」
「各自が持ってるはずだよ。それを一旦預かり、ここに置いた物を二人が取る流れ。」
「…わかりました。」
「あと、これね。」

新婦のブーケを渡された。両手が荷物でいっぱいだ。

「はぁぁ…」
「…早雨君、」
「はい?」
「俺達はキミの味方だ。」

どこが!?…と言いたくなるのを我慢して、

「ありがとうございます。」

よく分からない励ましに礼を言い、私は部屋を出た。

「……落としそうだなぁ。」

絶対許されないことだけど、そう思うほど落とすというもの。

「気をつけて運ばなきゃ……」
「テメェェッ」
「っ!?」

ビックリした…。
いつの間にか目の前に土方さんが立っていた。タキシード姿でハァハァと肩で息する様子は、相当な速さで走ってきたのだろう。

…一体、何事?またトラブル?

「どこ行ってんだよ!遅ェッ!」
「…。」

怒られた。…近藤さんのせいだ。

「すみません、近藤さんから――」
「行くぞ!」

腕を引っ張られた。

「あっ、ちょっ…待ってください!慎重に動かないと落としちゃいますよ!」
「ならせめて早歩きしろ!」
「なら半分持ってください!」

広間までならいいでしょ!?
私は土方さんに新郎用の荷物を差し出した。

「持ってくれれば早歩き出来ますから。」
「……わァったよ。」

土方さんが新郎の手袋とベロアの箱を受け取った。

「ついでに確認しますけど、」
「あァ?」
「指輪、ちゃんと持ってますか?」
「持ってる。」
「ほんとに?確認してください。」
「持ってるっつってんのに…」

文句を言いながらも、土方さんは懐から小さな箱を取り出した。赤いベロアを張った、小さな箱。

「中身は?」
「あるって。」

箱を開ける。一本の指輪が光を受けて輝いた。

「な?あるだろ。」
「…、」

この指輪は…楓さんの物。当然、楓さんも同じデザインの指輪を持っている。

「…紅涙?」
「…。」

これを交わせば、二人は……

『早雨~っ!表に出やがれェェ!!』
『コルァァァァァッ!!』
『たるんでんじゃねェェ!!』

この屯所で……

『紅涙、』
『今日、…ありがとな』

『とっ、十四郎さん…、こんにちは』
『こんにちは。良ければ手を』

夫婦になる。

「っ…」

わずらわしくて、うるさくて。厳しくて、嘘が下手で。

「っぅ…っ。」
「紅涙…、」

苦手で、仲も悪くて、どちらかと言えば嫌い。

「っ…しぃ…っ。」

それが今は、

「…何だ?」

今は、

「寂しいよ、…っ、…土方さんっ…、」

あなたが結婚して、誰かと家族になってしまうことが、

「寂しいっ…っ…。」

たまらなく、寂しい。

「紅涙…」
「ぅっ…っ…ぅ…」

こんな弱音、吐いちゃダメなのに。

「…今日は泣かないんじゃなかったのかよ。」
「……っ、そう、だけど…っ、…、」

涙を拭う。

「指輪を見るとっ…、ダメでした…っ、」
「……お前ってヤツは。」

フッと笑い、

「…紅涙だけじゃねェよ。」

土方さんが浅く溜め息を吐いた。

「俺だって……寂しい。」
「……、…土方さんも?」
「ああ。まだいつ異動になるか分かんねェし、しばらく屯所にもいるっつーのに、……寂しく思う。」

それは…

「……どうして?」
「ここは俺にとって家みたいなもんだからな。それに…、………お前もいるし。」
「…?」

土方さん…?

「…。」
「……、」

見つめ合う。
今……何を考えてるの?
身体の奥から込み上げるものを掴みそうになった時、

「……まァあれだ、」

土方さんが空へ目を向けた。

「これがいわゆる、マリッジブルーってやつなんだろうな。」

フンッと鼻先で笑う。

「お前が寂しいと思うのは…独身仲間が減っちまう寂しさだ。」
「っ、違います!」
「そうだよ。」
「違います!…違うんです。」
「…。」

もう、わかってるの。

「私が寂しいのは…、土方さんが誰かと結婚しちゃうから。」
「つまり独身仲間が減っちまうからだろ?」
「そうじゃなくて、…、」

『楓』

土方さんが女性の名を親しげに呼ぶのも、

『…綺麗だぞ』

目を細めて褒めるのも、

『俺は……この結婚を望んでる』

誰かと一緒になるのも、全部…

「……嫌なんです。」

『あなたは、本当に十四郎さんの仲間?』
仲間です。だけど、楓さんが感じていた通り……

「…私…土方さんのことが」
「もういい。」
「っ……、」
「もう…何も話すな。」

土方さんは私に背を向けて、

「…行くぞ。」

歩き始めた。

「……、…土方さんは、」

足が止まる。

「土方さんは…、…楓さんのことが……好きなんですか?」
「……何言ってんだ、今さら。」

本当に…?

「…言ってください。」

お願い。

「こっちを見て、私に言ってください。」

本当に楓さんを愛してると言うのなら、聞かせてほしい。傷つくけど…たぶんそこまでしないと私…

「ちゃんと言ってくれないと…、……納得できないっ。」
「…。」

土方さんが振り返った。なのに、

「っ、」

よく見えない。涙が滲んで、視界がボヤけている。

「……、」
「…っ、」

土方さんは今、どんな顔してるんだろう。
手で目を擦った。

「…バカなことさせんなよ。」

顔を上げる。土方さんはもう背を向けていた。

「…とっとと行くぞ。」

歩き出す。

「っ土方さん!!」

私の声に、土方さんが足を止めることは二度となかった。

にいどめ