その日まで
少なからず、相手が紅涙じゃなけりゃクロだと確信して捜査していた。
『…私のことは、いいんです』
必死に守ろうとするあの姿勢が何よりの証拠。だが所詮はどれも状況証拠でしかない。…紅涙の部屋から持ち帰った手紙を除いては。
「…、」
あれは総悟が来る前に回収しておきたかった。そうすればこっちで処分…できたのに。
「…何言ってんだかな。」
副長という肩書きを背負っておきながら俺は……
「やっぱり…嘘ですか。」
「え…、」
その声で我に返る。見れば、紅涙が今にも泣きそうな顔で俺を見ていた。
…しまった。まだ紅涙を屯所へ連れて行く最中だった。
「いやっ、今のは――」
「もういいです。」
「…、」
「十四郎さんのことは…、…そういう人だと覚えておきます。」
…上手くいかねェな。
「……すまない。」
護りたいと思ってることも、身請けしたい気持ちも、全部嘘じゃねェのに。なんでこう…紅涙相手だと上手くいかねェんだ?
「はァ…、」
まるで何かに邪魔されてる気分だ。
…けどまァ、嫌われちまった方が都合は良いのかもしれない。
何を聞いても答えてくれなくなるわけだろ?話さないなら願ったり叶ったりじゃねーか。
そうなりゃ、あとは時間が解決する。
俺達はきっとお前を捕らえる決定的な証拠も揃えられず、ここへ繋ぎ止めておく理由も作れない。時間が紅涙を解放することになる。
だからそれまで大人しくしてくれるなら、俺の目が届く範囲にいてくれるのなら…どんなに嫌われても構わない。……そうだよ、それでいいじゃねーか。…よし、モチベーション取り戻したぞ。
「紅涙、お前を拘留する部屋だが……」
「トシ~!!」
大きな声にギョッとする。
先に戻っていた近藤さんが、屯所の門前で大きく手を振っていた。
目立たないよう動くって話を忘れたのか!?
「近藤さん!」
唇の前で素早く人差し指を出して見せる。言われた意味を理解したのか、見るからにハッとした様子で口を閉じた。
「頼むぞ…、近藤さん。」
屯所に辿り着き、目頭を押さえた。近藤さんは妙に嬉しそうな顔をしながら、「すまんすまん」と手を合わせる。
「久しぶりに屯所へ女性をお招きするから、ついテンション上がっちゃってな!」
「客じゃねェんだから…」
つーか女なら屯所に山程いるだろうが。特に食堂とか。…殺されんぞ。
「えーっと、さっきは自己紹介が途中になっちまったな!」
近藤さんが紅涙に手を差し出した。
「俺は真選組の局長、近藤勲だ。よろしく!」
「…あ、わ、私は早雨紅涙です。…よろしくお願いします。」
微笑んだ二人が握手する。
妙な光景だ。この現場を見て、誰が容疑者と警察の挨拶だと思うだろうか。…聞いたことねェよ。
「君をしばらく、この屯所で預からせてもらうよ。」
「…はい。」
「本来であれば監獄や拷問部屋で滞在願うんだが、如何せん極秘事項でね。俺達の上司や、屯所にいる他の隊士の目に触れてほしくないんだ。」
「だから、」と近藤さんが続ける。
「屯所の別棟である倉庫にて拘留することにした。」
「倉庫…」
「っあ、いやっ、倉庫と言ってもちゃんと畳張りだよ!?使ってない部屋みたいなとこで、タンスもあるし、着物も皺にならずに置けちゃうから!」
「なんで部屋を売り込んでんだよ…。」
「だって女性に失礼かと思って…。」
「…ふふっ、」
「「!」」
紅涙が、
「すみません、…あまりにも印象が違って。」
口元を隠しながら、おかしそうに笑う。
なんつーか…そういう顔、久しぶりに見た。
「か、かわいいな…。」
…おい。
「近藤さん。」
「はっ!しまった!俺にはお妙さんという愛しき女性がいるのに…っ!」
頭を抱える。…大げさな。
「トシ!」
「…なんだよ。」
「紅涙さんを部屋に案内してくれ!俺はもう行く!」
「はァ!?ちょっ…近藤さん!?」
もの凄い勢いで屯所の中へ走って行った。
「…悪ィな、騒がしくて。」
「いえ…、…少し懐かしくなりました。夢路屋へ来る前を思い出して…。」
「…ヤツらか?」
「えっ…あっ……ち、違います。…友達と。」
「友達ねェ。」
「ここだ。」
屯所の東にある別棟へ紅涙を案内する。
重い扉で封じられたそこは、一見すれば倉庫そのもの。
だが近藤さんの言った通り、中は畳張りの部屋になっている。当初はサブの拷問部屋として建てたものの、拷問が重なることはそうなく、使われないまま今に至った。
久しぶりに使うから掃除しとけと山崎に言ったが…
「よっ…と。」
―――キィィ…
錆びついた重い扉を開ける。
…まァ綺麗だな。
「紅涙、しばらくここにいてくれ。部屋には常に俺達の誰か一人が付くことになるが。」
振り返ると、口を開けたままの紅涙が部屋を見回していた。
「あ……はい。」
「…、」
不便…だよな。
「飯は運ぶし、風呂にも連れて行く。ただ手洗いだけは自由にさせてやれねェから、気が引けるだろうが…言ってくれ。」
「…わかりました、ありがとうございます。」
紅涙が頭を下げた。そこへ、
―――コンコンッ
「失礼しまーす…。」
控えめな声が割り込む。
…って、待てよ。この声は……
「お疲れ様っす、副長。」
「原田っ…!?」
なんでテメェがッ…!!
「あ、その女が例の―――」
「おいコルァッ!どこほっつき歩いてんだテメェは!失せやがれ!!」
「え!?」
「今見たことは忘れろ!忘れねェならテメェの目玉をッ」
「ままま待ってくださいよ副長!局長から言われて来たんです!」
「アァん!?」
「『事を整理したいから呼んで来てくれ』って頼まれて!だからっ…いや、それよりこんな大声で喋ってる方が目につきますよ!?」
「くッ…、」
それは…そうだな。
近藤さんが原田を寄こしたということは、この件に関わる全員で話したいってことか。
「大丈夫っす、女のことは絶対言わねェんで。」
「…。」
そうだな…原田なら信用できる。
「わかった、じゃあ紅涙を頼む。」
「了解っす!」
…『紅涙を頼む』って何だよ。原田が気付かなくて良かった。
「またあとでな、紅涙。」
「はい。」
「待ってたぞ、トシ。」
部屋には案の定、事を知る三人が揃っている。
「副長、例の女は無事に…?」
「ああ。今は原田が見てる。」
「今後の見張り順を考えなきゃいけませんね。」
「違いまさァ、山崎。見張り順じゃなくて、見張り兼拷問の順。」
「拷問はナシだ。」
総悟に釘を刺す。だが総悟は顔色ひとつ変えなかった。それどころか、
「えこひいきはよくありやせんぜ。」
噛み付いてきやがる。
「相手が紅涙だからって、そう都合よくルールを変えられちゃ困りまさァ。」
「…拷問は確実な証拠を押さえた上で行うもんだ。誰にでも拷問して、相手がシロだった場合にどうなるか考えてみろ。訴えられて終いだぞ。」
「あるじゃねーですか、確実な証拠が。」
―――バンッ
総悟が手紙を机に叩きつける。紅涙の部屋から回収した、あの手紙だ。
「これがあれば行けますぜ。」
「……内容次第でな。」
手紙を手に取った。
「…近藤さんは見たのか?」
「ああ、さっき山崎と一緒に。」
「見解は?」
「まァ…うーん。」
「?」
「副長も読めば分かりますよ。」
…そんなことは分かってんだよ。ただちょっと…心づもりしたかっただけだ。
「…、」
…見るしかないか。
なんとなく腹に力を込め、手紙を開いた。
回収した手紙は二通ある。どちらも封筒には何も書いておらず、同じような外観だ。そのうちの…まずは一通目。
―――カサッ
私は近頃、犬に懐かれる夢を見た。
然るべき日が来た暁には喜んで相手をするが、主達も心せよ』
「…なんだこれ。」
絵日記程度の内容が三行だけ書かれている。もう一通も開けてみたが、丸っきり同じ内容が書いてあるだけで変わらない。
これは……想像以上の内容だ。
「なんとも言えない文面だろ?」
近藤さんが頬を掻く。
「深読みしようと思えばいくらでも出来るが、確信に迫る言葉がこうもないと…。」
「…そうだな。」
俺は神妙な顔で頷いた。…が、腹の中では笑っていた。
ここまで不確かな内容だと思っていなかった。これでは紅涙を仲介役と断定することなんて、とても出来ない。
「…明確な宛名もねェし、内容もこの程度。手紙を証拠とするには無理があるな。」
「そうですかねィ。」
総悟が手紙を手に取った。
「俺ァこれでも充分イケると思いますが。」
「どこがだよ。攘夷宛てかどうかすら分からねェんだぞ?」
「それも含めて拷問するだけの価値はありまさァ。オプションで俺と山崎が撮った写真も付けりゃ完璧。」
「…問いただすだけに拷問するヤツなんて聞いたことねェよ。」
「なら、喋らなかった時は拷問っつーことで。」
「…、」
それはマズい。
「…拷問のことを考える前に、ヤツらの筆跡が分かるものを集める方が先だろ。」
総悟から手紙を取り上げた。
「そもそも俺達は、桂を始めとする攘夷志士の筆跡すら知らねェんだ。知らねェことには、たとえ紅涙から『誰々が書いた手紙です』と証言されても、嘘か誠かを判断できない。」
「確かにそうですね。」
山崎が頷いた。そしてすぐ、
「じゃあ調べてきます!」
立ち上がる。
「待ちなせェ、山崎。調べると言っても、そう易々と攘夷志士の筆跡を見つけられるとは思えねェ。どうやって調べる気だ?」
「街で手当り次第にサインを集めてきます!攘夷志士と同名の字体を抽出して、手紙の筆跡と照らし合わせれば出てくる物もあるかと!」
「…そりゃまたスゲェ手間の掛かる捜査だな。」
「何もやらないよりいいですから!行ってきます!」
グッと右手で握り拳を作り、山崎は部屋を飛び出して行った。
…なんだ?アイツ。
「妙にヤル気に満ちてるじゃねーか。」
「使命感があるんだろ。自分が掴んできた件だしな。」
あまり意気込まれても困るんだが……
…って、何言ってんだ俺は。攘夷志士の情報は多けりゃ多い分いい。…いいんだ。
「しかしなんで紅涙は、これみよがしに机の上に手紙なんか置いてたんでしょうかね。」
伸びをした総悟が気だるそうに言う。
「まるで俺達に見つけさせたかったみてェじゃありやせんか?しかもわざわざ隣に俺達の写真まで並べて。」
「…、」
そんな感じはなかったが…、…ないとも言いきれない。
「…仮にお前の言う通りだとしたら、俺達は釣られたことになるな。」
「釣られた?」
近藤さんが首を傾げる。
「つまり何か?俺達が回収した手紙を捜査してる隙に、ヤツらは何かするつもりでいる…と?」
「かもな。…『ヤツら』が誰かは知らねェが。」
「まだ言いやすか。」
総悟が鼻で笑う。俺は煙草に火をつけ、眉を寄せた。
「捜査の基本を忘れんなよ、総悟。個々に思うのは自由だが、捜査する上で物事を決めて掛かるな。」
「フッ。そうするてェと土方さん、あの女は俺達が来ることを知ってたってことになるんですぜ?」
「…ああ。」
釣りだった場合はな。
「じゃあ誰から聞いたんでしょうね。攘夷志士からだと考えるのが自然じゃありやせんか?」
「だから。想像だけで捜査できたら苦労しねェよ。」
「…あー、そうか。わかりやしたぜ。」
「「?」」
「アンタだ。」
総悟が俺を指さす。
「アンタが俺達の情報を漏らしたから、あの女は知ってたんだ。」
…、
……、
「はァ?」
何言い出すのかと思えば。
「おいおい総悟、それはさすがに笑えねェぞ。」
「そうですかィ?充分あり得る話じゃねーですか。」
バカバカしい。
「真面目に考える気がないなら失せろ。」
「そのセリフをそっくりそのまま返しまさァ。口を開けば女を庇うみてェなことばっか言って。」
「…あァ?バカ言ってんじゃねェよ。」
「どっちが?下見に行って、惚れて帰ってくるバカに言われたかありやせんね。」
「あァん!?」
「おい待て待て!」
俺達の間に近藤さんが身を乗り出した。
「落ち着け、二人とも。」
「…。」
「…。」
睨み合う総悟と俺に、
「…はぁ、」
近藤さんが目頭を押さえて溜め息を吐く。
「お前ら、この話になるといつも堂々巡りしてないか?」
そんなつもりはない。ただ確定する揺るぎない証拠も得てないのに、決めつけてかかる総悟の態度が許せねェんだ。
「トシ、お前が部屋へ行った時に押収した物は何かないのか。」
「…ない。俺が部屋に入る前に警戒されちまってたから。」
「そうか。」
「そうですぜ。部屋の入り口で痴話喧嘩してたもんで、俺が中に入って改めたんでさァ。」
…言ってろ。
「じゃあ総悟、その時に他の証拠になりそうな押収品はなかったのか?」
「それがなーんにも。まァ攘夷の会員証やら証明書があるわけでもねェし、出てくるもんなんて知れてるでしょうが。」
「となると山崎の結果が欲しいところだが、あれは時間が掛かるしなァ…。やはりしばらくは本人の口に頼るしかあるまい。」
「拷問なしでな。」
総悟を見る。するとフンッと鼻で吐き捨て、
「そうやって甘ェことばっか言ってると、いつか寝首を掻かれますぜ。」
立ち上がり、部屋を出て行った。
…寝首を掻かれる?俺が?紅涙に?
「…フッ、」
あり得ねェ。
煙草をキツく吸い、浅い溜め息と一緒に煙を吐いた。
「アイツの拷問癖には参る。」
なんでも叩きゃいいってもんじゃねーんだよ。
「まァ今までがそうしてきただけに、仕方ねェと言えば仕方ねェさ。第一、今回の対象は女性だ。アイツも距離を掴み兼ねてるんだろうよ。」
「そんな可愛いもんには見えねェがな。」
「ハハッ、そう言ってやるな。総悟なりに色々考えてるよ。」
近藤さんが愛おしげに目を細める。俺はそれに、
「…ふーん。」
その程度の返事しか出来なかった。
まだ近藤さんみてェな目で総悟は見れない。今だってアイツが妙な動きをしないか、気が気じゃねェくらいだ。特にこの件については、
「……、…はァ。」