それほど大切じゃない 2

いつだって

大江戸マートの買い物袋を片手に、
私と土方さんは人目もはばからず抱き締め合った。
唯一救いなのは、今が夜で、ここは西遊郭店で、女性客の少ない場所だということ。もし土方さんのファンがいたら私はきっと明日から太陽の下を堂々と歩くことは出来ない。

…とはいえ、駐車場に停まっているパトカーは少なからず注目を集めやすくする。

「いい加減にしてくだせェ。もう小一時間は恥を晒してやすぜ。」

運転席から、退屈そうに片肘ついた沖田さんが言う。

「えっ小一時間!?もうそんなに経つんだ…。」
「んなわけねェだろ。コイツは平然と嘘を吐ける男だ。」
「ひでェや土方さん。聡明な部下はアンタらをネットから守ってやってるっつーのに。」
「ネット?…てか誰だよ、『聡明な部下』って。」
「もちろん、俺でさァ。」

沖田さんが左手を出す。

「何だ?」
「まァ見ててくだせェ。」

手の平に、どこからか取り出した飴玉を乗せる。途端、それを右手で弾いた。

―――ヒュッ
「わっ、」

飴玉は音を鳴らし、私達の横を通り過ぎる。

「おい総悟!危――」

「ギャッ!!」

「「!?」」
「い、今のって…?」
「見るな。」

土方さんが私の頭を胸に抱き寄せた。

「えっ、」
「お前に変なもん見せて、トラウマにしたくねェ。」
「土方さん…!」
『はいそこのアホ二人ー、先に俺の行動を感謝しろーィ。』
「てめっ、パトカーのスピーカーを使って話すんじゃねェよ!!」
『それよりもアレを見てくだせェ。』

なおもスピーカーで話す沖田さんが、私達の後方を指さす。そこには、足をもつれさせながら走り去る男がいた。

「なんだアレ。」
『アンタらをスマホで撮ろうとした輩でさァ。狙いは拡散ってとこじゃねーですかィ?』
「拡散だァ?何が楽しくてそんなことを…」
『そりゃあ注目を浴びてェだけかと。』

注目…、そうだよね。土方さんは名の知れた警察官。些細なことでも話題になって、不祥事になり得るんだ。

「つまんねェことしやがって。しょっぴくか…アイツ。」
『俺としては土方さんを踏み台に出来るんで、拡散を支援してェところでさァ。』
「…おい。」
『けど安心してくだせェ。真選組にまで火の粉が降りかかるようなことは、俺が未然に防ぎやすんで。なんたって、次期副長になる場所だし?』

ニタニタとした笑みをこちらに向け、ようやく沖田さんはマイクを置いた。

「ったく、アイツは。」
「なんだか大変そうですね…、土方さんの環境。」
「そうやって分かってくれる奴がいるだけ、ありがてェよ。」

苦笑して、私の手を握る。

「家まで送ってく。」
「すみません…、ありがとうございます。」
「住んでるのはどの辺りだ?」
「えっと…、」
「いや待て、その前に名前だな。まだ聞いてなかった。」
「あ…本当ですね。」

私は土方さんの名前を知っていたから、余計に忘れていた。

「名前は?」
「紅涙です。早雨 紅涙。」
「俺は土方十四郎、真選組で副長を…って今さらか。」
「そうですね、よく知ってます。」
「だよな。」

二人で笑いながらパトカーに歩み寄った。
ドアを開けた時、胸にフワッと寂しさがよぎる。
もっと、話していたいな…。もう少しだけ、一緒にいれないのかな…。

「……、」

…なんて、言えないから。私は土方さんの手をほんの少し強く握った。

「…なんだか、順番が逆ですよね。」
「順番?」
「何も知らないのに、こんなにも人を好きになれるんだなと思って。愛染香って凄いです。」
「一目惚れと同じ原理なんじゃねーか?」
「私はそれよりももっと、深くて濃い気持ちですよ。」
「言いやがる。あくまでも原理の話だ。…つか、あんまそういうこと言うなよ。」
「そういうこと?」
「ああ。」

土方さんは私の手をギュッと握り、

「紅涙のこと、帰したくなくなっちまうようなことだ。」

小さく笑って、そう言った。盛大に胸がトキメキ、思わず手で押さえる。

「ひ、土方さん…」

どうしよう…。これはもう…っ、帰りたくない!

「どうした?」
「っ、…、」

言ってもいいのかな…。土方さんには、この後も仕事があるだろうし…。

「あ、の…っ」
「ん?」

…だめだ、気持ちが溢れる。私の中に冷静な自分がいない。これが…愛染香の効果?

「あの、私…っ、まだ土方さんと一緒にいたいです!」
「紅涙…、」
「もう少しだけでいいから…一緒にいられませんか?」

恐る恐る顔色を窺う。土方さんはフッと息を吐き、私の頬を撫でた。

「いれる。俺も、お前といたい。」
「っ…土方さん!」

抱き締めようと手を伸ばした直後、運転席のドアが開く。バフッと音がして、土方さんは押し退けられるように足をふらつかせた。

「て、めぇっ!思いっきりケツに当たっただろォが!」
「いつまでも古いラブコメを見せてるからでさァ。とっとと車に乗ってくだせェ。」
「乗らねェ。俺は歩いて帰る。」
「はァ?何くだらねーことを。」
「遅くなるって言っといてくれ。」
「出来やせんよ。」
「…あァ?」

はっきりと拒んだ沖田さんに、土方さんが眉を寄せる。

「アンタは押収物を吸っちまった人間ですぜ?現物を燃やしたその症状は今後の捜査に必要なもんでさァ。」
「くっ…」
「今の土方さんに自由があるなんて思わねェでくだせェよ。」

真っ当な意見なのか、土方さんは悔しそうな表情で沖田さんを睨みつけた。

「…わァったよ。」
「土方さん…、」
「悪い、紅涙。お前のことは、ちゃんと送って帰るから。」
「何言ってんですかィ?当然、紅涙も一緒ですぜ。」
「はァ!?」

私も屯所に?それはちょっと…嬉しいかも。

「紅涙は関係ねェだろうが!」
「大いにありまさァ。なんたって同じ愛染香の吸引者じゃありやせんか。同様に記録を録るのが筋ってもんですぜ。」

沖田さんが何かを手の上で跳ねさせる。それは先ほど土方さんが燃やした『愛染香』だった。

「お前、いつの間にそれを…!?」
「勘違いしないでくだせェ。俺ァ落ちてたから拾ったまで。」
「返せ!」
「できやせん。そもそもアンタの物じゃねェし。」
「総悟、テメェ…!」
「そんなに心配しなくても、新しく誰かを標的にしたりしやせんよ。」

薄い笑みを浮かべ、沖田さんは胸ポケットに愛染香をしまう。

「とりあえず乗りなせェ。屯所へ戻りやしょう。」
「……、」

土方さんが心苦しそうな表情で私を見る。私は顔を振り、微笑んだ。

「これでもう少し一緒にいられますね。」
「!…、…そうだな。」

ドアを開け、二人で後部座席に乗り込む。バックミラー越しに沖田さんと目が合ったけど、

「…こりゃ…………や。」

呟いた声を聞き取ることは出来なかった。

10分ほど車に揺られ、真選組の屯所へ辿り着く。
私と土方さんは先に門の前で降ろしてもらった。

「それじゃあ俺ァ停めてきやすんで。」
「ああ。…頼む。」
「沖田さん、ありがとうございました。」
「何がでさァ。」
「え、あ…、ここまで…送ってもらって?」
「疑問文ねィ。」

呆れたように小さく笑う。

「い、いえっ!その、送ってもらってと言うのは違う気がして…。」
「確かに。というか俺ァ仕事でアンタを乗せてきただけなんで、礼なんかいりやせん。」

沖田さんは前へ向き直し、車を発進させる。テールランプは先の曲がり角で消えた。

「…なんか不気味なんだよな。」
「何がです?」
「アイツ。今日は妙に真面目なんだ。あとマトモ。」

普段の沖田さんって一体…。

「まァいいか。どうせ動機は不純だろうけど、ちゃんと仕事してるからな。」
「ふふ、そうですね。」

土方さんは伸びをして、私の手から買い物袋を取った。

「行こう。俺の部屋に案内する。」

『俺の部屋』…っ!

「よっ、よろしくお願いします!」
「よろしく……?…ふっ、部屋を案内するだけだぞ?」
「え!?あ、すみません…気にしないでください。」

私、何言ってるんだろう…!
恥ずかしくて頬が熱い。土方さんは小さくて笑った。

「ところで、これはどうする?」
「?」
「貴重な258円のアイス。」

買い物袋を掲げる。

「あー…、」

きっともうドロドロに溶けてるだろうな…。

「冷凍庫に入れておくか?」

高かったし、次はいつ買えるか分からない。…けど。

「もういいですよ。」

今はそこまでショックじゃなかった。たぶん、アイスより土方さんといる方が私の中で価値があるから。…いや『たぶん』じゃない。圧倒的に価値がある!

「捨てちゃってください。お手数お掛けしますが。」
「まだ食えんだろ?」
「そうですね。でも分離しちゃうと味が…」
「なら俺に使わせくれ。」
「『使う』?」

何に…?
その時、屯所の玄関が開いた。体格のいい着流しの男性が顔を出す。

「おおトシ、帰ってこれたのか!」
「ただいま、近藤さん。」

近藤さんって…局長の!?

「総悟から話は聞いてるぞ。そちらの女性と愛染香を吸ったんだな?」
「その言い回しは気になるが…まァそういうことだ。…悪い、ドジっちまって。」
「気にするな。大して具合が悪いようでもなくて安心した。」
「そうだな…。」

土方さんが目を伏せる。力ない目で私を見た。
…あ!そうだ、挨拶しなきゃ!!

「あっあの近藤さん!はじめまして、早雨 紅涙と申します。」
「俺は近藤勲だ。よろしくな。」

近藤さんが右手を差し出す。握手すると、その大きな手に少し驚いた。なんというか、すごく包容力がありそう…!

「しかし良かったなァ、トシ。」
「何が?」
「もし総悟と吸ってたら、総悟と恋仲になってたわけだろ?彼女で良かったじゃないか。」
「!……だな。」
「いいな~、俺も好いたかったな~。」
「冗談言うなよ、吸いたくて吸ったわけじゃねェんだから。つーかアンタは以前に幸せな思いしてんだろ?」
「それはそうだが、あの時は何かが違ったんだ…ああ勿体ない!」

顔を手で覆う。しくしくと泣いてみせる姿は可愛らしく、親しみのある人だなと思った。
…と、その前に。

「近藤さんも愛染香を経験されているんですか?」
「おうよ!…だか情けないことに、当時のことをほとんど覚えてなくてな。」
「近藤さんはかなりキツくかかったらしいんだ。」
「そうだったんですか…。」
「経験者として解毒アドバイスできれば良かったんだが、役に立てんのだ…。」

苦笑いを浮かべながら後頭部を掻く。

「だが安心しろ!助っ人を呼んであるっ!」
「「助っ人?」」
「ああ。客間にいるぞ。早速会ってくれ!」

近藤さんの後に続き、土方さんと部屋へ向かう。

―――スパンッ!
「待たせたな、万事屋!!」

勢いよく障子を開けると、机に突っ伏している人がいた。

「んー…むにゃむにゃ。」
「なんだ、寝ちまったのか。」
「いや絶対寝てねェだろ!寝てる時に『むにゃむにゃ』とか言うヤツいねェから!」
「あ、トシはスヤスヤ派?」
「そんな派閥ねェよ!それよりなんでこんなヤツを呼んだんだ!」
「そりゃあ万事屋は愛染香を嗅ぎつつも事件を解決した男だから――」
「…っるせェな、」

くぐもった声が聞こえる。突っ伏していた肩が動いた。

「お前ら今何時だと思ってんだよ。あんまうるせェと警察に通報すんぞ。」

万事屋さんが顔を上げ、口元を拭う。

「ここが警察だバカ!あとヨダレ拭いた手を座布団で拭いてんじゃねェ!」
「あの、こちらの万事屋さんも愛染香を…?」

近藤さんが腕を組んで頷く。

「コイツはとんでもねェすけこまし野郎になったが、最終的には――」
「ちょーっと待った。」
「なんだ、万事屋。」
「おい土方、」

万事屋さんは眠そうな目を土方さんに向ける。

「俺に愛染香をよこせ。」
「はァ?…なんでだよ。」
「もう処分すんだろ?その方法つっても、今は燃やしきるくらいしかねェ。だったら、」

万事屋さんが立ち上がる。私と土方さんの前まで来てニッと笑うと、手を伸ばし……

「俺が燃やしてやるよ。コイツと二人で。」

私の肩に腕を回した。

「…え?」
「ッ、放しやがれ!」

土方さんが万事屋さんの腕を掴む。

「紅涙は俺の女だ。指一本触んじゃねェ…っ!」
「イダダ!てめっ、なんつー力で…ッわかった!わかったから一旦落ち着け!」

万事屋さんの手から解放された。すぐさま土方さんが私を背に隠す。睨みつける眼差しはギラギラと輝いて見えた。

「土方さん、カッコイイ…!」

つい心の声が漏れる。土方さんは顔半分だけ振り返り、フッと笑った。

「お前も可愛いよ。」
「っ!」

む、胸に矢が…!今絶対、矢が刺さった!!

「トシがそんなことを言う日が来るとは…。」
「こりゃ完璧に効いてるな。うぜェわ。」

万事屋さんが耳の穴を掻きながら首を振る。そこへ、

「そんなもんじゃありやせんぜ、二人のウザさは。」

沖田さんが入ってきた。

「この二人、アレを嗅いでから所構わずイチャつきっぱなしでさァ。」
「…本当か?トシ。」
「っ…そこまでじゃねェよ。」
「そうですかィ?俺ァ公衆の面前で抱き合うなんてこと、恥ずかしくて出来やせんが。」
「うっ。」
「仕事を放ったらかしにして女を送ろうとも思いやせんし。」
「え~信じらんなァい。そんなことしちゃう人なんだァ~。」
「うるせェ万事屋!それだけ愛染香が強力なんだよ!」

土方さんが耳まで赤くする。

「つーか!すけこましになったテメェなら分かってるはずだろうが!」
「そりゃまァな。」

軽く頷き、万事屋さんが腕を組んだ。

「だからこそ助言してやるよ。」
「助言?」
「幻に浸かりすぎるな。」
「「!」」

その言葉に、言い得ぬ衝撃を受けたのは…

「…テメェに言われなくても、分かってる。」

たぶん、私だけじゃなかった。

にいどめ