おしあわせ
「…はい、また明日。」
昨日と同じように別れ、帰路につく。
だけどその帰り道、
「おい。」
びっくりする人に声を掛けられた。
「っえ!?ひっ、土方さん!?」
「…驚き過ぎだろ。」
まさかの土方さん、本物だ。
「知り合いかい?土方君。」
土方さんの隣にいた男性が問いかける。おそらく今日の飲み会相手だ。
「…すんません、今日はここで失礼してもいいですか?」
「おや、珍しいね。余程大切な人と見える。」
「はい。」
っこ…これは確かに珍しい!この手の話題をかわさず、しっかり頷いてくれるなんて超レア!!
「そうかそうか、土方君にも大切な人がいたんだな。初耳だ。」
「すみません。」
「いや、謝ることはない。とてもいいことだ。それじゃあ二人で帰りなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
「お嬢さん、またいつか。」
「っあ、はい…。」
男性は軽く頭を下げ、夜の街へ消えて行った。土方さんは一度も振り返らないその人が見えなくなるまでお辞儀して見送る。そしてようやく姿が消えた頃、
「あー…助かった。」
こめかみを押さえ、疲れた様子で溜め息を吐いた。
「よかったんですか?先に帰っちゃって。」
「構やしねェよ。」
煙草に火を点け、気持ち良さそうに息を吐く。
「俺は充分付き合った。」
「お疲れ様です。」
「おう。…それで?お前は何してたんだ。」
「えっ、」
「こんな時間にどこ行ってたんだ?」
「あー…えーっと……」
しまった…言い訳が思いつかない!
『市中見廻りです』と言いたいところだけど、夜間の歌舞伎町は私の巡回コースに入ってない。何かまともな言い訳を……あ!
「こっ、近藤さんの回収に来ました!」
「またかよ近藤さん…。他のヤツは?いつもなら他のヤツが回収に来るはずだろ。」
「他の人はー…、…す、既に向かったんですけど、動かなかったみたいで。新たに派遣されたのが私です!」
「ったく、ご苦労さん。で、本人は?」
「あっ…、ま、まだ帰らないそうで…」
「なら俺が迎えに」
「いえっ!迎えはいらないそうです!」
「…なんで…」
「自分で帰るそうで!だから来るなって言われました、強く!」
「ヘェー……。」
「……、」
「…。」
「……、…。」
「……紅涙、」
「はひ!ゴホンゴホンっ、…はい、なんですか?」
「お前、何か隠してるんじゃ…」
「わわっ、」
―――ドンッ
土方さんの右腕に身体をぶつけた。すると、ぶつかった拍子に指から火のついた煙草がポロッと落ちる。
「あ。」
「おわっ、ぅアチっ!」
咄嗟に掴もうとして、危うく左手を火傷しそうになっていた。
「ご…ごめんなさい。」
「テメッ、わざと押しただろ!!」
「そんなことないですよ!」
もちろんわざと押しました!
「ちょうどいい感じの石につまづいちゃったんです。」
「なんだよ、『ちょうどいい感じの石』って。…あーあ、」
土方さんは地面に落ちた煙草を拾い、「もったいねェな」と肩を落としながら携帯灰皿に捨てた。
「ワンカートン弁償しろよ。」
「なっ、一体何倍返しさせる気ですか!」
「今のは100%お前が悪いだろ。」
「悪いのはちょうどいい感じの石です!」
ごめんね、ちょうどいい感じの石!この責任は本来、全て私にあります!
「……あーもういい。わかったから黙れ。」
土方さんはまた新しい煙草へ火をつけ、ぼんやり煙を目で追った。その顔はやはり普段より疲れていて、時折、風に乗って届くお酒の匂いでも伝わる。
「…お疲れさまでした、土方さん。」
「あァ…?なんだよ急に。」
「すごく疲れてるなぁと思いまして。」
「まァな。そろそろ本気で酒が嫌いになりそうだ。」
「ふふっ、私が変わってあげられたらいいんですけどね。」
「お前をあんな場所には送れねェよ。」
土方さんは右手に煙草を持ち、
「…。」
「…。」
左手で私の手を掴んだ。それをそのまま、何食わぬ顔で自分の隊服のポケットに入れる。
「…土方さん…、」
「寒ィ。」
「…。」
ポケットの中でも繋がれたままの手。お酒のせいか、土方さんの手はいつもより温かい。…ちょっと珍しいな。
「…なァ、紅涙。」
「はい?」
「公園の方…巡回して帰るか。」
それは、少しだけ屯所まで遠くなる道。
「…いいですね、そうしましょう。」
繁華街とは違って静寂に包まれた夜中の公園。冷たい冬の空気が頬にしみる。
「冬の匂いがしますね。」
夏よりも澄んでいて、透明な匂い。
「嫌いじゃねーな、この空気。」
「私も。」
右手に温かさを感じながら夜空を見上げた。
そう言えば、二人でこうしてゆっくり歩くのは久しぶりだ。
「…なんだか吸い込まれそう。」
星の少ない、黒よりも深い夜空に。
まるで土方さんの瞳みたいだ。見つめていると、段々音が聞こえなくなって、周りも見えなくなってきて……
「紅涙、」
土方さんの声にハッとする。
「なんですか?」
いつの間にか公園を抜けた辺りまで歩いていた。
「お前、昨日から妙に落ち着いてるよな。」
「そう…ですか?」
「なんつーか、騒がしくない。」
自分では分からないけど…言われてみれば、最近妄想してないかも。これまで一日一度は妄想してた気がするのに……
「つい数日前なら、遠回りしただけギャーギャー騒いでただろ。」
あ…妄想だけで収まってなかったみたい。
「そ、そんなにガツガツしてました…?私。」
「バカ言え。ホテル街を歩こうものなら、引っ張りこもうとする女じゃねーか。」
「そっそこまでヤバくないですよ!」
「どうだかな。」
土方さんはくくっと笑って、私の顔を覗き込んだ。
「まァそんな拗ねんなよ。」
「拗ねてませんけど!?」
「拗ねてるから大人しいんだろ?」
「違います!」
「ならなんで大人しいんだよ。」
「っそ、れは……、…大人になったからですよ!」
「大人ァ?なんだそりゃ。」
鼻先で笑い捨てた。
「べつにそんなとこで大人になる必要なんざねェよ。」
「…散々お預けさせた人が言いますか。」
「あの時はあの時。」
「じゃあ今は?」
「今は……、…お前の気持ちが分かる。」
えっ…
「俺もそろそろ発症してきた。」
「発症…」
「紅涙欠乏症。」
「!」
「…フッ。なァ、紅涙。」
土方さんが私の前髪に触れる。その手を頬へおろし、指の背でやんわり撫でた。
「もう少し寄り道してくか。」
「寄り道…?」
「二人で過ごせるとこまで。」
「!!」
ひ…土方さんから誘ってきたァァ~っっ!
「ぜッ……、…。」
『ぜひ行きましょう!』…と答える間際に思い出す。
「ぜ?」
「……いえ。」
そう言えば土方さん、まだあと二日も飲み会が続くじゃん!
「ダメです、帰りましょう。」
「……マジか。」
「マジですよ。もう~、自分のスケジュールをお忘れですか?副長サマは明日も明後日も飲み会が――」
「そうじゃなくて、お前。」
私?
「てっきり『行きたい!』って飛びついてくるかと思ってた。」
「あー…」
そうですよね…。
「そうしたいところは山々ですけど、今は土方さんの身体の方が心配なので。」
…あれ?もしかしてこれ、教室の成果?土方さんを労う余裕が出来てる!?
「……。」
「帰りますよ、土方さん。」
ポケットの中で繋がれたままの手を引いた。すると、
―――ギュッ…
土方さんが手を強く握り、
「あっあれ!?」
屯所とは反対方向へ歩き出す。
「どこ行くんですか!?」
「三時間くらい遠回りする。」
「だからダメですってば!今は少しでも長く寝る時間を優先しないと」
「俺の身体は俺が一番よく知ってんだよ。」
「鈍感だから言ってるんです!ほんとにっ…土方さんのためなんですからね!?」
「…。」
「土方さんに何かあったら私っ……、…。」
「……はあああァァァー…、」
長い長い溜め息をして、
「わァったよ。」
繋いでいた手を放した。ポケットから手を出し、煙草に火をつけて屯所の方角へ歩き出す。かなり不機嫌な様子で。
え、これもしかして……
「土方さん、…拗ねてます?」
「…拗ねてねェよ。」
うっわー。久しぶりに見た、チャイルド土方。
「ふふ…、まったくもう。」
私は土方さんの後ろから駆け寄り、空いていた左手を握った。
「困った人ですねー、土方さんは。」
「お前に言われたくねェし。」
「じゃあ先に我慢経験者の私からアドバイスです。我慢するのも悪くないですよ?」
我慢の裏に変化がある。我慢の先じゃない。
欲望ばかりに目が向いている時はそのことしか考えられないけど、視点を変えればすぐにだって変われるんだ!
…まぁその変化を成長と呼ぶかは人によるけど、少なくとも私は成長できたと捉えている。
「フッフッフッ…」
「…なんだその勝ち誇った笑みは。」
「すみません、自分の成長に酔ってました。」
「はあぁぁァァ…、」
「が~んばれっ☆」
「……うぜェ。」
「視点を変えましょうよ。我慢すればするほど次は何倍も特別に感じるって言いますし、その時を楽しみにして!」
……なんかちょっと大胆なこと言っちゃったけど、
「私も楽しみに頑張りますから。」
私だって、土方さんとイチャイチャしたいことには違いない。
「…。」
「ね?土方さん。」
「………わかった。」
きゃあああ!やったわ!私、初めて土方さんを言いくるめた!嗚呼っ…手懐けたこの感覚、サイコー!!
「ふふふ…、」
「お前はさっきから楽しそうだな…。」
「いえいえっ、まさかそんな。」
手と首を左右に振って否定する。土方さんは横目で私を睨み、煙草を大きく吸った。
「あー…、…俺の自由は何時間後だ?」
星の少ない夜空へ煙を吹きかけた。
「すぐですよ。」
「気休め言うな。」
「じゃあ50時間以上後です。」
「現実的に言うな!」
「どうしてほしいんですか!」
「ヤラせろ!」
「キャァァッ!襲われるゥゥっ!!」
…私は知らなかった。
こうして騒いでいる今この瞬間に、誰かが傷ついていたなんて。…傷つけていたなんて。
私は…何も知らなかった。