ミドリの光+車の帰り道
手に持っていたペンを机へ放り、うんと伸びをする。
書類から顔を上げた土方先生が小さく笑った。
「お疲れ。」
「お疲れ様でした!」
時計を見る。予定していた19時半を回っていた。
「っ、すみません!かなり遅くなってしまって…」
「構やしねェよ。」
片付け始めながら返事をしてくれる。
周りを見ると、職員室に残っているのは私達だけになっていた。
「あ、そう言えば明日の日直って…」
日直表のプリントを確認する。
もし私なら、明日は早く登校しなければならない。…けど、
「あれ?」
明日の日直者を見る前に、今日の日直者名が目に入った。
「土方先生、」
「ん?」
「今日の日直…土方先生じゃないですよ?」
「ああ。」
「?でもさっき…」
『もしかして今日の日直ですか?』
『まァ……そんなとこだ』
「日直だから…残っててくれたんですよね?」
「違う。」
「…?じゃあなんで」
「いいだろ、べつに。俺も遅くなったついでだ。」
「…、…土方先生…、」
もう…。いちいち胸を締め付けないでほしい。
あまり、好きだと思い出させないでほしい。
「早雨は電車か?」
「はい、そうですけど…土方先生は?」
「車。」
「そうだったんですか!」
土方先生がポケットから煙草を取り出す。禁煙の職員室で、平然と火をつけた。
誰もいないし、この後も明日まで使わないからいいか…なんて甘い考えの私は教師失格。
「送ってってやるよ。」
「…え?」
「遅くなったから送ってく。」
「ええ!?」
「うるせっ。」
「だだだだって…!」
土方先生の車に…乗れる!?
「ついでだから遠慮すんな。」
ひゃっ…
「っ…、あ…、…ありがとうございます!」
どうしよう…ドキドキする!
「家はどの辺りだ?」
「えっと…」
「ここから東西南北で言うと?」
「……北…?」
「わかんねェのかよ。」
ククッと笑われる。
「どっちか指さしてみろ。」
「あっちです!」
「東な。」
携帯灰皿を取り出し、煙草の灰を落とした。
「行くか。とりあえず走らせるからナビしてくれ。」
「わかりました!…でも本当にいいんですか?」
「しつこい。あんまりしつこいと、巻いて詰めるぞ。」
『巻いて詰める』!?
「行くぞ。」
職員室の鍵を手に立ち上がった。
私も職員室の明かりを消して、後に続く。
まずは職員室の戸締りをして、ポイントポイントで廊下の電気を消していく。振り返ると、
「…、」
私達の後ろに伸びる、真っ暗な廊下。
暗闇の中に、ぼんやり浮かぶ非常灯に…不気味に光る消火栓の赤いランプ。
「…土方先生。」
「なんだ?」
「…。」
恐怖心が膨れ上がってくる。
「なんだよ、何か言えよ。」
「…す、すみません。誰もいない校舎って静かだなぁと思って。」
「そりゃそうだろ、誰もいねェんだから。」
土方先生は足早に歩きながら返事した。
「余計なことは考るなよ。とにかくさっさと出るに限る。」
「?そうですね。」
妙な言い回しに引っ掛かりながらも、足を進める。が、出入口を通りすぎた。
「あれ?ここ…」
「閉まってる。」
「え!?」
「開いてるのは向こう側だ。」
…そっか。この時間に解放されている扉は1つだけ。それ以外は全て、事前に用務員が戸締りしてくれている。
「どこの扉ですか?」
「もう少し先。」
土方先生の歩くペースがますます早くなった。私の早歩きでも追いつけなくなってくる。なんとか走らずに頑張りたいけど……
「あ、」
―――カランカランッ!
「「!」」
立て掛けられていたホウキを蹴ってしまった。誰かが出しっぱなしのまま帰ってしまったらしい。
「すみません!」
「…。」
土方先生は足を止め、胸元に手を置いている。
また煙草を…?
「ホウキ、片付けてきますね。」
転がったホウキを手に取った。
「少し待ってて――」
―――グッ…
「?」
手首に強い圧迫を感じる。
「待て。」
「…土方先生?」
「……俺も…、」
うつむき気味に呟く。
「俺も……行く。」
「…え?でもすぐそこですし…」
「いい。行く。」
手を離さない。
そのことに集中すると、頬が熱くなってきた。
「わ、わかりました。じゃあ…行きましょう。」
「おう。」
手首を握られたまま、私はホウキを片手に歩き出す。土方先生も、私に導かれるようにして歩き出した。
非常灯に照らされ、廊下に伸びる2つの影。
まるで手を繋ぐような形が照れくさくて、思わず目をそらした。
「よいしょっ、と。」
―――バタンッ
掃除道具のロッカーへホウキをしまい、今度こそ出口を目指して歩く。
「ったく…。誰だよ、出しっぱなしにしたやつは。」
「何か掃除したなら、ホウキをしまうところまでしてくれれば100点だったんですけどね。」
「教師も教師だ。帰り際に片付ければ、俺達がこんな暗がりを戻ることもなかったのに。」
苛立った様子だけど、土方先生は今もまだ私の手首を掴んでいる。
いつまで?と思うものの、言い出すことも出来ない。…放してほしいわけでもないし。
「あの扉だな。」
唯一開いていた扉を抜ける。
土方先生が鍵を締めるタイミングで、ようやく手が離れた。
「…ふぅ。やっと帰れる。」
脱力する仕草に、
「土方先生って、」
もしかしてと思う。
「暗いところ、苦手なんですか?」
「…暗ェ場所は問題ない。が、」
「が?」
「得体の知れないもんは…………、…。」
言葉を詰まらせ、視線をそらす。
『得体の知れないもの』。つまり…
「意外です、オバケが怖いなんて。」
「怖くねェ!怖くなんかねェし!!」
「あれ?あそこで女の人がスクワッ――」
「ッッッ!!」
慌てて私の背後に回る。
「…。」
「……。」
「…ふふふ。」
「…早雨、テメェ…!」
私もオバケが得意というわけではないけれど、自分より先に怖がられたり、自分より怖がる人がいると、そこまで怯えなくなる。
「ギャップ萌えですね!」
「っ、生意気言うのはこの口か?」
ギュッと頬をつねられた。
「イタタッ!痛いです!」
「人を馬鹿にするからだ。」
『ざまァみろ』
ニヤリと笑う。
暗がりの僅かな光に浮かぶ笑みは、ひどく妖艶に見えた。
「べ…べつにバカにしたわけじゃ――」
「いーや、してたな。…フッ、行くぞ。」
今度はパッと手を離し、歩き出す。
駐車場には、ぽつんと寂しげに車が停まっていた。
「あれが土方先生の車ですか?」
「ああ。乗れ。」
―――ピピッ
車の鍵が開く。
「待て、早雨。」
「?」
「先に車を出すから、門を閉めてくれないか?」
「わかりました!」
土方先生が車へ乗り込む。発進させて外に出たのを確認し、門を閉めた。
「よし、と。」
小走りで車へ近寄り、助手席のドアを開ける。
「ありがとな。」
「いえ、…、」
顔を上げて、隣にいる土方先生にドキッとした。
見慣れない校舎外の背景で、狭い空間。加え、夜というフィルター。
「っ、」
ドキドキしないわけがない。
「じゃあ行くぞ。」
「は、い…。」
車が動き出した。
「そう言えば、目は大丈夫なのか?」
「目…?」
「夕方、赤かっただろ?『こすった』って。」
「ああ…はい、大丈夫です。」
「また痛くなるようなら早めに医者行けよ。この先はイベント事が増えて、あんまり休めねェから。」
『個々のキャラが強烈すぎんだよ。ぶつかり合って、考えもまとまりゃしねェ。もうすぐ文化祭だってのに、頭痛ェのなんのって』
銀八先生もそんなこと言ってたっけ。
「…、」
『土方はダメだ』
『もうアイツに対する気持ちは全部消せ』
『…お前が傷つくからだよ』
「早雨?」
「…もうすぐ…文化祭ですもんね!」
忘れなきゃ…。
銀八先生の言葉が頭にあると、まともに話すことすら出来なくなる。
「クラスの出し物はどうやって決めるんですか?やっぱり学年ごとに指定があったり…?」
「まァ何やってもいいわけじゃねェだろうな。」
…うん?
「そう…ですよね。調理ならクラス数も限定されそうですし。取り合いになったりしません?」
「どうだろうな。」
「……?」
さっきから、なんだか答え方がフワッとしてる…?
詳しく知らなさそうというか、私と同じように初めて文化祭を体験するみたいに聞こえる。…そんなわけない…はずだけど。
「…つかぬ事をお伺いしますが、土方先生。」
「なんだよ、改まって。」
「土方先生は銀魂高校に来られて何年になるんですか?」
「…なんでそんなことを?」
「え…いや……以前から気になってまして。私が教育実習へ来た時にもお会いしてませんし。」
「…。」
土方先生が口を閉じる。
信号が赤になった。
「…。」
「…、」
私の問いかけから、少し車内の空気が変わった。
もしかしたらあまり聞かれたくなかったのかもしれない。…なぜかは分からないけど。
「……当たりだ。」
「?」
「俺が銀魂高校へ来たのは今年。」
「……っえ!?」
ここっ今年!?
「今年って…私と同じ!?」
「それは違う。お前より少し前の1月だ。冬休み明けの三学期から。」
し…っ、信じられない!
私と3ヶ月程度しか変わらないのに、あそこまでD組をまとめあげてたってこと!?
「すごい!」
「…何が?」
「土方先生の指導力です!私が副担任に就いた時、まだ4ヶ月目だったってことでしょう?なのにあれだけ生徒に慕われて、統率も取れていたなんて…凄すぎます!」
興奮する私に、
「……やめろ。」
土方先生は、照れるどころかニコりともしない。むしろ深刻な顔つきで、
「俺は……そんなんじゃない。」
キツく眉を寄せる。
「教師と名乗っていいか分かんねェほど…出来損ないだ。」
「そんな――」
「もういい。」
「…?」
「俺の話はここまでだ。」
前を向く。ちょうど信号が青になった。
「それより道順は合ってるのか?」
「あ、…はい。合ってます…けど…、…。」
「…。」
車内の空気が一層ヒリつく。
私、余計なことを言っちゃったんだ…。
「……、…。」
謝る機会も見失い、
そこから家の近くへ辿り着くまで、道順以外に言葉を交わすことはなかった。
褒めたのがいけなかった?
それとも、『まだ4ヶ月目』と言ったこと?