運命3

吐き出す男

「よォ、紅涙。」
「…。」

今日部屋に誰が来ているのか、襖を開ける前から分かっていた。廊下まで漏れ出す、この苦手な煙管の匂い。

「…来てくださったんですか、高杉さん。」
「当たり前ェだろ。」

ふらりと来る彼は、あまり夢路屋に顔を出さない人。
あの大戦で銀ちゃんや桂さん達と肩を並べて戦っていた頃が嘘のように、なぜか今は皆と距離を置いている。だから江戸でもあまり姿は見ない。……なのに、

「…、」

今日は来た。

「んなとこでボーッとしてんなよ。」

猪口を片手に、『横に座れ』と顎でさされる。私はうつむき、小さく唇を噛んで部屋に入った。

彼の印象はあまりに強く、苦い。
頭は記憶で上塗りされても、身体が覚えていた。

「…失礼します。」

隣につき、震え出しそうな手を拳にする。
私が出す前から飲んでいた酒を、高杉は再び猪口へなみなみと注いだ。それを眺めていると、

「飲め。」

突きつけられる。
彼が飲む酒は恐ろしく強い。この一杯を飲み切った瞬間に世界は変わってしまうだろう。それを何度か経験しているから余計…飲みたくない。

「どうした、紅涙。」
「…。」
「飲めねェのか?」

『俺の入れた酒が』

そう聞こえる。
…こわい。私はこの人の全てが怖かった。
雰囲気も態度も、全てが他の誰とも違う。私に対する気遣いなんて以ての外、想いや優しさは欠片も感じない。何より、

「どうしたって聞いてんだよ。」
「…っ、」

私を性欲処理の道具として見ている。
当然、仲介役として使われたことなんて一度もない。
この人はただ吐き出しに来るだけ。つまり、単なる客。遊女として私を扱う、唯一の客。

「…、」

だから私は、この酒を飲まなくてはならない。客の酒を断るなど許されない。…けれど、

「…っ…」

どうしても、口に運べない。

「ほう、いい度胸じゃねーか。」
「…すみません。今日は…強いお酒は……ちょっと、」
「なんだ?いつもと様子が違うな、紅涙。…さては昨日誰かに抱かれたか。」
「っ!?っち、違います!」

他の人達にそんな印象を持たないでほしい。私は必死に首を振り、高杉を見た。

「なら飲め。」
「ッ…、…、……わかりました。」

それで信じてもらえるのなら。
震える手で猪口を持ち、そっと口をつけた。顔を上げると、「バカか」と私を笑い捨てる。

「飲みきれ。」
「くっ…、」

揺れる水面を見つめ、

「早く。」
「……ッ、」

意を決し、酒を流し込んだ。
喉がカッと熱くなる。一瞬で酒が皮膚に焼け付くのが分かった。

「ッぁ、っ、ケホっ…」
「不味そうに飲みやがって。失礼な女だな、テメェは。」

楽しそうに目を細める。途端、私の着物を掴んだ。

―――グイッ
「!?」

肌けた胸元が露になる。

「っやッ…!」

咄嗟にずり落ちた着物を引き上げ、身を隠すように背を向けた。その時に肘が座卓にぶつかってしまい、

「あっ…」

徳利を倒してしまった。
まだ中に残っていた酒が容赦なく流れ、畳に染みを作る。

「あーあ、もったいねェ。何やってんだ。」
「っす…すみません…、…お代は…結構ですので。」
「あァ?聞こえねェ、こっち向いて話せ。」

肩を掴まれる。熱い手に、肌が泡立った。

「くくっ、初めてでもあるまい。何を今さら恥ずかしがってんだか。」
「っ…、」
「…なァ、紅涙。」

いつまでも振り向かないでいると、むき出しの首筋に生温かい感触が這った。

「っアッ」

その感覚に思わず背筋を伸ばす。

「忘れたか?何度も抱いてやってんのに。」
「ッ、」

忘れるわけがない。あんな…あんな一方的な扱いをされて、忘れたくても忘れられない。

「そろそろ顔見せろよ。」
「っやめ、ッ!」

肩を掴んで引き倒された。途端に思考が鈍くなる。さっき飲んだ酒のせいだ。

「や、だ…」

もう後がない。覆いかぶさる高杉の顔は、どんどん欲に塗れる。

「いい面してんな。くくっ…ゾクゾクするぜ。」

唇が弧を描いた。

「お前くらいじゃねーか?遊女という肩書きを忘れて、客を思いっきり嫌がる女なんてよォ。」
「っ…」

私の手首を押さえつけ、畳に縫い付けた。

「言いたいこと分かるか?毎日ぬるい環境で甘やかされてるから、こうして俺が刺激を与えに来てやってんだぞ。」

顎を持たれ、無理やり口付けてきた。

「ッゃ…んッ」

顔を背けて唇から解放される。それでも一度触れた唇は、肌からなかなか離れなかった。顎を伝い、首筋を伝い…

―――チュる…
「っあ!」

鎖骨の辺りをキツく吸い上げる。

「っダメ、やめてッ!」

こんなところに痕を残されたら…!
高杉の胸を押す。けれど離れられるわけもなく、

「虫除けだ。お前に悪い虫が付かねェようにな。」

私の顔を見ながら舌なめずりをした。

「しかし紅涙。仮にも遊女なら、ちったァ銀時にも還元してやれよ。生殺しなんて可哀想だろ。」
「!?」

なんで…こんな時に銀ちゃんの話なんて……っ

「あなたと一緒にしないでっ!」
「一緒だろ。俺もアイツも男だ。お前に払ってる金も同じ。」
「っ、」
「銀時もバカだよなァ?初めからカッコつけなきゃ、今頃お前を組み敷けてたっつーのに。何もせずただ酒飲むために遊郭来るたァ、金をドブに捨てるようなもんじゃねーか。」
「っ、もう…っ、もう喋らないで…っ!」

銀ちゃんを頭に描きたくない。高杉といる時に…こんなことをされてる時に、銀ちゃんを思い出したくない。

「早く…っ、…やってください。」
「くく…。お前が望むなら仕方がねェ。」

私の顔を覗き込み、ニヤッと笑んだ。

「仕事の時間だ、紅涙。せいぜいイイ声で啼いてみせろよ?」
「っく、」

この人にどれだけ抵抗しても意味はない。それが分かっていても、毎度私の心と身体は受け入れたくないと言う。

器用に剥がされていく着物が憎い。触れれば反応してしまう身体が憎い。

「っん…や、っぅアッ」
「嫌なわりに、しっかり感じてるじゃねーか。」

楽しそうな高杉が、憎い。

「今日は意識飛ばすんじゃねェぞ。」

憎くて、こわい。

この人はいつもそう。
私を欲望の捌け口にする。
いつも身体を求め、いつも欲を満たそうとする。けれど心は誰にも見せず、見ようとする者の目を焼いてしまう。

まるで灼熱の太陽のよう。
それが、高杉晋助という人。

にいどめ