運命26

特別に思う言葉

紅涙にどう話そうか考えていると、

『―――ざきさんっ』

外で話し声が聞こえた。

『―――がとう―――』
『やめてくださいよ、―――て!というか何の礼!?』

あのデカい声は山崎だ。となると、相手の声は紅涙か。
アイツら…いや、山崎の野郎、忘れてんのか?人目を気にしながら行動しろっつってんのに……

『―――』
『…そういうことは副長に言ってあげてください』

一発言ってやらねェと。
―――キィィ…
扉を開けると案の定、少し離れたところで山崎と紅涙の姿があった。

「おい、山―――」

声をかけようとした俺と、

「でもありがとうございます。ずっと聞きたかった言葉でした。」

山崎の声が重なる。
……何の話をしてたんだ?

「山崎。」
「!!っふ、副長!?」
「なに慌ててんだ?」
「っぅえ!?いやっ別にっ…慌ててなんていませんけど!?」

つーか、

「お前さっきから声デケェんだよ!」
「おあァっ!すみませッ」
「だからデカい!」
「十四郎さんも大きいですよね。」
「「!」」

紅涙の一声に、

「…た、確かにな。」

口をつぐんだ。

「副長が大人しく従ってる…!」
「あァァん!?」
「十四郎さん、」
「っ!」

しまった、またデカい声を…。

「山崎さんに優しくしてあげてください。」
「…あァ?」

山崎に…優しくだァ?

「やっやめてくださいよ、紅涙さん!そんなこと言ったらまた副長がっ…!」
「…。」
「…あ、あれ?」

なんでコイツに『優しくしてあげて』なんだ?…この道中に何があった?この二人の接触は今回が初めてのはず。山崎の野郎…一体何を吹き込みやがったんだ?

「…とりあえず中に入れ。」

二人を部屋へ入れる。
―――キィィ…
扉はきっちり閉めた。…そして、

「山崎ィィ~!?」

振り返る。

「ごっ誤解です、副長!」
「誤解されるようなことしてんじゃねェかッ!」
「してませんよ!俺はただっ」
「『ただ』?」
「た…、…ただ……ただァ……、……。」

目をそらす。

「…言えねェことしてんじゃねーかァァ!」
「違いますってばァァッ!!」
「あの、」

紅涙が控えめに外を指さした。

「声、大丈夫なんですか?」
「「っ!」」

…いや、

「俺と山崎の声だけなら、漏れても問題ない。」
「いつも通りですもんね…。」
「『いつも通り』…なんですか?」
「はい、いつも通りです!」
「誇らしげに言ってんじゃねェ。」
―――ゴンッ
「あいたッ!」
「…、」

呆気に取られていた紅涙が、クスクスと笑い出す。その笑顔に、

「…。」

ホッとした。
昨夜の空気を引きずっていたらどうしようかと思っていた。少し紅涙の心が離れちまったような気がしていたが…どうやら心配ないらしい。これなら聴取も…進められるな。

だがその前に、

「山崎に何もされてねェか?」

確認しておかねェと。

「ちょっと副長!?まるで俺がすぐ手を出すタイプみたいな言い方やめてくださいよ!」
「変なこと吹き込まれて、誘導されなかったか?」
「ちょっとォォ~!?」
「うるさい黙れ。紅涙に聞いてんだ。」
「うぐっ」
「え、えっと…されてませんよ?」

だったら何の話をして打ち解けたっつーんだよ。

「そんなに心配していただかなくても大丈夫です。」

俺の気持ちを知ってか知らずか、紅涙が柔らかに微笑む。

「十四郎さんも心配性だったんですね。」
「…別にそういうわけじゃねェけど。」

紅涙だから心配なんだ。……うん?

「『十四郎さんも』?」

『も』って何だよ。

「私の周りにもそういう人がいるんです。いつも気にかけてくれて、いつも私を想ってくれている人。」
「それは…、…。」

恋人か?…聞こうとして、やめた。
遊女と言えど、恋人がいてもおかしくない。もしくは想い人かもしれない。

「…、…そうか。」

…なんで今までいないと思ってたんだ、俺は。

「…紅涙さん、」

押し黙る俺と違い、山崎は声をかけた。

「その人は紅涙さんの恋人ですか?」
「!?」

こ、コイツ…思いっきりストレートに!!

「悪ィな、紅涙。コイツ、デリカシーっつーもんが…」
「いえ…大丈夫です。その人は私の大切な人ですよ、山崎さん。」
「「…。」」

『大切な人』
…そうか。いるんだな、お前をそんな…想うだけで愛しさを溢れさせちまうような相手が。

「十四郎さんと少し似ているかもしれません。」
「…ヘェ。」

詳しく聞かなかった。
聞かなくても充分、その知らない相手に妬いていた。

「…。」
「あ、あのォ…副長、」
「うるせェ黙れ。」
「ええ!?」

なんとも言えない空気が部屋を包む。そこへ、

―――ドンドンドンッ!
「「「!?」」」

荒々しく扉を叩きつける音が驚いた。そして勢いよく扉が開く。

「トシ!!」

近藤さんだ。肩で息をしている。…ただ事じゃない。

「何があった?」
「っ…街にっ、街に攘夷志士が現れたっ!」
「「「!」」」
「しかも主要メンバー全員だ!全員が揃ってやがる!」
「…。」

朝から堂々と街中に現れるとは…どういうつもりだ?

「間違いないのかよ。」
「ああッ。先に行かせた偵察班が顔を確認した!」
「俺も行ってきます!」

山崎が駆け出す。

「…向こうから仕掛けてきたのか?」
「それが…不気味なことに動きはないらしい。帯刀はもちろん、爆発部のような物まで用意していると報告は上がってるが…」
「派手に登場しておきながら、街の中でジッとしてるってのかよ。」
「ああ。…不気味でしかない。」

何考えてやがる…。…誰か待ってんのか?

「…っ!」

まさか…

「…。」

紅涙を見る。
紅涙は眉をひそめ、うつむいていた。その顔は不安げにも見えるし、怯えているようにも見える。

「……、」

もしヤツらの目的が紅涙だとしたら。
取り引きするために、俺達が来るのを待っているのかもしれない。

「…行くしかねェな。」
「!」
「トシ、今現在の配備については――」
「あっあの、」

か細い声で紅涙が割って入る。

「十四郎さんは…行ってどうするんですか?」
「…ヤツらの目的を聞いてくる。どの道、タダで帰す気はねェけどな。」
「っ、戦うって…こと?」
「向こうが抵抗するなら。」
「…、」

うつむく紅涙の手が、固く握られた。それを近藤さんも見ていたのだろう。

「…紅涙さん、」

おもむろに近づき、傍で膝をつく。

「俺達に話したいことはないかい?」

優しく問いかけた。

「キミが話してくれれば、余計な血を流さずに済むかもしれない。」
「っ…、」
「何か知っていることがあるなら教えてくれ。」
「…、」

…今なら、

「…私…は……、…、」

今なら紅涙は話すかもしれないと思った。この流れに怖気付いて、全てを…偽れずに。

「私は…、……何も知りません。」
「…。」

だが紅涙は否定した。

「誰に何度聞かれても、…知らないんです。」
「今、江戸に出没している攘夷志士についても知らない?」
「…その人達が誰なのか聞いていないので…なんとも。」
「確かにそうだね。事前に入ってる情報では、桂を確認したと聞いてる。黒髪で長髪の桂という男に覚えはあるかな?」
「……、…知っています。贔屓に…してくださっていたお客様の一人です。」
「それで?」
「……それだけです。他には何も知りません。」
「彼が攘夷志士であることは知っていたかい?」
「そういう話をしたことはありませんので…。」
「知らなかったと?」
「はい。」
「そう。…でも、桂から頼まれ事をしたことはあるね?」
「……ありません。」

…その答えは不利だ。
紅涙の部屋から手紙が見つかってる。おまけに手紙の筆跡は桂だと判明した。結果、このことについて紅涙は少なくとも嘘をついているということに……

「…ただ、」
「「?」」
「ただ、手紙のような物を忘れて行かれたことはあります。」
「…、」

近藤さんが言葉を詰めた。内心、俺も驚く。
まさかその手で来るとは思ってなかった。
…いや、紅涙の話が事実なのかもしれねェが、あれを忘れ物と言われたら、

「…そうか、話してくれてありがとう。」

これ以上、今は追い込むことが出来ない。

「他に何か桂について思い出したことがあれば、いつでも教えてくれ。」
「…はい。」

紅涙は弱く頷き、

「……本当に…、」

近藤さんを見上げる。その目に、涙を溜めて。

「本当にこんな私の話で……余計な血を流さずに済みますか?」
「…、」
「余計な争いを……っ、せずに済みますか?」
「……ああ。キミが話してくれたことに意味がある。俺達は精一杯、応えるよ。」
「っ…本当に?」

紅涙…、

「お前も相当な心配性じゃねーか。」

紅涙の頭に、ポンと手を置いた。

「人のこと言えねェぞ。」
「十四郎さん…、」
「近藤さんは優しいから直接的な言い方をしてねェが、まだ何がどうなるかなんて分からねェ状況だ。こればっかりは、俺達だけじゃなく相手もある話だから。」
「…、」
「でも分からねェってことは、何も起こらない可能性もあるってことだ。だからまだ心配すんな。無駄になる。」
「十四郎さん…。」
「大丈夫だから。……、」

…俺は今、何を『大丈夫だ』と言った?
紅涙は……どっちの心配をしてるんだ?

「トシ?」
「…あ、ああ。早く配置を考えねェとな。」

余計な悩みは後にしよう。今はやらなければならないことだけに集中しねェと。

「もう隊は出してんのか?」
「出してる。一番隊を筆頭に、二番隊、三番隊を出動させてた。くれぐれもこちらからは手を出すなと伝えてある。」
「助かる。他の隊は周辺警備に当らせよう。街に被害が出ないよう、細心の注意を払いたい。」
「だな。じゃあ俺も――」
「いや、近藤さんは十番隊と残ってくれ。臨時の要請や出動に応じられなくなる。」
「…わかった。」
「基本、十番隊には他の隊が戻るまで屯所で警備させる。何かあったら都度対応。紅涙には原田を付けるから、近藤さんは局長室で待機しててくれ。」
「だが俺も何か――」
「ダメだ。もしアンタが取られたら俺達は路頭に迷っちまう。殿(しんがり)はちゃんと局長室にいてくれ。」
「ぐぬぬ…、」
「わかったな?」
「……わ、わかった。」

俺が一番気がかりなのは、ここ、屯所だ。
なんと言っても紅涙がいる。本当は街の警備を削ってでも厚くしたいところだが、『気に掛けすぎだ』と言われ兼ねない。

…まァ幸いにも既にヤツらは姿を晒してるわけだし、屯所へ向かうような動きがあった時に潰せばいい話だが。

「じゃあ俺は原田を呼んでくる。近藤さんは原田と入れ替わりで、部屋に戻ってくれ。」
「了解だ。」
「…それじゃあな、紅涙。」
「っ、と、十四郎さん!」
「?」
「あのっ…、っ、…、」

何度か唇を開けては、閉じる。不安だの心配だのでグチャグチャになって、上手く言葉にならないのだろう。
俺は馬鹿の一つ覚えみたいに、

「…大丈夫だから。」

そう言って、背を向けた。
言いたいことは山ほどある。だが言えないことも山ほどある。それは…俺だけじゃないと思う。
それでいい。お前は俺が言った通りのことをしている。何も…負い目に感じる必要はないんだ。

「っご、ご武運をっ…!」
「…、」

俺の背に、紅涙の声がぶつかった。
必死に絞り出したみたいな声で、俺の無事を祈る。
…お前が言いたかったのは、それだったのか?

「……、」

今まで色んなヤツらに言われてきた、定型文みたいな薄っぺらい言葉が、

「……ああ、行ってくる。」

俺は初めて聞いた言葉のように、心を震わせた。