運命32

忘れられない関係

悪いのは私。
私がこんなところにいるから。私が…皆を困らせているから。

だから、

「謝らないでください、十四郎さん。」

あなたがそんな顔をして、謝ることじゃない。

「…なんでだよ、」
「?」
「なんで紅涙が悪いんだ?」
「…。」

十四郎さんの背中から手を放す。
目の前にある胸を押して…言葉を探しながら顔を上げた。

「私は、たくさんの人に迷惑をかけました。夢路屋にも…あの人達にも。」

皆の足を引っ張った。
今回に限った話じゃない。銀ちゃん達に助けてもらったあの日から、私はずっと足を引っ張っている。私という余計な人間を…背負わせてしまっている。

「だから…あんな扱いを受けて当然なんです。」

「…わかんねェ。」
「…、」
「なんでそういう話になるんだ?アイツらの行動はアイツらの責任だ。紅涙に八つ当たりするようなことじゃ―――」
「八つ当たりなんてされていません。」
「…、」
「……もうやめませんか?この話。」

納得いかない表情をする十四郎さんに、私は困り顔で小さく笑った。

…優しい人。
私は攘夷志士の仲介容疑をかけられた被疑者。実際、容疑通りのこともしている。そんな私をこうまで護ろうとしてくれて……本当に、優しい人。

「……私は、」

私はそんなあなたが、

「出逢った時から…十四郎さんには何も期待していませんよ。」
「!」

…大好き。

「あなたが真選組であろうとなかろうと…」

大好きです。

「ただの客の一人でした。」
「紅涙…、」

傷つく顔は見たくなかった。
こんなことも…口にはしたくなかった。

「…お忘れかもしれませんが、私は遊女です。ああいうことには慣れていますし、高杉さんにおいては昔からあんな人でした。」

そう…何も変わらない。
だから今さら心に深い傷が残るわけでもない。ただ少しいつものように苦しんで、時間が経てば乗り越えられる…はず。

「私には…これが日常なんです。」

十四郎さんは、私の日常を少し垣間見ただけ。

「…。」
「わかっていただけましたか?私を護るなんて考え方自体、おかしな話でしょう?」
「…、…それでも、」

十四郎さんはギュッと眉間にシワを作り、私を真っ直ぐに見た。

「それでも俺は、紅涙を護りたい。」
「!」
「俺が紅涙の日常ごと護ってやるよ。」
「…、」

言葉を失った。
たくさん理由をつけて、たくさんの言葉で壁を作っても、十四郎さんは簡単に壊してしまう。

「私とあなたでは…立場が違いすぎます。」
「わかってる。」
「私は、あなたのような人達に護ってもらう価値なんて…欠片もない人間なんです。」
「…そんな言い方すんなよ。」

小さく鼻で笑われる。

「少なくとも俺にとってのお前は、充分すぎるほどの価値がある。」
「っ…」

…あなたなら、

「これだけ言っても護らせてくれねェのか?」
「……、」

十四郎さんとなら……
『…紅涙。すぐには無理だけど、金貯めてお前のことを自由にしてやるから』
「ッ!」
『わしは、おまんのことも好きじゃ』
『そのような顔をするな。お前の存在に俺達は十分助けられている。ここに来て紅涙と会うだけで救われるものもあるのだ』
…私には、忘れてはいけない人達がいる。忘れてはいけない恩が山ほどある。忘れてはいけない……
『これ以上の迷惑は許さねェぞ。出来なかったらテメェの命で償わせる』
…約束がある。
今の私には、想いよりも成さなければならないことがある。
『銀時に悪いと思うなら手柄を立てろ。今後ヤツらは四六時中、帯刀するようになるはずだ。隙を見て見張りの刀を奪い、そいつを殺してこい』

それが出来ようと出来まいと。
私は高杉との約束を、成さなければならない。

「私は…これからもあの場所で生きていきます。」

これ以上優しくしないで。
私を護るだなんて……二度と口にしないで。

「ごめんなさい、…十四郎さん。」
「……、…そうか。」

浅く溜め息を吐き、立ち上がった。机がある方へ向かい、灰皿を引き寄せて腰を下ろす。

「うまくいかねェな…。」

煙草の箱を取り出しながら、溜め息まじりに呟いた。
口で煙草の箱から一本引き抜くと、いつかにも見たマヨネーズ型のライターで火をつける。が、

―――カタンッ
「チッ…、」

着火前に落としてしまった。
何度かそれを繰り返し、舌打ちする。何気なく見ていたけれど、赤く滲むギプスが目に入ってようやく気付いた。

「…、」

そうだ、利き腕が使えないんだ。
私は十四郎さんの傍へ歩み寄り、黙って隣に腰を下ろした。ギョッとした視線を受けながらも、机の上に転がっていたライターを手に取る。

「どうぞ。」

火をつけ、その口元へ近づけた。

「……、」
「どうされました?」

なかなか火をつけない十四郎さんを窺い見る。十四郎さんは何か言いたげな目をしていたけれど、

「…。」

静かに煙草を近づけた。
ジュッと小さな音が鳴り、煙草の先端が赤く灯る。息を吸い、私を避けるように吐き出された吐息は白い煙となって霞がかった。

「…、」

綺麗な顔。
この人は、間違いなく美しい。
外見だけでなく、深く知らない私でさえ、よどみなく真っ直ぐな強さを感じる。こんな人に想ってもらえたなんて……幸せだ。

「十四郎さ…」

そこまで言って、ハッとした。
呼ぶつもりはなかったのに、つい見惚れて口に出た。

「…なんだ?」
「い、いえ……なんでも。」

視線をさ迷わせ、うつむく。すると十四郎さんが煙草の灰を灰皿にトンッと落とした。

「…紅涙、」
「?」

そっと顔を上げる。

「…。」
「…、」

呼んだのに、十四郎さんは何も話さなかった。ただ私を見つめる。何も言わず、見つめるだけ。

「……、」
「…。」

僅かな沈黙が何十分にも感じた。
十四郎さんの眼を見ていると、胸が苦しい。思わず胸に手を添えようとした時、十四郎さんの視線が移動した。見つめ続けていた私の眼から…私の唇へ。

「…、」

ゆっくり近付く。
縮む距離の先を理解して、私はそっと目を閉じた。

「…。」

軽く触れ合う唇。
それだけなのに身体が熱くなって、熱を逃がすように細く息を吐いた。再び視線が絡んだ時、

「これも…遊女だからいいのかよ。」

十四郎さんが苦しそうに告げる。

「……そうですよ。」

小さく痛む胸を隠して、私は十四郎さんに微笑んだ。