運命37

俺たちの見た夢

『沖田隊長、少しいいですか?』

障子の向こうから声がした。この気の抜けた声は山崎だ。

「なんでさァ。」
『伝言を頼まれまして』

…伝言?

「誰から。」
『まァ…とりあえず開けてくださいよ』
「…。」

なんだ?山崎のくせに生意気な口ききやがって。
―――スッ…
障子を開け、山崎を見る。相変わらずのモブ顔だ。

「お疲れ様です!」
「…伝言は?」
「『仲良くしてくださってありがとうございました』と。紅涙さんから言伝を預かりました。」
「…。」

『…沖田さん、』
『大丈夫ですよ…』

「…仲良くした覚えなんてねェし。」
「そうでしたか?」
「……あァん?なにニヤニヤしてやがる。」
「いやべつに、ニヤニヤなんてしてませんけど~」
「殺す。」
―――スパンッ! 

勢いよく障子を閉めてやった。途端、

『アギャァアッ!』

廊下に叫び声が響く。
『ゥォオオ沖田隊長!?指ッッ!指挟みましたよォォ~ッ!?』
「折れたのか?」
『いや折れまではしませんけどッ!』
「ツイてるじゃねーか。今度はちゃんとミントン握れねェようにしてやるから覚悟しときなせェ。」
『へッ!?もしかして殺すのそっち!?命じゃなくて、俺の楽しみ兼趣味を殺すって意味――』
「うるせェ。とっとと消えねェと爪剥ぐぞ。」
『失礼しました!』

あっという間に山崎の影が消える。

「あーうるさかった。」

畳の上に寝転がり、いつものアイマスクを付けた。程よい圧力が、瞼の上から眼球を押し付ける。

「…。」

真っ暗な世界の中に、

『仲良くしてくださってありがとうございました』

紅涙の声が聞こえた。

「…何が……」

何が『ありがとう』なんでさァ。
俺はアンタが不憫でならねェよ。
生い立ちがどうのじゃなく、あんな野郎に惚れちまったアンタが可哀想でならない。

愛だの恋だの、アイツは出来ない男なんだ。
当然、女を喜ばせる器用さなんて持ち合わせちゃいない。
これまで近藤さんを慕って、真選組を支えるためだけに突き進んできたイノシシみてェな野郎だ。だから、

『バカ言うんじゃねーよ。コイツと逃げたところで…、…幸せになんてなれねェだろ?』
『今逃げたところで、当面の自由はない。追われる身で幸せなわけがねェ』

心の中でどれだけ想っていたとしても、“正しいこと”をして、己の理性を突き破ったりはしねェんだ。たとえその行動で…女を泣かせることになっても。

『総ちゃん』

『沖田さん』

「…。」

護りたかった。
傷を負わせてやりたくなかった。
ここを出ても引きづりそうな感情を…抱かせたくなかった。

『俺ァあえて忘れ物をして、長らく引きづった馬鹿を知ってるんでね。そんな野郎の同類にならねェよう、紅涙にはスッキリサッパリ出て行ってもらいてェんでさァ。ここでの出来事なんか全部忘れちまうくらいに』
『…そんなことは…出来ませんよ』
『ならテメェの口で終いにして行きなせェ。…いや、終いにしてやってくれ。…野郎を想うなら』
『…、……ごめん…なさい』

アンタがそう言うなら、アンタがいいなら…それでいいのかもしれないとも思ったけど、

『沖田隊長、紅涙さんの様子…なんかヤバくないですか?』

俺は昨日、山崎から引っ掛かる報告を聞いてるんだ。

あれは、夕飯を届けさせた後のこと。
神妙な顔つきで俺の部屋に来た山崎が言った。

「なぜだか紅涙さんから気力を感じないんですよねー。生気がないっていうか、諦めみたいな雰囲気で。」

諦め…?

「明日に出て行ける人間が喜んでないわけねェだろ。おおよそ、ホッとして疲れが出たとかそんなもんに決まってら。」
「だといいんですけど…。どうも影があるように見えるというか…何と言うか。」

影ねェ…。

『…。』

……そう言えば。

『なんて顔してんでさァ』

俺もそんなこと、言ったっけ。

『何ですかィ?まだ出たくなかったとか?』
『そんなことは…ありませんけど、』

「…まさか、」

紅涙は本気でここを出たくないのか?
だとしたら…なぜ?

「……野郎か。」

野郎がいるからか。

「沖田隊長?」
「胸くそ悪ィ…。」
「えっ…何が?」

やっぱりアイツの存在が紅涙の足を引っ張ってやがった。

「あの…紅涙さん大丈夫ですよね?死んじゃったりしませんよね!?」

…はァ?

「『死ぬ』?なんでそんな話に――」
「やっぱ俺心配になってきたッ!一応副長にも伝えてきます!」
「は?山崎お前」
「失礼しましたァァ!」
「あ、おいっ…、…。」

あの野郎…、言うだけ言って出て行きやがって。

「つーか『死ぬ』って何事。」

監察のくせに、考え方が幼稚すぎだろ。
土方さんに言ったところで、どうせ『縁起でもねェこと言うな』って怒鳴られて終いになる。

「哀れなヤツ。じきに悲鳴が聞こえてくるだろよ、っと。」

俺は畳の上に寝転がり、その瞬間を待った。

が、
一分経ち、
二分経ち……

「…。」

五分経っても、山崎の悲鳴は聞こえてこなかった。
あの時どう言われたのか、今の今まで聞きそびれている。

「…どうなったんだろ。」

まさか真剣に話したのか?
縁起でもない山崎の想像を?

「ありえねェ…。」

土方さんが真に受けるとは思えない。
内容が内容なんだ。『紅涙が死にそうに見える』なんて言われたら、慌てて部屋を飛び出してたか、山崎を怒鳴りつけてたに決まってる。なのになんであんなにも静かで……

「……いや、まァべつにどうでもいいんだけど。」

ただ山崎がどれくらい絞られたか興味あっただけだ。野郎が何を考えてるのかなんて、どうでもいい。
…ほんと、『死ぬ』って何だったんだよ山崎。極論にも程がありまさァ。

「バカバカしィったらねーや。」

鼻先で笑い、俺はあの日のように畳の上へ寝転がった。

耳を澄ますと、遠くで話し声がする。誰の声かまで分からないが、女の声でないのは分かった。

…そういや紅涙はもう出て行った頃かな。
ここを出たら夢路屋に戻るって言ってたっけ……。…じゃあ店に行けば……会えるって…こと…なのか……?…………

―――カチッ…
「…?」

小さな物音に目を開けた。

「なんだ、起きたのか。」
「…、」

目の前に土方さんがいる。煙草片手に、俺を覗き込んでいた。…チッ、いつの間にか寝ちまってたらしい。

「勝手に人の部屋で何やってんでさァ。」
「念じてたんだよ、テメェが夢の中でうなされますようにって。」
「陰湿。」
「そりゃお前だ。朝っぱらから部屋に閉じこもって何してるのかと思えば、ふて寝とは。」

咥え煙草で俺を見て、吐き捨てるように笑う。

「あれだけ接点あったんだから別れの挨拶くらいしろよ、“ガキじゃあるめェし”。」

『……、…言いたくねェ』
『勘弁してくだせェよ、ガキじゃあるめェし』

「…俺の部屋にニコチンぶちまけるの、やめてもらえませんかね。」
「断る。」

フゥゥ~と盛大に煙を吐きやがった。

「…殺す。」
「はいはい。」
「…。」

いつか絶対やってやる。組合作って、ストレスかけて、根こそぎ慰謝料ぶん取ってから殺してやる。…というか、

「紅涙は?」

起き上がり、時計を見る。
野郎の顔色は何ひとつ変わらねェが、この時間ならやっぱり……

「…出て行ったさ、時刻通りに。」
「そうですかィ。」
「ああ。…これにて終いだ。」

終い、ねェ。

「…。」

…そのなりでよく言う。
野郎は、人に『しかめっ面で感情が読みづらい』と言われている。だが俺に言わせりゃ、これほど分かりやすい男はいない。…まァ近藤さんは論外として。

「……、」

今だってそうだ。
平然と振る舞っていても、心や頭は紅涙のことでいっぱい。それだけじゃない。しかめっ面のくせに、まとうオーラは悲哀そのもの。

「…止めなかったんですかィ?」

そんな顔をするなら、寂しいのなら、寂しいって言ってやりゃあいい。そうしたら紅涙も少しは……

「『止める』?誰を。」
「アンタの大事な女を。」
「………フッ。まだ寝ぼけてんのかテメェは。」

土方さんが笑い捨てた。

「ありゃ夢だ。もう忘れろ。」

…、

「はァ?」

夢?

「俺達は紅涙なんていう女とは出逢っちゃいねェよ。だから大した関わり合いもなければ、想い入れもなかった。」
「何言って……」
「俺達が好き勝手に理想を重ね、夢を見てただけなんだ。」
「…、」

とうとうイカれちまいやがった。
…いやこれは、あの時のように…姉貴の時のように、テメェの気持ちとは向き合わねェって意味か?

「土方さん、アンタ…」
「うるさい。それ以上言うな。」

立ち上がり、背を向けた。

「言っただろ、終いなんだ。」
「…、」

終い終いって…

「終いになんか…させねェよ。」
「総悟…?」

アンタの都合で目を背け、勝手になかったことになんて……させない。

「そんなこと……」
「…。」

そんなこと、絶対俺が許さな―――

「まァあれだ、」

野郎が煙草片手に立ち上がる。

「いつかまた……夢に出てきたらいいなとは思う。」
「…。」
「だろ?お前も。」
「……、」

なんだよ…

「…そう都合よく夢は見られませんぜ。」
「わァってるよ。だから『いつか』の話だ。」

そこまで想ってるなら…姉貴の時と違うってんなら、

「……土方さん、なんでアンタは」
「話は以上だ。起きたなら、とっとと任務に就けよ。」

障子に手をかけ、僅かに振り返る。

「俺は出掛けてくる。」

ヤニ臭さだけを残し、部屋を出て行った。

「……馬鹿でさァ。」

バカで、哀れ。
どいつもこいつも、まともにテメェの気持ちすら吐けやしねェ。生きづらいったらねェな。

…でも、
土方さんだけは最後まで紅涙を容疑者として扱わなかったんだ。たったの一度も。

あの人だけは、紅涙を最後まで『女』として語っていた。

…なァ、紅涙。
アンタは今、どうしてますかィ?
ここを出て、自由を謳歌してる?
元の生活に戻って、久しぶりのヤツらと会って、日常の有り難さを痛感してる?

アンタを夢だと語った野郎は、今日もシャーシャーと生きてまさァ。

けど、遊郭街の朱門辺りを歩く時は別。
誰が見ても笑える顔して歩いてやがる。情けないったらねェや。
あんな辛気臭い顔、市中見廻りの度に見せられるこっちの身にもなれっつーんだ。

「行きますぜ、土方さん。」
「…ああ。」

…だから紅涙、
もし良かったら、いつかこの馬鹿に顔を見せてやってくだせェ。
遊郭街の朱門から出なくていい。チラッと通り過ぎるだけでもいい。夢の中でも、何でもいいから。

たった一度、
ほんの一瞬だけでも、どうか野郎に笑いかけてやってくだせェ。

それだけできっと、

「……、」

この馬鹿野郎は、救われると思うから。