運命16

『幸せ』というもの

『じゃあ夕方、迎えに来てやる』

窓の外を見ながら、私は銀ちゃんを待っていた。
約束の時間まで、あと少し。
そんな時に部屋へ来たのは……十四郎さんだった。

「どう…して…、…、」
「こんなところまで押し掛けて悪いな。」
「…、」

この人のことは、知っているようで…全く知らなかった。銀ちゃん達の……敵。

それでも私は心のどこかで期待していた。
あの写真は他人の空似で、やっぱり十四郎さんは私が知っている十四郎さんなんじゃないかと。……けれど、

「俺のこと……知ってたんだな。」

思い通りには、いかなくて。

「紅涙には攘夷志士の仲介役容疑がかけられている。」
「っ!」
「その容疑が晴れるか、認めて自供するまでは、…しばらく真選組の屯所で過ごしてもらうことになる。」

十四郎さんは、一度掴んだ手を強く握り、放さない。
私を見る目も違って見えた。陽の光を受けているせいか、これまで感じたことのない鋭さがある。

…これが真実。これが現実。
現実は、いつだって容赦ない。
こんな風になるくらいなら、出逢う必要なんてなかった。私をおとしめるためだけに出逢わせるなんて…神様はどこまで私のことが嫌いなのだろう。

十四郎さんも十四郎さんだ。
優しくする意味なんて…もうないのに。

「…体調悪いんだろ?」
「…。」
「早く済ませよう。出来るだけ…負担を掛けねェようにするから。」

捕まえると言っておきながら私の身体を心配して、

「今でさえ…お前の涙を拭ってやりたいと思ってるよ。」
「っ…、」
「叶うことなら、どこか遠くへ…一緒に逃げちまいてェとさえ思ってる。」

そんな嘘まで…ついて。

「俺は…嘘は言ってない。」

…十四郎さん、
優しい嘘ほど、人を傷つけるんですよ。
そういう傷ほど、思い出す度にえぐられるんです。
つらい気持ちと一緒に、甘く胸を締め付けるような記憶まで引っ張り出すから、いつまで経っても治らない傷になる。
嘘は便利なものだけど、相手の気持ちを考えて使わないと……

『誰か想い人でも出来たのではないか?』
『そっそんな御方いません。…どうして急にそんなことを?』

…ああ、そうだった。

『…何か知ってんのか?』
『……知らない。…私、こんな人なんて……知らない』

私も、人のことを言えないくらい嘘をついていた。

「っ…ぅ、…、」

銀ちゃん…ごめんね。
桂さんや、皆も……ごめんなさい。真選組が動いたのは、私のせいだった。私が…ここで会っているせいだった…。

後悔と申し訳なさに襲われ、泣き崩れる。
まさか与えてもらった居場所を自分で壊し、皆まで危うくさせることになるなんて。

「…紅涙、向こうで聞かれたことは素直に答えろ。」
「…、」

うつむく私に、十四郎さんが声を掛ける。
まるで取り調べの助言とも取れるようなことを言って、

「…フッ、今さら俺の言うことなんて信じられねェか。」

自嘲するように笑った。
理解できなかった。

「どうして…、…そんなことを言うの…?」

どんな気持ちで私にアドバイスしているの?
どんな気持ちで、そんなつらそうな微笑みを浮かべているの?つらいのは…私。

「十四郎さんは……私を捕まえに来たのに、……どうして?」

あなたは、つらくないはず。こうするために毎晩通っていた。…そうでしょう?なのにどうして、そんな顔で私を見るの…?

「…、」
「…十四郎さん…?」
「……、…、」

長い沈黙だった。
何か言いたいのだろうけれど、言えないように見える。自制しているのか、喉につっかえて言葉にならないのかは分からない。

「……紅涙、」

ようやく発した声は、すがるように聞こえた。

「……俺は、…、」
「…?」
「お前のことが……」

「何やってんでさァ。」

「「!」」

びっくりした…。
いつの間にか、部屋の前に人が立っている。

「はァ…、…信じらんねェ。」

その人は、わずらわしそうな態度で十四郎さんを見た。確か…真選組の沖田だ。

「…早かったな。」
「アンタが遅いんだ。まだこんなところにいやがって…」
「…?」
「…やっぱりバカでさァ、土方さん。」

フンッと鼻で笑う。
その表情では分からなかったけど、

「ほんっとバカだ。」

何かとても、苛立っているように見えた。現に、あの人のキツく握り締められた拳が小さく震えている。

「そんなに副長の座ってのはオイシイもんですかィ。」
「…あァ?」
「とっとと明け渡しなせェ。そうすりゃアンタも自由の身だ。その女と高飛びでも何でもしちまえばいい。」
「総悟…、」
「…、」

この人…

「あ~あ。せっかく明日から俺が副長だと思ってたのになァー。」

頭の後ろで手を組む。大層ガッカリした様子で言ったのに、十四郎さんはそれを小さく笑った。

「バカ言うんじゃねーよ。コイツと逃げたところで…、…幸せになんてなれねェだろ?」

っ…、

「そりゃまた意外なお答えで。てっきり土方さんは幸せになると思ってやした。」
「俺の話じゃない。紅涙が幸せになれねェだろっつってんだ。」

わた…し…?

「今逃げたところで、当面の自由はない。追われる身で幸せなわけがねェ。」
「そりゃ確かに。」
「幸せになってもらいてェんだよ、紅涙には。」

…!
これも…私を惑わすため…?

「…そのセリフ、いつかにも聞いた気がしまさァ。」
「気のせいだろ。」
「……だとしても、とても犯罪者に言うセリフじゃありやせんね。」
「紅涙はまだ犯罪者じゃねェからな。」
「何言ってんですかィ。その女は攘夷志士と会ってんだから、クロみたいなもんですぜ。」

っ!?

「あっ…あの、」
「あん?」
「どうした、紅涙。」
「どうして…私が攘夷志士と会っているなんて…言うんですか?」
「それは…」
「見たんで。」

『見た』?見られた覚えは…

「証拠、ありますぜ。」

懐から取り出した紙をひらひらと揺らす。

「それは…?」
「写真でさァ。この写真には、アンタが桂に酌してるところが写ってる。」
「っ!?」

うそっ…、そんな…いつの間に?

「これがあるにも関わらず、土方さんはまだアンタをクロだと認めてくれねェんでさァ。」
「…。」

十四郎さん…。

「…当たり前だろ。その程度じゃ言いきれない。もっと直接的な証拠がねェとな。」
「甘ェ話。」
「甘くねェ。そもそもお前らの撮り方が悪ィんだ。」

撮り方…?

「どんな撮り方をしたんですか…?」
「コイツら――」
「ストーップ。手の内をバラすなんて勘弁してくだせェよ。つーか土方さんは写真以上に説得力のある証拠を見つけたんですかィ?」
「見つけてない。」
「…何やってたんですかねェ、ほんと。」

呆れた様子で溜め息を吐き、「なら、」と続けた。

「なら俺がサクッと見つけますんで。」

えっ…

「アンタ達はそこで見ておいてくだせェ。後で偽装だ何だと言われたくねェし。」
「まっ、待ってください!」

困る。そんなの…っ

「困ります!」

いきなり来て、勝手に部屋の中を探るなんて。私物に攘夷を関連づけるものなんてないけれど、机の上には桂さんの手紙がっ…

「必要な物は私が出します、だからっ」
「ダメだ。」
「っ、」

十四郎さんの手が、先程よりも強く私の手を掴む。

「わかってるだろ?」
「でもっ」
「俺達が来た時点で、何を言ってもお前の意見は通らない。…諦めてくれ。」
「…っ、……、」

桂さんの手紙には、きっと皆の名前が載ってある。今日の計画も書いているかもしれない。それが真選組の手に渡ったら、これまで息を潜めてきた時間が…全てが本当に無に返ってしまう!

「っお願い、十四郎さん!」
「…悪いな。」
「えらく必死じゃありやせんか。こりゃァ大層なもんが出て来るんじゃねーですかィ?」
「…、」

……もう、終わりだ。みんな…みんな…っ!

「それじゃあ失礼しますぜ。」

沖田が私の横を通り過ぎ、部屋へ入った。

「…ところで総悟、近藤さんはどうなってる?」
「玄関口で店の人間といまさァ。」
「上手くいったのか。」
「とどこおりなく。」

答え終えるや否や、沖田が部屋を見回す。そしてまず手にした物は…

「怪しい封筒を二通発見。」

やはり、手紙だった。
…あんなところに置いておくんじゃなかった。

「これは何ですかィ?」
「…知りま――」
「知りませんっつーのはナシで。」
「…。」
「ご丁寧に俺達の写真まで並べてんだから、知らねェってのは通りやせんぜ。中には何が?」
「…封筒の中は…知りません。」
「まだとぼけると。」
「違いますっ!…本当に中身は知らないんです。」
「ほほう。ということはアンタ以外の誰かが書いたってことですかィ。」
「っ…、……もう…話しません。」
「あらら。」

否定するだけでも情報が漏れてしまうなんて…。

「構いやせんよ、教えてくれねェなら確認するまでなんで。」
「っ、」

無遠慮に手紙を開けた。

「…。」

黙り読むその姿に、息を呑む。
そこには何が書いてあるの…?皆の居場所が知れるようなこと?

「…紅涙、」

窺い見る私に、十四郎さんが声を掛けた。

「もし話しておきたいことがあるなら…今聞くぞ。」
「……、」
「情報提供しても、お前のことは絶対に護ると約束する。」

『紅涙、お前だけは…絶対護ってみせる』

「…私のことは、いいんです。」

私はどうなってもいい。

「ここで働くことが…私の生きる意味ですから、働けなくなるなら…、…どうでもいい。」
「……無罪放免なら、またここに戻ってこられる。働けなくなるとは決まってねェだろ。」

そうかもしれない。女将さん達は、また私を置いてくれるのかもしれない。けれどきっと…その場に銀ちゃん達はいない。

「一度連行されたら…これまでと同じ日々には戻れません。」

真選組に目をつけられた女として烙印を押され、また…一人ぼっちになる。

「紅涙…、」

銀ちゃん達に必要とされない私は、固定客のいない単なるお荷物。いずれここにいることも出来なくなる。そうなった時、私は……

「読み終わりやした。」

手紙から顔を上げた沖田が、こちらに向かって手紙を揺らす。

「土方さんも確認しますかィ?」
「いや、いい。…証拠になりそうなのか?」
「まァ。」
「…なら回収。」
「了解。」

手紙をしまった。
沖田は他にも何か持ち帰ろうと部屋の中を見て回ったけど、目星しい物はなかったらしい。

「今日はこの辺にしておきまさァ。必要がありゃまた探しに来るってことで。」
「ああ。…それでいい。」
「じゃあ行きますか。」

手錠を取り出す。

「…そいつは必要ない。だろ?」

十四郎さんが私を見た。ずっと掴んでいた手を放し、改めて私に手を差し出す。

「……、」

十四郎さんは…私を信じている。
こんな私を……信じている。

「…、」

誰かから信じてもらうだけのことに、これほど胸が痛くなったのは初めて。

「…紅涙?」
「…はい。」

私は、差し出された手に自分の手を重ねた。これまでと違い、十四郎さんは私の手をそっと握る。
大きな手から、優しい体温が伝わってきた。

「…っ…、」

苦しいのやら、…愛しいのやら。
銀ちゃん達に詫びる思いも相まって、私は十四郎さんの背後で密かに涙を浮かべた。