近距離先生6

ミドリの光+車の帰り道

「終わった~!!」

手に持っていたペンを机へ放り、うんと伸びをする。
書類から顔を上げた土方先生が小さく笑った。

「お疲れ。」
「お疲れ様でした!」

時計を見る。予定していた19時半を回っていた。

「っ、すみません!かなり遅くなってしまって…」
「構やしねェよ。」

片付け始めながら返事をしてくれる。
周りを見ると、職員室に残っているのは私達だけになっていた。

「あ、そう言えば明日の日直って…」

日直表のプリントを確認する。
もし私なら、明日は早く登校しなければならない。…けど、

「あれ?」

明日の日直者を見る前に、今日の日直者名が目に入った。

「土方先生、」
「ん?」
「今日の日直…土方先生じゃないですよ?」
「ああ。」
「?でもさっき…」

『もしかして今日の日直ですか?』
『まァ……そんなとこだ』

「日直だから…残っててくれたんですよね?」
「違う。」
「…?じゃあなんで」
「いいだろ、べつに。俺も遅くなったついでだ。」
「…、…土方先生…、」

もう…。いちいち胸を締め付けないでほしい。
あまり、好きだと思い出させないでほしい。

「早雨は電車か?」
「はい、そうですけど…土方先生は?」
「車。」
「そうだったんですか!」

土方先生がポケットから煙草を取り出す。禁煙の職員室で、平然と火をつけた。
誰もいないし、この後も明日まで使わないからいいか…なんて甘い考えの私は教師失格。

「送ってってやるよ。」
「…え?」
「遅くなったから送ってく。」
「ええ!?」
「うるせっ。」
「だだだだって…!」

土方先生の車に…乗れる!?

「ついでだから遠慮すんな。」

ひゃっ…

「っ…、あ…、…ありがとうございます!」

どうしよう…ドキドキする!

「家はどの辺りだ?」
「えっと…」
「ここから東西南北で言うと?」
「……北…?」
「わかんねェのかよ。」

ククッと笑われる。

「どっちか指さしてみろ。」
「あっちです!」
「東な。」

携帯灰皿を取り出し、煙草の灰を落とした。

「行くか。とりあえず走らせるからナビしてくれ。」
「わかりました!…でも本当にいいんですか?」
「しつこい。あんまりしつこいと、巻いて詰めるぞ。」

『巻いて詰める』!?

「行くぞ。」

職員室の鍵を手に立ち上がった。
私も職員室の明かりを消して、後に続く。
まずは職員室の戸締りをして、ポイントポイントで廊下の電気を消していく。振り返ると、

「…、」

私達の後ろに伸びる、真っ暗な廊下。
暗闇の中に、ぼんやり浮かぶ非常灯に…不気味に光る消火栓の赤いランプ。

「…土方先生。」
「なんだ?」
「…。」

恐怖心が膨れ上がってくる。

「なんだよ、何か言えよ。」
「…す、すみません。誰もいない校舎って静かだなぁと思って。」
「そりゃそうだろ、誰もいねェんだから。」

土方先生は足早に歩きながら返事した。

「余計なことは考るなよ。とにかくさっさと出るに限る。」
「?そうですね。」

妙な言い回しに引っ掛かりながらも、足を進める。が、出入口を通りすぎた。

「あれ?ここ…」
「閉まってる。」
「え!?」
「開いてるのは向こう側だ。」

…そっか。この時間に解放されている扉は1つだけ。それ以外は全て、事前に用務員が戸締りしてくれている。

「どこの扉ですか?」
「もう少し先。」

土方先生の歩くペースがますます早くなった。私の早歩きでも追いつけなくなってくる。なんとか走らずに頑張りたいけど……

「あ、」
―――カランカランッ!
「「!」」

立て掛けられていたホウキを蹴ってしまった。誰かが出しっぱなしのまま帰ってしまったらしい。

「すみません!」
「…。」

土方先生は足を止め、胸元に手を置いている。
また煙草を…?

「ホウキ、片付けてきますね。」

転がったホウキを手に取った。

「少し待ってて――」
―――グッ…
「?」

手首に強い圧迫を感じる。

「待て。」
「…土方先生?」
「……俺も…、」

うつむき気味に呟く。

「俺も……行く。」
「…え?でもすぐそこですし…」
「いい。行く。」

手を離さない。
そのことに集中すると、頬が熱くなってきた。

「わ、わかりました。じゃあ…行きましょう。」
「おう。」

手首を握られたまま、私はホウキを片手に歩き出す。土方先生も、私に導かれるようにして歩き出した。

非常灯に照らされ、廊下に伸びる2つの影。
まるで手を繋ぐような形が照れくさくて、思わず目をそらした。

「よいしょっ、と。」

―――バタンッ
掃除道具のロッカーへホウキをしまい、今度こそ出口を目指して歩く。

「ったく…。誰だよ、出しっぱなしにしたやつは。」
「何か掃除したなら、ホウキをしまうところまでしてくれれば100点だったんですけどね。」
「教師も教師だ。帰り際に片付ければ、俺達がこんな暗がりを戻ることもなかったのに。」

苛立った様子だけど、土方先生は今もまだ私の手首を掴んでいる。
いつまで?と思うものの、言い出すことも出来ない。…放してほしいわけでもないし。

「あの扉だな。」

唯一開いていた扉を抜ける。
土方先生が鍵を締めるタイミングで、ようやく手が離れた。

「…ふぅ。やっと帰れる。」 

脱力する仕草に、

「土方先生って、」

もしかしてと思う。

「暗いところ、苦手なんですか?」
「…暗ェ場所は問題ない。が、」
「が?」
「得体の知れないもんは…………、…。」

言葉を詰まらせ、視線をそらす。
『得体の知れないもの』。つまり…

「意外です、オバケが怖いなんて。」
「怖くねェ!怖くなんかねェし!!」
「あれ?あそこで女の人がスクワッ――」
「ッッッ!!」

慌てて私の背後に回る。

「…。」
「……。」
「…ふふふ。」
「…早雨、テメェ…!」

私もオバケが得意というわけではないけれど、自分より先に怖がられたり、自分より怖がる人がいると、そこまで怯えなくなる。

「ギャップ萌えですね!」
「っ、生意気言うのはこの口か?」

ギュッと頬をつねられた。

「イタタッ!痛いです!」
「人を馬鹿にするからだ。」

『ざまァみろ』
ニヤリと笑う。
暗がりの僅かな光に浮かぶ笑みは、ひどく妖艶に見えた。

「べ…べつにバカにしたわけじゃ――」
「いーや、してたな。…フッ、行くぞ。」

今度はパッと手を離し、歩き出す。
駐車場には、ぽつんと寂しげに車が停まっていた。

「あれが土方先生の車ですか?」
「ああ。乗れ。」

―――ピピッ
車の鍵が開く。

「待て、早雨。」
「?」
「先に車を出すから、門を閉めてくれないか?」
「わかりました!」

土方先生が車へ乗り込む。発進させて外に出たのを確認し、門を閉めた。

「よし、と。」

小走りで車へ近寄り、助手席のドアを開ける。

「ありがとな。」
「いえ、…、」

顔を上げて、隣にいる土方先生にドキッとした。
見慣れない校舎外の背景で、狭い空間。加え、夜というフィルター。

「っ、」

ドキドキしないわけがない。

「じゃあ行くぞ。」
「は、い…。」

車が動き出した。

「そう言えば、目は大丈夫なのか?」
「目…?」
「夕方、赤かっただろ?『こすった』って。」
「ああ…はい、大丈夫です。」
「また痛くなるようなら早めに医者行けよ。この先はイベント事が増えて、あんまり休めねェから。」

『個々のキャラが強烈すぎんだよ。ぶつかり合って、考えもまとまりゃしねェ。もうすぐ文化祭だってのに、頭痛ェのなんのって』

銀八先生もそんなこと言ってたっけ。

「…、」

『土方はダメだ』
『もうアイツに対する気持ちは全部消せ』
『…お前が傷つくからだよ』

「早雨?」
「…もうすぐ…文化祭ですもんね!」

忘れなきゃ…。
銀八先生の言葉が頭にあると、まともに話すことすら出来なくなる。

「クラスの出し物はどうやって決めるんですか?やっぱり学年ごとに指定があったり…?」
「まァ何やってもいいわけじゃねェだろうな。」

…うん?

「そう…ですよね。調理ならクラス数も限定されそうですし。取り合いになったりしません?」
「どうだろうな。」
「……?」

さっきから、なんだか答え方がフワッとしてる…?
詳しく知らなさそうというか、私と同じように初めて文化祭を体験するみたいに聞こえる。…そんなわけない…はずだけど。

「…つかぬ事をお伺いしますが、土方先生。」
「なんだよ、改まって。」
「土方先生は銀魂高校に来られて何年になるんですか?」
「…なんでそんなことを?」
「え…いや……以前から気になってまして。私が教育実習へ来た時にもお会いしてませんし。」
「…。」

土方先生が口を閉じる。
信号が赤になった。

「…。」
「…、」

私の問いかけから、少し車内の空気が変わった。
もしかしたらあまり聞かれたくなかったのかもしれない。…なぜかは分からないけど。

「……当たりだ。」
「?」
「俺が銀魂高校へ来たのは今年。」
「……っえ!?」

ここっ今年!?

「今年って…私と同じ!?」
「それは違う。お前より少し前の1月だ。冬休み明けの三学期から。」

し…っ、信じられない!
私と3ヶ月程度しか変わらないのに、あそこまでD組をまとめあげてたってこと!?

「すごい!」
「…何が?」
「土方先生の指導力です!私が副担任に就いた時、まだ4ヶ月目だったってことでしょう?なのにあれだけ生徒に慕われて、統率も取れていたなんて…凄すぎます!」

興奮する私に、

「……やめろ。」

土方先生は、照れるどころかニコりともしない。むしろ深刻な顔つきで、

「俺は……そんなんじゃない。」

キツく眉を寄せる。

「教師と名乗っていいか分かんねェほど…出来損ないだ。」
「そんな――」
「もういい。」
「…?」
「俺の話はここまでだ。」

前を向く。ちょうど信号が青になった。

「それより道順は合ってるのか?」
「あ、…はい。合ってます…けど…、…。」
「…。」

車内の空気が一層ヒリつく。
私、余計なことを言っちゃったんだ…。

「……、…。」

謝る機会も見失い、
そこから家の近くへ辿り着くまで、道順以外に言葉を交わすことはなかった。

褒めたのがいけなかった?
それとも、『まだ4ヶ月目』と言ったこと?

通り過ぎていく景色を見ながら、隣にいる土方先生のことばかり考えていた。

にいどめ