それほど大切じゃない 6

大切じゃない

愛断香の煙が視界を覆う。
不意に、よからぬ考えが思い浮かんだ。

もしかしたら、この煙を吸わなければ効果は消えないかもしれない――

全く吸わないことなんて無理だけど、焚き終わるまで極力、息を我慢していれば…
みんなに会った時も効果が切れたふりを通せば、まだあと少しは傍に…いられるんじゃないのかな。

「……。」

私は隣に立つ土方さんを窺い見た。土方さんも、同じことを考えていたらいいなと思って。
霧がかる視界の中で目が合う。

「……、」

土方さん、私…

「…お前で良かった。」
「えっ…」
「愛染香に掛かっちまった相手が、紅涙で良かった。」
「!」

思わず、息を吸った。

「あっ…」
「どうした?」
「…、…いえ…」

話せば話すほど、愛断香は身体に入る。私の中に、そして土方さんの中に。
…でも、そっか。
続けたかったのは私だけだったんだね。土方さんは真選組の未来のために決断したんだから、簡単に気が変わることなんてないんだ。

「…また、いつか、」
「ん?」
「またいつか、…バーボンのアイス割りを一緒に飲みましょうね。」
「…そうだな。」

土方さんが微笑む。

「今度はちゃんと固まってるアイスで割ってやるよ。」
「ふふっ、……楽しみにしてます。」

私も微笑んで、大きく息を吸い込んだ。

割れたハートは静かに燃える。少しずつ灰を生みながら…確かに、着実に、煙を上らせた。

それから程なくして。

「どうだ、お二人さん。気分の方は。」

部屋へ入ってきた万事屋さんが、愛断香の火を消す。
しかし愛断香は、まだハートの形が僅かに変わる程度しか燃えてきっていなかった。

「もういいんですか?」
「ああ。お前らは元から目がハートになる症状も出てなかったし、この程度で十分だ。」
「なら残りはこちらで保管しておこう。」

近藤さんが小さな缶を取り出す。愛断香をつまみ上げ、その中へ放り込んだ。

「で、どうなんだトシ。ちゃんと効いてるか?」
「…そうだな、」

自分を探る様に目を伏せ、顔を上げる。

「たぶん効いてる、と思う。」
「わからないのか?こう変わった感じとか、何かあるだろ。」
「多少な。さっきよりも心の中が落ち着いた気はするよ。」
「うーん…そうか。それじゃあ…」

近藤さんが私を捉えた。

「キミの方はどうかな。」
「は、はい。効いていると…思います。」

正直、私もあまり分からない。
けれど土方さんへの気持ちがゼロになったかと問われれば…どうだろう。やっぱりよく分からない。

「なんというか、二人とも手応えを感じない返事だな。」

近藤さんが顎を擦る。万事屋さんは気怠そうに「そんなもんだろ」と言った。

「煮えたぎるみてェな感じねェし、とりあえず仕事にも支障出なさそうじゃん。いいんじゃね?」
「…そうだな。吸わせ過ぎて二人の可能性まで潰してしまうのは忍びない。」

可能性…?
大きく頷く近藤さんに、私と土方さんが首を傾げる。

「どういう意味だ?」
「何か…副作用があるんですか?」
「副作用というか、必要以上に摂取すると相手を嫌いになるんだ。」
「「!」」

それは…

「だが今は一応効いているようだし、このまま様子を見ることにしよう。追加で焚く必要があるかどうかは後日に判断する。」
「わ、わかりました。」

ホッと胸を撫でおろした。
一瞬にして沸き上がった不安と安堵。これって…愛断香が効いていないせい?

「んじゃまァ、とりあえず一件落着っつーことで。」
「ああ。助かったよ、万事屋。」
「礼は金でいい。」

うんと伸びをして、肩を回す。

「近藤、約束通り現金、もしくは当月振り込みで頼むぞー。」
「わかってる。ちゃんと手配済みだ。」
「よし。じゃァ土方、お前はちゃんと紅涙チャンを送ってやれ。」
「言われなくてもそのつもりだ。偉そうに指図すんな。」

フンと鼻を鳴らし、土方さんが私を見た。

「世話掛けたな、紅涙。家まで送る。」
「あっ、いえ…大丈夫ですよ。まだお昼過ぎですし、歩いて帰れますから。」
「遠慮すんな。車くらい出させてくれ。」
「いえ、本当にお気遣いなく…」
「乗ってってやれよ、紅涙チャン。」

万事屋さんが、ポンと私の肩に手を置いた。

「心配しなくても、俺も一緒に乗って『送り狼』から守ってやるよ。」
「お前を乗せるなんて一言も言ってねェから。つーか誰が送り狼だ!」
「お前?」
「指さすな!」
「まァまァトシ、どうせついでだ。乗せてってやれ。」

穏やかな近藤さんの声に、土方さんが口をつぐむ。

「……チッ。わァったよ。今回だけだからな。」
「やりィ~!俺、一回サイレン鳴らして走ってみたかったんだよなァ。」
「なんでお前が運転してんの!?そもそもサイレンなんて鳴らさねェし!」
「ケチくせェこと言うなよ、大串君。」
「大串じゃねーから!ったく、久しぶりにどうでもいい呼び方しやがって。」

土方さんが懐から煙草を取り出す。咥え煙草で火を点ける仕草も、この半日で何度となく見た。
噂通りのヘビースモーカーで、噂よりも優しく…甘い人。…まぁそれは愛染香のせいもあるけど。

「ふぅ、」

煙草の煙がゆるりと上る。それを何気なく目で追った、その時。

「っぅおい土方!それ消せ!!」

突如、万事屋さんが叫び出した。

「あァ?なんでだよ。」
「いいから早く消せ!あと全員、息止めろ!」

まくし立てるように言い放ち、自身は袖で口元を覆う。焦った様子で窓を開けに走ったかと思うと、パタパタと手で扇いだ。どうやら部屋の空気を出しているらしい。

「「「?」」」

状況は呑み込めないが、私三人もひとまず従った。

『なんなんだ?』
『わかんねェ。』

近藤さんと土方さんが目で話す。
しばらくして、万事屋さんが疲れた顔つきで息を吐いた。

「もういいだろ…。はァ、危いとこだったな。」
「危ない?」
「急に訳わかんねェことすんなよ。」
「そりゃこっちのセリフだ!」

万事屋さんが目を三角にして灰皿を指さす。

「お前のそれ!愛染香じゃねェか!!」

……え?

「トシの煙草が…愛染香?」
「…笑えねェ冗談だぞ、万事屋。」
「冗談じゃねェ!お前…煙草に仕込むなんて、なんつー卑怯な手を…!」
「はァ!?俺じゃねェよ!ンなことするわけねェだろ!?」
「知らねェよ!愛染香で飛んでる間に細工したんじゃねェですかね!実際、残ってる愛染香も出してねェしな!」
「あれは総悟が持ってんだよ!」
「どうだかな!」
「ッ、テメェッ…!」

土方さんが身を乗り出す。その肩を近藤さんが掴んで止めた。

「落ち着け。トシが故意に焚いたわけじゃないのは分かる。」
「近藤さん…!」
「仮にトシが愛染香入りの煙草を生成していたとしても、その煙草をここで焚くにはデメリットが多すぎる。俺や万事屋まで吸うことになるんだからな。」
「……ああ。」
「じゃあ今の愛染香はどう説明すんだよ。」
「何らかの理由で、さっきの煙草に付いちまってたんだろ。で、火を付けたから不可抗力に燃えちまった。」

近藤さんが土方さんに手を出した。

「トシ、今持っている煙草を全て出せ。廃棄する。」
「…わかった。だが待ってくれ。」
「ほーらな。やっぱ確信犯なんだって、コイツ。」
「話は最後まで聞け、バカ田。」
「バッ…!?」
「近藤さんは追求しない方向で話をつけてくれようとしたが、このままじゃ俺自身も納得できない。…変な疑いを掛けてくるヤツもいるしな。」

万事屋さんを横目で見る。見られた万事屋さんは鼻先で笑った。

「どうやって身の潔白を証明するおつもりで?」
「手持ちの煙草全てを改める。愛染香の混入が目視で確認できない物に関しては、充分注意した上で全て燃やしきる。」
「仕分けの段階で細工されちまったら真実は永遠に闇の中だけどな。」
「なら、付きっきりで見てりゃいいだろ。」

徹底してる…。それだけ自分ではないという自信があるのだろう。

「…とはいっても、先に紅涙を送らねェとな。」
「はァ!?ンなことしたら、証拠隠滅の機会が出来ちまうだろうが!」
「ンなこと言ってたら送るのが遅くなっちまうだろうが!!」
「わっ私は大丈夫ですから!」

また言い合いに発展しつつある二人に声を上げる。

「先に確かめてください、土方さん。」
「…どんだけ時間掛かるか分かんねェぞ?」
「構いません。…私も、気になりますし。」

それに、土方さんと過ごせる時間も少し延びるし…。

「疑いを晴らしましょう。」
「…ああ。わかった。」

土方さんが懐から煙草の箱を取り出した。けれど、

「ん?」
「どうした、トシ。」
「…いや、なんか……」

早くも一本を引き抜いたところで、首を傾げる。

「なんか…入ってる…?」
「「?」」
「出してみろよ。」

万事屋さんが言う。土方さんは箱の中へ指を伸ばし、その『何か』を引っ張り出した。
出てきたのは、小さな紙切れ。

「煙草のフィルターの一部か?」
「いや違う。…何か書いてある。」

全員でその小さな紙を凝視した。そこに書いてあった文字は…

『ハッピーバースデー土方さん。俺からのプレゼントは気に入りやしたか?』

「「「「……。」」」」

署名はない。ない、が……

「っ総悟ォォォ!!」

全員が確信した。土方さんが煙草の箱を握り潰す。

「アイツっ…今年は俺だけじゃなく周りにまで迷惑掛けるようなことしやがってっ!」
「ちゃんと管理しろよ真選組ィィ~。」
「しかし総悟のヤツも年々やることが細かくなるなァ…。」
「感心してる場合じゃねェよ近藤さん!」
「土方、お前そろそろ殺されるんじゃね?」
「っるせェ!あの野郎…っ、一回キツく叱ってやる!」

足を踏み鳴らし、部屋の障子を勢いよく開けた。するとそこに山崎さんが。

「あっ…副長、」
「どけ。」

アゴで指し示される。しかし山崎さんは顔を強ばらせながらも動かなかった。

「沖田隊長なら…巡回中で…いませんよ?」
「…テメェ、人の話を盗み聞きしてたのか。」
「すっすみません。」

目を伏せる。どことなく、その頬が赤くなった。

「…?」

あんな顔つきの人だったっけ?
不思議に思っていると、近藤さんが「山崎」と呼んだ。

「お前、今までどこに行ってたんだ。」
「え、あ…ずっといましたよ。」
「?いなかっただろ。」
「いました!その、……ょうの傍に。」

山崎さんがチラッと土方さんを見る。

「なんだよ。」

「いっいえ!何も…」

またひとつ頬を赤くして、モジモジと身体をくねらせた。
ほんと…どうしたんだろう。
さすがの土方さんも怪訝な顔つきになってくる。

「お前は今までどこにいたって?」
「ふっ、副長の傍です!ちなみに一睡もしていません!」
「…ふざけてんのか。」
「ふざけてません!本当に…いました!床下とか天井裏に!!」
「「……。」」

沈黙が流れる。

「あの…どうしてそんなところに?」
「……フンッ。」

私の問い掛けに、山崎さんがプイッと顔を背けた。

「紅涙さんとは話したくありません。」
「え!?」
「おいコラ。なんだ、その態度。」

土方さんが山崎さんの胸倉を掴んだ。

「紅涙に謝れ。」
「いえっ、そこまでしていただかなくても…」
「嫌ですっ!俺は絶対に謝りません!」

ええぇ…。その態度はちょっと…モヤモヤするなぁ。

「山崎ィィ!」
「ぐェっ!っだ、だって…っ」

山崎さんは唇を噛み締め、

「だって俺っ…副長が好きなんですもん!!」

声高らかに告白した。
部屋が色んな意味で凍ったのは、言うまでもない。

にいどめ