いつものこと
「ふっ副長!その怪我ッ…」
「構うな。大したことねェよ。」
心配して駆け寄る隊士達を手であしらう。
悪いが、悠長に答えてる暇はない。今は一刻も早く紅涙の元へ向かわねェと…!
「全部隊撤収だ!急ぎ屯所へ戻る!」
屯所が見えたところで、ちょうど門から駆け出てきた山崎と出くわす。
「え、副長!?」
「何かあったのか?」
「いやっ副長の方が何があったんですか!?」
「ヘマしたんでさァ。」
隣に立っていた総悟が鼻先で笑う。
「女にうつつを抜かした顛末、ってね。」
この野郎…
「そんなボーッとしてたんですか!?」
「してねェよ。それよりお前はどこに行こうとしてたんだ。屯所は問題ねェんだろうな?」
「あっ、そのことについて副長に報告しようと…」
報告?まさか…ッ
「何かあったのか!?紅涙は!?」
「ぅえっ!?えっ…と、紅涙さんは無事です。」
「「!」」
無事…?
「いるのか?屯所に。」
「へ?ええ、もちろん。」
「…、」
「ツイてやすね。」
ツイてるのか、別の企みがあるのか。
廃墟を出たアイツらは必ず紅涙を取り返すために攻め入ると思ったんだが…。まァ、ホッとしたのは事実だ。
「あー…、副長。」
「あァ?」
「紅涙さんは無事、なんですけど…」
「なんだよ。」
「原田が……やられました。」
「「!?」」
原田が…
「やっぱり来てやしたか。」
「…。」
「あの、『やっぱり』って?」
「ヤツらの話がそういう内容だったんだよ。」
原田が狙われたのは、紅涙の見張りをしていたせい。となると、なぜ紅涙を屯所に残した…?
「…山崎、原田の容態は?」
「幸いにも命に別状はありません。ただ怪我が酷くて、現在も意識は戻らないままです。」
「そうか…。」
「しかし妙な話と思いやせんか?見張りを潰しておきながら、紅涙は連れ去らなかったなんて。」
「そうなんですよ。実際、倉庫の中にも足跡は残ってたんですけど…」
「…。」
なおさら分からねェ。
アイツらは中へ入ったにも関わらず、紅涙を連れ去らなかった。ということは…
「目的は紅涙じゃなかった、…のか?」
「いえ、おそらく紅涙さんだったと思います。他のどこにも立ち寄らず、あの倉庫だけが目的のようですので。」
「なのに紅涙を連れ去らなかったのか…。」
なんで……
『俺がアイツを引っ張ったところで、どうせすぐに逃げ出す。そうなったら二度手間になるだろうが』
「っ!」
まさか…
『はァ!?だから連れてこなかったってのかよ…ッ!』
『くっ、お前などに行かせず俺が行っておけば今頃っ』
『自分で出なきゃ意味ねェだろ』
まさか……
「…副長?」
「何か気付きやしたか。」
「……山崎、原田をやったのは高杉で間違いないか?」
「え…っはい、そうです!と言っても俺が見たわけじゃなく、紅涙さんからの情報ですが。」
「紅涙からの?」
「ええ。『外を確認に出た原田が高杉に斬られた』と。雨の中、母屋まで教えに来てくれました。」
紅涙が母屋まで……そうか。
「あの、詳しい話は手当てしてからにしません?副長の怪我が気になって気になって…」
「俺のことは気にするな。」
「そんなこと言われましても…」
「土方さん。山崎が言うように、その腕は早いこと処置してもらわねェと本気で腐りますぜ。俺がしたのは単なる応急処置。腕を生かす処置じゃねェんで。」
「……わァったよ。」
総悟に諭されてばかりで腑に落ちないが、正論だ。
「じゃあ俺と沖田隊長は先に局長室で待ってますね!」
「ああ。あとで行く。」
「こっこれは酷い…!」
腕の傷を見た途端、医者が血相を変えて電話を握る。
「今すぐ大きな病院へ行ってください!」
「いい。」
「何言ってるんですか!」
「今デカい病院へ行く暇ねェんだよ。腕が死なねェようにだけ処置してくれればいいから。」
「そう望むなら今すぐにでも大病院へ行ってください!」
「じゃあ適当に処置してくれ。」
ここへ来た以上、何かしらの処置をして出て行かねェと納得しねェだろうからな。
「何言ってるんですか!あなたの怪我は神経を触っているかもしれない大怪我なんです!腕が心配なら、ただちに精密検査を」
「今は無理だっつってんだろ。時間が出来れば必ず行く。早く処置してくれ。」
「くっ…、」
「…。」
「……っ、」
「……そうかよ。」
立ち上がった。
「わかった、もういい。」
「っえ!?」
「時間の無駄だ。処置は諦める。」
「ちょっ、ちょっと待ってください!…わかりました。ただし大病院には話をつけておきますので、必ず行ってくださいよ?」
「わかってる。」
「……絶対ですからね。」
医者は不満げに顔を歪めながら処置を始めた。
患部の消毒と簡単な縫合。苦肉の策で、傷口に触れないようギプスも巻いた。
「では三角巾を首に掛けて…」
「あー、いらねェ。」
「しかしそのままだと患部に当たってしまう可能性がっ」
「気を付けりゃいいんだろ?ありがとな。」
「あっ、ッ必ず病院に行ってくださいよ!?」
「待たせたな。」
局長室の障子を開けると、
「大変だったな、トシ。」
部屋の主である近藤さんだけが座っていた。
「山崎と総悟は?」
「山崎は紅涙さんの見張りに行かせた。総悟は部屋へ戻してる。」
「部屋に?」
「ああ。アイツも紅涙さんの見張りに行くと言ったんだが、少し休ませた方がいいと思ってな。」
「…、」
そうだな。
「総悟も浅いなりに怪我をしてる。医務室に行くよう言わねェとな。」
「桂とやり合ったんだろ?ひと通り聞いたぞ。お前の怪我は大丈夫なのか?」
「問題ない。…と言っても、しばらく迷惑かけちまうが。」
「構わんさ。俺に出来ることがあれば言ってくれ。」
「助かる。」
左手で灰皿を引き寄せた。
「で、原田がやられた件だが。」
左手で煙草を取り出し、口に咥える。一旦煙草の箱を置いて、再び左手でライターを取り出し、火をつけた。
……不便だ。不便だがマヨライターのおかげで火はつけやすい。
「原田がやられたことを紅涙が伝えに来たって?」
「ああ…面目ない。あの時は雨が強くて、ろくに周りの音にも気付けなかった。彼女が来てくれなければ、発見までもっと時間を要していたはずだ。」
雨か…、そういや降ってたな。
「トシからも礼を言っておいてくれ。トシの言葉なら紅涙さんの耳にも届くだろう。」
「…どういう意味だ?」
「こちらから礼を言っても伝わらんのだ。ほら、彼女には『くれぐれも他の隊士の目に触れないように』と口うるさく言っていただろ?だから母屋まで来てしまったことを悔いて、口を開けば謝罪ばかりでな。」
…なるほど。
「原田のことを教えに来てくれた時は、全身ずぶ濡れになりながら庭へ回り込んで来てくれたんだが、『中へ入ってくれ』と言っても上がらんし、それどころか庭先で『申し訳ない』と土下座までする始末。」
「土下座…?」
雨の中で…?
「そうだぞ。雨に濡れるわ、着物は泥だらけだわで、もうグチャグチャだった。さすがに風呂には入ってもらったが、そこでもまた『申し訳ありません』と来る。」
「…だろうな。」
謝る紅涙が目に浮かぶ。
しかし雨の中で土下座するとは…。
そこまで罪の意識を感じることじゃないだろうに。
紅涙の行動は、あくまで原田を助けるための行い。土下座するほど罪悪感を抱くことではないと考えそうなものだが…、俺達が言い過ぎたせいでそうまで思ったのか?
「…あのな、トシ。」
「ん?」
「一つ、気になることがあるんだが。」
神妙な顔つきで、近藤さんが机の上に出した自分の手を見つめる。
「その……、…。」
「なんだよ、どうした?」
「紅涙さん…大丈夫だったんだろうか。」
「…『大丈夫』とは?」
「部屋の中に泥のついた足跡があったんだ。高杉は原田を襲った後、確実に中へ侵入している。だが彼女に何があったか聞いても、『何もなかった』の一点張りで…。」
「…。」
それは…確かにおかしい。そんな状況で何もないわけがない。
少なからず話はしているはずだ。つまり何かがあったはずなんだ。なのに、『何もなかった』と嘘を吐いたのか?
母屋へ来たことには、とてつもない罪悪感を抱いておきながら…そういう嘘は吐くのか?
「あと、紅涙さんの手首にはアザがあったか?」
「…アザ?」
「ああ。さっき見た時、まだ新しいアザが手首にあった。」
思い起こしてみる。
「……いや、ねェだろ。どんなアザだった?」
「手首を巻くように入っていたな。紐などで縛ったというより、こう…誰かに掴まれたような痕に見えた。」
誰かって…
「つまりは…高杉か。」
「そう思う。」
「…。」
紅涙の身に何があった?高杉と一体…何が……、…、
「…近藤さん、他に紅涙の様子で変わったところはなかったか?」
「いや…ないと思う。」
「そうか。」
俺はまだ長い煙草を灰皿に押し付け、立ち上がった。
…もし。
もし俺の読みが当たっていたら、…紅涙は。
―――コンコン…
「入るぞ。」
声を掛け、扉を開けた。開けて早々、山崎が駆け寄ってくる。
「副長っ、大丈夫なんですか!?ってギプスゥゥ~!?」
「触んねェようにするためだ。山崎、ここは代わるからお前は戻れ。」
「え!?でもそんな身体なのに…」
「大丈夫だ。バカにすんじゃねーよ。」
「いっいえ、そんなつもりは」
「わかったから。もう行け。」
アゴで外をさす。山崎は渋々、「わかりました」と部屋を後にした。
「…。」
「…、」
静寂が部屋を包む。まるで俺しかいないみてェに。
部屋の奥にいる紅涙とは、まだ目が合わなかった。
「…ただいま、紅涙。」
声を掛けながら、歩み寄る。
直後、紅涙が一瞬だけ肩を震わせた。
「…。」
嫌な予感が現実味を増す。
「…ぁ、十四郎さん…。…お帰り…なさい…、」
顔を上げ、弱々しく微笑んだ。
けれどすぐに俺の腕に目を留め、
「そっ…その怪我…」
眉を八の字に寄せる。
「大したもんじゃねェよ。」
「でも…ギプス…」
「折れてない。言っただろ?傷口を触らねェためだ。」
「…、」
「心配ねェって。」
なんでお前が泣きそうなんだよ。
俺は小さく笑い、紅涙の頭に手を置いた。…が、
「っ、」
紅涙はギュッと目を閉じ、身体を縮こまらせる。叩かれる前のガキみてェに。…いや、襲われた後の被害者のように。
「…紅涙。」
「……はい。」
「何があった?」
「…、」
紅涙は畳を見たまま、
「何の…話ですか?」
口を動かす。…外堀から埋めるしかない。
「原田が斬られた現場を見たか?」
「っ…、」
…見たんだな。
「やったのは高杉だと聞いてる。」
「っ、…はい。」
「高杉に何をされた?」
「…私は……何…も…。」
眉間に皺を寄せ、首を左右に振った。
「何も……されていません。」
「じゃあこれは?」
紅涙の手首を掴む。途端、
「ゃッ…!」
小さな声を上げ、引っ込めようとした。
…が、遅い。掴んだ時点で、手首のアザは丸見えだ。
「これは俺が出て行く時にはなかった。」
「…、」
「高杉だな?」
「違っ…、」
「脅されたのか?」
「っ、放してっ…!」
腕を引き抜こうと身体をよじる。
「紅涙、言え。」
「やだっ、」
「なんで嫌なんだよ、高杉を守って何になる!」
「守ってなんかないっ!」
「じゃあ言えるだろ!?」
「やだっ、っ、放して!!」
ひときわ大きく暴れた時、紅涙の着物が少し着崩れた。首元までピッチリ締めていたのに、襟ぐりが広がって、胸元にたるみが出来る。やや高い位置から見下ろしていた俺の目には、
「…お前…、」
しっかり、見えてしまった。
「それ…何だよ…、」
赤く鬱血した、歯型が。
「っ!?」
気付かれたとばかりに、紅涙が胸元を握り締める。俺の手からも、力が抜けた。
「歯型って…」
あんなところに…歯型…なんて……ッ
「…の野郎ォォォォッ!!」
アイツらッ、紅涙が大事じゃねェのか!?体張ってまで取り返したい女だろ!?なのにこんな…ッ、ここまで攻め込んでおきながら、こんなことだけはして行くのかよ…ッ!!
「とっ、十四郎さん!!」
「!」
紅涙の手が、頬に触れる。その体温にハッとした。
「私は、大丈夫です。」
…何がだよ。
「何が大丈夫なんだよ…!そんなことされて…そんな傷ついた顔してんのに何がッ」
「これは今日だけに限ったことではありません。」
「!」
「だから、平気です。」
紅涙は、今までに見たことがないほど…
「いつもの…ことなんです。」
悲しくて、苦い笑みを浮かべた。
「……クソ…っ、」
この先に踏み込めない。
紅涙とアイツらの過去を暴くことは、紅涙の傷をえぐることにも等しい。
「……クソッ!!」
行き場のない苛立ちが、身体の中で渦巻く。
「ぁッ、十四郎さんっ、血が!!」
悲壮な顔の紅涙が俺の手元を見ていた。促されるように見れば、ギプスに血が滲んでいる。力を入れちまったせいだが…どうでもいい。紅涙の傷に比べたら、痛くも痒くもない。
「…紅涙ッ、」
「!」
目の前にある身体を左手で抱き寄せた。ビクッと小さく震える紅涙に、
「すまねェ…ッ、」
謝る。
こういう時、本当は触れない方がいいんだろう。でも紅涙の傍に俺がいることを知ってほしくて…抱き締めた。
……いや、これは自分勝手な言い分だ。
俺は紅涙を護れなかった。傍にいても、護ってやれなかった。
「…十四郎さん、」
強ばっていた紅涙の肩から力が抜ける。
「……謝らないでください、」
俺の背中へ手を回し、ギュッと抱き締める。胸元に顔を埋め、
「悪いのは……私なんですよ。」