見て見ぬフリを
俺の腹が煮え繰り返っていることを知ってか知らずか、
「あらら?なんで土方さんが飯を?」
総悟は、とぼけた顔で俺の手元を見た。
そりゃ不思議だろう。副長ともあろう俺が、二食分の夕飯を運んで来てんだから。…しかしおそらくコイツはその部分に驚いてるんじゃない。
「テメェは誰と誰の飯を原田に頼んでたんだ、あァん?」
原田に頼んだ飯を俺が持ってきたことに驚いてんだ。
「何考えてんのかは知らねェが、余計なことをするな。」
睨みつけ、傍の机に置く。総悟は「あーあ」と言った後、
「原田に用心しろって言っとくんだった。」
頭の後ろへ手を回し、口を尖らせた。
「怒るなら原田を怒ってくだせェ。土方さんに頼んだのは原田ですぜ。」
「俺は飯を運ばせたことに文句言ってんじゃねェ。なんでテメェがここに居座って飯を食おうとしてんだっつってんだ。」
そう。配膳に関しては、俺から原田に代わってやると言ったから全く問題ない。そもそも俺が紅涙に飯を運ぶつもりだった。
だが近藤さんとの話が長引いちまって…。
…話というのは、さっきのアレだ。途中で山崎が捜査へ向かい、総悟が退席したあの話の延長線。毎度ろくに何も決めやしないからと、見張り番だけでも決めてしまうことになった。
「トシ、見張りって通常二人一組だよな?」
「ああ。」
「そうなると…やっぱり俺達だけで廻すのは厳しいな。他のヤツらにも協力させて――」
「ダメだ。」
紙に日付を書き始めていた近藤さんが顔を上げる。
「なんで?」
「忘れたのか?この件は極秘事項だぞ。」
「だがもう彼女を連行できたわけだし…」
「『攘夷に繋がりがありそうな女を連行した』ってだけだ。まだ大した進展もねェし、口外できる状態にない。」
俺は煙草に火をつけ、灰皿を引き寄せた。
「だから原田にもこれ以上深く関わらせるつもりはねェよ。あくまで臨時要員に留めておくつもりでいる。」
「だったらどうやって見張りを廻すんだ?」
「当面は俺が見る。」
「トシ一人で?」
「ああ。俺なら仕事も持ち込めるし、…急ぎの仕事もねェから。」
…あるけど。
「俺もやるぞ?」
「アンタは局長だろ。隊士が今使ってると知らねェあの部屋に入っちまったら、何かあった時に誰も見つけられねェよ。」
「おお…確かに。」
「席を外す時くらいは原田を呼ぶ。心配すんな。」
「そうか。って、総悟は?総悟は使わねェのか?」
「アイツは使わない。」
「なんで…」
「あんな調子だからな。とても一人で任せられねェ。」
煙を吐いて、灰皿に煙草の灰を落とした。
「紅涙に圧力でもかけて自白を強要してみろ。あとで面倒なことになるぞ?」
「うーん…、」
近藤さんは顎を触りながら思案する。納得いってない様子だ。さすがに無理な説明だったか?
「…。」
腹の中を探られないよう煙草を口につけた。
紅涙を護るには、こうするのが一番いい。他のヤツらが絡めば荒い聴取になるだろうし、必ず落としにかかろうとするヤツが出てくる。根っからのクロならそれでもいいが……
「……。」
紅涙は違ェからな。
出来る限り、他のヤツらを近付けたくない。
……とは思っているものの、
「……んー…。」
何が引っかかっているのか、近藤さんはなかなか首を立てに振らなかった。…仕方ねェ、ここはフォローを入れとくか。
「言っても一週間程度の話だ。」
「一週間…?」
「拘留期間がそれ以上になるなら、さすがに総悟も使う。日が経てばアイツも少しは冷静になるだろうからな。」
「……そうだな。よし、わかった。それでいこう。」
よかった…。
「なら早速俺は原田と代わってくる。何かあったら電話してくれ。」
「了解。」
煙草の火を消し、立ち上がった。
「…トシ、」
「ん?」
振り返る。近藤さんは俺に、
「見えてるものだけが真実とは限らんぞ。」
珍しく含みのある言い方をした。
「……何が言いてェんだよ。」
「いや、深い意味はない。ただどんなことがあってもいいよう心構えだけはしておいた方がいいんじゃないかと思ってな。」
「……んことは言われなくても分かってる。」
「そうだな、すまん。」
「…。」
廊下を歩きながら考える。
あれは一体どういう意味だった?深い意味はないなんて言ってたが、絶対あるだろ。忠告…だよな。でも何に対しての……?
「……まさか…、」
紅涙に対して…か?
紅涙をもっと疑え…的な……、
「…、……ないか。」
近藤さんは、相手が誰であろうとそういう見方をしない。おそらく別件に対しての忠告だ。だがそうなると何の……
「…ん?」
食堂から出てきたデカい男に目が留まる。あのスキンヘッドは原田だ。原田…、はらだ…か。……、
「原田ァァ~ッ!?」
「!?」
ビクッと肩を揺らして原田が振り返った。
俺はすぐさま近付き、その胸ぐらを掴み上げ…ようとしたが、原田の手にある二つのトレーに阻まれる。
コイツ…二人分の飯をどこに持って行く気だ?
「おっお疲れ様です、副長!!」
「おまッ、お疲れ様じゃねーよ!なんでここにいる!?アイツを一人残して出てきちまったら見張りの意味ねェだろうが!!」
「ええ!?だって沖田隊長がいますし!」
「あァん!?」
総悟だと!?なんでアイツが紅涙のところに……、…まさか無理やり攘夷志士との繋がりを自白させるつもりかっ!?
「総悟は今もそこにいんのか!?」
「はい。…って、もしかして沖田隊長は指示なしで来た感じっすか?」
「ああ。ったく…」
「マジっすかー…。勘弁してくださいよ、沖田隊長ォ~。」
俺が言いてェよ。
「お前の手にある飯も総悟と関係してんのか?」
原田の手にある二つのトレーには、今夜の定食が二食分ある。
「そうっす。沖田隊長から『食堂に行け』って言われて来たんですけど、なんか二人分の飯が用意されてただけで。たぶん運べってことだろうなと思って、今から持って行くところです。」
…なに考えてんだ、アイツ。紅涙と飯を食って説得する気か?…飯で釣るなんていつの時代だよ。
「貸せ。俺が持って行く。」
「いいんすか!?」
「ああ。お前も飯、まだだろ?食ってこい。」
「ありがとうございます!」
辺りを確認した後、扉の前でノックしようと手を上げる。その時、
「ふふ、自慢にはならないと思います。」
中から紅涙の声が聞こえた。…しかも楽しげな声。
「……あの野郎、」
紅涙をクロだクロだと言っておきながら、なに打ち解けてやがる。俺は手短にノックして、扉を開けた。
―――コンコン、キィィッ…
「おい、」
苛立ちを覚えながら中へ入る。
「それじゃあ紅涙、ようやく飯が来たんで食いやしょうか。」
はァ?
「バカ言ってんじゃねーよ。」
俺は机に置いたトレーを引き寄せ、
「紅涙、お前はここ。」
「は、はい。」
紅涙を座らせる。もう一つのトレーの前には俺が座った。
「…なにやってんですかィ、土方さん。」
「飯を食うに決まってんだろ。」
「いや、それ俺のだし。」
「いただきます。」
総悟の話を無視して手を合わせる。懐からマヨネーズを取り出し、
―――ブチュブチュブチュッ
まんべんなく、ぶっかけた。ああ…今日も美味そうだ。
「土方コノヤロー……」
総悟が顔を引きつらせる。紅涙は目を丸くして、
「…十四郎さん、」
あ然としたまま、俺のトレーを指さした。
「それは…マヨネーズ……?」
「そうだ。」
「…持ち歩いてるんですか?」
「屯所の中だけな。いつどんなタイミングで必要になるか分からねェから、緊急用として携帯してんだ。」
「……ふふっ、」
紅涙が着物の袖で口元を隠した。
「本当にお好きだったんですね、マヨネーズ。」
…そうか。団子の時にそういう話もしたっけな。
「紅涙にもかけてやろうか?」
「いえっ、私は…」
「遠慮すんなって。これを白飯にかけるだけでサラサラと流し込めるように――」
「紅涙、」
大人しく見ていた総悟が紅涙の隣に座る。俺と紅涙の間に座るもんだから、視界が総悟の後頭部でいっぱいになった。
「…おいテメェ、」
わざとか?わざとだよな?
「見てくだせェ、紅涙。俺が飯を頼んだってのに、俺の飯がありやせん。今にも倒れそうなくらい腹ペコって時に…」
よく言う。
「あっ、それじゃあ私の食事を」
「いりやせん。それは紅涙の飯だ。」
「でも…」
「相変わらず優しいですねィ。そこまで言うなら、」
総悟が自分の口に指をさす。
「あァ~ん、してくだせェ。」
「はァァ~!?」
紅涙より先に俺が声を上げてしまった。
「テメェなに言ってんだ!」
総悟の肩を掴む。総悟は顔半分だけこちらへ振り返り、鼻先でフンッと笑った。
「土方さんが悪ィんですぜ、俺の飯を取ったりするから。さァ、紅涙。」
「え、えっと…」
「しなくていい!こんなヤツに真面目に付き合うな!」
「でっでも」
「あァァ~ん。」
「沖田さんが待ってますし…」
オロオロした様子で紅涙がおかずを選ぶ。
「くっ…、」
仕方ねェ。
俺は総悟の肩を力いっぱい掴んで、
「おら、総悟ちゃーん、あァ~ん。」
振り向かせたその口に、マヨネーズを最大級トッピングした唐揚げを放り込んでやった。
「グボェッ!!土、方…ッコノヤロォォー!!!」
入りきらなかったマヨネーズが口の周りに付いている。
「口に物を入れて喋るな、総悟。」
「テメェがッ…!」
「あっ、お、沖田さんこれ…、」
紅涙が傍にあったティッシュを手渡す。総悟は口の周りが赤くなりそうなくらい強く拭いた。…失礼なヤツだ。
「くそ…っ、拭いても拭いてもヌルヌルしやがるッ…!」
「テメェが訳分かんねェことしようとするからだろうが。」
ああ勿体ねェ。あんな大量のマヨネーズ付き唐揚げを、マヨネーズの味も分からねェ野郎にくれてやった挙句、口に入らなかったマヨネーズまで拭き取りやがって…
「マヨネーズ臭ェったらねーや。」
…呪われろ。マヨネーズの神様に呪われて死ね。
「沖田さん、鼻にも付いてますよ。」
「鼻?どこでさァ。」
紅涙がティッシュを手に、総悟の鼻を拭いてやる。
…なんだ、この光景。いつからコイツは紅涙に懐いてんだ?俺がいない間に何があった?
「はい、取れました。」
「他には付いてやせんか?」
「そう…ですね、付いてないみたいです。」
「本当に?顔だけじゃなく、服とか。」
「服?……はい、大丈夫ですよ。」
「もっと近くで見てくだせェ。特にこの下半身周りを中心に――」
「いい加減にしろ!!」
―――ゴンッ
「「!」」
総悟の後頭部に拳を落とした。いや、『殴りつけた』の方が正しいかもしれない。中指を立てたこともあってか、
「ぃッ…ッタあァァァァッッ!!」
総悟は大げさなくらい叫び、頭を押さえながら床に転がった。
「おっ沖田さん!?」
「構うな、紅涙。自業自得だ。」
「土方コノヤロォォ…ッ」
「いつまでも遊んでねェで、とっとと飯を食ってこい。」
「…。」
静まり返った総悟が、頭を押さえて立ち上がる。
なんだ?どうする気だ?
「…。」
「…?」
意外にも黙って部屋を出て行った。
…ああも素直に出て行くと、それはそれで不気味だな。
「ふぅ…、」
ま、これでようやく静かになったか。
俺は煙草を取り出し、火をつける。が、口に咥えた直後に気付いた。
「あ、悪ィ。飯を食うって時に煙草…」
「いえ、気にしませんから。それより、」
紅涙が思い出したようにクスクス笑う。
「いつもこんな風に賑やかなんですか?」
「賑やかっつーか…まァ大体は。」
「楽しそうですね。真選組って、もっとお堅い空気なのかと思ってました。」
「警察っつってもエリートコースじゃねェからな。こんなもんだ。」
「…、」
紅涙の表情が曇る。
「どうした?」
「……十四郎さんは、」
「ん?」
「……、…攘夷のことを、どう思っていますか?」
「え…、」
攘…夷…って……その話題を持ち出しちまうのかよ。
「悪い印象…ですか?殺人とか、そういう…大罪を犯した人と同じように。」
恐れながらも問うその瞳に、胸の中がザワついた。
紅涙が期待する答えは分かっている。
何を言ってほしいのか、何を言えば紅涙が喜ぶのか…わかっている。わかっているが……
「……そうだな。」
嘘はつけない。
「このご時世、反幕府と掲げるだけでも罪だ。ましてや、それで戦を起こしたなんてことになりゃ大罪も大罪。打ち首もんだ。」
「…それは分かります。でも……もしどんな想いでその人達が事を起こしたか知る機会があって、それがちゃんとした理由だったら…十四郎さんの気持ちは変わりますか?」
「……、」
…どうだろうな。
たとえば幕府の横暴で、テメェの大切なものが壊されたとして。どうしようもない怒りや悲しみを持って、立ち向かうしかなかったのだとしたら……そいつらの行動も分かるかもしれない。……が、
「どんな思いであっても、罪は罪。そして俺達は警察だ。捕まえることは出来ても裁くことは出来ないし、許してやることも出来ない。」
「そういう話じゃなくて……十四郎さんの価値観を知りたいんです。十四郎さんの攘夷派に対する印象が変わるのか。」
「…俺一人の価値観が変わったところで何の意味もねェだろ。」
「あります。私は……、…、」
紅涙は言葉を探し、
「私は…仲良くなれると思うから。」
自身の手をギュッと握り締めて言う。
「十四郎さんと、きっと……仲良くなれると思うんです。」
「……誰が?」
「…、」
口を閉じる。
誰を…どんなヤツらを指しているかのは想像がついていた。けれどなぜ紅涙がそう思うのか分からない。俺と攘夷の連中が、どこをどう見たら仲良くなれるなんて言ってんだ…?
……いや、今はそんなことはどうでもいい。
「…紅涙、」
「…。」
「もう一度、お前に聞いておく。」
紅涙が伏せていた顔を上げた。不安げで、いつもに増して弱弱しく見える。
「…お前は攘夷に関係する者なのか?」
「…、」
「あの夢路屋で、攘夷志士の仲介をしていたのか?」
「……、…何も話しません。」
左右に首を振る。その行動に安堵する俺がいた。
「…それならいい。」
どうかそのままでいてくれ…、紅涙。