運命34

彼女の拒絶+ありたい姿+心の中

ああも俺が冷静に話せたのは、口さえ動かしていれば、自分の気持ちを紛らわすことが出来たからだ。

「柄頭を持ちすぎるなよ。適当に握っても刺した時に滑るだけだ。」
「あ、あの…」
「だからと言って強く握り締めちまうのもダメだ。…まァ突き刺すだけなら問題ねェがな。」
「十四郎さん…?」
「斬るなら喉がいい。どんな斬り方をしても、ほぼ失血死になる。」

頭で考えるよりも先に、言葉が湧いて出てきた。

しかしまさか、こんなことになるとは。

目の前の刃を見ながら思う。
紅涙を腹に乗せて正解だった。
これなら避けようがないし、今は利き手も不自由。反射的に行動しちまうようなこともない。…大丈夫だ。

「行け、紅涙。」

行かないでくれ。
…いや、行ってくれ。

「つらくても、これがお前の人生で…俺達の運命なんだ。」

紅涙には酷な事をさせてしまう。
だが俺の刀を持ち出すということは、人を斬ってでも屯所を出る覚悟があったからだろ?…なら、

「やれ。」

その相手に、俺も含まれていたはずだ。

「十っ…四郎さっ…」

涙声を聞きながら、目を閉じる。
真っ暗な世界にあるのは、紅涙の存在だけ。…いい世界じゃねーか。

「…っ、」

思いもしない最期になったが、好きな女の手で終えるのも悪かねェ。真選組のヤツらには…申し訳なく思うがな。
日頃あれだけ偉そうな顔をしておきながら、最後の最後で私情を優先しちまうとは……

『何やってんだよ、トシ!』

そうだな、近藤さん。最後まで支えられず…すまねェ。

『とんだバカ副長でさァ』

お前は間違ってなかったよ。…総悟、あとは頼む。俺はひと足先に……

「っ…ぅ…っ」
―――ガシャンッ!
「…!」

大きな音に目を開いた。そこには、

「ぅうっ…、出来っ…ないッ…!」

小刻みに震える手で顔を覆い、

「やっぱり出来ないよ…ッ…!」

涙を流す紅涙がいた。
刀は放り投げたのか、畳の上に転がっている。

「…紅涙、」

その手に触れようとすれば、

「触らないでッ…!」
「…、」

振り払われる。
苦しげに眉を寄せて立ち上がったかと思うと、部屋の隅にうずくまるようにして座った。

「紅涙…」
「来ないでっ!」
「…、」

まだ近寄ろうともしていない。
お前にはどう見えた?

「…どうしたんだよ。」
「っ…、もういいっ!聞きたくない!」

頭を抱えるようにして耳を塞ぐ。

「あっちに行ってッ!」
「…。」

…そうか、追い詰めちまったか。

紅涙の心は限界を迎えた。
人間は、想い、理性、常識、緊張、全てが一線を越えた時、張り詰めていた糸が突如として切れる。
極限まで追い詰められた人間で、これまでもよく見てきた。こうなった以上、

「……わかった。」

何も届かないことを知っている。
俺は鞘を拾い、腰へ差した。その手で同じく刀を拾い、鞘へ収める。

「…、」

…もし。
もし今の紅涙の態度が偽りで、刀を奪うための演技だとしたら、この瞬間が狙い時だ。
…だが紅涙は要領の悪い俺を目に入れることはなく、ただうつむき、自身の着物をギュッと握りながら泣いている。

…悪いことをしちまった。
試すつもりはなかったんだ。
お前になら斬られていいと…本当に思っていたんだ。

「紅涙、」

俺は出入口の扉の前で、背を向けたまま紅涙に声をかけた。

「…悪かった。」

返事はない。

扉を閉め、携帯を取り出した。山崎を呼び出した。

「山崎、今すぐ来い。」

「お疲れ様です!」

駆けつけた山崎に、紅涙がいる倉庫を指さしす。

「当面の間、お前に紅涙の監視を頼みたい。」
「え!?俺に…ですか?」
「ああ。監視は一人で回せ。野暮用がある時は原田を使えばいいから。」
「でっでも他にも仕事があって…」
「他は全て引き受けてやる。こっちに専念しろ。」
「えっ…わ、わかりました。じゃあいつから入れば?」
「今から。」
「今からですか!?」
「なんだ。急な仕事でもあんのか?」
「いっいえ…ありませんけど……」
「なら頼んだぞ。」

困惑する山崎を残し、俺は自室へ戻る。
机の前に座って、とりあえず煙草を取り出した。口に咥え、左手で火をつける。

―――ジュッ…

一発で火がついた。
当然だ、マヨライターは火をつけやすい。なのに、あの場ではつかなかった。

「…我ながら分かりやすい動揺だったな。」

俺は少し、自惚れていたんだと思う。
自分が紅涙を想うように、紅涙も俺を想ってくれているのだと。だからこそ、

『ごめんなさい、…十四郎さん』

あの拒絶は刺さったし、たまらず口付けてしまった時もあんな言い方をしちまった。

『これも…遊女だからいいのかよ』
『……そうですよ』

一番伏せていた言葉だった。
あの言葉を表立たせると、俺達の全ては偽りで、何もかも消えちまうような…夢が覚めちまうような気がしていたから、ずっと伏せていた言葉だったのに……

「いや、そうだったんだ。」

始めから、何もなかった。
お前はずっと、俺に特別なものなど抱いていなかった。
紅涙の『特別』は外にある。ずっと。俺の刀を持ち出してまで出ようとした、屯所の外に。

「…心底嫌いになりそうだな。」

攘夷志士のヤツらが…憎くてたまらない。

それから一週間。
俺は数日のツケが回り、恐ろしく忙しい日々を過ごした。
遊郭街での騒動も、廃墟での騒ぎも、上には『攘夷志士に関する捜査』と言えば聞こえ良く報告できたが、結果として誰一人逮捕には至っておらず、始末書を出せと言われて決着。
…まァまだ満足に字が書けねェから、それすらも口頭になりそうだが。

しかしこの期間に再び奴らが姿を見せなかったのは幸いだ。街にも現れなければ、紅涙の奪取に来ることもなかった。

仮に今狙われたら、俺は紅涙を護れるのか?…いや、護るのだろうか。
そんなことを考え出すと、あっという間に時間は過ぎた。
当の紅涙の様子はというと…

「…、…副長。」

毎晩、見張りに付けている山崎から報告を受けている。
大体は『今日も何も話してくれませんでした』。
以前の紅涙と違って、今は固く口を閉ざしているらしい。暴れたり泣き叫んだりすることはなく、ただじっと座ったままで口を閉ざし続けていると。

「…そうか。わかった。戻れ。」

五日目の報告に来た時も、俺は書類に目を落としたまま報告を受けていた。が、

「お願いが…あるんですけど…」
「?」

山崎の声に顔を上げる。

「『お願い』?」
「その…俺を……、…俺を紅涙さんの監視から外してもらえませんか?」
「…何だと?」
「すすっすみませんッ!でも毎日あの重い空気の中にいると、なんというか…ッおかしくなりそうで!」

『重い空気』

「…大げさな。」
「副長も体験すれば分かりますって!前までニコニコと話しかけてくれいてた人が、こちらから話しかけても無視するんですよ!?視線すら合わせてくれないし…っ一体紅涙さんに何があったんですか!?」
「…、」
「あんな風になったのって、あの雨の日からですよね!?やっぱりあの時に高杉からっ」
「わかった。」

俺は側に置いてあった巡回表を手に、山崎を見る。

「お前一人じゃなければいいんだな?」
「え…、あ…はい、…まぁ。」
「なら総悟を加えてやる。二人で各日監視しろ。それなら問題ないだろ。」
「は、はい!ありがとうございます!毎日じゃなければ全然大丈夫なんで!」
「総悟を呼んでこい。話をつける。」
「了解しました!」

山崎は意気揚々と部屋を出た。自分の話をねじ伏せられたことも気付かずに。

「…視線すら合わせない、か。」

原因は雨の日にあったとしても、高杉じゃない。
高杉が来た後も、紅涙の態度はそこまで変わらなかった。今の紅涙を作り出したのは……俺だ。

『トシからも礼を言っておいてくれ。トシの言葉なら紅涙さんの耳にも届くだろう』

少し前まではそんな間柄だったのにな。

「こうも変わっちまうとは…、」

俺ではもう……
いや、俺のせいで紅涙は誰にも心を開かなくなった。こんな日々が長引けば、いずれ心は欠け、壊れる。それだけは…避けねェと。

「…気は進まないが、」

総悟に賭けるしかない。
総悟なら、紅涙の返答がなくとも喋る。懲りずに、強引に喋りやがるはずだ。普段はうぜェことこの上ないが、こういう時なら逆効果を期待できる。
たとえば総悟にだけは口を開いてもいいと……

「お呼びですかィ、土方さん。」
「…、」

総悟にだけは心を開いてもいいと、懐くようになるかもしれない。
…それでいい。
紅涙がここを出るまでに少しでも戻れるなら、

「…お前に頼みがある。」

俺には二度と、口を開かなくなってもいい。

その日から、紅涙の監視は二人態勢になった。
だが一週間経っても、紅涙の様子に変わりはない…らしい。あくまで報告を聞く範囲だが、そう変化はないようだ。

「簡単には行かねェか…。」

まだ一週間だしな。

「もう少し時間が必要だな。」

俺の手も、じき治る。
万全とはいかねェが、こんなもん気合いだ。

「だろ?」
「気合いで治るなら私ども医者はいりませんよ!」

傷の経過を見る常駐医が目を吊り上げる。

「結局私が連絡した大病院にも行ってないし!」
「時間がなくてな。悪かった。」
「『悪かった』じゃありませんよ!ちゃんと治すためにも、設備が整った病院で検査しないと――」
「わかったわかった。もう部屋に戻るぞ。」

話をそこそこに席を立つ。

「くれぐれも無理しないでくださいよ!?」

釘を刺す常駐医に後ろ手で返事をして、俺は医務室を出た。

その自室までの道のり、

「?」

妙な野郎を見つけた。
裏庭側のひっそりした場所で、壁にもたれかかる黄色頭の馬鹿だ。職務中にも関わらず、あんなところで過ごす野郎はアイツしかいない。

「…おい。」

そいつの元へ向かい、声を掛けた。
腕組みしながら昼寝していた黄色頭が、ゆっくり顔を上げる。

「…おや。土方さんじゃねェですか。」
「『おや』じゃねーよ。何やってんだテメェ。今日は監視の日だろうが。」
「やってますぜ。」
「あァ?」
「監視。」

『そこ』
指をさした。その指を辿り見て、

「っ…、」

言葉を失う。
裏庭に、空を見上げる紅涙がいた。

「…、」

久しぶりだ。久しぶりに見た。
横顔ではあるが、やはり感情のなさが伝わってくる。……って、

「何やってんだ総悟ッ!!」
「はい?」
「なんで紅涙を外に出してんだよ!」
「そんな犬猫みたいな言い方、失礼ですぜ。」
「くっ…、だとしてもだ!」

もしまた攘夷志士が来たらどうする!?
何より紅涙が逃げ出しちまうかもしれねェ…っ!

「とにかく部屋へ早く…ッ」
「土方さん。」

紅涙の元へ駆け出そうとした足が、総悟の声に阻まれた。

「今の紅涙に逃げる気力はありやせんぜ。」
「っ…、」
「それに今さら拉致られたところで騒ぐこともねェかと。何せ、じき終いになる話なんだから。」
「…、」

それは…そうかもしれねェ。だが。

「攘夷志士が攻め込んで来れば、それなりの被害が出る。ましてや連れ去られたとなりゃ上が黙っちゃいねェだろうが。そもそも、…。」
「『そもそも』?」
「…そもそも、誰がどう関係しているのかすら…分かっちゃいねェんだからよ。」
「…。」

紅涙と攘夷志士の繋がりに、どれほどのものがあるのか分からない。
俺の目に映っている紅涙が……全て真実とも限らねェんだ。

「それでもまァ、あの紅涙は相当な状況だってことは分かりますけどねィ。」

総悟が紅涙を顎でさした。

「いい加減、なんでああなっちまったのか教えてくだせェ。本人はもちろん、山崎に聞いてもサッパリなんで。」
「…俺だって知らねェよ。」
「そりゃねーや。紅涙が逃げる気力ないってのに、なーんも疑問も抱かなかったんだから。」

総悟の瞳が深くなった。

「…土方さん、アンタは紅涙が変わっちまった理由を知ってる。一体何したんでィ。」
「…紅涙は何も話さねェのか?」
「なーんにも。」
「……ならそれが全てだ。」
「ははーん。わかりやしたぜ、土方さん。アンタ、『ヤらせろ』とでも迫ったんだろ。」
「んなわけねェだろ!」
「なら何を?」
「…。」

『俺をやって、『ここを出たい』というお前の願いを叶えろ』

…俺だって、初めから紅涙に斬らせようと思っていたわけじゃない。
紅涙の覚悟を見たからだ。
俺の刀を奪ってまで外へ出たい、逃げたい紅涙の気持ちを知ったからだ。

「土方さん?」
「……、…言いたくねェ。」
「勘弁してくだせェ、ガキじゃあるめェし。」
「うっせェな。」

煙草を取り出し、火をつけた。

「それより早く紅涙を部屋に戻せ。」

紅涙は今も空を見上げている。まるで何か待っているかのように、ずっと空を見上げている。

「…早くしろ。」
「へいへい、わかりやしたよ。」

総悟は呆れた様子で溜め息を吐き、膝を叩いて立ち上がった。

「紅涙ー、部屋に戻りますぜー。」
「…、」

声を掛けられた紅涙が視線を落とす。こちらは見ず、ただ地面を見て総悟の動きを窺っていた。

「……。」

もう俺を目に入れたくもないんだろうな。
…ほんと、

「なんでこんなことに…」
「何か言いやしたか、土方さん。」
「なんでもねェよ。…早く行け。」

ああほんと、…嫌になる。