さよなら、の日 1

卒業生入場

3年Z組の教室前で、

「…よォ。」
「土方君…、おはよ。」
「お前、暗くねェ?」

土方君が後ろから声を掛けてきた。私は振り向いて、「ん」と曖昧な笑みだけを返す。

「ンだよ、女々しいヤツだな。」
「だって…もう明日から皆に会えないんだよ?」
「俺ァこんなヤツらとようやく別れられて清々してるけどな。」

清々、か……。
土方君の言葉を聞きながら、軽いカバンを机に置く。斜め後ろの席に座る土方君も、同じように軽いカバンを置いた。
教室の中は最後の思い出を刻む子達で溢れている。写真を撮る子とかアルバムに寄せ書きをしている子とか、もう泣き始めている子とか。

「……、」

当たり前に来ていた場所へ、もう当たり前に来れなくなるということを皆が痛感している。

「お前も、もう泣くのか?」
「うるさい、」
「化粧とれんぞ。」

意地悪に笑う。
土方君は本当に悲しくないのかな…。私はすごく悲しいよ。
すごく……寂しい。
みんなと別れるのが。

君と、離れるのが。
さよなら、の日
-Sweet Memory-

「おら座りやがれコノヤロー。」

教室に入ってきた銀八先生がいつもと違う。
ダラダラでテロテロの白衣じゃない。きっちりしたスーツだ。
…あーあ。本当に……卒業式なんだね。

「お前らはZ組だから一番最後の入場な。それまでにこれ付けとけ。」

銀八先生が各列に花を配った。桜色の、丁度私の手の平と同じくらいの大きさのカーネーションだ。

「変なとこに付けんじゃねーぞー。胸ポケット付近に付けとけー。」
「先生、それは前振りアルか?」
「違ェよ!ったく、こんな日くらいマトモな解釈しろ。」

ガリガリと頭を掻いて、先生が黒板の方を向く。
何か書くつもりだったようだけど、既に黒板には誰かが書いた『卒業式』という文字があった。『楽しかったZ!』やモジャモジャの塊みたいになった銀八先生の似顔絵と一緒に。

「……鶴瓶じゃねーかよ。」

銀八先生が呟いて、小さく笑った。

「これどうかしら、紅涙ちゃん。」

お妙ちゃんが花を髪に付けて見せる。
うん、似合ってる。似合っててすごく可愛いけど…

「髪だと怒られちゃうかもよ?」
「平気よ~。今日は結婚式の次に女を輝かせる日だもの。涙で男を落とす日だもの。」
「お、お妙ちゃん?ちょっと違うような…」
「お妙さァァん!俺ァ落とされましたよ!しっかり落とされちゃったので今日はお持ち帰り的な方向で…ッゲフォォッ!」
「お前の鼻からカーネーション出してやろォか、アァン?」

お妙ちゃんが近藤君を蹴り倒す。「もうっ」と言いながら、結局髪から花を外した。
こういう光景も見れなくなるんだな……なんて考えていると、

―――トントン
「?」

後ろから肩を叩かれた。振り返ると、瓶底メガネの神楽ちゃんが花を二つ手にしている。

「コレどうアルか、紅涙!」
「か、神楽ちゃん、胸ポケットに付けなきゃだけど…一つでいいんじゃない?」
「何言うアルか!胸は二つネ!だから両方に付けなきゃいけないアル!」
「で、でもポケットは一つだし…」

花をボインと揺らすように「どうアルか!」と迫ってくる。というか、その花は誰の……

「ちょっと!困るよ神楽ちゃん!」

新八君がやってきた。神楽ちゃんの胸に付いてる花を見て、取るに取れず困り顔をする。

「僕の花なんだから雑に使わないでよ!」
「新八は花いらないネ。胸ポケットに眼鏡でも付けとけばいいアル。」
「それだと目が見えなくなっちゃうでしょーが!というか神楽ちゃん。今は神楽ちゃんも眼鏡してるんだから、眼鏡ネタは響かないよ。」
「……チッ。」
「おいそこー。って、神楽お前っ!」

神楽ちゃんは銀八先生に見つかり、渋々と新八君へ花を返す。
その銀八先生の腕には、ずっと猿飛さんがベッタリくっついていた。

「先生ぇっ、今日の先生は一段とSっぽいじゃない!?まさか卒業式の後にその上着だけを私に着せて羞恥プレイを…っグフォォォッ!」
「離れろっつってんだろうが。あっ、おまっ、納豆付いたじゃねェか!クッセー!!」

銀八先生が猿飛さんを引き剥がす。顔面を押して離そうとするものだから、猿飛さんの首からグキッと鈍い音が鳴った。それでも猿飛さんは首を押さえながら嬉しそうに頬を染めている。

「やだ離れないで先生~!ネバネバして~!」
「うるせェ!もう近づくな!!」

銀八先生は「着替えてくる」と言って、教室から出て行った。すると、そのタイミングを狙ったように山崎君が私の席に来る。

「あの…っ、早雨さん!」
「どうしたの?」
「あ、えっとさ、そのォ…写メ、一緒に撮ってくれない?」
「うん、いいよ。」
「!!ありがとう!一生の記念になるよ!」

ふふ、大袈裟だなぁ。
私は立ちあがって、山崎君の隣に立った。

「山崎ィ、俺が撮ってやりましょうか。」
「沖田さん、お願いしまッス!」

山崎君はなぜかいつも沖田君に敬語を使っている。彼いわく『本能的に』だそうだけど…同じクラスなのに不思議。
山崎君は嬉々としながら沖田君にスマホを渡した。

「紅涙、もっと笑いなせェ。」
「えっ、あ…うん。」
「行きますぜ。はい、チーちく。」
「いや『チーちく』って!」

シャッター音が鳴る。

「ちょっ、勘弁してくださいよ沖田さん!なんスか、チーちくって!ツッコミ入れちゃったじゃないですか!」
「チーちくを知らねェのかよ。チーちくっつーのは、ちくわの中にチーズが」
「そういう意味で言ったんじゃなくて!…も~、絶対俺ちゃんと写ってないじゃん。」

山崎君がカメラを確認する。てっきりブレていると思ったが、意外なことにブレはなかった。ただ、私だったら思い出に残したくないなという顔が収められている。
今時のカメラ機能って無駄にスゴいよね…。

「もう一回撮ってくださいよ沖田さん!次はチーちく無しで!」
「構いやせんが、何の掛け声ならいいんで?チーズフォンデュ?チーズタッカルビ?チーターは池畑と思いきや、あれはピーター?」
「チーズで!チーズ単品でお願いします!」

その時、山崎君が後ろの机に手をぶつけた。

「あっ、ごめ…すみません。」
「止めろよなァお前ら。俺は必至なんだから。」

マダ……じゃない、長谷川君だ。留年回数が半端なく、彼に敬語を使う人は少なくない。
実は私もその一人で、同じクラスなんだから敬語なんて嫌だろうなぁと思いながらも結局卒業まで敬語で話してしまった。たぶん教室でグラサンを外さないせいもあると思う。

「長谷川さんは就職希望でしたっけ。」
「おう。学業なんてもんより、今は目先の金だぜ。でもやっぱ難しくてよ…。」

「まだ決まってなかったんですか?就職。」
「グラサンOKな企業がなかなか見つからなくてなー…。」

それでも外す気ないんだ…。

「厳しい世の中だぜ。」

溜め息を吐き、教科書のように姿勢よくQ人雑誌を熟読する。
いや…うん、病気が理由でもないグラサンなんだから外せば解決すると思うよ。熱心だし真面目だし、人材としては良さそうなんだけどなぁ…。

―――ガラッ
「おいこらテメェら!誰が勝手に席立っていいっつったァ!?」

銀八先生が戻ってきた。
けど服装に変わりがない。スーツに納豆が付いたはずなのに…取れたのかな?

「オラオラ座りやがれェェ!」
「うっせェフワフワ陰毛~!」
「誰が陰毛じゃアア!フワフワなら陰毛じゃねェだろうがァァ!」

戻ってきたことにブーイングする生徒と、ギャーギャー否定する銀八先生。
…うん、いつもと同じだ。賑やかで、騒がしいZ組。
なのにどこか皆には余裕があって、この先の『卒業』を意識しているように感じる。
楽しくて笑っているのに、…寂しい。

「よし座ったかー?それじゃ最後の出席を取るぞー。」
「……、」

『最後』なんて…わざわざ言わなくていいのに。他の子達もまた泣き始めちゃったじゃん。特に猿飛さんなんて…

「銀さんと別れたくないィィッ!」
「銀八な!あと『先生』つけろ!誤解を招く別れに聞こえるだろうが!」
「誤解じゃありまぜんゥゥ!私と先生はプライベートでも――」
「ない!もう鼻水拭いて黙ってろ!」

ぐえぐえと猿飛さんが一人号泣している。
そうだよね、別れたくないよね。卒業式なんて…私たちのクラスにだけなかったらいいのにね。

「早雨、」

うつむいた私の斜め後ろから、土方君の声がする。その声に私は極めて短い返事をした。あえてじゃなく、息が詰まってそうなった。

「…ん、」
「よしよし、してやろーか。」

撫でてやると言ってくる。いつも土方君は絶妙なタイミングで声を掛けてきた。ずっと私のことを見てるんじゃないかと思うくらいに。

「なァって、早雨。」
「……。」

どんな顔をして言ってるんだろうと、顔半分だけ振り返ってみた。土方君はニヤッとした笑みを浮かべている。

「なんだよ。」

これは私を冷やかすことしか考えてない顔だ。
…人の気持ちも知らないで。私が一番誰と会えなくなるのを寂しく思ってるか、欠片も気付いてないんでしょうね。

「……ばか。」
「あァん!?」

私はフイッと顔を背けて、彼の言葉を無視した。

にいどめ