運命33

彼の鞘と腕+赤く光る刃+待人のために

キスを最後に、私達の間には溝が出来た。

十四郎さんは黙り込んで煙草を吸い、
私はすることもなく、ただ座って、時折部屋の小窓から空を見上げる。
すっかり暗くなった夜空には、雨の後とは思えぬほど綺麗な月が浮かんでいた。

「…、」

夜がふけていく。
何もしなくても、時は過ぎていく。

『今夜、そこの窓から見える位置に狼煙を上げる。夜が明けるまでに終わらせろ。証拠として首も忘れるなよ』

「……、」

『土方あたりがいいんじゃねーか?』

「…。」

あの窓に狼煙が上がる頃、私は……

―――ガシャンッ
「!?」

大きな音と共に、床が小さく揺れた。驚いて音のした方を見ると、

「うっ…」
「十四郎さん!?」

十四郎さんが横たわっている。

「どうしたんですか!?」

背中を丸め、キツく眉を寄せて苦しそうだ。

「な…なんでもない。」
「でもっ」
「…腕が、」
「腕が痛いんですか!?」
「……腕が使えねェのを忘れて…倒れ込んじまっただけだ。」
「あ…」

見れば、怪我をしている右腕が自身の身体の下敷きになっている。
さらにはその下に鞘があり、刀の上へ倒れてしまったことで大きな音が鳴ったらしい。

「寝転ぼうとしたんだが…つい利き腕を使おうとしちまってな。」
「そ…そうだったんですか。…大丈夫ですか?」
「ああ…。」

身体の下から刀を引き抜く。それを傍へ置くと、ゴロンと仰向けになった。

「はァ…、…嫌になる。」

溜め息を吐いた後、左腕で目元を覆った。

「怪我はしちまうし、原田は負傷させちまうし…いつまで経っても……頭は回らねェし……、」
「十四郎さん…」
「これじゃあ副長の座も……本気で返上させられちまうな…。」
「…、」
「あー…呼びたくねェなァ…アイツを……副長……なんて………」
「…『アイツ』とはどなたですか?」
「…」
「?」
「……スゥ…」

あれ…?この感じ、もしかして…。

「…、」

そっと十四郎さんの顔を覗き込む。目元は腕に隠れて分からないけど、

「スゥ…、…、…スゥ…、」

規則正しい寝息が聞こえた。

「……お疲れです。」

今日はきっと、いつも以上に疲れたはず。
頭を使って、戦って、怪我をして…。
思えばこの怪我も私のせい。もしここに私がいなければ、銀ちゃん達と真選組が争うこともなかった。

「…。」

銀ちゃん…。
銀ちゃん達も、怪我をしたのかな。…今どこにいるの?

「…、」

小窓を見上げる。すると、

「ぁっ…、」

先程まで見えていた月が雲隠れし、代わりのように細く夜空へ昇る煙が見えた。

「あれは…、…、」

狼煙。
事を起こせと、高杉が言っている。

『楽しみにしてるぞ。…銀時のこと、忘れてやるなよ』

…これは、私が撒いた種。
私がやらなきゃ。
銀ちゃん達のために、私がやらなきゃ。

「…。」

十四郎さんを見た。変わらず寝息を立てている。
もしかしたら本当は昨日のように起きているのかもしれない。
けれど日を改めることは…もう出来ない。たとえ起きていたとしても……やるしかない。

「…スゥ…」
「…、」

成せなかった時は逮捕か死か。
願わくば、最期は十四郎さんの手でありますように。

「……」

恐る恐る、傍に置かれた刀へ手を伸ばした。
音が鳴らないよう慎重に、そっと握り締める。引き寄せようとした時、

「どうする気だ?」
「ッ!?」

十四郎さんの声に心臓が跳ねた。と同時に、

―――ガシャンッ!

刀が落ちる。
ゆっくり顔を向けると、十四郎さんは先程と変わりない姿勢でいた。が、目が合う。左腕で隠した目元が半分だけズラされ、片目で私を見ている。

「俺の刀を何に使うつもりだ?」
「っ…、」

言えない。
…いや、言う必要なんてない。やるしかないんだから、言葉なんて無意味。やるか、やられるか。…それだけ。

「…お借りします。」

これが必要なんです。

「だから何に使うんだよ。」
「…じきに分かります。」

私は再び刀へ手を伸ばし、それを握った。そんな私の手を、

「理由を言え。」

起き上がった十四郎さんが掴む。

「刀が必要な理由を、俺の目を見て話せ。」
「…っ、……放してください。」
「話に納得したら放してやる。」
「…行動で示します。」
「先に説明しろ。動くより話す方が早ェだろうが。」
「……言いたくありません。」

自分の成そうとしていることに、

「お願いっ…、放してっ!」

これ以上、向き合いたくない。

「何に使う気なんだよ。」
「放して!」

ひときわ強く引っ張った時、
―――チャキッ…
鞘から僅かに刀身が出た。
鈍く銀色に光る刃。それと…赤黒い汚れ。

「っ!?」

思わず刀から目をそらした。
もしかして…血?
……当然だ、さっきまで争っていたんだから。…じゃあ、じゃあの血は…銀ちゃん達の……

「ッ、」

何かが背筋を這い上がる。
怖い。気持ち悪い。…恐い。
今から似たようなことをするというのに、頭で分かっていたつもりだったのに、目で見た瞬間どうしようもない怖さを感じた。

「…紅涙、」

十四郎さんは薄く溜め息を吐き、

「っあ…」

私から刀を奪って畳の上へ置く。

「理由を言え。」
「っ…。」
「言えねェのか?それとも言いたくねェのか。」
「…、」

私は首を振り、

「…どちらもです。」

うつむいたまま返事をした。十四郎さんはまた一つ溜め息を吐く。

「なんで言えねェんだよ。ここから逃げるためだろ?」

えっ…

「どうして…」
「刀を必要とする理由なんてそれくらいしかねェだろ。まァ刀を持って逃げたところで、屯所から出られるとは思えねェがな。」
「……わかってます。」

それでも、

「…十四郎さんに止められることも、想定していました。」

それでも私は、

「刀を…貸してください。」

行動しなければならない。

「私には…やらなければいけないことがあるんです。」
「やらなきゃならねェこと?」
「…。」
「…どうやらここを出るだけが目的じゃねェみたいだな。」
「…、」
「紅涙、それは自分のためか?」

…私を助けようとしてくれている人のため。私を待ってくれている人達のため。

……違う、

「…はい。」

私のためだ。

「…そうか。」

十四郎さんは鼻先で笑い、目を伏せた。そして刀を握ると、

「ほらよ。」

私に刀を差し出す。

「…いいんですか?」
「借りるってことは、返しに来るってことだろ?」
「……、」
「…そういう時は嘘でも頷くもんだろ。」
「っ…す…すみません。」

小さく頭を下げ、

「…お借りします。」

刀へ手を伸ばした。
すると十四郎さんがサッと遠ざける。

「え…?」

貸してくれるんじゃないの?
首を傾げた時、

―――グッ…

突然腕を掴まれ、強く引っ張られた。

「ッ!?」

私の身体は十四郎さんを押し倒すようにして傾き、

―――ドンッ
「うっ、」
「っ十四郎さん!?」

二人して畳へ転がる。十四郎さんの上へ倒れ込んでしまった。

「っご、ごめんなさい!」

飛び起きようとすると、今度は右肩を掴まれた。何事かと思っていれば、

「腹の上に座れ。」

真剣な顔をして、そんなことを言う。

「…え?」

腹の…上?

「タダで出してやるわけねェだろ。」
「だ、だからってどうして十四郎さんのお腹の上に…」
「いいから。出たいんだろ?何をしてでも。」
「っ…、」

まさか…高杉みたいな関係を求める?
……ううん、そんなことない。十四郎さんだもの。何を考えているかは分からないけれど、

「……わかりました。」

私は着物の裾を少し崩し、言われた通り十四郎さんの腹部へまたがった。

「重くないですか…?」
「今から脱走するヤツが言うことかよ。ここを出る気なら情なんて捨てろ。」
「…、」

目を伏せる。
十四郎さんは小さく笑って、左手で刀を手繰り寄せた。そして寝転んだまま、それを私に差し出す。

「持て。」

言われるがまま刀を持った。

「違う。そこじゃなくて、柄(つか)の部分。」
「『つか』…?…ここですか?」
「そうだ。」

紐を巻き付けられた、刀を握る際に掴む場所。

「しっかり持ってろよ。」
「は、はい…、」

ギュッと力をこめる。
それを確認して、十四郎さんは鞘を抜いた。

「えっ…?」

途端、ズシッとした重みが手首まで響く。慌てて両手で握り締めた。

「と…十四郎さん?」

剥き出しになる、赤黒く汚れた刃。
十四郎さんは引き抜いた鞘を畳へ放り投げた。

「柄頭を持ちすぎるなよ。適当に握っても刺した時に滑る。」
「あ、あの…」
「だからと言って強く握り締めちまうのもダメだぞ。…まァ突き刺すだけなら問題ねェが。」
「十四郎さん…?」
「斬るなら喉にしろ。どんな斬り方をしても、ほぼ失血死する。」

そう話しながら、自身の喉を指さす。
困惑する私に、十四郎さんは自嘲した。

「ここを出るのは、俺をやってからだ。」

なっ…

「なに…言ってるんですか…!?」

確かにそれは私が成さねばならないこと。
…だけど、

「やれって…そんな……」

だけどまさか、本人に言われるなんて。

「出来ないなら出してやれねェぞ。」
「で…でもっ…」

止められると思っていた。
抵抗されると思っていた。
その末に私が斬られて終えるかもしれないと…心のどこかで覚悟していた。なのに……

「お前の脱走を俺が見逃すのは簡単だ。だがそうして自由を得ても、お前に居場所はない。真っ直ぐ夢路屋に戻ってみろ。じきに真選組が来る。」
「…、」
「だがここで俺をやって行けば話は別だ。お前はアイツらに貸しを作り、アイツらの保護下に入る。」

『貸し』?『保護下』?その前に…

「『アイツら』って…?」
「とぼけんなよ。今大事なのはそこじゃねェ。」
「…、……どうして…貸しを作れるなんて思うんですか?」
「俺は生死不明とされていた白夜叉の目撃者どころか、刃を交えた相手だ。アイツらにとっちゃ口封じしたくてたまらねェはず。」

『白夜叉』
銀ちゃん…。

「おまけに俺は真選組の副長だからな。『お前らのためにアイツを潰してきた』とでも言ってやりゃ、大事にしてもらえるだろうよ。」
「じゃあ…、…じゃあ十四郎さんは……私のために斬れと…」
「……違う。自分のためだ。」

浅く息を吐きながら、

「綺麗事を並べちゃいるが、全部自分のためでしかない。」

ゆっくりと目を閉じた。

「人間そんなもんだろ?誰かのためと口にしながら、回り回って自分を満たそうとしてる。」
「…、」
「上等じゃねーか。相手にもちゃんとメリットがあるなら、そいつは十分な大義名分だ。」

十四郎さん…。

「俺は結局、肩書きよりテメェの心情を優先した馬鹿野郎なんだ。だから、」

刀を掴む私の手に、そっと自分の左手を重ねた。

「…行ってくれ、紅涙。」

刀ごと強く握り、私に微笑んだ。

「俺をやって、『ここを出たい』というお前の願いを叶えろ。」
「…っ…」

刀が小刻みにカタカタと揺れている。
十四郎さんじゃない。私の身体が震えていた。迫る瞬間を感じて、

「っ…、…っ」

十四郎さんから目をそらすことさえ出来ない。

「幸せになれよ。」
「っ、!」

どうして…
どうして…こんなことになってしまったの……?

この人を斬らなければならないなんて…
この人を…私の手で……斬り殺さなければならないなんて……

本当に出来る?

「……っ、出来ないっ…、」
「紅涙…、」
「…私には…ッ、…あなたを斬ることなんて出来ませんっ…!」

ギュッと目を閉じれば、銀ちゃんが見える。桂さんや坂本さんも。…高杉だけ、私に刀を向けているように見えた。

「…出来るはずだろ、紅涙。」

十四郎さんの左手が、今一度、私の手をギュッと包み込んだ。

「お前を待ってるヤツがいるんじゃねーのか?」
「…っ…、」
「護りたいもの、あるんだろ?」
「ッ……あります、っ…だけど」
「だったら出来る。」

優しい眼差しで頷き、

「行け、紅涙。」

十四郎さんは、

「つらくても、これがお前の人生で…俺達の運命なんだ。」

私から手を放し、

「やれ。」

目を閉じた。