蝦で鯛を釣る敵
パティシエが運んできてくれたケーキを見て、
「おおっ!」
「わあっ!」
土方さんも私も、歓喜の声を上げた。
…そう、私も!なぜなら普通のケーキもワンカット分、持ってきてくれていたから!
「早雨さんは、やっぱりこっちがいいんじゃないかなと思いまして。」
「ありがとうございます!断然こっちがいいです!!」
「残っている分は、副長さんのケーキと一緒に持って帰ってくださいね。」
え!?
「いいんですか!?」
「俺だけでなく紅涙の分まで…」
「構いません、日頃のお礼です。」
「「!!」」
ケーキはいくらあってもいい!!
きっと今、私達は心の中でパティシエを神だと崇めている。
「ああしまった、飲み物がありませんでしたね。すぐに淹れてきます。」
「ああっお気遣いなく!」
神…じゃなく、パティシエが立ち上がった。もはや私達の目には後光を背負っているように見えている。部屋を去り、襖を閉めるその瞬間まで眩しかった…。
「なんて良い人!」
「ああ。かくまってもらってる上に、ケーキまで…。ひと通り終わったら感謝状でも送らねェとな。」
「ですね!…とりあえず今は、」
「いただくか。」
土方さんがフォークを持った。私は自分のケーキを見て、もう一度この存在に感謝した。
ああっ、普通のケーキ!隣のやや黄色いケーキと違って、普通のショートケーキ!
「くぅ~っ!」
甘い香りもたまらない!
…はずなのに、今ひとつ分からない。隣のケーキを大量生産しているせいで、部屋にすっぱい匂いが充満している。
「…もうっ。」
「どうした?」
「…いえべつに。」
渦中のケーキを見た。すると、
「なんだ、遠慮なく言えよ。」
土方さんが私の方へお皿を寄せた。
「俺に気ィ遣って普通のケーキで我慢してんだろ?」
「え!?そっ、そんな、滅相もない!」
「このケーキをお前が食べてもまだ残りがあるんだ。遠慮なく食え。」
危険な勘違い!!
「っいい!いらないです!私はこれがいいです!」
「そんなこと言って――」
「早く食べましょう!ね?」
顔を引きつらせ、土方さんのお皿を遠ざけた。その時に気付く。
「…あれ?」
土方さんのケーキの上に、文字が書いてある。
「それ、何ですか?」
「……『イ』?」
イだ。カタカナの『イ』。チョコペンで書いてある。
「あれだろ、ホールの上に書いてたのを切っちまったから字が途切れてんだろ。」
「ああなるほど…」
……でも、
「『イ』って……何を書いてたんでしょうね。」
言葉が思いつかない。誕生日ケーキに書きそうなことと言えば『おめでとう』だろうけど…『イ』なんてないし。
『お誕生日おめでとう』『ハッピーバースデー』。ついでに『土方十四郎』…。うーん……、
「『イ』のある言葉ってないんですけど…。」
「ハッピーバースデ『イ』。」
「ああ…その『イ』…。」
…なのか?
「まァどうだっていいだろ。味には関係ねェよ。」
…それはそうですね。
「じゃあ土方さん、」
「ん?」
私は土方さんのケーキをフォークで一口切った。もちろん、土方さんのフォークを使って。
「お誕生日、おめでとうございます!」
そのフォークを土方さんに差し出した。
「紅涙…」
「人に貰ったものでズルいですけど、私が一番にお祝いしたくて。」
へへへと笑って、「すみません」と苦笑する。するとなぜか土方さんは、目を瞬かせて私の手にあるフォークを見つめた。
「土方さん?」
「…、」
大好きなケーキだから、すぐに食べると思ったのに…。
「…やっぱり許せませんか?こういうの。」
お粗末すぎたかな…、…反省。
「ごめんなさい、落ち着いてから屯所でまた誕生日を――」
「…紅涙、」
「はっ、はい。」
「ありがとな、…嬉しい。」
「!」
土方さんが小さく笑った。少し照れくさそうにして、
「なんつーか…、…やっぱ前とは違うもんだな。」
ケーキを見つめる。
「…前?」
「前も紅涙に祝ってもらっただろ?その時と今は…こう、全然違うなと思って。なんつーか…、…前よりもっと……嬉しい。」
っ…土方さんっっ!!
「誕生日なんていらねェと思ってた時が嘘みてェだ。…ありがとな、紅涙。」
かっ…、可愛いィィィ!土方さん、カワイイーッ!!
「…食っていいか?」
「っもちろんどうぞ!」
「じゃあ……」
土方さんは私が差し出すフォークに顔を近づけ、
「いただきます。」
パクッと食べた。
「変わらずおいしいですか?」
私が作ったケーキじゃないけど。
「今まで以上にうめェよ。」
むはぁ~っ、幸せ!
「…あ。」
「ん?」
満足そうに食べている土方さんの唇にクリームがついている。
こ、これはっ…あの日の再来!?
「…土方さん…、」
あの日、土方さんは私の唇の端に付いたクリームを舌で舐め取った。
だが今!土方さんの唇にクリームが付いている今!これは私が舐め取れという前フリに違いない!神様が施した前フリに違いない!!
「…なんだ?」
「ちょっと…動かないでくださいね。」
身体を少し前へ倒し、土方さんに顔を近付ける。そこで気付いた。
そうだ…このクリーム、生クリームじゃない!これは胸焼けを起こすマヨネーズホイップだ!!
「うっ、」
「どうしたんだよ。」
…ええいっ!紅涙!ひと口くらい我慢せんか!!
「…唇に、ついてますよ。」
私は腹をくくり、マヨクリームに舌を伸ばした。
―――ペロッ…
「!!」
柔らかい唇を舐めて、顔を離す。
「紅涙…、」
「っ…、……。」
なんか…思ってたよりもヤらしいことをした気分だ。もっと余裕を持った雰囲気でしたかったんだけどな……。
……にしても、
「本当にマヨネーズ味なんですね…。」
毎度驚くマヨクリーム。
口の中に広がるマヨ味が以前より強くなっている気がする。これは確かにマヨ好きにはたまらないケーキだろう…。
「紅涙、…、」
「あ、はい。」
いけない、ついクリームに気を取られてた!
「…お前のことが好きだよ。」
ふえっ…!?
「ひ、土方さん…今……」
「っあ、いや…ゴホッ、コホン。…なんでもない。」
なんでもなくないじゃん!!
「もう一度言ってください!」
「あァ?何の話だ、俺は何も言ってねェぞ。」
「言いましたよ!」
ああもうっ、貴重な愛の告白だったのにィィィ!!
「今度は録音しておきます!」
「はァ!?気持ち悪ィこと言うな!」
「いいじゃないですか!私達は付き合ってるんですよ!?もっとバンバン言ってください!」
「言うかバカ!」
「土方さん!」
「うるさい!」
「言ってください!」
「しつけェ!!」
土方さんがフォークを持って、雑にマヨケーキを掬いあげた。嫌な予感がした…が、時既に遅し。
「食え!」
「ぐっ、ぎっギヤアアァァっ!」
「黙って食え!クリームがこぼれるだろうが!!」
「や”め”て”ェ”~ッ!」
…一つ、学んだことがある。
マヨネーズケーキが傍にある時は、必ず土方さんに無理を言わないこと。そうじゃないと、必ず口いっぱいにケーキを放り込まれる。
「ぅぐっ、こ、っこれは拷問です!近藤さんに言いつけますよ!?」
「何言ってんだ、紅涙。大好きなケーキだろ?俺からの愛だ。」
「違ァァう!!…ごフッ」