運命22

立場の苦しみ

「ここだ。」

風呂場の前で紅涙に背を向ける。

「服は用意してあるから、終わったら出てきてくれ。ここで待ってる。」
「…はい。」

紅涙の返事を背中で聞き、
―――ズズッ…
厚い風呂場の木戸が閉まる音を聞いた。

『十四郎さんのこと……許していません』
『攘夷を探るために近付いたこと、…人として、……軽蔑しています』

「…そりゃそうだな。」

壁に背を預け、煙草に火をつけた。
夢路屋での一件を考えれば、あれは当然の言葉だった。

『捜査で近づいただけのくせに…、っ、どうして心があったなんて言えるんですかっ…!』

俺は既に、紅涙の心を踏みにじってる。
なのになんで普通に話しかけてた?
俺なんかと話しても楽しくないだろうし、信じられるものでもないだろうに。

「……はぁぁ。」

重い溜め息が白い煙となった。

…浮かれてるな。
紅涙がここにいるから、目の届く場所にいるから…安心して、気が緩んでる。

「……だが、」

いくら嫌われたとしても、

「護ってやらねェと。」

俺が、お前を家に帰してやる。夢路屋に……

「誰をですかィ。」
「!」

……またコイツかよ。
顔を上げた。案の定、総悟が立っている。

「…お前は心底タイミングが良いな。本当は幻か何かじゃねェのか?」
「幻でも神様でも構いやせんが、」

言ってねーよ。

「俺が当ててやりましょう。独り言を呟いちまうくらいの相手を。」

…わかってんなら最初から聞くなっつーの。

「失せろ。」
「そろそろ腹をくくってくれねェと困りますぜ、土方さん。」
「…あァん?」
「俺ァ明日、紅涙を挙げるつもりでいますんで。」
「!」

なっ…、

「…なに勝手なこと言ってんだ。まだ裏付けも済んでねェだろ。」
「じきに揃いまさァ。裏付けも、証拠も。」
「また根拠のないことを」
「俺達は、」
「…、」
「俺達は、アンタだけが障害だ。」

コ、イツっ……、

「いつまでシロだと言い張る気ですかィ?」
「……シロとは言ってねェよ。」
「なら、クロだと思ってるってわけだ。」
「…違ェよバカ。」

嫌な言い方しやがって。

「言ったはずだ、先入観は捜査に支障が出る。紅涙の件はまだ善悪の判断が出来る状態にねェんだから――」
「今はそういう話をしてんじゃなくて。」

総悟が自分の頭をトントンと人差し指で叩いた。

「俺ァ土方さんの個人的見解を聞いてんですよ。」
「個人的…見解?」
「捜査がどうとかを抜きにした土方さん個人が、いつまでシロにしがみついてんのか。」

……。

「…アイツは幕府に恨みなんて持ってねェんだよ。そんなヤツがわざわざ攘夷と繋がるわけねェだろ。」
「何が言いてェんですか?」
「紅涙と攘夷は、あの店が繋げたか、アイツの環境がそうせざるを得なかったんだ。」

…そう。そうに決まってる。

「紅涙にはどうしようもねェ理由があって、仕方なく関係を築くしか―――」
「関係があるなら、そいつはクロでさァ。」
「っ…」
「つーかその話、紅涙から直接聞いたんですかィ?」
「……聞かなくても分かる。」
「はァ~…勘弁してくだせェ。」

総悟は額に手を置き、首を振った。

「ちゃんとテメェの目で見て、耳で聞いたことから考えてもらわねェと困りまさァ。仮にその陳腐な想像通りだとしても、何事もなく紅涙を釈放してやることなんて出来ねェんだから。」

…わかってる。

「…だが事情次第で結果は変わるだろ。」
「それでも逮捕されますがね。」
「…。」
「どうしちまったんですかィ、土方さん。新米隊士でもあるめェし。」

…うるせェ。

「警察は誰かの指図で人を殺さざるを得なかったヤツがいたとしても、そいつを逮捕するのが仕事でさァ。中身をほじくり返して審判するのは俺達じゃありやせん。」

『どんな思いであっても、罪は罪だ。それに、俺達は警察。捕まえることは出来ても裁くことは出来ないし、許してやることも出来ない』

「…わかってる。」
「事情を汲むのは俺達の仕事じゃねェってことでさァ。」
「わかってるって言ってんだろ。」
「ならちゃんと仕事してくだせェ。」
「…。」

俺は……わかった上で言ってんだ。
その先を見据えて…護ってやりてェって。アイツを…アイツの……将来を。

「頼みますぜ、土方さん。時が来たら、ちゃんと仕事してくだせェ。もし出来ねェってんなら、」

キッと睨みつけ、

「せいぜい邪魔しないよう部屋に閉じこもってろ。」

殺気混じりの生意気な眼光で言った。

「…誰に口きいてんだよ。」
「ぼんくら上司に。」
「おい。」
「おやすみなせェ。」

ひらひらと後ろ手を振り、総悟が立ち去った。

「アイツ…今度シメてやらねェと。」

まァ……今の俺では説得力に欠けるが。

「あーくそ…っ…、」

壁に背を預けたまま、ズルズルと座り込んだ。
懐から出した灰皿に、煙草をギュッと押し付ける。

「情けねェ…。」

紅涙のことになると酷いざまだ。
このままでは本気で副長の座を奪われちまう。そんなことになったらどうなる?総悟の代わりに俺が一番隊隊長なるのか?

「……ハッ、笑えねェ。」

想像できちまった自分が恐ろしい。
いつから俺はこんな想像力が豊かになったんだ。

『ちゃんとテメェの目で見て、耳で聞いたことから考えてもらわねェと困りまさァ。仮にその陳腐な想像通りだとしても―――』

「想像を持ち込むなって言ったのは…俺なのにな。」

『捜査の基本を忘れんなよ、総悟。個々に思うのは自由だが、捜査する上で物事を決めて掛かるな』
『想像だけで捜査できたら苦労しねェよ』

「情けねェ…、」

つくづく、情けない。
グシャッと髪を握り潰した。そこへ、

「…十四郎さん?」

随分近くで紅涙の声が聞こえる。顔を上げる前に、風呂上がりの匂いが鼻を掠めた。

「大丈夫、ですか?」

心配そうな顔で俺を覗き込んでいる。まだ乾ききらない髪を耳にかけて。

「具合、悪いんですか?」

なんで…お前が心配する?心の底では俺を…憎んでるのに。

「十四郎さん…?」
「…いや、大丈夫だ。」

立ち上がり、

「湯冷めしちまうな、」

差し出そうとした手を、

「……。」

ポケットに突っ込む。

「戻るぞ。」
「…は、はい。」

手は繋がなかった。
…繋げなかった。