時は突然に+別れの挨拶
来られたところで、合わせる顔もなかった。
『銀時に悪いと思うなら手柄を立てろ。今後ヤツらは四六時中、帯刀するようになるはずだ。隙を見て見張りの刀を奪い、そいつを殺してこい』
やらなきゃならなかったのに、出来なかった。
非力だからじゃない。
『ここを出るのは、俺をやってからだ』
『出来ないなら出してやれねェぞ』
斬れる時に、斬れなかった。
斬りたくなかった。
『俺をやって、ここを出たいというお前の願いを叶えろ』
まるで神様が用意したかのような、出来すぎた場で…私は手にした刀を捨てた。
『…悪かった』
…もしかしたら十四郎さんは私の狙いに気付いていて、あえて自分を斬らせようとしていたのかもしれない。私が斬れないと見越して、刀を捨てさせるために。
…けれどあの時、
『行け、紅涙』
『つらくても、これがお前の人生で…俺達の運命なんだ』
私達は本音で語り合っていたようにも思う。
演技だったのかもしれないけれど…いずれにせよ、私は十四郎さんを斬れなかった。
「銀ちゃん…」
…ごめん。……ごめんなさい。
私は、償いの機会さえも無下にした。
いつか街へ戻ったら、まずは謝りたい。そして一生、この口を封じると約束する。
二度と銀ちゃん達に迷惑をかけないよう、私の過去も未来も…全部消すと約束する。それで許されるとは思っていないけれど、私にはもう…これくらいのことしか出来ないから……
―――コンコン、キィィ…
「えっと…失礼します。」
山崎さんが部屋に入ってきた。十四郎さんが来なくなってから、こうして毎日山崎さんが来ている。席を外す時は、原田さんと交代して。
「紅涙さん、おはようございます。」
「…。」
「え、えっと…今日もお願いしますね!」
私は自身への絶望後、胸を占める空虚感から誰とも口をきかなかった。目も合わせず、ただ小窓を見上げて銀ちゃん達を想いながら謝罪する。
何の意味も成さない行為だけど、そうすることでしか毎日を過ごせなかった。
「今日は良い天気ですよね~。」
「…。」
「あ…、す…すみません。外に出られないのに天気の話なんて…気分悪いですよね。」
「…。」
「……す、すみません…ごめんなさい。黙ります。」
山崎さんは、こんな私にいつも居心地悪そうにしていた。申し訳ないと思う。けれど…とても気力がなかった。
ある日を境に、各日で沖田さんが来るようになった。
沖田さんは山崎さんとは少し違う。私の反応を気にせず、何かと話し続けていた。私に問いかけているような内容じゃないところを見ると、本人は愚痴を吐き出している感覚なのかもしれない。言わば、全て独り言。
聞く気がなくても、話は常に耳に入って来ていた。
それから数日経ったある日。
沖田さんの話をいつものように聞き流していると、
「あ、そうだ。」
突然、何か思い立った様子で立ち上がった。私はそれを視界の端で捉える。
「今日は外に出やしょう。」
そんなことを言った。
「行きますぜ、紅涙」
「…。」
いつもの独り言…じゃない?
変わらず目を合わせない私に、沖田さんが歩み寄ってくる。
―――パシッ…
手首を掴まれた。
「ぇ…、」
そこで初めて顔を見上げる。
沖田さんはニヤッと笑い、
「たまには外の空気も吸わねェと、頭がヤられちまいまさァ。野郎に見つかるまで外で過ごしやしょうぜ。」
「…、」
眩しい。
見上げた空の広さに、不思議な思いがする。
「俺ァそこで昼寝してるんで、」
向かいの建物を親指で差し、
「外の空気を楽しんでくだせェ。」
そう言って離れた。
『楽しめ』と言われても…。
確かに少し解放的な気分になった。けれど、日向ぼっこをしたいなどという呑気な気持ちまでは生まれない。
「…、」
さりげなく沖田さんの様子を窺った。壁に背を預け、腕組みしながら眠っている。
「…。」
どうしよう…。
再び空を見上げた。
空には何もない。雲も、飛空挺も、私を待っていた…あの狼煙も。
「……、」
みんな、どうしてるのかな……。
「…おい。」
「!」
聞き覚えのある声に心臓が跳ね上がった。
「…おや。土方さんじゃねェですか。」
「『おや』じゃねーよ。何やってんだテメェ。今日は―――」
十四郎さんだ。
とてもそちらを見れないけど、すぐそこに十四郎さんがいるのは分かる。
どうしよう、どうすればいい?
久しぶりで…あの日以来で……色んな想いが押し寄せて苦しい。
…怪我はどうなったのかな。もう良くなってる……?
「何やってんだ総悟ッ!!」
ひときわ大きな声がして、
「なんで紅涙を外に出してんだよ!」
「そんな犬猫みたいな言い方、失礼ですぜ。」
「くっ…、だとしてもだ!」
十四郎さんと沖田さんが言い合いになった。二人の声がこちらを向いている。
私の方を見ながら話してるのかな…。
その光景を思い描くだけで、息の仕方を忘れそうになる。
「とにかく部屋へ早く…ッ」
駆けてきそうな声に、思わず身構えた。けれど、
「土方さん。」
沖田さんが制止する。
二人がまた何かを話し出した。
距離のせいか、潜在的に聞き取りたくないせいか分からないけど、二人の会話が私の耳に届くことはなかった。
「紅涙ー、部屋に戻りますぜー。」
話が終わったのか、少しして沖田さんに呼ばれる。視界の端に、歩み寄ってくる姿も見えた。
「―――でこんな―――に…」
「何か言いやしたか、土方さん。」
「なんでもねェよ。…早く行け。」
沖田さんは浅く溜め息を吐き、私の手を掴む。
「行きやしょう。」
「…。」
なんとなく、背中に視線を感じる。
十四郎さんが見ているせいかもしれない。
そう考えると、部屋の扉を閉める瞬間まで緊張した。
「…あーあ。結局わかんねェままになりまさァ。」
沖田さんが溜め息混じりに言う。
私はそちらを見ず、部屋の定位置となっていた場所に腰を下ろした。
「野郎、ああまで言わねェとは。ほんと何やったんだか。ねェ?紅涙。」
「…。」
「…あ、そうだった。それよりアンタに伝えなきゃならねェことがあったんだ。」
私に?……なんだろう。
「明日の朝、釈放ですぜ。」
「!」
沖田さんを見る。
「ようやく、むさ苦しい場所ともお別れでさァ。」
「…、」
私が…釈放?
「どう、…して?」
久しぶりに出した声は、随分と枯れていた。
「紅涙が無実ってことになりやした。」
「……、」
どうして…そんなことに?
私には攘夷志士との繋がりがある。高杉が乗り込んできて、それがより明確になった。…そうじゃなかったの?
「詳しくは明日近藤さんに聞きなせェ。ま、今のところ無実が認められたってことを素直に喜んだらいいんじゃねェですかィ?」
「でも…」
「『でも』?」
「…、」
素直に…喜んでいいのか分からない。
「ご心配なく。この件に関して裏はありやせん。」
「…、」
「何ですかィ?まだ出たくなかったとか?」
「そんなことは…ありませんけど、」
「そりゃ残念。」
ここを出られる。街に…戻れる。……そっか、そうなんだ。
「なんて顔してんでさァ。」
「…、」
私、どんな顔をしているんだろう。
釈放を喜んでる顔じゃないの…?
もしかして、銀ちゃん達への謝罪が思いのほか早く出来そうだから驚いてる顔…だったのかな。それとも…
「……、」
これで十四郎さんとの繋がりが完全に消えることを、私が……
「紅涙、」
「?」
「くれぐれも忘れ物だけは気を付けてくだせェよ。思い残しなんかしねェように。」
思い…残し…?
「俺ァあえて忘れ物をして、長らく引きづった馬鹿を知ってるんでね。そんな野郎の同類にならねェよう、紅涙にはスッキリサッパリ出て行ってもらいてェんでさァ。ここでの出来事なんか全部忘れちまうくらいに。」
それは……
「…そんなことは…出来ませんよ。」
忘れることは、とても出来ない。
「ならテメェの口で終いにして行きなせェ。…いや、終いにしてやってくれ。…野郎を想うなら。」
沖田さん…
「…、……ごめん…なさい。」
「それは何に対する謝罪で?」
「……、」
私が…、私が十四郎さんに出来ることは……
「申し訳ありません…。」
何もない。
「紅涙、その謝罪は――」
「あと、」
「…。」
押し黙る沖田さんに向かい、座り直す。三つ指を立て、頭を下げた。
「長らく、お世話になりました。」
「…べつに。俺達は仕事をしたまででさァ。今後二度とブタ箱にぶち込まれないよう、怪しい付き合いには気を付けてくだせェよ。」
「……はい。」
付き合いは、既にない。
なくなってしまった。
だけどもう一度、もう一度だけ……たぐり寄せる。
「あなた方に出逢えたことを…感謝しています。」
こうなったことを何度も嘆いたけど、
こうなっていなければ、私は未来永劫、銀ちゃん達に護ってもらうだけのお荷物になり果てていたはず。
「ありがとうございました。」
頭を下げる私に、
「…やめなせェ。」
沖田さんは短く告げる。
「そんな言い方すると……寂しくなるじゃねーか。」
本音か、建前か。
その真意を知ろうと顔を上げた。沖田さんは背を向けていて、表情を見ることは叶わない。
けれどその後、夕飯と共に戻ってきたのは、
―――コンコン、キィィ…
「失礼します!」
沖田さんではなく、山崎さんだった。
「沖田隊長に代わって、山崎退がお持ちしました。」
「…沖田さんはお仕事ですか?」
「えっ!?あ、…えーっと…」
「?」
「すっ…すみません。紅涙さんの声、久しぶりに聞いたもんで…。」
「あ…こちらこそすみませんでした、いつも気を遣わせてしまって…。」
「そっそんなっ、とんでもないです!どうぞお気になさらず!!」
「…、」
「…、」
「……あ、あの…沖田さんは?」
「ぬァッ…!あ、ええっと、あの人は、そのー…」
思案するように視線をさ迷わせ、
「あっ!原田の代わりに市中見廻りへ行きました!」
うんうんと頷きながら、机に夕食を置く。
今思いついたような口振りだったけれど、『原田の代わり』という言葉にハッとした。
「原田さんって、あの時に斬られた…?」
「はい。だいぶ良くなってはいるんですけど、まだ見廻りから外されちゃってまして。まァ本人は『筋肉が溶ける』とか言って竹刀振り回してますけどねー。」
そうなんだ……良かった。
「随分と良くなられているようで…安心しました。」
「ええ本当に。」
じゃあ十四郎さんは?
喉の先まで出たけれど、言葉にせず飲み込んだ。
「原田も紅涙さんが話してくれたことを聞いたら喜びますよ。ずっと『会って謝りたい』って言ってましたから。」
謝りたい?
「私に…?」
「ええ。『自分がいたのに申し訳なかった』と。」
「!」
そんな…
「悪いのは私です!」
「えっ…」
「私こそっ、原田さんに謝らなきゃいけないのに…っ、」
ここに私がいなければ、原田さんが斬られることはなかった。
私が下手をして捕まってさえいなければ、十四郎さんや沖田さんが銀ちゃん達と争うことも…誰も傷つくこともなかったのに……っ!
「ごめんなさいっ…!」
「おおっ落ち着いてください、紅涙さん。紅涙さんが謝ることじゃありませんから。」
「だけど私が――」
「待って。」
山崎さんは膝をつき、
「その先は、とても重要な言葉になりますよ。」
私と視線の高さを合わせ、真っ直ぐに見つめた。
「紅涙さん。『私が』、何ですか?あなたは無実じゃなかった、そういう話ですか?」
「っ…、」
「自白したいことがあるなら聞きます。でも言葉には責任を持ってくださいね。」
「…、……、…ごめんなさい。」
「…。」
「…っ、」
「フフッ…そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。」
真剣な眼差しが、ゆっくりと柔らかな笑みに変わった。
「心配しなくても、紅涙さんは無実です。少なくとも俺達は明日、そう結論付けてあなたを送り出します。」
「…、」
「だからあなたも、ここを出たらあまり自分を卑下しないでください。外へ戻した俺達が間違ってたのかなって、悲しくなっちゃいますから。」
「あ…、…。」
そうだ…。
私が『無実でない』態度を取る度に、無実として処理をした新選組の名に傷がつく。
「ごめんなさい…。」
「あ、いえ…なんか俺も謝らせてばっかですみません。」
山崎さんは頭を掻き、
「それより明日を思って笑いましょう紅涙さん!ようやく自由の身に戻れるんですよ?笑って屯所を出ようじゃありませんかッ!」
「……そうですね、ありがとうございます。」
頭を下げる。まだ笑顔は作れなかった。
情けない。
嘘も、思い遣りも、恩返しも、誰かへの想いも、どれもが中途半端で、迷惑を付きまとわせる。まるで疫病神のような自分が…うとましい。
「…山崎さん、」
「はい?」
けれど、
「何から何まで、…本当にありがとうございました。」
それも明日までだ。明日ここを出れば、
「お世話になりました。」