彼を慕う者
「あの…、紅涙さん。」
山崎さんから声をかけられた。
顔を上げると、鏡越しに目が合う。
この山崎さんには見覚えがあった。銀ちゃんが持ってきた真選組の写真の中にいた一人。
…だけど、私が借りている着物の持ち主とは別かもしれない。お礼を言っていいのか…悩む。
「副長のこと…信じてあげてください。」
「……え?」
唐突な話題に目を瞬かせた。
手を拭いて振り返ると、山崎さんは困った様子で視線をそらす。
「俺達は真選組で、あなたは…容疑者です。もしかしたら…いや、もしかしなくとも、適当な優しさと耳当たりの良い言葉をあなたに向けて、落とそうとしている…と思っているかもしれません。」
「…、」
「でも、違いますから。」
山崎さんが顔を上げる。気まずそうにしていたのが嘘のように、私を真っ直ぐ見た。
「沖田隊長は分かりませんけど、少なからず副長はそんな人じゃありません。そんな…器用なことが出来る人じゃないんです。」
山崎さん…。
「っあ!えっと、こっ、ここだけの話ということで!」
「え?」
「この話、副長にはどうか御内密に…っ!」
ああ、…ふふっ。
「言いませんよ。…でもどうして急に?」
「なんか…副長が可哀想だなと思って。身請けの約束も嘘だと思われていたら…ちょっと酷だなって。」
「!」
知ってたんだ。
「…十四郎さんは、皆さんにその話をしてるんですか?」
「え?っああ!しまっ…いっいえ!してません!してませんよ!?」
「?…でも現に知ってるじゃないですか。」
「そ、それは…そのー…、…。」
視線をさ迷わせる。じっと応えを待っていると、次第に頬を引きつらせ、
「すみません…白状します。」
なぜか謝罪した。
「実は俺、張り込みしてたんです…。」
「張り込み?」
「はい。少し前から夢路屋に出入りする人を見張ったり、会話を盗み聞いたりしていました。」
『次にコイツは潜入を得意とする山崎。おそらく夢路屋に入り込むならコイツだ』
『客としてか、店の人間として潜入してくる』
銀ちゃんが言ってたこと…当たってた。
「だからお二人のことも…結構知ってます。」
「…そうだったんですね。」
…でも待って。そうなると、
「いつ頃から…張り込みをしていたんですか?」
銀ちゃんが来た時も……見てたってこと?
「副長が初めて夢路屋に行った日からですよ。」
「!」
それは…
「どうかしました?」
「いえ…、…恥ずかしいなと思って。」
「あはは…すみません。」
どう…なんだろう。見てるのかな。
…わからない。鎌を掛けなきゃ分からない。ここを不確かなまま話すのは…危険だ。
「…山崎さん、」
「はい?」
「……、」
試すしかない。
「…それなら、こんな遠回りをしなくても良かったんじゃないですか?」
「と言いますと?」
「山崎さんが張り込んだ時に…見たり聞いたりしていたことを伝えれば……こうして拘留せずに済んだんじゃないのかなって。」
…この話、山崎さんはどう受け取る?
「あれ…?もしかしてちょっと怒ってます?」
「……少し。」
本当は怒ってない。緊張で顔は強ばってるけど、心臓の脈打つ音すら漏れ聞こえてしまいそうでビクビクしてる。
「俺も出来れば早く終えたかったんですけどねぇ…。」
山崎さんはアゴに手をやり、思案する。
「あの時の張り込み、大した収穫なかったんですよ。」
「え…」
「副長に内緒だったもんだから、通常業務も並行しなきゃいけなくて。結局まともに張り込めたのは副長の時くらいでした。」
じゃあ…
「山崎さんが張り込み中に得たのは…十四郎さんと私の会話だけ?」
「そうです。」
「……、」
「なんなら今ここで自供しちゃいます?」
「自供?」
「仲介容疑を認めれば、この不便な生活も短くなりますよ。」
「……お断りします。」
「ですよねー。」
よかった、銀ちゃんのことは見てないんだ。
「副長がもっと核心に迫る話をしてくれてたら、進展してたと思うんですけど……」
困った顔つきで小さく笑う。
「正直、想定外ですよ。そもそも俺に気付かなかったこと自体が異例でしたけど。まァそれだけ…紅涙さんに意識を向けてたってことでしょうね。」
『俺は…嘘は言ってない』
『信じてもらえねェだろうが…そうとしか言いようがねェんだ』
胸が、痛んだ。
「紅涙さん。副長を…、土方十四郎を信じてあげてください。」
…私はたぶん、
「…信じてますよ、十四郎さんのこと。」
「それは」
「ただ…」
「…、」
ただ、
「仲介役として容疑をかけられている私が信じたところで、何がどうなる話でも―――」
「それは違います!」
「!」
山崎さんの大きな声に少し驚いた。
「確かに…確かに立場は相反する状態です。けど、気持ちは個人の物じゃないですか。自由ですよ!通ずるかは…別にして、ちゃんと自分の気持ちを受け入れることで変わるものはあると思います!」
山崎さん…、
「今まで縛りつけられていたモノからだって、解放されるかもしれませんよ!?」
縛り…つけられていたもの?
「紅涙さんにだってあるでしょう?拒絶したいもの、理由をつけて我慢してきたものが。」
拒絶したいもの、理由をつけて…我慢してきたもの……
『虫除けだ。お前に悪い虫が付かねェようにな』
「っ!?」
咄嗟に、耳を塞いだ。
「紅涙さん?」
「…、」
まるで、耳元で囁かれているかのように思い出した。一瞬にして高杉の手が…肌の上を這った気がする。
「ごめんなさい…。」
「…あるんですね、紅涙さんにも。」
「…。」
…もし、
もし私に拒絶したいものがあるとするなら、理由をつけて我慢してきたものがあるとするなら……それはきっと、高杉だ。
「それから解放されるのは、今だと思います。」
「…今?」
山崎さんが頷く。
「ここでの時間が、あなたを自由にする。…あの時、夢路屋で副長と過ごした時間が嘘じゃないと言うのなら。」
「…嘘じゃないです。」
それは、はっきり分かる。
十四郎さんと過ごす時間は、私にとって特別な時間…だった。
「なら自分の気持ちに素直になりましょうよ!ここは揚屋じゃないんです、如何なるモノにも拘束される必要ないんですよ!」
「山崎さん…」
「受け入れたいものを受け入れて、信じたい気持ちのままに信じればいいんです!素直に生きればいい!少なくとも副長は、あなたを受け止めるつもりでいますよ!?」
「…。」
他人の事に、これだけ熱くなれるなんて。
『なんで逃げなかったかねェ…』
あんなにも、真剣に考えるなんて。
「…皆さん、十四郎さんのことをお慕いしているんですね。」
ここの人達はみんな、十四郎さんのことが大好きなんだな。
「え!?いやっ……っていうか、皆?他にも誰か同じようなこと言ってました?」
「少し内容は違いますけど、沖田さんが。」
「沖田隊長が!?」
「?」
「…おかしいな。全部は報告してないから、言ったとしたら俺と違う意味で言ってるはずだけど…。…え。だとしたら、なおさら意外!ヤバっ!怖すぎるっ!」
山崎さんが怯えた様子で、自分の身体を抱き締めるように腕を回す。
「あ、あの…大丈夫ですか?」
「あっすみません。というか、ほんとすみません。外野が調子に乗って、好き勝手にベラベラと。」
「いえ…そんなことないですけど。」
「紅涙さん、…しつこいようですが、副長は嘘をつく人じゃないんで。そこだけは分かっててあげてください。」
頭を下げる。
顔を上げると同時に、山崎さんは私に背を向け歩いて行った。
「えっ…」
監視役なのに。
「…、」
…ああ、そうか。あの人はずっと、私にこれを伝えたかったんだ。そのことばかり考えていたせいで、本来の職務とすり変わってしまうほどに。
…じゃあ、今が逃げ出すチャンス?
「…。」
…じゃないよね。
「山崎さんっ、」
私は、少し離れた背中を呼び止める。そして、
「ありがとうございます。」
振り向く彼に、深く頭を下げた。すると慌てて山崎さんが駆け寄る。
「やめてくださいよ、礼なんて!というか何の礼!?」
「私も…十四郎さんのことが好きです。」
「!」
「大好きですよ。」
にこりと笑って伝えれば、
「…そういうことは副長に言ってあげてください。」
山崎さんも顔を赤くして、
「でもありがとうございます。ずっと聞きたかった言葉でした。」