忘れられない関係
私がこんなところにいるから。私が…皆を困らせているから。
だから、
「謝らないでください、十四郎さん。」
あなたがそんな顔をして、謝ることじゃない。
「…なんでだよ、」
「?」
「なんで紅涙が悪いんだ?」
「…。」
十四郎さんの背中から手を放す。
目の前にある胸を押して…言葉を探しながら顔を上げた。
「私は、たくさんの人に迷惑をかけました。夢路屋にも…あの人達にも。」
皆の足を引っ張った。
今回に限った話じゃない。銀ちゃん達に助けてもらったあの日から、私はずっと足を引っ張っている。私という余計な人間を…背負わせてしまっている。
「だから…あんな扱いを受けて当然なんです。」
「…わかんねェ。」
「…、」
「なんでそういう話になるんだ?アイツらの行動はアイツらの責任だ。紅涙に八つ当たりするようなことじゃ―――」
「八つ当たりなんてされていません。」
「…、」
「……もうやめませんか?この話。」
納得いかない表情をする十四郎さんに、私は困り顔で小さく笑った。
…優しい人。
私は攘夷志士の仲介容疑をかけられた被疑者。実際、容疑通りのこともしている。そんな私をこうまで護ろうとしてくれて……本当に、優しい人。
「……私は、」
私はそんなあなたが、
「出逢った時から…十四郎さんには何も期待していませんよ。」
「!」
…大好き。
「あなたが真選組であろうとなかろうと…」
大好きです。
「ただの客の一人でした。」
「紅涙…、」
傷つく顔は見たくなかった。
こんなことも…口にはしたくなかった。
「…お忘れかもしれませんが、私は遊女です。ああいうことには慣れていますし、高杉さんにおいては昔からあんな人でした。」
そう…何も変わらない。
だから今さら心に深い傷が残るわけでもない。ただ少しいつものように苦しんで、時間が経てば乗り越えられる…はず。
「私には…これが日常なんです。」
十四郎さんは、私の日常を少し垣間見ただけ。
「…。」
「わかっていただけましたか?私を護るなんて考え方自体、おかしな話でしょう?」
「…、…それでも、」
十四郎さんはギュッと眉間にシワを作り、私を真っ直ぐに見た。
「それでも俺は、紅涙を護りたい。」
「!」
「俺が紅涙の日常ごと護ってやるよ。」
「…、」
言葉を失った。
たくさん理由をつけて、たくさんの言葉で壁を作っても、十四郎さんは簡単に壊してしまう。
「私とあなたでは…立場が違いすぎます。」
「わかってる。」
「私は、あなたのような人達に護ってもらう価値なんて…欠片もない人間なんです。」
「…そんな言い方すんなよ。」
小さく鼻で笑われる。
「少なくとも俺にとってのお前は、充分すぎるほどの価値がある。」
「っ…」
…あなたなら、
「これだけ言っても護らせてくれねェのか?」
「……、」
『そのような顔をするな。お前の存在に俺達は十分助けられている。ここに来て紅涙と会うだけで救われるものもあるのだ』
今の私には、想いよりも成さなければならないことがある。
それが出来ようと出来まいと。
私は高杉との約束を、成さなければならない。
「私は…これからもあの場所で生きていきます。」
これ以上優しくしないで。
私を護るだなんて……二度と口にしないで。
「ごめんなさい、…十四郎さん。」
「……、…そうか。」
浅く溜め息を吐き、立ち上がった。机がある方へ向かい、灰皿を引き寄せて腰を下ろす。
「うまくいかねェな…。」
煙草の箱を取り出しながら、溜め息まじりに呟いた。
口で煙草の箱から一本引き抜くと、いつかにも見たマヨネーズ型のライターで火をつける。が、
―――カタンッ
「チッ…、」
着火前に落としてしまった。
何度かそれを繰り返し、舌打ちする。何気なく見ていたけれど、赤く滲むギプスが目に入ってようやく気付いた。
「…、」
そうだ、利き腕が使えないんだ。
私は十四郎さんの傍へ歩み寄り、黙って隣に腰を下ろした。ギョッとした視線を受けながらも、机の上に転がっていたライターを手に取る。
「どうぞ。」
火をつけ、その口元へ近づけた。
「……、」
「どうされました?」
なかなか火をつけない十四郎さんを窺い見る。十四郎さんは何か言いたげな目をしていたけれど、
「…。」
静かに煙草を近づけた。
ジュッと小さな音が鳴り、煙草の先端が赤く灯る。息を吸い、私を避けるように吐き出された吐息は白い煙となって霞がかった。
「…、」
綺麗な顔。
この人は、間違いなく美しい。
外見だけでなく、深く知らない私でさえ、よどみなく真っ直ぐな強さを感じる。こんな人に想ってもらえたなんて……幸せだ。
「十四郎さ…」
そこまで言って、ハッとした。
呼ぶつもりはなかったのに、つい見惚れて口に出た。
「…なんだ?」
「い、いえ……なんでも。」
視線をさ迷わせ、うつむく。すると十四郎さんが煙草の灰を灰皿にトンッと落とした。
「…紅涙、」
「?」
そっと顔を上げる。
「…。」
「…、」
呼んだのに、十四郎さんは何も話さなかった。ただ私を見つめる。何も言わず、見つめるだけ。
「……、」
「…。」
僅かな沈黙が何十分にも感じた。
十四郎さんの眼を見ていると、胸が苦しい。思わず胸に手を添えようとした時、十四郎さんの視線が移動した。見つめ続けていた私の眼から…私の唇へ。
「…、」
ゆっくり近付く。
縮む距離の先を理解して、私はそっと目を閉じた。
「…。」
軽く触れ合う唇。
それだけなのに身体が熱くなって、熱を逃がすように細く息を吐いた。再び視線が絡んだ時、
「これも…遊女だからいいのかよ。」
十四郎さんが苦しそうに告げる。
「……そうですよ。」