さよなら、の日 2

卒業生退場

最後のホームルーム。教壇に立つ銀八先生は「昨日、」と話し始めた。

「寝る前に、色々とこれまでの日々を思い返してみた。」

銀八先生もそんなことするんだ…。

「いや~、どれも吐き気がするような思い出ばっかだったわ。」
「先生ー、」

桂君が挙手する。

「どうした、桂。」
「生徒との思い出に吐き気がするとか、言っていい言葉ではないと思いまーす。」
「うっせェよ、ヅラ。」
「ヅラではありません、桂です。先生、そういうイジメを助長するようなあだ名を生徒の前で言うのは――」
「うるさいアル。」
―――ボコッ
「っゴェフッ!」

桂君が神楽ちゃんの右ストレートを受ける。机に突っ伏した。

「これで静かになったネ。」
「よくやった神楽。まァアレだ、うるさいのに慣れちまったから、明日からは静かだろうなって話だ。」
「……、」
「思い出ってのはいけねェ。全く…ろくでもねェことばっかだったのに、すっかり美化されちまって。」

銀八先生は黒板の文字を見て、小さく笑い、

「ほんと、吐き気がするよ。」

私達の方に振り返った。

「今まで楽しかった。ありがとな。」

ひねくれた言葉だったけど、充分すぎた。泣かないわけがなかった。
先生…、私も楽しかったです。このクラスで、本当に良かった。ありがとう、銀八先生。

「うしっ、じゃあ行くか。」

濡れた目のまま、席を立つ。
近藤君と目が合って、同じように赤い目をしていたことに笑った。笑ったのに、また涙が出た。

始まる前から泣いていた卒業式は、言わずもがなボロボロだった。
答辞も頭に入らなかったし、歌なんてろくに歌えやしない。退場する時は在校生の拍手を受けながら、友達と笑いながら泣いて出た。

不思議なくらい悲しい。皆と一生会えないわけじゃないのに、そこまで離れた場所に住んでるわけじゃないのに、もう二度と会えないような寂しさがある。

式を終えて教室に戻ると、先生は早々に「解散!」と告げた。「もう他にやることがないから」と。

「いいかー、どんな腐った人間になっても、人に迷惑かけねェようになー。」
「はーい、先生みたいにはなりませーん。」
「お前みたいなヤツが一番危ねェんだよ、ヅラ。」
「ヅラではありません、桂で――」
「だァァッもういい!とっとと帰れ!」

教室から追い出すようにシッシと手を振る。だけど桂君も、他の皆も、まだ誰も教室から出ていなかった。

「早雨、」

土方君が呼ぶ。また冷やかす気なんだ。心積りして振り返った。

「…なに。」
「お前に話しておきてェことがある。ちょっとツラ貸せ。」

顎で廊下の方をさす。土方君は私の返事を待たずに歩いて行った。…まだ行くって言ってないのに。

「え、ちょっとどこまで行く気?」

土方君は黙って廊下の端の方へ歩いていく。Z組の隣は空き教室で、その隣は非常口。非常口の前まで行ったところで振り返った。

「……そんなに聞かれたくない話なの?」
「たぶん泣くから。」
「えっ!?」

土方君が!?

「お前が。」

な、なんだ…。……でも私が泣く話?

「…何よ。」
「……、…俺、卒業したら地元を離れるわ。」
「……え?」

何を…いきなり……?それに『卒業したら』って…

「今日…卒業式だよ?」
「ん。」
「卒業したらって……いつ?」
「…明日。」
「!!」

なんで…なんでそんな……急に?

「紅涙にだけ言ってなかった。」
「!…どうして……?」
「言えなかった。お前が…そんな顔するのを見たくなくて。」

土方君の手が伸びる。

「あと、自分のために…言わなかった。」

私の目尻に触れて、拭うように撫でた。

「…『自分のため』って?」
「紅涙に言っちまうと、離れるのが早くなっちまうような気がしてな。」
「っ…土方、君…、」
「だから、ほんとに今日で最後だ。」

そんな…言い方…っ、

「そんな言い方…っ、しないでよっ。」
「…悪ィ。」

素直に謝る。珍しくて、余計に嘘じゃないんだと分かった。

「言わずに行くことも考えたんだ。どうせ『また会おうな』とか言っても、ただの気休めにすぎねェし。」

…わかってる。わかってるよ。『ずっと友達』とか『また会おうね』とか何百回約束しても、実際は大半が意味のない口約束になる。こんな風に過ごした時間も関係も、本当は今日で最後になる。……だとしても、

「私はっ、…私は土方君と……っまた、会いたいよ、」

土方君とは会えると思っていた。気休めなんかじゃなく、いつもみたいに絶妙なタイミングで声を掛けてくれるんじゃないかって。勝手に思ってたのに。

「なんでっ、行っちゃうの…っ?」
「…ごめんな。」

謝らないでよ。謝ったら余計にっ…

「ぅっ…」

悲しくなっちゃうじゃない…。

「……紅涙、」

私の頭に手を乗せ、優しく撫でる。

「泣いてくれ、早雨。」
「土方く、っ」
「いっぱい泣け。今なら俺が慰めてやれるから。」
「っぅ、っ、」

喉が詰まる。押し出されるように、とめどなく涙が出る。土方君は私の頭を撫で続けてくれた。

「向こうに行っても、連絡していいか?」

当たり前なことを聞かないで。

「私も、っ、連絡する。」
「……ああ。待ってる。」

胸が痛い。悲しい卒業式が、もっと悲しくなった。
寂しい気持ちが、何十倍も増した。

「やっぱ俺、早雨のことが好きだわ。」

………え?

「今…なんて……?」
「お前のことが好き。」
「っっ、…、」

あ然とする私に、土方君は困ったように笑う。

「言い逃げ、させてくれ。」
「土方君…」

そんな必要ない。だって私も……

「私も、土方君のことが…好きだよ。」
「……、」

土方君は少し驚いた様子を見せた後、目をそらして小さく笑った。

「俺に合わせなくていいって。」
「違うっ、本当に…、……行くのは、遠いところ?」
「…そうだな。遠い。」
「じゃあ、…いっぱい電話するよ。」
「早雨…、」

どれだけこの瞬間に思い出を作って、記憶に焼きつけたとしても、

「いっぱいメールも送るし、っ…手紙も、書く、っ。」
「…わかった。楽しみにしてる。」
「土方君も、っ」
「ああ、する。お前が待ってるなら、…なんだってするさ。」

私達がこうして過ごした時間は、時が経てば風化して色褪せる。薄く、いずれは影となり、思い出も消える。…けど、

「いっぱい、っ…土方君を、想うからっ、」
「早雨…それは……」
「言ってるじゃんっ、私…土方君が好きだよって…。」
「!…そう、なのか。」

私達の関係は、今から始まる。消えるものばかりの今日の中で唯一、これから色付く約束が出来る。

「お金っ、貯まったら逢いに行くから、っ、」
「…ああ。…ありがとな、早雨。」

土方君が私を抱き締めた。その腕が僅かに震えていて。

「…私も同じだよ、土方君。」

その背中に手を回し、ギュッと抱き締め返した。
嬉しい気持ちも、ホッとした気持ちも同じ。寂しいのも、悲しいのも、離れたくなくて、放したくないのも…きっと同じ。

「…早雨、」
「うん?」
「今日…、…一緒に帰ろう。」
「…うん、いいよ。」
「それで…その後も……一緒にいてほしい。」
「でも、明日の準備は?」
「済んでる。」
「…そっか。」
「日が変わるまででいいから…一緒にいてくれ。」
「…うん。いる。…私も、一緒にいたいよ。」

私達が恋人同士として初めて過ごす、最初で最後の放課後。
何をしようかとか、どこへ行こうかとか、そんなことを二人で話した。たぶん一緒に過ごす時間に意味があるから、私達は大したことをしない気がする。ただ一緒にいたいだけだから。

「あ、いたいた!トシ~!早雨さーん!」

近藤君が手を振りながら走ってきた。

「どうした?」
「皆で写真撮るんだってよ。グスっ、」

目と鼻を真っ赤にした近藤君が涙を拭う。土方君は小さく笑って、「わかった」と言った。

「行くぞ、早雨。」
「…ん。」

苦しくても、悲しくても、今日は皆の門出。土方君も私も例外なく新しいスタート地点に立っていて、この先、個々違う方向へと歩いて行く。それでもきっと、

「はい撮りますよー、」

歩き進める道の先は一本に繋がって、いずれは同じ道を二人で歩ける日が来ると…私は信じてる。

「ちょっと先生、もう少し詰めてくださらない?」
「これ以上は無理だって。」
「いや姉上、そこ十分広いじゃないですか。」
「お妙さんの隣ゲェェェッツ!!!」
「離れろコルァァァァ!!!!」
「さっちゃんは先生の横がいいんだゾ☆」
「知らねェよ、暑苦しいんだよオメェは!あっ、テメッ足に納豆付けやがって!!」
「詰めるヨロシ。たまが写らないネ。」
「いえ、私は…」
「近藤さん、顔にアザ出来てやすぜ。」
「これは愛の証!言わばお妙さんからのキスマーク!!」
「気色悪ィんだよゴリラがァァ!」
―――ピープー
「ヒデブッ!」
「あ、今のは秘孔を突かれた音じゃねェですかィ?」
「それ死ぬヤツゥゥ!!姉上!やりすぎですよ!」

「早雨、ほら。手。」
「え、やだよ。写ったら恥ずかしいし…。」
「写らねェって。見ろ、前にあるこのハム子の壁。」
「ちょっ、」

皆に内緒でこっそり繋いだ手も、いつか交わるその道で、変わらず繋いでいますように。

「お前らァァ、元気に過ごせよー。」
「先生もねー!!」

満開の桜と、笑顔に涙。
古い私たちに、
さよなら、の日
-Sweet Sweet Memory-
2010.03.06
2019.11.21加筆修正 にいどめ せつな

にいどめ