三年の想い
広間で紅涙と話している時は、本当にこの時間だけで充分だと思っていたんだ。二言三言会話して、懐かしさを感じながらも、どこか寂しさを胸に帰るのだと…そう思っていた。
……だけど、
『誰か……いい人は…出来ましたか?』
『いい人…、』
『…あっ、す、すみません…!私…余計なことを』
『ない』
『え?』
『そんなヤツ、出来てねェよ』
『!…そ、そうでしたか…、』
慌てたり、頬を緩めたり、
せわしなく表情が変わる紅涙を見ていて、気が変わった。どうしようもない気持ちが膨れ上がった。
天神になった今なら、俺もその他大勢の客として扱ってくれるんじゃないかと…欲望が表に出てしまった。
『お前を一晩買う』
『っ!』
半ば、賭け。
多少なりとも酒に背中を押されて、俺はそう口走った。
それでも頭の片隅で、まだ理性が『今度こそ夢路屋に来れなくなるぞ』と言う。だからこそ、
『…ありがとうございます』
叶うと分かると、タガが外れた。
溢れ出た望みを紅涙へ押しつけ、掻き抱きたい欲望を伝える。『ここでは困る』と言われるまで、おそらく俺は本気で押し倒す気でいた。
「…。」
部屋の準備に立ち去った紅涙の背中を見ながら、頭によぎる。
『紅涙の気持ちを考えろ』
まだ俺の中に残る僅かな理性。
…そうだな。
あんな形で別れて以来、久しぶりに会えたってのに…客として一泊させろだなんて野蛮だ。
おそらく紅涙は俺の誘いを断れなかった。
真選組の俺を拒んだら、またどこかで揚げ足を取られるかもしれないと誘いを受けるしかなかったんだ。にも関わらず……
「何喜んでんだか…。」
短絡的な思考にうんざりする。
…帰るか。
酒を置いたその時、
「旦那様、お部屋へご案内いたします。」
禿が迎えに来た。
「…、」
「どないされました?紅涙姉さんはお部屋へ直接いらっしゃいますよって、お客様は移動を。」
「……ああ。」
とりあえず部屋には行くか。で、少し話して帰ろう。
『今日くらいゆっくりして、明日からも頑張れよ』って、潔く立ち去ればいい。そうすりゃまた通えるようにもなる。…まァ、気が向いたらの話だけど。
そんな計画で部屋へ行き、予定通りに出て行こうとした俺を…
「行かないでっ…十四郎さん。」
紅涙は引き留めた。
共に夜を過ごしたいと、切実な様子で訴えてくる。
「私…、…私ずっと…十四郎さんの言葉が忘れられなくて…」
……マジかよ。
「…、」
ヤベェ…。
だらしなく緩みそうな顔を、わざと眉間を寄せて隠す。
「確かに天神まで育ててくださったお客様はいます。けれど…、これまで一度も着物を脱いだことはありません。」
「!…ありえねェだろ、そんなこと。」
聞けば、女将との約束だったという。
『何でっしゃろか』
『じきに紅涙が退所する。それまでにアイツから…白夜叉から紅涙に宛てた手紙を用意させてくれ』
『…はて。白夜叉て誰ですの?』
『とぼけてる時間はねェんだ。紅涙はアイツらにケジメをつける気でいるかもしれない』
『ケジメ?』
『死ぬ気でいる』
『っな…、…まさか、あの子がそんなこと考えるわけ…』
『余計な心配ならそれでいい。だがもし当たっちまった時に紅涙の考えを変えられるのはアイツらしかいない』
『…』
『アイツらと夢路屋の関係性は今回に限って目をつむる。だから至急用意してくれ。アイツの…白夜叉からの手紙を』
もしそうだとしたら、あの手紙を使う機会があったということか。そしてその礼…と。
「…、」
紅涙…。
…しかし脱がねェ遊女だなんて、女将もバカなことを。店にしろ、紅涙にしろ、大変だったろうに。
「お金は結構です。だから今夜だけ…今夜だけでも、私と過ごしてくださいませんか…?」
なおさら、生半可な気持ちで過ごすわけにはいかねェな。
「…何のために?俺はお前を育てた野郎のようには過ごせない。」
「っ…私も……、…私もそれを望んでいます。」
「…。」
「…、」
……わかってるのか?
俺は、この先へ進むならお前ごと手に入れる覚悟だ。
天神としての紅涙だけでなく、紅涙自身を護っていきてェんだ。
「それを踏まえ、お前は俺と今夜過ごしたいと思うのか?」
「…、」
言葉に詰まる。
そりゃそうだろう。三年ぶりに会って、互いに同じ熱量なわけがない。
我ながら重い話をしちまったなと反省し、浅い溜め息を吐いた。すると、
「っ、」
なぜか紅涙が涙を浮かべている。
「…紅涙?」
そこまで嫌だったのか…。
「嬉しいっ…!」
「…、」
「私は…私はあの日から、ずっと…十四郎さんのことを……っ」
…ああ…、…なんだ。
「紅涙、」
お前というやつは…
「…聞かせてくれ。俺の身請けに応えてくれるのか?」
「もちろんです…っ!」
「……そうか、」
どれだけ俺を振り回せば気が済むんだ?
やわらかな唇に口付ける。
熱い吐息をこぼして、紅涙が俺を見上げた。
この先の時間は、どこに触れても許されるのだ。
考えるだけで心が震える。今にも欲望に意識を飛ばしてしまいそうだが、この時ばかりは理性を掻き集めた。
「これからよろしくな、紅涙。」
「っ、は、はい!こちらこそ、よろしくお願いします!」
目の前の存在を、これほどまで愛しく感じたことはない。
まとめあげたその髪に、俺を見つめるその瞼に、口付けた。
「十四郎さん…」
紅涙の声が耳に入ると、なぜかくすぐったい。
着物に手を掛け、あらわになった肌に触れた。
「っ…」
小さく身体を揺らす。肩に唇を付けた、その時。
「っあ、あのっ…、」
「?」
紅涙はやんわりと俺の肩を押した。
拒絶にも感じるその行動に顔を上げる。
紅涙は目を伏せ、口ごもった。
「そ、の……、…、」
「…やめるか?」
「いえっ…、…違うんです。…、あの、…あんまり……優しく…しないでほしくて。」
「…?」
優しく…するな?
「恥ずかしいんです…。…今まで、こんな風にしてきたことがなかったから…。」
「…、」
本当に恥ずかしそうに、消えてしまいそうなほどの細い声で紅涙は言った。俺はその姿に、
「……。」
愛おしさよりも、悲しさが勝る。
よほど怪訝な顔つきをしていたのだろう。
「十四郎さん…?」
紅涙は不安げに俺を見上げ、慌てた様子で手を左右に振った。
「ちっ違うんです!嫌じゃないんですよ?嫌じゃないんですが、そのっ…恥ずかしいという話で…、だ、大丈夫です!」
「…紅涙、」
「本当です!本当に私、十四郎さんのこと―――」
話し続ける紅涙を抱き締める。
「俺はお前だけを愛してる。」
「!…十…四郎さん…、」
「…。」
『愛してる』だなんて…生まれて初めて吐いた。…意外とスルッと出るもんだな。
「もう何も我慢しなくていいからな。」
「っ、……、」
これまで紅涙がどう過ごしてきたのか、たとえ事細かに聞いたとしても、完全に理解してやることは出来ない。
そこには楽しい時間もあっただろうが、苦しくつらい時間も多くあったはず。そしてどうしようもなく消したい記憶も…あったはずだ。
古い時間はいずれ新しい記憶に埋もれ、薄れゆく。だが決して消えることはない。薄らと残り、ふとした時に表に出る。思い出す。
そうなった時、俺はお前の傍にいたいんだ。
「…約束する、」
この先ずっと…
「紅涙を大切にする。俺の命に替えても。」
「…、」
紅涙の瞳は、部屋の明かりを集めたように輝いていた。
「…ありがとう、十四郎さん。」
やんわり微笑んで、「でも」と再び目を伏せる。俺の胸元の着流しを握り、
「命には…替えないでください。十四郎さんがいなくなったら…私、もう……」
声も、その身も小さくなる紅涙を抱き締めた。
「…悪い。」
悲しませたくない。苦しませたくない。
ただ紅涙のために生きたいと、心の底から思ってる。
「お前の傍にいる。…ずっとな。」
「……はい。」
肌に触れれば吐息が漏れ、紅涙は恍惚とした表情を浮かべる。
自分の手に溺れていく様を見るのは、何とも言えない高揚感が湧いた。
「ッぁ…んっ、十四郎さん、ッ…」
愛撫に耐えるように布団を握り、俺の名を呼ぶ。
秘部から溢れ出る愛液が増し始めた。そろそろか。
「ぁッ…あぁっ、だっ、…めぇ…ッ」
固く目を閉じ、自分の口を手の甲で隠す。俺はそれを外させ、唇にキスをした。
「顔を見せてくれ。」
「ンっ、…ッ…」
快楽の波に眉を寄せながらも、紅涙は薄らと目を開く。恥ずかしさをはらんだ視線に小さく笑った。
「そのままな。」
舌をすぼめ、そこを舐めてやる。
「っア…」
拒もうと閉じかけた脚を手で遮った。
「ンくぅッ…」
紅涙の腰が浮いて、
「ぁっ、ァッ…ンっくぅッあッ!」
ビクッと身体が弾け、脱力する。……たまらねェな。
「十、四郎…さん、」
「なんだ?」
息を切らし、俺に手を伸ばす。その手を握り、口付けた。
「十四郎さんを…、…感じたい、…、」
「…、」
「だから…、…早く…、…、」
「ッ…、」
…やられた。
頭の中で何かが切れた。
俺は貪欲に紅涙の唇を喰らうと、
「十四郎さん…」
甘く優しい声に導かれ、その身に沈む。
「くッ…」
「っ…ッあァ…っ」
熱い内壁が俺を包んだ。思わず息を止める。
「…大丈夫か?」
俺が言うのも何だが。
「平、気…です…、」
汗を滲ませて微笑む姿に、
「動くぞ…、」
返事も待たず、腰を引いた。
何もかも持っていかれそうなほどの快楽が走る。腰を揺らすと目眩がするほど気持ち良かった。
相手が心底愛する女だと、こうも感じ方は違うのか。
「ん、ッ、ぁぁっ、ぁっ、んッ…」
生々しい音の合間にキスをする。
「ンっ…は、ぁっふ」
乾ききった紅涙の咥内は冷たかった。
「っ、あぅっぁっアッあぁ」
少し腰を浮かして筋道を変えれば、紅涙の反応もまた変わる。腰を引き、より奥へ滑らせた。途端、
「ひ、ァァっ、っ!そこっ、ぅッ、ッ、だめっ…!」
キュッと内壁で俺を締めつける。試しにもう一度突けば、短く息を吸って背を張った。…ここがイイんだな。
「ッ、はっ…あ、んっ、ッ、と…四郎さ…ァっ」
「っ…気持ちいいか?」
「んっ、ッ」
唇を噛み、せわしなく頷く。
紅涙の額に滲む汗に口付け、耳元で囁いた。
「俺も…ッ、気持ちいい…ッ。」
「ぁっん、ッく、ァっ、」
腰を打ち続けた。
俺たちは今、きっと欲望のままに、互いのことしか考えられない。
『この時間が一生続けばいいのに』
ガキのような考えが、頭の隅に浮かんだ。
「アッ、ぁっ、ッ、ッぁあっ」
紅涙の声が少し高くなる。内壁が小刻み波打った。
「も、っ、ぃッ…」
「イきそう?」
「んっ、ァッ」
頷きながら、俺の手をギュッと握る。
「いいぞ、イけよ。じきに俺もイクから。」
「っ、ィ、ぁ、ぃっクぅッ、ッッ!あぁっ…んッ!」
背をしならせ、小さく身体を震わせる。内壁はまるで俺を搾り取るかのように締め付け、
「くッ…」
引っ張られるように果てた。
…もう少し耐えられる予定だったんだがな。
「ンっ、ァ…っッ、っはぁ…っ、…ぁ、…十…四郎…さん…、」
息の荒い紅涙が、同じく息の荒い俺を呼ぶ。
「どうした?」
汗で額に張り付いた前髪を掻き上げた。
紅涙の乱れた髪も掻き上げてやると、やんわりと微笑んで、
「幸せ、です…私…。」
そんなことを言った。
「…、」
本当に、お前というやつは……。
どうやら俺は、この紅涙の笑顔に弱いらしい。
「…、……ああ、俺も。」
それっぽっちの言葉を絞り出すのに精一杯で。
「幸せだ。」
紅涙に微笑み返し、口付ける。
「十四郎さん…」
明けない夜が、訪れたような気がした。