近距離先生4

非常階段+時の対処法+甘いメモ

ざわつく空気の中、職員室を出る。……ものの、

「どこへ行けば…。」

一人静かに過ごせる場所が思いつかない。
少しだけでいい。気持ちを切り替える少しの間、どこか時間を潰せる場所が欲しい。

「あ!」

準備室!…は向いてないか。他の先生がいるし、何より仕事を振られそう。

「…やっぱりあそこしかないかな。」

廊下を進み、用務室を通り過ぎた。その先にある扉を出て右へ曲がれば、非常口の石階段が続いている。

「久しぶりだな~…。」

ここは私が教育実習の時に、銀八先生から教えてもらった場所。
あまり人が通らないから、石階段を上って1つ上の踊り場で背を預ければ、授業中の教師の声が僅かに届く程度の静けさになる。

「はぁ…、」

5分だけ休憩して戻ろう。その頃には銀八先生と土方先生も落ち着いているはず。…まぁ二人の声が外へ漏れていないということは、ひとまず落ち着いたんだろうけど。

「……私のことは…面倒くさい印象になっちゃったんだろうなぁ。」

それとも怒ってる…?
問題から逃げるように、いきなり飛び出したわけだし。

「…せっかく良い関係になってきたと思ってたのに。」

やり直しだ。私はいつになったら土方先生に気に入ってもらえるのだろう。
…いや、この感覚そのものが不純。
私と土方先生は、同じ学校内の教師という立場にある。そう簡単に愛だの恋だのを言える環境じゃない。つまり…抱いてはいけない感情ということ。

「……なんで思っちゃったんだろう。」

どうしてあの日、あの感情を恋だと決めてしまったんだろうか。ただカッコイイとか、素敵な教師だと思った程度だったのかもしれないのに。

「…そうだよ、思い違いだ。」

あれは恋じゃなかった。好きだなんて思ってなかった。今からでも遅くない。思い直そう。あれは単なる…

「憧れ――」
「見つけた。」
「っ!?」

低い声に心臓が跳ねた。
頭上から聞こえてきた声は、足音共に下りてくる。

「準備室にいねェし、どこにいるのかと思えばこんなとこにいたのかよ。」

私の前に立った。

「土方先生…、」

どうして…

「お前がいきなり出て行くからだろ?」
「っ…す、すみません…。」

…でも、探しに来てくれたんだ。……嬉しい。

眉間にシワを寄せた土方先生が、ジャケットの内ポケットへ手を差し入れる。そこから取り出したのは、

「え、」

煙草とライターだった。

「あの…土方先生?」
「なんだ。」
「煙草はちょっと…良くないんじゃ…?」
「あァ?いいだろ、外だし。」
「いやっ、でもここ喫煙エリアじゃないですから…」
「お前が黙ってりゃ分かんねェよ。」
「!」

な、なんと…教師らしからぬ発言。
土方先生は何食わぬ顔をして煙草に火をつけた。

「運動した後は一服も必要だ。」
「…運動?」
「ところで。」

煙草を片手に私を見る。

「なんでいきなり出て行ったんだよ。」
「な、なんでと…言われましても…」
「理由もなく出て行くヤツなんて小学生のガキくらいだぞ。」
「うっ…。」

土方先生は咥え煙草のまま、ジャケットの内ポケットへ煙草の箱をしまった。

「ちゃんと話せよ。」
「…、」
「前に言っただろ?悩んでることがあるなら言え、聞くから。」

『もしその『ちょっと』が言えなくなった時は……いや、』
『言えなくなりそうな時は、俺に話せよ』

「……ほんとに、」

痛む胸を押さえる。

「何でも…ないんです。」
「…。」

土方先生が…私を心配して、探し出してくれたことが嬉しい。
こうやって気遣って、寄り添ってくれることが嬉しい。

…でも、

「ただ、外に出たかっただけですから。」

この気持ちも、胸の痛みも、全ては気のせい。勘違いなんだ。
そう思いながら、私は土方先生に笑った。

「……わァったよ。」

土方先生が溜め息を吐く。

「それなら聞かねェ。」

取り出した携帯灰皿で煙草を揉み消す。

「…さっきは悪かったな。」
「?」
「お前のこと、突き飛ばしちまって。」
「っ、突き飛ばすだなんてそんな!あれは私が体勢を崩してだけで…」
「だがそうなったのは俺が早雨を押したからだ。」
「それは…、…不可抗力です!」

グッと拳を握り締める。そんな私を、土方先生がクスッと笑った。

「声量には気をつけろ?今は授業中だぞ。」
「っあ、すみません!」
「まァそれだけ声が出るなら心配いらねェか。」
「…ご迷惑をお掛けしました。」
「べつに迷惑なんて掛けられてねェよ。気にすんな。」
「…。」

私の胸は、未だ土方先生の一言一言にいちいち反応している。もう勘違いだと決めたのに、

「…土方先生、」

勘違いで終わりたくないかのように…足掻く。

「どうした?」
「…、……もし、」

私達の間に、やわらかな風が吹く。

「もし…伝えたいことをどうしても伝えられない時、……土方先生ならどうしますか?」
「…、」

風は私の頬を撫で、土方先生の髪を揺らした。

「よく分からねェが、それは理由があって相手に言えねェのか?」
「…はい。」
「でも相手には伝えたいと。」
「……、…。」

土方先生の問いに、返事は出来なかった。答えると、『それ』を認めることになってしまいそうで…言えない。

「…俺なら伝える。」
「…、」
「そいつに伝えたいと思ってるんなら、俺は言う。」

土方先生を見た。土方先生は私の視線に肩をすくめ、「まァ仮に」と続けた。

「仮に伝えたら相手がどうにかなっちまうような…、そんな馬鹿げた状況にあるんなら、想うだけに留めておくが。」
「…諦めないんですか?」
「諦める必要ねェだろ?テメェの心の内はテメェしかしらねェ。どうしようが自由じゃねーか。」
「!…そう…ですね。」

土方先生の言う通りだ。
何をするわけでもないなら、そもそも諦める必要がない。伝えられないし、伝わらないんだから、自分の気持ちをごまかす必要なんてないんだ。

「私も…そう想うことにします。……もしもそういう時が来たら。」
「ああ、そうしろ。」

この気持ちは、私だけの想い。だから好きにすればいい。……うん、そうしよう。

「…土方先生、」
「ん?」

胸はもう、切なく痛まない。
勘違いとしていた気持ちは、今や私の胸の中央にある。

「戻りましょうか、職員室に。」
「…そうだな。」

たとえ伝えられない想いでも、それを受け入れるだけで不思議と穏やかな気持ちになった。

その後、二人で職員室へ戻る。
―――ガラガラ…
扉を開けるなり、いつもより多くの視線を受けた。どれも、いぶかしげな視線。

「…、」

それだけ私の行いが教師として情けない態度だったということだろう。

「あ、の…皆さん、さっきはお騒がせして――」
「早雨。」
「?」

土方先生が止める。

「お前じゃない。」
「…え?」
「…俺は校内を見回ってくる。さっきの点数確認の続き、頼んだぞ。」
「へ…、あ、わかりました。」

土方先生は再び職員室を出て行く。すると、

「気をつけた方がいいわよ、早雨さん。」

すかさず情報科の先生が腕組みしたまま近付いてきた。

「ここで長く働きたいんでしょう?」
「何の…話ですか?」
「人付き合いはちゃんと考えてしなきゃダメよって言ってあげてるの。」
「?」

まだ分からない。
そんな私に、情報科の先生は呆れた様子で溜め息を吐いた。
同じことを土方先生にされた時は酷く傷ついたのに、罪なことに、今は大して傷つかない。

「じきにアナタがD組を引っ張っていくことになるのよ?だから目と鼻を効かせて、しっかり頑張らないと。」

私が…D組を?

「どういう意味ですか?」
「そのままよ。忠告はしてあげたからね。」

ひらっと右手を上げ、満足げに職員室を出て行った。

「……何…だったの…?」

私は話を飲み込めず、あ然としたまま席に戻る。

『人付き合いは考えろ』
『いずれD組を引っ張っていくことになる』

考えれば考えるほど理解できない。あのタイミングで言ってきたということは、土方先生との付き合い方を忠告してきたのだろうけど…

「だからって…」

D組がどうのとかいう話にまで飛躍するかな。
…というか、土方先生との付き合い方におかしなところなんてないし。

「…あ。」

まさか私が土方先生を好きな気持ち…バレてる!?他の先生に対する接し方と違うから忠告を…!?

「……まさかね。」

そこまで分かりやすい態度は取っていないはず。
もっと詳しく話を聞けばよかったんだろうけど、それほどの勇気を持ち合わせてないし……

「随分と難しい顔してんな。」
「っ!?」

ハッとして顔を上げる。腕を組んだ土方先生と目が合った。

「え、あれ?もう戻ってきたんですか?」
「何言ってんだ、30分は出てただろ。」
「え!?」

時計を見る。

「信じられない…!」

土方先生が出て行ってから30分以上経っていた。い、いつの間に…!

「俺も信じられねェな。」

私の手元を覗き込む。

「全く進んでねェじゃねェか。」
「こ、れは…」
「『これは』?」
「……すみません。」

謝罪して、恐る恐る視線上げた。目と鼻の先に土方先生の顔があり、

「っ、」

思わず息を飲む。とっさ引いてしまいそうな身を耐えた。意識していることがバレたくない。

「何やってたんだ?」

土方先生の態度は変わらなかった。表情も、この距離もそのままだ。

「早雨?」
「…あ…」

ふわりと煙草の匂いが鼻に届いた。
見回りの最中に、また吸ってきたのかな。

「聞いてんのか?」
「え……あー…はい。」
「なんだその気の抜けた返事は。」

フッと笑う。吐息が私の手を撫でた。「」

「っ、」
「…やっちまうぞ。」
「ッへ!?」
「これ。」

トントンと机を叩く。そこにはD組のテスト結果が書かれた用紙があった。

「あ、ああー…ですね。」
「次は俺が読み上げていくから、早雨は確認な。」
「わかりました!」

ぼんやりしていた頭に喝を入れる。
しっかりとしないと!

「?」

土方先生は不思議そうに私を見た後、隣に腰掛けた。

「しかし本気で数学悪ィな…D組。」
「今回だけですよ、きっと。」
「だといいが…」

「早雨さん。」

「「?」」

呼ばれた声に、二人して顔を上げる。
見れば職員室の出入口に情報科の先生が立っていた。さっき私に忠告をした、あの先生が。

「早雨さんに手伝ってもらいたいことがあるんだけど。」
「わかりました。あとで行きま―――」
「今行ってこい。」

土方先生が言う。

「え?でも今は」
「お前の教科は『情報』だろ。あっちを優先しろ。」
「で…ですけど…、私もD組の…副担任ですし、こっちの作業も…」
「心配すんな。帰るまでには終わらせるから。」

ひらひらと手を払い、

「早く行け。」

私が座っていた席へ座り直す。

「土方先生…、」
「…。」

「早雨さん?まだ?それとも無理なの?」

「あ、あの…」
「いえ、すぐ行かせます。」

土方先生は私を流し見て、パソコンのディスプレイへ目を移した。

「…、」

行きたくない。
そもそもこっちの手伝いの方が先だし、…土方先生と…仕事をしていたいし。

「早雨、早くしろ。」

作業しながら私に声を掛ける。こちらは見ない。

「…、……行ってきます。」
「おう。」

…仕方ない。
私は情報科の先生の元へ向かった。
職員室のドアを閉め、廊下を歩く。私の少し前を歩く先生が、

「お礼はいいわよ。」

そう言った。

「…お礼?」
「あんな人だから言いづらかったんでしょう?早くちゃんと断れるようにならないとね。」
「え…あの…」
「それじゃあ、」

私に鍵を差し出す。情報科準備室の鍵だ。

「これは…?」
「私、少し休憩してから部屋へ戻るわ。それまでアナタは部屋の換気と掃除をお願い。」
「…もしかして、私に手伝ってほしいことって…」
「やーね、違うわよ。私が部屋に戻ってから伝える。」
「…わかりました。」

カツカツとヒールの音を廊下に響かせ、先生は立ち去った。

「…。」

なんだか腑に落ちない。
先に戻って掃除という流れもそうだけど、

「『あんな人』とか『お礼はいいわよ』とか…。」

やっぱり、土方先生に対するものがおかしい。
顔が怖いからそう思わせてる…?常に親しみある雰囲気じゃないから余計に…?

「…良い先生なのにな。」

その証拠に、生徒からも慕われている。
もし情報科の先生のような偏った見方だけで、ああいう態度や担任を変えるなんて話になっているなら許せない。

「……よし。」

さり気なく私から情報科の先生に伝えてみよう。
そうしたらきっと、この妙な空気もなくなるはず。
…と、思っていたのに。

「もう19時じゃん…!」

あの後、再度土方先生の話を持ち出すようなタイミングはなく。
手伝わされた仕事や6時間目の授業、片付け、明日の準備と重なって、情報科の先生は帰ってしまった。

私が職員室に戻ったのも19時を回った頃。
当然これだけ遅くなると、残っている教師もまばらで、

「…そうだよね。」

土方先生の姿もない。

「はぁ…。」

机の上に手荷物を置いた。

―――カサッ…
「?」

何か手に引っ掛かる。
見ると、小さな紙があった。

———-
おつかれ。
点数確認は終わったから。
助かったよ。
早雨も早く帰れ。

土方
———

「土方先生…、」

たったこれだけの内容なのに、私には愛おしくて甘いメモだった。

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