あの日の意味
「この服は使えそう…。」
派手な着物ばかりで、普段着として使えそうな着物は多くない。それでも運ぶとなると、なかなかの重量になる。まとめておけば後で真選組の人が運んでくれるそうだけれど…
「…本当にいいのかな。」
申し訳なくて、気が引ける。
そのことを十四郎さんに伝えたら、
『どうせアイツらは俺が運ぶ姿を見たら血相変えて手伝いに来る。そんな二度手間なことをする前に運ばせても同じ話だ』
…と言われた。
私にはわからない話なので、それならば…とお言葉に甘えることになっている。
「…あ。これはあげよう。」
派手な着物や、他に使えそうな私物は極力、他の遊女や禿へ。
まだ買い揃えることが出来ないうちは、譲り受ける物がとても助かるから、
「使ってくれるといいな。」
「……よし、」
片付け始め、四半時。
「これくらいかな。」
大した時間も掛けず、部屋を片付け終えることが出来た。相変わらず物の少ない部屋にしておいてよかったと思う。
「戻ろう。」
襖を開き、声を掛けた。
「お待たせしました!」
煙草片手に外の景色を眺めていた十四郎さんが振り返る。
「もう終わったのか?」
「はい、それほど物もありませんし。」
「なら行くか。」
そう言って部屋を見回す。
私が灰皿を差し出すと、十四郎さんが小さく笑った。
「さすが、気が利く。」
「今のは分かりやすいですよ。」
煙草の火を消し、二人で部屋を出た。
ああ……眩しい。
階段を下りながら、ふと思う。
やはり視界が普段の何倍も明るくなったように感じる。玄関は特に、眩しいほどの光が差し込んでいるように見えた。
そんな光の中から、
「おう、紅涙!」
すっかりいつもの調子に戻った番頭さんが片手を上げる。
「もう片付けは終わったんか?」
「はい。まだ使えそうな物を仕分けておいたので、女将さんと確認していただければ…」
「よっしゃ、任しとき!」
「…あの、番頭さん。」
「なんや?」
「今まで…お世話になりました。」
頭を下げる。すかさず番頭さんは溜め息を吐いて、
「あのなぁ、」
眉間を押さえた。
「紅涙、うちらは家族や言うたん忘れたんか?たとえ紅涙がここを出ようとも、深~いとこでは繋がってんねん。しゃあから二度と世話ならんみたいな言い方はやめてくれ。寂しいやん。」
「番頭さん…」
「ここ出ても、いつでも顔出したらええんやで。なんかあっても、なくても、いつでも来たらええんやからな。」
「っ…はい、」
あたたかい人。
あたたかい居場所。
「ありがとうございます…っ、」
私の……大好きな人達。
「旦那、紅涙も色々あった身ですわ。なんや解せんことがあったり、すれ違うようなことがあったら、うちへ来て話を聞かせてください。出来る限り力なりますんで。」
「…わかった。」
番頭さんも女将さんも、かけがえのない私の家族。
そして…もう逢うことはないかもしれない……銀ちゃん達も。
「…、」
「…どうした、紅涙。」
「あ、いえ…」
覗き込む十四郎さんに首を振り、微笑み返す。その背後に、
「あら、」
顔を出す人がいた。女将さんだ。
「荷造りもう済んだん?えらい早ぉ終わったんやねぇ。」
「はい、」
「女将!女将からも言うたってくれ。紅涙は家族なんやからいつでも戻ってきたらえぇ言うて。」
「ほんまアンタは…」
つかつかと番頭さんの元へ向かい、
―――バシッ
「あいたッ!」
番頭さんの頭を平手打ちする。
「出て行くめでたい日に、『戻る』やなんて不吉な言い方しなはんな!」
「いやそういうつもりやなくてやなっ」
「アンタがどういうつもりやろうが関係あらへん!ほんま…ごめんやで、紅涙。」
「い、いえ…、」
「旦那はんも気ぃ悪くせんとってください。コレにはしっかり『気の遣い方』いうんを叩き込んどきますよってに。」
「悪い話じゃなかったから問題ねェよ。」
「あらあら、おおきに。…せや、紅涙に渡さなアカン物があったんよ。」
女将さんが懐に手を差し入れる。取り出したのは、
「これ、読んだってくれる?」
白い封筒だ。
「…これは?」
「裏見てみ。珍しく名前書いてはるから。」
フフッと笑う女将さんに促され、白い封筒を裏返す。そこに書いてあった名前に、
「っ!」
見覚えのある、どこか力の抜けた字体で…
「銀ちゃん…!」
どうして?
どうして手紙が…
「誰だ、それ。」
十四郎さんが私の手元を覗き込む。
「坂田…銀時?」
「旦那はんが心配するような人ちゃいますよ。言うたら紅涙の兄みたいなもんで。」
「兄…だと?」
十四郎さんが物言いたげに眉を寄せる。
女将さんは「ええ」と頷いた。
「紅涙とずっと付き合いのある人ですわ。この人を中心に、他にも数人、昔から紅涙を気に掛けてる兄みたいな人らがいてはるんです。」
「何人も…?……女将、まさかそいつら」
「ちゃいますよ、別人です。」
「…。」
「旦那はんの思い当たるような人らとは関係ありまへんで。」
「……。」
「…十四郎さん?」
「……いや、いい。なんでもない。」
はぁ、と溜め息を吐く。
「俺は外で煙草吸ってるから。」
「え、」
「まだ話したいことあるんだろ?そいつについて。」
視線で封筒をさす。
「手短に頼むぞ。」
そう言って、店の外へ出て行った。
「…ほんま、よう出来た人やねぇ…旦那はんは。」
女将さんが緩く左右に首を振り、
「出来ることなら、うちと身を固めてもらいたいわ。」
ケラケラと笑う。
「まぁ冗談はさておき、その子やけど。」
封筒を指した。
「実は、ちょいちょい店に来ててね。」
「っえ!?どうして教えてくれなかったんですか!?」
「あの子が紅涙と会う気なかったんよ。」
「!」
「『自分が来たことも紅涙には言わんといてくれ』て言うてて。うちも『今日は会って行ったら?』て声掛けたことあるんやけど、『まだや、今やない』言うて。」
「どうして…」
銀ちゃん…
「陰ながら、紅涙が成長していく様を見るんが楽しかったんちゃうかなぁ。今自分が出て行ったら、色んな意味で紅涙を止めてまいそうで嫌やったんや思うわ。」
「…、」
「それに、紅涙の隣は早ぉから埋まっとったさかい。」
クスッと笑い、女将さんが玄関口を見る。
「あの人に先手打たれてしもて、もう見守るしかなかったんかもしれんね。」
「十四郎さんが…何かしたんですか?」
「いや、結果的にそうなったいう話よ。」
「…?」
「それより中身、見てみたらどない?うちもちょっと気になってんねん。」
中には紙が何枚か入っている。封筒から一枚ずつ取り出してみた。
困ったことがあれば、夢路屋で繋いでもらえ。いつでも力になるぞ―――――
名前はない。けれど流れるように綺麗な文字。
この達筆はきっと桂さんだ。
なんぞあったら、そげな男は捨ててえい。紅涙にはわしがおる!いつでも船で迎え行くき、その時はわしと一緒にレッツ宇宙の旅ぜよ!―――――
分かりやすい土佐なまり。
そっか、坂本さんはもう宇宙に行ってたんだね。
変わらず名前のない文面は、とても短いものだった。
…これはきっと高杉だ。
短くて鋭い内容だけど、そこまで私を責めるものではなくて、少し安心した。
謝罪と未来を願う言葉。
たったこれだけなのに、私はそこに優しさと切なさを見た。
「銀ちゃん…、」
この紙だけ、他の物より細い。
もしかしたら何度も書き直したのかもしれない。その度に切って、徐々に細くなって。たくさん悩んで。最終的にこの言葉になったのかもしれない。
…そう考えると、胸が苦しい。
「…、」
銀ちゃん、謝ることなんてないんだよ。
銀ちゃんは…銀ちゃん達は私を救ってくれた。傍に置いて、居場所を作ってくれた。
謝らなきゃいけないのは、私の方なんだよ…。
「っ…、」
手紙を胸に抱き締める。
女将さんは私の頭を優しく撫でて、
「みんなアンタを想ってるんやで。」
微笑んだ。
「それはこれから先もずっと同じや。忘れんといてね。」
「はい…っ、」
忘れない。
ここで過ごした時間や、それ以前、それ以降も。
「よし、そしたらもう行き。あんまり待たせたら拗ねはるから。」
女将さんが玄関口を見る。
そこに十四郎さんの姿はないけれど、
「…お待たしました、十四郎さん。」
出入口から少し離れた軒先で、煙草片手に待ってくれていた。
「もういいのか?」
「はい…ありがとうございました。」
銀ちゃん達の手紙を懐にしまう。
十四郎さんが煙草の火を消した。
「旦那はん、くれぐれも紅涙のこと頼みますえ。」
「…フッ、」
「なんでっしゃろか?」
「いや、番頭もそうだが、しつこいくらい言われてるからな。本当に愛されてんだなと思ってよ、紅涙は。」
十四郎さんが私の顔を見て小さく笑う。
女将さんは「そうですえ」と十四郎さんの鼻に向かって、真っ直ぐに指をさした。
「せやから紅涙を大事にせんかったら、総出で押し掛けますよってに。覚悟しなはれや!」
「ほう、そりゃ怖ェな。」
「お、女将さん…!」
「うちは本気でっせ!」
「わァってるよ。」
あしらうように鼻で笑い、
「言われなくても、大事にする。」
十四郎さんが私の肩を抱き寄せた。
「とっ十四郎さん…、」
嬉しい。嬉しくて…気恥ずかしくて、顔を見れない。
女将さんは十四郎さんの言葉に満足したのか、「それやったらよろしいわ」と頷いた。
「紅涙、また顔出してや。」
「はい、必ず。」
「別れの言葉は言いまへんえ。うちらには必要ないよって。」
「ふふっ、そうですね。」
「女将、世話になったな。」
「お互い様どす。そしたらまた。」
私も頭を下げ、十四郎さんと共に夢路屋を後にした。
「ひとまずこの足で屯所へ向かうぞ。部屋についてはそれからな。」
「わかりました。」
昨日の今日で決めた身請け話だから、私達は大いに準備不足。
そもそも十四郎さんが私を身請けした話を、真選組の皆さんが知っているのかすら分からない。おそらくこれから考えなければいけないことは山のように……
「…何だアレ。」
十四郎さんが足を止めた。
視線の先には、二階建て店舗の二階部分に、ハシゴを使って大きな白い看板を設置する男性がいた。肌が黒く、体格も大きいものだから、とてもよく目立つ。
「新しく店が出来んのか…?」
「何の店でしょうね。」
男性は白い看板の左側から、ペンキで豪快な文字を書いていった。
「よろず…や?」
そこまで書いて、額の汗を拭う。一度ハシゴを降りてバランスを見た。
万事屋……
『俺さ、事が落ち着いたら万事屋やろうと思ってんだ』
「期待できねェな。」
「え…?」『』
「あんな効率の悪い看板作りをしてるようじゃ、万事屋としての力量も微妙だろ。そもそもこんな時世に万事屋って。」
「難しいんですか?」
「生業としていくには、余程うまい話がないとキツいな。だがそういうキナ臭い話は俺達がしょっぴく。つまり、」
「難しい…ですか。」
銀ちゃんはどうしてるのだろう。
もう万事屋を始めてる?それとも、難しいと悟って万事屋はやめたのかな…。
「どうした?ボーッとして。」
「え、あ…」
「興味あるのか?万事屋に。」
「いっいえ…、想像以上に大変なんだなと思って。」
「そうだな。残念だが、いつまで持つやら。」
『そうなりゃ金なんてあっという間に貯まるぞ?楽しみにしてろ』
…でも、銀ちゃんなら大丈夫かもしれない。
これまでどんな窮地に立っても乗り越えてきた人だから、なんとなくだけど…成り立つ気がする。
「…なぁ、紅涙。」
「はい?」
「よかったのか?」
「?」
隣を歩く十四郎さんが、おもむろに煙草を取り出し火をつける。
「さっきの手紙の男。…会いに行かなくていいのかよ。」
…ああ、
「はい。会いたくても…会えませんし。」
「会えるなら会いたいのか?」
「…そうですね。とても。」
「…好きだったのか。」
十四郎さんはこちらを見ず、前を向いたまま煙草に口を付けた。指に挟まれた煙草の煙が、ゆるゆると風に流れていく。
「……大好きです、ずっと。」
「…、」
「…だけど、」
きっと…
「十四郎さんに抱く感情とは…別の『好き』です。」
「紅涙…」
「女将さんも言っていたでしょう?『兄のような存在だった』って。本当に…その通りなんですよ。」
たぶんそこを越えようとした時に、十四郎さんが現れた。
これは……運命以外の何物でもない。
『つらくても、これがお前の人生で…俺達の運命なんだ』
…よかった。
私達の運命が、あんな形で途絶えてしまわなくて、
「本当に良かった…。」
「何がだ?」
「…十四郎さんと、私の人生が繋がっていて…良かったです。」
「…、」
唐突な私の話に十四郎さんが目を丸くする。けれど、
「…そうだな。」
静かに頷いて、
「紅涙、」
私の手を取った。
「もう二度と、あんなことはさせねェから。」
「十四郎さん…。」
「これからはずっと、俺の傍にいてくれ。」
「っ……、」
胸がいっぱいになるのを感じながら、
「はい!」
あれほど高く見えた壁を、この人とならと乗り越えられた。
あれほど泣いた夜も、あれほど後悔した気持ちも…それが運命だと諦めた感情も、今では全てが過去として歩いていける。
あなたと出逢えて良かった。
あなたを好きになって良かった。
2021.8.30加筆修正
2022.6.07再加筆修正 にいどめせつな