自問自答の時間+門番の笑み+始まりの夜
夕飯を終え、部屋で書類整理をしていると山崎がやってきた。
「遅ェぞ。」
「え!?今回は提出期限までまだ四日もあるのに…」
「他のヤツはもっと早くに持ってきてる。」
「…ちぇっ。」
何が『ちぇっ』だ。ガキか。
俺は報告書を受け取り、書類に目を通した。
「ど…どうでしょうか。」
「…。」
字が小せェ上に細い。
それにきっちり書いて来いとは言ったが、用紙いっぱいにキッチリ書いてきやがって…バカかコイツは。こんなもん読めたもんじゃねェよ。
「…山崎。」
「はっはい!」
「お前は何のために報告書を書いてんだ?」
「え?えーっと…俺の活動を副長にしらせるため…?」
「そうだよ、わかってんじゃねーか。」
山崎に報告書を突き返した。
「書き直し。」
「っどえぇェェッ!?」
「うるせェッ!その報告書を見直してみろ!読めたもんじゃねーわ!」
「よっ読めますよ!」
「お前が読めても意味ねェだろ!提出書類だぞ?相手に読んでもらうとこまで考えて書いてこい!」
「うぐっ…、」
押し黙る。
…やっぱりな。ただ書きゃいいと思ってやがったか。
「…なんだ山崎。早く書き直してこいよ。それとも文句でもあんのか、あァん?」
「ヒッ…い、いえありません!書き直してきます!!」
「提出期限を忘れんなよ。」
「了解しましたァァ!!!」
ダダダッと走って行く山崎に、
「廊下を走るな!」
また声を張り上げる。
ったく…いちいち言わなきゃなんねェか?
「はぁァァ…。」
デカい溜め息を吐いて、煙草に火をつけた。
「せっかく疲れが吹き飛んでたっつーのに…。」
もちろん、紅涙のおかげで。
『…そうだよな。『また』にしては少し早すぎたか』
『っい、いえ!嬉しいですよ?私もっ…、…』
『私も?』
『……私も…お会いしたかったので』
「……どうしたもんかな。」
わかってる。これは良くない流れだ。
アイツは攘夷志士と関わってるかもしれねェっつーのに、偵察がてら見に行った翌日にまた夢路屋へ行っちまうくらい…俺の頭から離れてくれない。
「こんなはずじゃなかったんだが…。」
情けねェ。
薄っぺらい遊女の決まり文句も、紅涙が言えば俺の心にピタッとハマっちまう。…真に受けちまう自分がいる。
「いっそのこと…」
遊女と客の関係に持ち込んじまえば割り切れるか?
…いや、無理だな。今の俺じゃあ、のめり込んで身を滅ぼすだけだろ。
「……、」
初めての遊郭でもあるまいに…
いやその前に、クロかもしれねェんだ。割り切らねェと、隊のヤツらにも示しがつかねェ。
「アイツがシロだったら問題なんてねェのに…、…。」
そうだよ、紅涙が攘夷志士と関係なければ問題ねェんだよ。なら直接聞いちまうってのも…
「…無理な話か。」
シロだった場合はいい。
だがクロだった場合、『はいそうです』とはならねェだろ。揚屋ぐるみの隠ぺいだ、その場で俺を潰しに来るか、翌日もぬけの殻ってのがオチになる。かと言って、隊のヤツらを引き連れて行くのは……まだ早ェし。
「……はぁァ。」
煙草を咥え、書類を捲った。が、
「…。」
全く集中できない。静かな部屋に、時計の針の音が響く。
「……。」
夢路屋へ行くにしても少し早い。
「…………。」
けど今日は団子屋に寄って行かなきゃならねーし。
「………………、…よし。」
ギュッと煙草を灰皿に押し消し、立ち上がった。着流しを整える。
「…甘味屋が閉まっちまったら大変だからな。」
大江戸通りにある『野中茶屋』で目当ての団子を買う。顔がさしていたこともあり、
「…買いすぎた。」
二人分なんて買い方が出来ず、五人分も買ってしまった。そこそこ重い上、歩けばカサカサと袋が擦れてうるさい。
「まァ店のヤツらと食うだろ。」
足りないよりマシだ。
そうして俺は夢路屋へ向かい、いつものように紅涙を指名して部屋で待った。
「十四郎さん、お待ちしておりました。」
やわらかに微笑む紅涙が、開口一番に俺の名を呼ぶ。妙なことに照れてしまった。…もちろんそんなことは隠したが。
「…茶の準備は?」
「はい、用意してありますよ。十四郎さんは…?」
「俺も当然、」
団子の袋を紅涙の前に置く。
「約束通り買ってきた。」
「わぁぁっ!こんなにもたくさん!?」
俺の傍に座り込み、紅涙は口に手を当てて喜ぶ。本当に嬉しそうで、見ている俺も嬉しくなった。
「開けていいですか!?」
「構わねェよ、それは全部お前のもんだ。」
「ありがとう、十四郎さん!」
袋から団子の箱を取り出す。
「これが野中茶屋のお団子…!」
まじまじと外箱を見て、フタを開ければまた歓声を上げる。
その様子を見ながら、俺はやはり紅涙はシロだと思った。
こんなヤツが攘夷志士の仲介役なんてするわけがない。考えられない。紅涙が攘夷関係者だなんて…ありえない。そうだろ?紅涙。
「食べましょうか!」
満面の笑みで俺を見る。
「俺はいい。」
「えっ…どうして?」
「いつでも食えるからな。紅涙が食え。」
「く、食えって言われても…」
手元にある団子の箱を数え、顔を上げる。
「すごい量ですよ?」
「食えるだろ。」
「さすがにこの量はちょっと…」
だよな。俺もそう思う。
「なら置いとけ。」
「ダメですよ!お団子は冷蔵庫に入れると硬くなっちゃうんです。」
「チンすりゃ大丈夫だろ、レンチン。」
「ダメです!温める時間設定が絶妙で、温めすぎたらドロドロになっちゃうんですから!」
「くくっ…、そうかよ。じゃあ店のヤツらに配ってやれ。」
「いいんですか?」
「ああ。捨てるより余程いい。」
「捨てません!たとえ配らなかったとしても…十四郎さんから頂いた物は捨てたりしません。」
「…、」
団子の始末くらいで、いちいち惚れさせんじゃねーよ。…って、
「俺、今……、」
「?」
今、何を言って……
―――パチンッ
「そうだ!」
紅涙が手を叩く音で我に返る。
「十四郎さんには部下がいらっしゃるんですよね?」
「あ、ああ。」
…そうだったな、紅涙に『口が立つ部下がいる』って話したことがあった。
「その方にもこのお団子を分けてあげてください。」
「あァ?必要ねェよ、そんなもん。」
「ダメです!!」
何度目かの『ダメ』に、思わず笑った。
「な、なんですか…?」
「いや、なんでもない。」
『ダメ』なんて言葉、遊女は客に使わない。距離が近付いた証拠だ。
「きっと喜ばれますよ?」
「……わァったよ、渡しとく。」
「それじゃあ、この袋を部下さんに。」
団子屋の袋を一つ俺に差し出した。
食堂に置いたら争奪戦になるだろうな…。
「…約束、しましょうか。」
「約束?」
「ちゃんと部下さんに渡すっていう約束。」
紅涙が小指を立てて見せた。俺より細く、簡単に折れちまいそうな小指を。
「懐かしいことするじゃねーか。つーか、こんなもんに指切りすんのかよ。信用してねェのか?」
「しっ、してます!けれどこれを交わしておけば、絶対約束を破らないでしょう?破った時は針千本飲まなきゃならないし。」
「ハリセンボンな。」
「え?針…」
「違ェよ、魚。ハリセンボンっていう魚の名前だ。」
「じゃっじゃあ生魚を丸呑みするという意味だったんですか!?生臭い!」
そういう問題かよ、…くくっ。
「ほら、するんだろ?約束。」
小指を出す。
「それとも今ので怖気付いたか?」
「っ、します!」
紅涙と小指が絡まった。絡まって、結ばれて、契りを交わす。
「…不思議。」
指を見ながら、紅涙がポツりと言った。
「私、つい三日前まで十四郎さんみたいな人と出逢えるなんて思いもしませんでした。」
「そんなの当たり前だろ。」
出逢いなんて、どこぞの神か仏くらいしか知らねェ話だろうよ。
「きっと…ずっと昔からこの指はここに繋がっていたんです。」
嬉しそうに目を細める。
「……そうだな。」
運命なんて言葉は信じねェが、
もし俺の人生に紅涙と出逢う定めがあったのだとしたら、運命とやらも悪くない。
「もっと早くに…会いたかった。」
「…紅涙?」
「そうすればもっと長く…十四郎さんと一緒にいれたのに。」
悲しく笑う。
…なんだ、その言い方。まるで、
「…どこかに行くのか?」
いなくなっちまうみてェな口振りじゃねーか。
「行きませんよ、どこにも。」
紅涙がクスクス笑う。
「もし十四郎さんと早くに出逢っていれば、もっと私の人生に十四郎がいたのになと思っただけです。」
「…、」
「どうせこうして出逢うなら、どうして神様は…もっと早くに出逢わせくれなかったんでしょうね。」
「……、」
俺も…
「俺も……そう思うよ。」
「十四郎さん…、」
…もうダメだ。どうかしてる。紅涙を前にすると、俺は……
「…紅涙、」
俺は、どうしようもなくお前を…
「…身請けさせてくれ。」
「えっ…」
俺だけのものにしたくなる。
「身請け…ですか?」
「一緒にいられる時間が減っちまったなら、これから二人で取り戻しゃいい。そうだろ?」
…クセェ。クサすぎて我ながら恥だ。隊の奴らに絶対聞かせたくねェな話だ。
「十四郎さんが…私を……?」
「ああ。…考えておいてくれ。」
「…、」
紅涙の瞳が揺れている。俺は、
「……また来る。」
「…あー…やべェ。」
夜の街を歩きながら星空に呟く。
持ち帰ってきた団子の袋が風を受け、小さな音を立てた。
「……。」
煙草に火をつける。
「あー…、…。」
何度目かの嘆きを煙と一緒に吐き出した。
後悔してるんじゃねェ。ただ今日の夢路屋で過ごした時間が、夢か幻に思えるくらい疲れただけだ。
「しかしまだ何も解決してない状況で言っちまうとは…。」
しかも、半ば言い逃げで…。
あれ以上あの場に留まることは出来なかった。紅涙から返事を聞く余裕までは持ち合わせてなかったんだ。
「……はぁァ…。」
ここまで情けねェ男だったか?俺は。
「情けねェ。」
それしか思い浮かばない。
溜め息を挟みながら、ちょうど煙草が一本吸い終わるペースで歩き、屯所へ帰り着いた。…が、
「…ん?」
玄関の前で人影を見つける。戸に背を預け、腕を組むその人影の髪色が黄味がかったものだと分かった瞬間、
『終わった』
そんな言葉が頭に浮かんだ。
「…お帰りなせェ、土方さん。」
ニヤりと笑って総悟が言う。
「…こんな時間に何してんだよ。」
俺は平静を装い、煙草を消した。
「そりゃこっちのセリフでさァ。夜な夜な出歩き始めたと思ったら、」
こちらへ歩み寄り、俺の服を嗅いで薄い笑みを浮かべる。
「まさかミイラ取りがミイラになってたなんて。」
「…馬鹿言ってんじゃねェ。」
総悟を手であしらう。
「毎晩通い詰めるほどのイイ女ですかィ?」
「…何の話だ。」
「しらばっくれちゃって。夢路屋の話をしてから出歩き出してるくせに。」
「それとこれとは関係ねェ。」
「またまたァ~。俺にもどんな女か教えてくだせェ。」
「しつけェぞ。」
総悟をかわし、玄関の戸に手を伸ばした。開けようとしたその時、
「じゃあ紅涙って女、」
「!」
手が止まる。
「…、」
「…。」
「……なんだよ、早く言え。」
振り返った。総悟が薄く笑う。
「気になりますかィ?話の続き。」
「当たり前だろ。途中で止めたら誰でも気になる。攘夷との繋がりが疑われてるヤツでもあるんだからな。」
「ありゃ、覚えてやしたか。」
「…おい。人をバカにするのも大概にしろよ。」
「そりゃすいやせんでした。」
睨みつけても、総悟は鼻先で笑うだけ。響きやしねェ。
「んじゃあ掻い摘んで報告しまさァ。紅涙と攘夷の関係、掴みましたぜ。」
「っ!……何を…?」
「ヤツらの間を取り持ってると見て間違いありやせん。」
「…見たのか?」
「山崎が今日の昼間、桂と会ってるとこを目撃しやした。」
桂と…?
「高杉じゃねェのか。」
「桂でさァ。」
「…、」
当初の目撃情報は高杉だったはず。それに加え、桂とも会う姿を目撃したなんて……これは…もう……
「滞在時間はえらく短かったそうですぜ。しかも、女遊びの噂なんてない桂が遊郭に出入りしてるとなりゃ疑わしいことこの上なし。余程の用事があるか、家族同然に女を気に掛けているか、…はたまた両方か。」
「…、」
紅涙を思い浮かべてみる。総悟の想像を否定できるようなものは何もなかった。
「…山崎が張り込んでたのか?」
「ええ。あの緊急会議の後からずっと、日中は夢路屋を張らせてやした。」
日中ずっと…?
「そんなことするなんて聞いてねーぞ。」
「ありゃ?言わなきゃならねェ決まりでしたっけ。何か掴んだ時だけ報告すりゃいいって話だったから、土方さんも言わなかったんじゃねェんですかィ?」
「……。」
これはイヤミだ。コイツの中では、俺はもう言い逃れ出来ねェとこまで来ている。
「土方さん、」
俺の顔を覗き込む。
「土方さんが毎晩潜入してくれたおかげで、俺達は昼間に的を絞れやした。」
「…、」
「仕事熱心な副長を持つと、仕事が減って助かりまさァ。」
…紅涙。
俺達はきっと、もう会えない。これまでみたいに会うことは出来ない。おそらく次にお前の前に立つ俺は……
「ね?鬼の副長サン。」
俺は……、
「…、……感謝しろよ。」
真選組副長の、土方十四郎だ。
「フッ、…ならさっさと行きやすぜ。」
「どこに。」
「今から会議でさァ。夢路屋の摘発に向けて。」
総悟が指をさす。
こんな夜遅くなのに、近藤さんの部屋は眩しいほど明るかった。
「……わかった。」
小さな音が、遥か遠くに聞こえた。