運命14

闇に消える夜+信念が故

紅涙に会えないまま、遊郭街を後にした。
屯所を出る際の理由に使った鍛冶屋へも寄らず、その足で屯所に帰る。…と、

「おかえりなせェ、土方さん。」
「…またかよ。」

門前に総悟が立っていた。口の端に笑みを浮かべ、腕組しながら俺を見ている。

「ここで何してんだ。」
「土産を待ってるんでさァ。」
「土産?」

俺に手を出す。

「野中茶屋の団子、ねェんですか?」

コイツ…。

「あるわけねェだろ。」
「そりゃ残念。てっきり今日も持ち帰って来るかと思ったのに。」

…ったく、どこまで知ってんだ?もしこれがただの勘からくるものだとしたら、相当なもんだぞ。

「今度、賭博にでも行くか?」
「なんですかィ、藪から棒に。」
「お前を連れて行きゃ夜通し勝てるんじゃねーかと思って。」
「ここまで分かりやすい相手なら楽勝ですぜ。」
「…そうかよ。」

フンッと鼻先で笑い、総悟の横を通り抜けた。だが、

「土方さん。」

総悟が呼び留める。

「あァ?」
「今日の突入、大丈夫なんですかィ?」
「……、」

足を止めた。振り返りはしない。

「…何が。」

俺は屯所の玄関を見ながら総悟に返事した。

「女の捕縛は土方さんにかかってる。土方さんが新たに証拠を見つけてお縄に掛けねェと話が進まねェんでさァ。」
「…んなことは分かってる。」
「しくじるようなことがあれば、俺達が押さえた写真を使って捕縛しますぜ。…力づくで。」
「……それでいい。」
「…。」
「…。……なんだよ。」

心配されるようなことは何もない。

「頼みますぜ、副長。」

こんな時だけ言いやがって。
言われなくても仕事はする。真選組として、副長として……仕事はする。
だが単にお前の勘が俺を案じているのだとしたら、……それはどういう意味なんだろうな。

「いよいよだ!」

昼すぎ、最終確認として局長室に集まった俺達に近藤さんが言った。が、頭数が足りない。なぜか山崎がいなかった。

「攻めるのは今夜、トシが店に入った後だ。それまで俺達は店先で待機。トシから合図が出たら突入しよう。」
「合図ってのはどういうもんですかィ?」
「俺から近藤さんに電話する。」
「そんな余裕がありゃいいですけど。」
「…。」

物言いたげな視線に、こちらからも視線を返す。近藤さんはそんなことを気にする素振りもなく、「頼んだぞ!」と頷いた。

「で、事を始めるに当たってだが――」
「ちょっと待ってくれ。」

話を進めようとした近藤さんに俺がひと声かけた。

「山崎はどこ行ってんだ?」

今まで抜けなく参加してたのに、なんでいない?遅刻か?まさかミントンしてんじゃねェだろうな、アイツ…。

「山崎なら心配ない。」
「?」
「昼間から偵察に入ってまさァ。」
「…偵察?どこに。」

二人が俺を見て声を揃えた。

「「夢路屋に。」」
「…、」

なんだそれ…。

「…聞いてねェぞ。」
「ありゃ?言わなきゃならねェ決まりでしたっけ。」
「…。」

何日か前にもコイツの口から聞いた。総悟も当然わかってて言ってやがる。

「…偵察なんて行く話になってなかっただろ。」
「いやァ~悪いな、トシ。急遽行かせることになったんだ。」
「なんで。」
「俺達が突入する時に幕府関係者が店を使ってたらマズいだろ?だから早めに張り込んでた方がいいんじゃねーかって、総悟が。」
「そう思いやせんかィ、土方さん。」
「…………そうだな。」

ぐうの音も出ない。むしろこういう視点が俺の頭から抜け落ちていたことに腹が立つ。…やはり今の俺は、どれだけ平静を装っても注意散漫が否めねェ。

「手堅いついでに、もう一つ案があるんですが。」

総悟が手を上げた。

「なんだよ。」
「夜に行くんじゃなく、夕方くらいに行くってのはどうですかィ?」

…夕方に?

「揚屋は日中も開いてるわけだし、なにも人の多い夜に攻めることはねェかと。万が一にでも斬り合いになった場合も想定して、明るい方がいいと思うんですが。」

…待ってくれ。

「そうだな!夕方なら山崎も客の出入りを十分見れてる頃だろう。」

夜まで待ってくれ。

「…斬り合いになんてならねェよ。」
「トシ…?」
「夜のままでいい。」
「…土方さん、その自信はどこから来るもんで?」
「…。」
「何を知ってるのか知りやせんが、あの揚屋に用心棒がいないとも限りやせんぜ。となると、斬り合う可能性もゼロじゃない。」

…そうだろうよ。俺が知らないだけで、そういう輩を雇ってるのかもしれねェ。……だが、

『申し訳ない、紅涙は体調が優れませんで』

どんな具合か分からねェが、せめて夜まで時間をやりてェんだ。

「…、」

……よくよく考えれば、俺は何も知らねェな。店のことも、紅涙のことも…何もかも。

「トシが夜を推す理由は何だ?」
「……明るいうちに動くより目立たねェだろ。」
「うーん、確かにそうだが向こうもそうなるよな。…あ、まさかアレか!?そうやって動き出した攘夷志士を一網打尽にするという――」
「そりゃ無茶な話でさァ。ただでさえこっちは少人数で上に見つからねェよう動いてるってのに、一網打尽にするほどデカい山は扱えやせんぜ。」
「そうか~、いい案だと思ったのになァ~。」
「…。」

言っちまうか…?『紅涙の体調が悪いらしいんだ』って。前もって俺が夢路屋へ行ったことはバレるが、そんなことはどうとでもなる。それより捕縛の延期を検討させる方が大事なんじゃ……

……いや、無理だよな。捕縛対象者が弱ってるなんて好条件じゃねーか。その機を逃すわけがない。攻め時だ。

「…忘れてくれ。」

煙草を取り出し、火をつけた。

「…。それじゃあ夕方に異論はねェと?」
「ない。」
「近藤さん、そういうわけなんで話を進めやしょう。」
「あ、ああ。じゃあトシが店へ入った後だが、山崎の偵察は続けさせようと思う。途中で幕府関係者が入店するなんてこともあり得るからな。仮にそうなった場合、やむを得ない状況を除いては即中止し、撤退だ。」
「…わかった。」

灰皿を引き寄せ、煙草を叩く。赤く灯った灰がホロホロと崩れ落ち、灰皿に溜まった。

「俺と総悟はトシから指示が出た後に店へ突入し、番頭と女将に交渉する。その頃には山崎もこちらへ戻して、店の人間が逃げたり、誰かに連絡したりしねェよう要警戒だ。」
「了解。つーことは、土方さんは俺達が部屋へ行くまで女と待機ってわけですかィ。」
「そうなるな。一人で連行する際に暴れないとも限らん。」
「…。」

暴れるわけねェよ、体調が悪ィんだから。
そもそも俺のことを知り、目的を知り、自身が捕縛される現実に暴れる気力なんて残ってねェはずだ。きっと悲しげに目を伏せて……泣いてる気がする。

「…、」

くそっ…、思い浮かべるだけで胸糞悪ィ。

「それじゃあ出発時刻についてだが~…、」

近藤さんがアゴの髭を触りながら口を歪ませた。

「何時くらいがいいと思う?夕方って17時くらい?」
「まァ明るい方がいいって話なんで、夕方とくくらず15時くらいでもいいんじゃねェですかね。その頃なら山崎も昼から入った客は把握できてるだろうし。たとえ要人が昼に入ったとしても、せいぜい二時間ありゃあ出てくる頃合でしょう。」
「フン…、まるで使ったことあるみてェな口振りじゃねーか。」
「あいにく使ったことはありやせんが、観察してりゃ分かりますんで。」
「…。」
「…。」

総悟の視線がうるさい。

「ふむ、トシはどう思う?何時くらいが良いんだろうか。」
「…何時でもいい。」

時間なんて、どうでもいい。

「お、おい…そんな面倒くさそうに…」
「っ、ああ悪い。…そういう意味で言ったんじゃねェんだ。」

いつ行っても、紅涙をしょっぴくことに変わりねェんだから…時間なんてどうでもいい。

「…総悟の言う15時でいいんじゃねェか?」
「よし、なら15時にするか!何事も早い方がいいって言うしな。」
「それじゃあ山崎に連絡入れておきまさァ。」
「よろしく頼む。トシは15時頃に夢路屋へ向かってくれ。俺達は少しずらして出発する。」
「……了解。」

煙草の火を消し、立ち上がった。

出発時刻まで2時間もない。
とりあえず部屋へ戻り、書類に目を通した。が、

「…。」

どうも頭に入らない。
まだ長い煙草の吸殻ばかりが灰皿に積もっていく。
何か考えるわけでもないのに、何にも集中できない。漠然と紅涙の顔だけが浮かんでは消えた。

気付けば、

「…もうこんな時間か。」

あっという間に15時。

「……行くか。」

つけたばかりの煙草の火を消し、俺は重い腰を上げた。

屯所を出る前に局長室へ顔を出す。

「近藤さん、」
「入ってくれ。」

襖を開けると、近藤さんは刀を磨いていた。

「いよいよだな、トシ。」
「…ああ。」
「刀の調子は良くなったか?」
「ま、まァ…お陰さんで。」
「気を付けろよ。いくら山崎が張り込んでるとは言え、どこに攘夷志士が隠れ潜んでいるか分からん。」
「…そうだな。」

しまった、忘れていた。今日は刀を持って行かなきゃならねェんだな。今日は……仕事なんだから。

「……じゃあ行ってくる。」
「おう!あとでな。」

襖を閉めた。
溜め息をひとつ吐き、歩き出そうとすると、

「今からですかィ?」

総悟が声を掛けてきた。

「…テメェは他にすることねェのか?毎度毎度、人を待ち伏せしやがって。」
「予定入れる暇なんてありやせん。じき仕事なんで。」
「…なら刀でも磨いてろ。」

背を向け、足を踏み出した。…すると、

「逃げたら承知しやせんぜ。」

妙なことを言う。

「…あァ?」
「アンタは自分が思ってる以上、生き方が下手な人間だ。そこんとこ忘れないでくだせェよ。」

なんだコイツ…。

「……余計なお世話だ。」
「そりゃすみませんでした。」

薄く笑い、立ち去る。
俺の胸に、余計なわだかまりだけを残して。

「…何なんだよ。」

しかも『逃がしたら』じゃなく、『逃げたら』だと?

「ありえねェ。」

そこまでバカじゃない。俺は…真選組の副長だ。

「…、」

そう、真選組の副長なんだ。
紅涙が微笑み、酌をしていた俺は…ただの客じゃない。…客の皮をかぶった、死神だ。

「…早めに済ませるか。」

拘束するだけでなく、弱った身体に真実まで突きつけることになる。会話なんて無駄な時間、短くていいよな。

「……つくづく嫌な役になっちまったもんだ。」

夢路屋へ向かいながら、こうなっちまった原因を探った。

過去の話となりゃ『たられば』でしかないが、それでもあの日、俺が下見へ行かなければこんな事態にはならなかったのだろう。
真選組の隊服を着たヤツらが突入しても、驚きはするものの傷つかなかった。前もって心を開く機会がないのだから。
俺と必要以上に話すことも…当然なかったのだろう。

「…どっちが良かったんだろうな。」

俺とお前は、どう出逢っていれば正解だったんだろう。どうすれば、もっとうまく逢うことが……

「副長~!!」
「!」

遊郭外へ足を踏み入れた瞬間、その声に肝が冷えた。見れば、山崎が手を振りながら走ってくる。…あの野郎。

「お疲れ様です!」

目の前で敬礼した直後に頭を引っ叩く。

―――バシッ!
「ァダッ!?」
「バカかテメェ!そんな猛アピールで走ってくるヤツがあるか!」
「っえ!?あっ!」

慌てて辺りを見回した。遅ェよ!
だが幸いなことに人通りは少なく、俺達を気に掛けるヤツは一人もいなかった。

「ったく…。」
「すみません…。」
「…で、報告は。」
「あっはい。今のところ、幕府の関係者が出入りする様子は見受けられません。」
「攘夷の連中は?」
「そちらも同じく、少なくとも昼から出入りしてる者はいないかと。」
「…わかった。」
「あの…俺って副長が入った後も偵察続けるんですよね?」
「ああ。今後は裏口を重点的にな。表には近藤さん達が来るから必要ない。近藤さん達が突入した後は、すみやかに表口へ移動。店のヤツらが逃げねェよう見張ってろ。」
「了解!!」
「声!」
「あっ、了解…!」

大丈夫かよコイツ…。

全力で敬礼した山崎と別れ、俺は夢路屋へ向かった。
開け放たれた入口の前に立つと、すぐに番頭と目が合う。

「午前ぶりやないですか~!」

嬉しそうな顔をして、手を揉みながら近付いてきた。

「まさか戻ってきてくれるやなんて思ってませんでしたわ~!旦那、どんな子がお好みで?」
「紅涙に会いたい。」
「またまた~。紅涙は体調が悪いて言いましたやろ?」
「急ぎで用がある。通してくれ。」
「えっ…急ぎ?……せやけど、誰も通すなと言われてますんで…」
「アイツの身に関わることだ。」

腰に備える刀を握った。それを見た番頭がハッとする。人目を気にしながら口元に手をかざした。

「なんや大変なことになっとるんですか?」
「まァな。」
「紅涙は大丈夫やろか。お宅らと違って、武道の武の字も知らん子やから心配で…。」
「…、」

なんつーか…

「ああっすんません!勘違いせんとってください。旦那ならちゃんと守ってくれるて思っとります。ただちょこっと気になるいうか、なんというか…」
「いや…いい。」

愛されてんだな、紅涙は。

「気に掛けてんのか?紅涙のこと。」
「ははっ。まァあの子は他の子らに比べて、環境が過酷やさかい、多少なりとも気にはなります。」

『環境が過酷』
引っかかるフレーズだが…後々に紅涙から聞けばいいか。

「せやけど紅涙だけが心配なんとちゃいますで?うちの店は小さい分、みーんな家族みたいなもんですから。」
「いい揚屋だ。」
「おおきに!」

嘘じゃない。本当にそう思う。

「ほんなら旦那、中へ入ってください。」
「いいのか?」
「ええ、紅涙のためとあらば。今は自室におるはずですわ。」
「自室?」
「ああ、ここの廊下を突き当たって左に曲がった先です。一つしか部屋ないんで分かる思いますけど、案内させましょか?」
「いや、いい。行ってみる。」

番頭の横を通り、いつもと違う廊下に足を踏み入れた。

「ありがとな。」
「いえいえ、紅涙をよろしくお願いします。」
「……ああ。」

…しかし不思議だ。
あの番頭、異様に物分りが良かった。話も噛み合っていたように思う。まるで、ある程度こうなる事態を想定していたかのように。
……もしかして、何かあったのか?

「…まさかな。」

鼻で笑い捨て、足を止めた。

「…。」

…ここか。
建物の奥にある一室。客を迎える部屋のような襖でなく、障子でへだてられた部屋だ。模様ガラスが入っていて、中に人がいるかまでは確認できない。

「…いるか?」

声を掛けた。
障子に手を伸ばした時、歩み寄る足音が聞こえて…
―――スッ…
障子が開いた。
中から出て来たのは、

「銀ちゃっ…、」
「…。」
「……え?」

嬉しそうな顔で出迎えたのも束の間、俺を見て、徐々に笑顔を失う紅涙だった。