知らぬ仏より、馴染みの鬼 6

鬼の心

「…土方さん、」

副長室に声を掛けた。
先ほど来た時と変わらず障子を固く閉じ、しんと静まり返っている。けれど明かりは点いていて、耳を澄ますと僅かに物音も聞こえた。

確かに……人がいる。

「土方さん、…いるんですよね?」
「……。」
「話したいことがあるんです。…入ってもいいですか?」
「……。」

返事はない。

「……開けますよ。」

私は障子に手を掛けて、開けた。……が、

「あれ?」

開かない。いくら力を入れても、ガタガタと音を鳴らすだけ。
人影もないのに……どうやって?
周りを確認する。障子の左右に、棒を斜めにして立て掛けているのが透けて見えた。ストッパーにしているらしい。

「開けてください、土方さん。」
「……。」
「いるのは分かってるんですよ。さっき坂田さんに全部聞きました。」
「……。」
「…私、開けてくれるまで帰りませんから。」
「……。」
「本気ですよ?このままだと風邪ひいちゃいそうですけど、帰りません。」
「……。」

空気が動かない。頑なだ。
…当然だろう。それだけの覚悟を持って行動したのだから。

「……土方さん、」

私は懐から手紙を取り出した。

「手紙、ありがとうございました。こんなに悲しい手紙を貰ったのは…初めてですよ。」

話しかけながら、文字を目で追った。

「何を書いたか、覚えてます?」
「……。」
「勝手なことばかり…書いてたんですよ。」

『お前はこれからも仲間と共に楽しく暮らしてくれ』

「楽しくなんて…暮らせるわけないし、」

『どれくらい先になるかは分からねェが、それまで江戸はお前らに頼むよ』

「私の気持ちは…全く考えてくれないし。」

『万事解決といかなくても、満足してるんだ』

「ほんと…自分のことしか…考えてなくて。」

いつかまた逢い

「大切な文面も……消されてるし…っ、」

喉が詰まる。苦しくて、震える息を吸った。

「ここを消した理由は…っ、何ですか?」
「……。」
「土方さんはもう…っ私に会わなくても平気、なんですか、っ?」
「……。」

…わかってる。土方さんはそんな意味で消したんじゃない。
会いたくても、会える保証がないから…消したんだ。

「会いたいよっ…土方さんっ、」

私はずっと……土方さんに会いたい。

「これが最後でもいいからっ、」
「…、」
「土方さんっ…。」

お願い。

「顔を、見せて…っ!」
―――ガタンッ
「!?」

目の前で音が鳴った。閉ざされていた障子が、ゆっくりと、本当にゆっくりと開く。そしてそこに、

「……紅涙、」

着流し姿の土方さんは、立っていた。

「っ土方さ……ん、…、」

足を踏み出す。けれど、

「……、」

その姿に、言葉を失う。土方さんの身体が、ひと回り小さく見えた。

「どう、した…?」

声も掠れて力がない。
あれからそんなに日が経った?いや、体形ってここまで急激に変わるもの?

「土方さん…」

これは……ひどい。貫き、思い詰めた証拠だ。

「っ…!」

私は土方さんを抱き締めた。腕を回すと、より痩せていることが分かる。

「ごめんなさいっ…!」

近藤局長には『謝らないでほしい』と言われたけど…ごめんなさい。それと、

「っ…ありがとう、」
「紅涙…」
「私のためにっ…ありがとう、土方さんっ。」
「……、」

背中にそっと土方さんの手が回る。

「違うんだ…紅涙。」
「…?」
「俺が間違っていた。今つらくても、いずれ全てはお前のためになると信じて…誰の話にも耳を貸さなかった。…だが、」

土方さんは私を見て、力なく微笑んだ。

「違うよな。紅涙にこんな想いをさせてまで…貫く信念なんか必要ない。」
「土方さん…、」
「俺はいつの間にか、護るということを履き違えてたみてェだ。」

ギュッと私を抱き締める。

「ごめんな、…紅涙。」

いつもより細い腕に包まれた。心なしか、伝わる体温も冷たい。それでも…やっぱり幸せだった。

「…土方さん、」
「ん?」
「私は…見廻組よりも大切なものがあります。」

腕の中で、土方さんを見上げる。

「土方さんですよ。」
「紅涙…」
「知らないかっかもしれませんが、…私は、土方さんが私を好きな以上に、土方さんが好きです。」
「……それは違うな。」

小さく笑い、

「俺の気持ちの方がデカい自信ある。」

私の額に優しいキスをした。

「ふふ…」

戻ってきた。『幸せ』が『日常』が、ここに。
二度と見失ったりしない。

「土方さん…」
「紅涙…」

顔が近付く。そこへ、

―――ドタタタタッ
「っトシ!?」

近藤局長が走ってきた。悲壮な顔で土方さんを見て、私を見る。

「どっ、どうなったんだ!?」
「もう大丈夫ですよ、近藤局長。」
「じゃ…じゃあトシが他の星に行っちまう話は……」
「ナシだ。」
「!……よかった…!」

雑に腕で目元を拭う。

「悪かったな、近藤さん。俺は…」

「いい!なんでもいいからっ…、お前さえいればっ。」
「近藤さん…。」

近藤局長の肩に手を置く。近藤局長はしばらく腕で顔を隠して泣いていた。

こうして土方さんを引き留めることには成功したけど、全てが解決ではない。

「ちゃんと…話さねェとな。」

江戸で生きるために、二月三日の真実を街の人達に伝えなければならない。

私は翌日、チラシを準備した。
書いた内容はもちろん、先日の騒動について。
隊服に身を包み、用意した数十枚の紙束を持って街へ出る。

「お疲れ。」
「土方さん…。」

土方さんとは街で落ち合う約束をしていた。一緒に…貼るために。

「それだな、…例のやつ。」
「はい。」
「本当にいいのか?そいつを貼ったら状況は確実に……」
「これが真実ですから。」

心配そうな土方さんの顔に微笑む。土方さんは静かに頷いた。

「…一枚、見せてくれないか。」
「どうぞ。」

チラシを渡す。

―――――
二月三日の騒動について。
先日、街中にて見廻組局長補佐 早雨紅涙と真選組 土方十四郎が起こした騒動は、見廻組の評判を上げるため私的に計画された騒動であったことを報告する。
なお、指示した見廻組局長補佐の早雨紅涙においては、見廻組が責任をもって処分する。
見廻組
―――――

「…おい、なんだよこの内容。」
「うーん…、やっぱり気になります?」

これを作っている時に私も悩んだ。
個人名を出しすぎると、個人に押し付ける組織…みたいな印象になってしまいそうで。

「私がしたことなのに、見廻組まで巻き込んでしまいますよね…。」

まぁ…見廻組に属している私が騒動を起こした時点で、既に巻き込んではいるのだけれど。

「そうじゃなくて。」

土方さんが眉間を押さえる。

「最後の一文がおかしいだろっつってんだ。」
「最後の一文?……ああ、」

チラシを見て、苦笑した。

「でもこの通りですから。」
「はァ!?」
「私が言い出さなければ…こんな事態にはならなかった。」
「だが騒動を起こすと言ったのは俺だろ!?指示も計画も俺なんだから、俺の名前を前面に出せ。」
「いいえ。この文書は見廻組で作製したものです。見廻組として処分する立場にあるのは私だけ。私の名前を出す以外にありません。」
「…なんなんだよ、ったく。」

薄い溜め息を吐き、煙草を取り出す。火をつけると、私を横目に鼻先で笑った。

「俺よりカッコいいこと言ってんじゃねェよ。カッコつかねェだろうが。」
「……ふふっ、それは失礼しました。」

笑いながら、土方さんの手にあったチラシを回収する。

「じゃあ土方さんに対する処罰は私が下しましょうか。」
「おう。なんだ?」
「このチラシ全部を貼り終えるまで手伝うこと。街中に貼るつもりですから大量にありますよ。」

掲示板に一枚のチラシを当てる。そこに土方さんが咥え煙草で画鋲を刺した。

「いくらでも付き合うさ。」
「よろしくお願いします。」

おそらく市民が私達二人を見ても、今は被害者と加害者でしかないのだろう。そこを訂正しない限り、土方さんは江戸で仕事できないし、二人で街を歩くことも出来ない。ただ、

「これで分かって…くれるのかな。」

訂正したところで理解を得られるかどうかは…別の話。

「わかってくれなかった時はそれまでだろ。」
「土方さん…、」
「そうなったら二人で江戸を捨てちまえばいい。」
「…真剣に考えてくださいよ。」
「真剣だ。凝り固まった考えばかりの人間なんて見限っちまおうぜ。俺達が一緒にいることを責める権利なんて、誰にもねェんだからよ。」
「…そうですね。」

頷いた。そんな風に言ってくれるだけで救われる。

「じゃあ俺は向こう側の通りに貼ってくるから。」
「はい、お願いします。」

一旦、土方さんと別れる。そこへ、

「あの、」

一人の女性が声を掛けてきた。
土方さんに用事かと思ったけど、既に向こうの通りへ渡っている。
違うとしたら…私に何の用事だろう…。
少しの不安を感じながら、私は微笑んで返事をした。

「はい…何でしょうか。」
「あの…大丈夫、……ですか?」
「…え?」

『大丈夫』…?
心配そうな表情をした女性は、通りの向こう側にいる土方さんを見る。

「私、佐々木局長を呼んできましょうか?」
「…え?な、なぜ…」
「またヒドいことされてるんじゃないですか?無理やり手伝わされてるなら、私、佐々木局長に……」

…あ…、

「違います、私が土方さんに手伝ってもらってるんですよ。」
「…心配しないで。」

女性が私の右手を握る。

「嘘つかなくて大丈夫。普通に考えれば、あんなことがあった人と一緒に行動したいと思うわけないんですから。」
「……あの騒動は、嘘だったんです。」
「…はい?」

小首を傾げる。私は持っていたチラシを一枚、女性に手渡した。

「見廻組の評判を良くするために、…私が土方さんを利用したんですよ。」
「っ!」
「物騒な事態になってしまいましたが、本当はそんなことなくて…むしろ私と土方さんは恋人――」
「最低っ!!」
「!」

女性の大きな声が、半ば悲鳴に近い声で響く。

「あなたのこと、応援してたのに!」

チラシをグシャグシャに丸め、私へ投げつけた。行き交う人々も、何事だと足を止める。

「…申し訳ありません。」
「もう警察なんて信用しないわ!!」
「まっ、待ってください!これは私の独断で、警察組織は関係な――」
「同じよ!あなたは見廻組なんだから!」
「っ…。」

私達を取り囲む人が増えていく。ひそひそと話す声は、いつかを思い起こさせる。

「…申し訳ありませんでした。」

私は、謝ることしか出来ない。

「皆さんに嘘をついてしまい…本当に申し訳ありませんでした。」

頭を下げ、顔を上げる。怪訝な顔つきの市民に、私は手に持っていたチラシを掲げて見せた。

「二月三日の騒動について、説明させてください。あの日、私は……」

私は、自分の口から真実を告げた。

市民と見廻組の距離を近付けたくて悩んでいたこと、自分達の印象を変えるきっかけが必要だったこと、それを相談すると、土方さんが力を貸してくれたこと。

「私の身勝手な行動で…皆さんに不快な思いをさせてしまいました。本当に…本当に申し訳ありませんっ。」

頭を下げる。
シンと静まり返った後、誰かが言った。

「私達を騙してたんだね。」

市民を騙した代償は、重い。

にいどめ