知らぬ仏より、馴染みの鬼 1

鬼の恋人

これは、むかしむかしのお話。
かつて江戸には二つの警護隊が存在していました。その名は、真選組と見廻組。

黒い隊服で、いわゆる武闘派な浪人を集めただけの真選組に対し、

「…おい、」

清く冷静沈着に対応するエリートのみを中心に集めた、白い隊服の見廻組。

「おいコラ。」

この二つのうち、一方の組織にだけ女性が働いていました。その組織とは当然、見廻組です。

「何が当然だコラァァ!」
「ッ!?いっ、いひゃいれす、ひりからはん!」
「悪かったなァ?こっちはどうせ浪人を集めた『だけ』の組織だよ。そりゃお前も『当然』見廻組に居続けるわけだよなァ?」

思いっきり私の頬をつねり、引っ張るようにして放す。私は涙目にして、つねられていた頬を擦りながら指をさした。

「公務執行妨害で逮捕します!」
「残念だが俺も公務中だ。」
「でっでも手を出した方が負けですよ!」
「なんだそのガキみてェな話は。それを言うなら、先にお前がケンカ吹っ掛けてきたんだろうが。」

ケ、ケンカって…

「ケンカなんてしてません。」
「言葉の暴力で殴りつけてきた。あれは完全に真選組対する侮辱だな。」

うっ…。

「…いつの間に部屋へ戻ってきてたんですか。」
「『武闘派な浪人』って辺り。」
「そ、それは……すみませんでした。つい口から漏れてしまっていたみたいで。」

私は作りかけの絵本をとじた。
これはいつか園児に読み聞かせるために使おうと思っているものだ。
…ちょっと書き換える必要がありそうだけど。

「お前、それでよく局長補佐なんてやってるよな。」

土方さんは副長室のテーブルに片肘をつき、呆れた目で私を見た。

…そう、私は見廻組の局長補佐。
佐々木局長に目をつけてもらい、今の座に就いている。自分で言うのもなんだが割と仕事はデキる方で、一時は隊長クラスに昇進という話も出ていた。

…が、しかし!
以前に実施した真選組との合同訓練『The屯所で謀反』にて失態をさらし、現在は佐々木局長から『一生補佐』という罰を受けている。

「なァ、紅涙。」
「…なんですか。」
「お前、まだ謀反する気ねェのか?」
「なっ!?ありませんよ!」

何言ってんだ、この人は!

「俺はやったぞ?次は紅涙の番だうが。」
「なんだ、合同訓練の話ですか。」
「違ェよ。本気の謀反。」

しれっとした顔で言いながら、灰皿を寄せる。

「俺が説得した流れにして、真選組へ引き抜いてやるって言ってんだろ。」
「いやいや、ありえませんから。私は見廻組で結構です。」

あれは冗談じゃなかったのか…。
私は顔を引きつらせ、手元の資料を整えた。

「覚えてないんですか?あの一件で、佐々木局長は二度と真選組と合同訓練なんてしないって言ったんですよ。」
「だが現に今、お前は佐々木からの遣いでここへ来てるじゃねェか。」
「これは訓練じゃありませんから。」

そう言って、私は真っ白の紙を机に置いた。
今日真選組へ来た理由は、土方さんへの聞き取りだ。私たち見廻組の今後を左右する、大事な聞き取り。

「おしゃべりはここまでにして本題に入りますよ。」
「ツレねェな。」

鼻で笑って煙草に火を点ける。ふうと煙を吐き出すと、「で?」と目を細めた。

「俺に何を聞きてェんだよ。」
「真選組が江戸市民に受け入れられるようになった方法です。」
「……。」
「……。」
「…あー悪い、よく分からなかった。」
「だから、あれだけイメージの悪…良くなかった真選組が、ここまで江戸に根付き、市民に慕われるようになった方法を知りたいんです。」

今の見廻組に足りないのは市民からの信頼だ。
たまにフラッと市中見回りへ行く程度じゃ、どれだけ真選組よりキビキビ動いても良い印象を残せなかった。

「……お前、やっぱケンカ売ってるよな。」
「売ってませんから。本気で聞いてるんですよ、これが今日の指令です。」
「なら佐々木がケンカ売ってんだな。」

土方さんは灰皿で軽く煙草を叩き、灰を落とした。

「まともに答える気になんねェわ。」

…やっぱりか。
この人、基本的に佐々木局長の名が出ると反発するんだよね。
何が嫌なんだろ…片眼鏡?くせもの感が出てるのかな。あんまり付けてる人って見ないもんなぁー…。

「なんだよ、急に黙り込んで。お前が傷つくことねェだろ。」

土方さんが私の顔色を窺う。
…仕方ない、もろ刃の剣を使うか。

「…どうして、ですか。」
「ん?」
「どうして…そうやって、すぐにケンカケンカって言うんですか…?」

視線をやや斜めに下げて、私は悲しげに眉を寄せる。

「今までの見廻組は…街へ出る機会がなくて、あまり市民に良い印象を持ってもらえてないんです…、」

私達が江戸で馴染めない原因は、お役所仕事や大きな事件ばかりを追いすぎたせいだ。

「小さな事件を引き受けても、『恐れ多い』とか『真選組で十分なのに』とか言われる始末で…。」
「…それ、遠まわしに俺達をバカにしてんのか?」
「違います、それだけ真選組は街に溶け込んでるってことですよ。なのに私達はどうやっても…受け入れられない。」
「だが不便はしねェだろ。お前らにしか出来ねェ仕事もあるだろうし、街はこっちに任せとけば事足りる。」
「そんなことありません。私達だって江戸を護る組織の一つとして起ち上げられたんです。市民に寄り添うのは当然こと。」

悲しげに寄せていた眉を、私はさらにキツく寄せた。言葉は真実だが、態度はかなり盛っている。

「だから私…っ、こうやって土方さんに話を聞くのはすごくいい案だなと、思って。」

言葉を詰まらせながら、土方さんを見た。
すると土方さんは、『どうにかしてやらねェと』と顔に書き始める。
…よし、ここで一言。

「私、こんな提案をする佐々木局長を、尊敬…したから…っ、」
「……、」

土方さんの眉間にシワが寄る。それを見て、留めを言った。

「期待を、っ、裏切りたくないんです、」
「…面白くねェ。」

きた!
低く怒りをはらんだ土方さんの声に、心の中でガッツする。

「俺がお前の佐々木に対する気持ちを聞きたいと思ってんのか。」
「…ごめんなさい。」

仕掛けちゃってごめんなさい☆

「でも、本当ですから。」
「……。」
「土方さんが協力してくれないなら、帰ってまた佐々木局長と考え直すしかないです…二人きりで、じっくりと。」
「…チッ。わァったよ。」
「え?」

ふふふ。もう、土方さんってば。ほんとに私が好きなんだから。

「…お前、なんか笑ってねェか?今まで泣きそうな顔してたくせに。」
「いいいいえいえ、そんな。笑ってなんて。」

危ない危ない。つい嬉しさが顔に出た。

「教えてくれるんですか?真選組みたいに市民の信頼を得る方法。」
「ああ。…つっても、教えられることなんてねェけどな。」
「…?だけど、何かしたから今があるんですよね。」
「だろうな。」
「だろうなって…。」

なんだか雲行きが怪しくなってきた…。

「正直わかんねェんだよ。俺達もイメージアップを図るために、マスコットだのアイドル一日署長だの色々やった。」
「マスコット…、」
「だがそれが成功したとは思えねェ。それでも今こうして江戸でそれなりにやっていけてるっつーことは…」
「ことは?」
「市民と過ごす時間が長くなったから、ってことだろうな。」
「…つまり、結果が後から付いてきたと。」
「分かってんじゃねェか。」

土方さんが煙草を吸う。私は白い紙に、『市民と過ごす時間を増やす』と書いた。

「けどよ。実際問題、お前達じゃ無理だろ。」
「何がですか?」
「俺達みたいに、誰かしらが市中見回りに出て、街で小さい事件を解決し続けること。」
「…そう、ですね。それでも、真選組の皆さんが出来てるんですから、私達も時間配分を見直せば――」
「一人当たりの責任が違ェよ。」

フッと笑い、煙草を灰皿に押し付ける。

「お前らの組織は、俺達の何倍も重い責任を背負ってる。そこは認めざるを得ねェ。」
「だから出来ない、なんて言わないでくださいね。」
「どこまでも勝ち気だな。」
「そういうわけじゃ…」
「ま、経験を踏まえて案を出すくらいの協力はしてやるよ。」

よかった…、やっぱり頼りになる人だ。

「とりあえず、今ある見廻組の印象をもっと接しやすい雰囲気にする必要があるな。」
「接しやすい雰囲気…。着ぐるみ…とか?」
「そういうのはウチの失敗例。お前らにも屯所みたいなとこあるだろ?そこを売り込めよ。」

土方さんは、「まず見廻組を知ってもらえ」と言った。
市民はあまり見廻組にも真選組屯所のような建物があることを知らない。だからそこを導入部分にすればどうか、と。

「…なるほど。わかりました!」
「よし。じゃあ仕事終わり。」
「え」
「資料しまえ。ほら、どけろ。」
「ちょ、あっ…」

土方さんが手早く机の上を片付け始める。手で押し出されるように書類を持たされ、私はカバンにしまった。

「何か急ぎの用があるんですか?」
「おう。お前、何時までに帰るんだ?」
「決まりはないですけど…まぁ良い提案を貰ったので、早く帰った方が喜ばれると思います。」
「…また佐々木かよ。」
「上司ですからね。」
「つまんねェ。やっぱお前、帰んな。」
「…へ?何言って――」

私が聞き返す前に、

「ンむッ!?」

無理やり押し付けるようなキスをされた。

「ちょっ、何やってんですか!」

胸を押し返す。しかし腰の辺りに両手を回されて、あまり距離が取れなかった。

「離れてください!」
「なんで。」
「仕事中だからです!」
「さっき終わらせただろ。」
「でも勤務時間内だし、っ、何より私、隊服だしっ…!」
「脱げば分かんねェよ。」
「ばっバカですか!?ここ屯所!副長ともあろう人がそんなことを部屋で――」
「うるせェ。」

ゴンッと額と額をぶつけられる。

「いっ…、」
「俺も男なんだよ。一ヵ月ぶりに二人きりになれたら、どうこうしてェと思うのが普通だろ。」
「っ…、」
「お前は俺に会いたくなかったのか?」
「……あ…会いたかった、ですけど。」

あー…ヤバイ。

「どれくらい?」
「…、…すごく。」

これは流される。合同訓練の時と一緒だ。

「なら素直になれよ…紅涙。」

あの時も結局、私は土方さんに身をゆだねてしまった。一応、未遂だけど。

佐々木局長が来てなかったら…どうなっていたか分からない。それにしても佐々木局長のタイミング、良かったよね。
…いや、良すぎた?
もしかしてどこかで見てた…とか?
今も見張ってて、前より危険な状況で現れる気でいるとか!?
今度の罰は『見廻組の雑用係を一生』にされるとか!?!?

「やややっぱりダメです、土方さん!」

ゴソゴソと私の服を脱がせ始めていた土方さんの手を掴む。

「私、帰ります。」
「はァァァァ!?」
「こんなことは職務中にすることじゃありません。」
「真面目かよ…。」

あ然とする土方さんをよそに、私は服を整えてカバンを持った。

「それでは失礼します。」
「ま、待て。お前、いくらなんでも切り替え早すぎだろ。」
「今日は貴重なご意見、ありがとうございました。ではまた。」

サービススマイルを残し、副長室を後にした。
そそくさと見廻組の拠点である施設へ戻ると、佐々木局長が「おや」と言う。

「今日は帰りが早かったんですね。」
「は、はい…まぁ。有力な情報を得たので、早々に引き上げて参りました。」
「そうでしたか。てっきり、私はまた良からぬ犬に肩でも噛みつかれている頃かと思ってましたが。」
「そっそんなことはありませんよ。犬なんて…いませんし。」
「なら結構。」

感情の読み取り辛い視線から解放される。異様なほどドキドキと焦る心臓に、吐き出せない息を呑み込んだ。

「早雨さん、」
「はひ!」

しまった、声が裏返った!

「早速会議を始めましょう。持ち帰った話を聞かせてください。」
「わ、わかりました。すぐに準備します。」

マズイな…、やっぱり仕事中に土方さんと会わない方がいいかも。今度会った時に言わなくちゃ。

にいどめ