知らぬ仏より、馴染みの鬼 5

鬼の行方

「……。」

土方さんの手紙を読んだ後、私はぼんやりしたまま屯所を出た。懐には、その手紙が入っている。

「……土方さん…、」

どことなく、手紙から熱を感じる。まるで土方さんが傍にいるみたいに…温かい。
そんなこと、あるはずがないのだけれど。

「……、」

屯所の門を出て、振り返る。門番はいない。夜も更け、引き上げたのだろう。一層、ここが静かに感じた。

「土方さんがいないだけで…なんだか違う場所みたい。」

決して騒がしい人ではなかったけど、いないというだけで真選組の空気が違う。

「……。」

私は懐から手紙を取り出した。門前にある灯りを頼りに、もう一度その文面に目を落とす。

これを書いた時、土方さんはどんな想いで書いたんだろう。どれほどの寂しさを感じながら、覚悟を決めたんだろう…。

私だけではなく、これまでずっと共に歩んできた仲間とも別れる道を選んで……一体どれほどたくさんのものを失うことになってしまったのだろう。

私には、計り知れない。

「っ、」

涙が込み上げ、手紙の上に落ちた。字が滲み、慌てて顔を上げる。泣かないようにしようと思うほど、次から次へと涙が溢れてきた。

「っ…ぅっ、」

ぼやける視界の先には、星が瞬き始めている。
…私は明日からどう過ごしていけばいいんだろう。笑える日が来るのかな。土方さんが私に願ったような暮らし、出来るのかな…?

「っ…できない、っ…!」

自信がない。

「土方さんっ…っ」

土方さんがいないのに、どうやって楽しく暮らしていけばいいの?忙しい毎日をどう乗り越えればいい?
今までは、会えるから頑張れていたんです。会えると思うから、会わなかった。本当は私だって…っ、

「会いたいよ…っ!」

どんなに忙しくたって、会いたい。仕事中だろうと、佐々木局長に小言を言われようと。
私にとって大切なのは見廻組じゃないんです。土方さんなんです。どちらかを一方しか護れないというのなら、私は土方さんを護りたかったのに……

『俺は俺の信念で動く。俺を護りたいなら、お前が俺を止めろ』

あんなの、撃てるわけないじゃないですかっ…!

「ぅぅっ…っ、」

崩れるように、その場にしゃがみ込んだ。握っていた手紙が、クシャッと音を立てて歪む。そこへ、

「あーあ、見てらんねェわ。」
「!?」
「道端で何してんだよ。あんま変なことしてるぞ通報されんぞ?」

掛けられた声に、ゆっくりと顔を上げた。黒いブーツ、白地に波柄の着物。

「お前、局長補佐なんだからこんなところで泣くなよ。」
「……局長補佐でも…泣くたい時には泣きますよ、坂田さん。」
「大人は人知れず泣くもんなの。」

坂田さんは懐に片手を差し入れ、私を見下ろしていた。

「何がそんなに悲しいんだよ。」
「……失ったんです。」
「失った?」
「私の…大切な人を。」

幸せに生きて、幸せに慣れて、幸せが何か見えなくなっていた。
今がどうやって成り立っているのか、毎日が当たり前すぎて忘れていた。

「私は…、…っ、街との兼ね合いばかりを考えて、本当に大切な人を…っ失ってしまったんです…!」

私の日常は、土方さんがいてこそ『日常』だったのに。

「っぅ…、」
「…なんつーか、」

坂田さんが後ろ頭を掻く。

「ちょっとお前、大袈裟すぎねェか?なにも死んだわけじゃねェんだからさ。」
「会えないなら同じです!どこかで幸せに暮らしてるなんて聞かされても…っ私には、気休めにしかならない…っ、」
「まァそれはそうかもな。たとえ本当にどこかで死んでたとしても、死んだと聞かされない限りは生きてると思えちまうわけだし。」

うんうんと頷き、「ならよ、」と片眉を上げた。

「会っちまえよ、今から。」
「っ…どこにいるか、っ、わからないんです。」
「俺が教えてやる。」

……え?

「教えて…やる?」
「ああ。」
「…土方さんの居場所を…知ってるんですか?」

うそ……ほんとに?

「知ってる。」
「っ、でも…どうして?」
「万事屋なめんなよ。」

すごい……!

「なんでも把握してるんですね…!」
「フフン。まァ~?そう言う意味じゃねーけど、そう言われても間違いじゃねェかな。」
「?」
「でどうすんだよ、会うのか?」
「っ会います。会いたいです…すごく、会いたい!」

嬉しいっ!!居場所が分かるなんて思ってもいなかった。

「わかった。けどよ、」

坂田さんが私の目を見据える。

「お前、ちゃんと意味を理解して言ってるよな?お前が会うってことは、お前のために行動した土方の思いをぶち壊すことになるんだぞ。」
「っ…、」

…そうだ。
せっかくその身を犠牲にして作ってくれた『今』を、何もかも無下にしてしまう。土方さんの気持ちも、見廻組の評判も、ようやく得られた市民の心も。

……だとしても、

「やめとくか?」

たとえ、全てが元の状態より落ちたとしても、

「……会います。」

何より大切にしたいのは、ここまでしてくれた土方さん自身だから。

「私は、…土方さんといられない街など護る気はありません。」
「そいつはつまり、土方が住めないような江戸はいられないと?」
「はい。」
「言うねェ。」

土方さんを一番に優先したい。
見廻組の好感度なんてどうでもいい。そもそも、それ自体が間違っていたんだ。
評判が何?私達は、やらなければならないことに向き合っていればいいだけ。人気なんて…必要なかった。

「土方さんに…会わせてください。」

会いたい。今すぐ。

「よし、じゃあ会ってこい。俺が許可する。」

坂田さんがクイッと親指でさした。

「隊士のヤツらに文句言われたら、俺が許可したことを言やいいから。」
「わかりました。」
「……。」
「……あの、坂田さん?」
「なんだよ。」
「土方さんは……どこに?」

肝心の場所を聞いてない。

「あァ?そこだよ、そこ。中。」
「『ナカ』?」
「屯所の中。」
「……え?」

真選組の屯所に…いるって言うの?そんな…バカな……。…ああそうか。

「…全然面白くないですよ、坂田さん。」

私、冷やかされてるんだ。

「本当のことを教えてください。それとも本当は知らないんですか?」
「…あのなァ、」

坂田さんが小指を耳に突っ込み、溜め息を吐く。

「俺が笑わせるつもりで言ってたら、もっとスッゲェこと言ってるから。」
「たとえばどんな?」
「たとえば――って、そうじゃねェだろ。」

パシッと私の頭を叩く。

「いたっ」
「ああ悪ィ悪ィ。しゃがんでる高さが丁度いい位置でよ。つか、早く立て。会いに行くんじゃねーのかよ。」
「行きますけど…本当にいるんですか?ここに。」
「いる。じっと屯所で待機させてるからな。」

『待機させてる』…?

「坂田さんが…土方さんに指示を?」
「指示っつーか助言。他の星に知り合いがいないか聞いてきたから、話を聞いてやったんだよ。そしたら随分ガキみてェなことしたらしいじゃん?いやもう盛大にバカにしたよね。」

プププと口元に手を当て、意地悪に笑う。

「まァとりあえずは、俺の知り合いに連絡つき次第、地球から出してやるっつー話になってる。」
「!?っだ、ダメですよ!そんなことっ」
「悪いが、」

私に手のひらを見せ、言葉を制止する。

「お前の意見は聞かねェぞ。この件は土方からの依頼。俺にとっては仕事。何を言われても、金貰ってる以上は仕事する。」
「っ……。」
「今は中にいることに変わりねェんだし、会うなら会っとけよ。」

いずれ土方さんはいなくなるって…?そんなの……絶対阻止する。

「……屯所のどこにいるんですか。」
「副長室。」
「え!?」
「なんだよ。」
「さ…さっき、行ってきたんですけど。」
「部屋の中を見たのか?」
「いえ……副長室の前だけです。」
「その時も中にいたんだよ。息ひそめてたんじゃね?」
「まさか…。…だって近藤局長も『いない』って……」

…ちょっと待って。

「もしかして…近藤局長も土方さんがいることを知ってるんですか?」
「当たり前だろ。知らねェ方が怖いわ。」
「だったらどうして近藤局長は『トシはもうここにいない』なんて言い方を……」
「そういう約束だからな。」
「約束?」

「話し過ぎだ、万事屋。」
「!」

屯所の中から近藤局長が出てきた。

「あまり口ばかり動かしていると仕事が減るぞ。」
「わかってねェな、これが俺の愛される秘訣なの。」
「あ、あの…」
「ああ、すまなかった、早雨さん。トシのために一芝居、うたせてもらった。」

近藤局長が言うには……

あの日以降、強まる一方だった市民の声。
つらそうな隊士達を見て、土方さんは「真選組を辞める」と宣言したらしい。言葉に迷いはなかったそうだ。

「俺が話を聞いた時は正直、辞める程のことじゃないと思ったよ。だがトシは既に万事屋に話をつけていて…。あれだけ仲が悪かったのに、そいつに頼むようなら本気なんだなと思った。」

近藤局長が苦笑する。

「だから俺はすぐに万事屋を呼び寄せたんだ。話を聞くためとトシの依頼を撤回させるつもりでな。だが…」
「こっちはもう土方から金貰ってるし、依頼の撤回は出来ないって断ったんだよ。」

坂田さんが何食わぬ顔で肩をすくめた。

「どうしても…撤回してくれないんですか?」
「しない。本人が言うなら別だけど。」
「だったら俺はトシの倍の金額で依頼の撤回を依頼する!って言ったんだけど…受けてもらえなくてな。」

困ったような顔をして、頬を掻く。

「うまい案だと思ったんだが…」
「いいわけねェだろうが。つーか俺、そういう金持ちの親みてェなやり方が一番嫌いなんだよ。ましてやイイ歳した大人相手だぞ?周りがとやかく言うことじゃねェ。やりたいようにやらせりゃいいんだ。」

その言葉に、近藤局長が軽く笑った。

「万事屋、お前はいい親になりそうだな。」
「はァ!?何の話してんだよ。」
「俺には言えないなァ…。トシにも『お前の好きなようにしろ』とは言ってやれない。言ってやりたいが…アイツがいないと困るから。」

目を伏せる。

「早雨さん宛の手紙を副長室の前で読んでもらったのも、トシを引き留めるためだった。悲しむ早雨さんの声を聞けば、気持ちが変わるんじゃないかと期待して。…ひどいよな。」

近藤局長が短い溜め息を吐いて首を振る。私には、近藤局長の気持ちが痛いくらい分かった。

「…当然の心情ですよ。近藤局長は土方さんと長く歩んできて、個人的にも仕事的にも…かけがえのない存在なんでしょうし。」

私ですら、土方さんのために行かせてやれと言われても…叶えてあげられない。ならばそれ以上の時を過ごしてきた近藤局長は、きっともっと…つらいはずだ。

「背中を押す人がいるなら、引き留める人がいてもいいと思います。私しかり、…近藤局長しかり。」
「早雨さん…」
「でももし土方さんが心の底からここを離れたいと望んだ時は……私も坂田さん側へ回れるように努力する。それまでは一緒に引き留めませんか?」

私達の大切な土方さんに、『大好きだから行かないで』…って、

「…ああ、そうだな!」

伝えるしかない。

「話は終わったか~?ふぁ、」

坂田さんがあくびする。

「話が長くて疲れたわ。ていうか腹減った。」
「万事屋…お前ってヤツは……」
「確かに話しすぎちゃいましたね。ちょっと寒いし。」

苦笑いして、時計を見る。19時を回っていた。

「紅涙、とっとと会ってこい。」

その言葉に、今度は近藤局長が驚いた。

「反対しないのか?」
「おいおい何か勘違いしてねェか?俺はアイツがどこに行こうと興味ねェの。他の星へ行けるよう都合はつけるけど、止めはしねェよ。」

懐に手を差し入れ、片方の手で面倒くさそうに後頭部を掻く。

「紅涙が会いたいっつーんなら、好きなだけ会え。行くのをやめさせたいなら好きなだけ止めりゃいい。だが俺は土方が他の星へ行けるよう都合をつける。依頼だからな。」
「坂田さん…、」
「そこで行くも行かないも野郎の自由だ。俺への依頼とは別の話。」

坂田さんは意地悪な言い方をするけど、本当は私達を応援してくれているんじゃないのかな…。

「止めてこいよ、紅涙。お前との仲すら自分一人で終わらせようとしてる、あのバカを。」
「……はい!」

私は力強く頷いた。

「必ず、引き留めてみせます。」

伝わるはずだ。私達がどれだけ土方さんと共にあり続けたいか。

「頼んだよ、早雨さん。」
「土方は俺が段取りを立てるまで、延々と部屋で仕事して時間潰してるらしいぞ。ここ数日は、ろくに飯も食ってねェって。」

そう話し、坂田さんが懐から手を出す。その手で私に向かって何かを投げた。

「っ!?」

慌てて受け取る。するとそれは少し溶けて軟らかくなった一粒のチョコレートだった。

「持ってってやれ。」

……みんな、土方さんを想ってる。

「はい。」

そして、

「…土方さん、」

私は、副長室の前で声を掛けた。

にいどめ