煙草の王子様 3

Question.3

これは、地球ではない星にある『江戸』のお話。
その江戸にも同じく、真選組という組織がありました。もちろん彼らも街を護る警察官です。

「はァーったく、いくらやっても終わんねェ!」

真選組の副長 土方十四郎は、日々仕事に追われていました。優秀が故の忙しさ。睡眠不足もたたり、常にイライラしています。
そんな彼の唯一の癒しというのが煙草……失礼、彼女でした。

「お茶をお願いしましょうか。」
「ん、いやいい。」

彼女は副長補佐であり土方の恋人、早雨 紅涙。ほとんどの時間を副長室で過ごしています。

「チッ、誰だ?この汚ェ報告書は。」
「山崎さんじゃないですか?『あんパンの餡を落として拭いたら伸びちゃって~』みたいなこと言ってましたし。」
「あの野郎…っ」
「返却ですか?」
「おう!書き直しだ書き直し!却下印を五つくらい押しとけ!」
「はーい。」

共に過ごす時間がとても長い二人。
あうんの呼吸は恋人だからというだけではありません。互いを敬い、かけがえのない存在だと認識し合っているのです。
紅涙が仕えたいと思う相手は土方ただ一人、そして土方もまた、自分をフォローする相手は紅涙しかいないと思っていました。

…そんなある日。

「ケホッ…、」

紅涙が頻繁に咳をするようになりました。体調が思わしくありません。本人いはく風邪ではないようですが、乾いた小さな咳ばかりを繰り返します。

「やっぱり医者に診てもらった方がいいんじゃねェか?」
「そんな大層なものじゃありませんよ。それよりも早く仕事を終わらせないと!」

話しながら微笑む紅涙ですが、土方の目には少しやつれて見えました。

「紅涙…最近、痩せたな。」
「今の時代、その発言もセクハラですよ?土方さん。」
「…謝罪する。だが実際、痩せてるだろ?」
「うーん…どうですかね。最近体重を測ってませんから。」
「なら測れ。」
「えー…。食べる量は変わってないんですし、きっと痩せてませんよ。むしろ太ってるかもしれないので測りたくないです。」

不満げに口を尖らせる紅涙は確かに元気そうです。しかし土方は納得できませんでした。そこで、

「おい総悟。」

部下にも聞いてみることにしました。

「なんですかィ?」
「最近の紅涙、ちょっと痩せた気がしねェか?」
「さァ?パッと見じゃ分かりやせんが。」
「んだよ、ちゃんと見ろよ。」
「わかりやした。じゃあ早速、今から紅涙を脱がせて肉の付き具合を見てくることにしまさァ。」
「バッ、そこまでしろとは言ってねェよ!…ただ、誰か他に違和感を覚えたやつがいねェかと思っただけだ。」
「ダイエットしてんじゃ?」

総悟の問いに、土方は首を振ります。

「してないってよ。」
「なら医者には診せた方がいいかもしれやせんね。」
「だろ?俺もそう思うんだが、『必要ない』って行かなくてな。見てる限り食事の量も変わってねェし、菓子も食ってる。睡眠だって取らせてるし、痩せる要素はないはずなんだがな。」
「……。」

土方の話に、沖田が難しい顔をして考え込みました。

「何か思い当たるのか?」
「…いや、土方さんが過保護で気持ち悪ィなと思いやして。」
「……ほっとけ。」

土方は沖田に聞いたことを少し後悔しました。
けれど話を聞かされた沖田もまた、聞いたことを後悔していたのです。なぜなら多少なりとも沖田は、紅涙を気に掛けていたから…。

「という話なんですが旦那、どう思いやす?」

街に出た沖田は、万事屋に話してみることにしました。紅涙と万事屋は甘味屋巡りをする仲です。

「どうって言われても、俺ァ医者じゃねーんでな。」
「なんとか紅涙を病院に連れて行く方法はありやせんか?例えば『健康診断すれば甘味屋のパフェがタダになる』とか言って。」
「いいんじゃね?それが依頼って話なら、俺が付き合ってやっても構わねェけど。」
「なら頼みまさァ。金の心配は無用。領収書を全部『土方十四郎』で切っておいてくだせェ。」
「ちゃっかりしてんな。」
「俺の女じゃありやせんから。」
「…せつねェヤツ。」

そうして沖田から依頼を受けた万事屋は、うまく紅涙を病院へ誘導し、診察させることに成功しました。
けれど万事屋はそこで衝撃的な事実を聞く羽目になります。

「早雨さん、まだ真選組を辞めていなかったんですか?」
「……、」
「?…お前、医者に来てたのか。」
「……はい。」

なんと紅涙は、以前既に病院へ訪れていたのです。

「…すみません。」
「辞めないなら入院して頂いて構わないんですよ?あなたが入院は嫌だというから、私は――」
「ちょっ待て待て。先生、話があんま見えてねェんだけど。」
「彼女の症状をご存知ないのですか?」
「ご存知ないです。」

万事屋の返答に、医者は溜め息を吐きながら首を振りました。

「これ以上今の症状が悪化したら、早雨さんの生死に関るんですよ。」

なんと紅涙は重度の病を患っていたのです。

「…マジかよ…。」

しかも猶予は既になく、今のまま過ごせば近いうちに命を落とすと宣告されていました。
原因はニコチンと複数の物質による影響。言わずもがな、万事屋は土方を思い浮かべました。

「紅涙、お前…」
「……。」
「早雨さん、あなた自身も着々と悪化する体調に気付いているはずですよ。以前なかった発作も出始めたんじゃないですか?」
「…そうなのか?」

おずおずと紅涙が頷きます。医者は苛立った様子でボールペンをカチカチと鳴らし、

「辞めないならただちに入院です。あちらで説明を受けて帰ってくださいね。」

殴り書くようにカルテへ何かを記し、看護師に渡しました。
紅涙と万事屋は診察室を出ます。廊下に出た直後、

「あっあの坂田さん!」

紅涙が声を上げます。

「なんだ?」
「今日のこと…土方さんに言わないでもらえませんか?」
「…まだそんなこと言ってんのかよ。」
「私、真選組を…副長補佐を辞めたくないんです。」
「なら土方に禁煙させるしかねェな。」
「出来ません。煙草は土方さんにとって唯一のストレス発散方法。あれを取り上げたら土方さんは仕事に潰されてしまいます。頑張ってるからたくさん吸っているのに…そのせいで私が悪くなったなんて知らせたくありません。」

強い紅涙の願いに、万事屋は眉をひそめました。

「そんなこと言ってる場合じゃねェだろ。お前の命が掛かってんだぞ?」
「……。」
「医者に言われた通り、どちらかを選択しろ。土方に禁煙させるか、お前が副長補佐を辞めるか。」
「…そうですね。」

紅涙は曖昧に笑って、「説明を聞いて帰るから」と先に帰るように告げて立ち去りました。

「あのバカ…。」

万事屋は病院を出た足で、真選組へ向かいました。
一刻一秒を争うような診察結果を聞いた今、紅涙の頼みを聞く気などなかったのです。

「邪魔するぞー。」
「おう万事屋!お前が自らここへ来るなんて珍しいな。」
「近藤、客間に土方と沖田を呼んでくれ。紅涙のことで話がある。」
「話?なんだ。」
「お前は後でヤツらから聞け。とにかく先に土方と沖田だ。」
「わ、わかった。」

近藤は緊張感漂う万事屋に従い、土方と沖田を呼び寄せました。

「何のつもりだ。俺はお前と違って暇じゃねェんだが?」
「旦那、紅涙を診察させることに成功したんですかィ?」
「した。」
「!…おい総悟、一体何の話を…」
「つーか、紅涙は既に診察を受けていた。」
「「!?」」
「で、結果も含めた話だが―――」

万事屋は医者から聞いた話をありのままに伝えました。土方は酷く驚き、今その瞬間も手にしていた煙草に目を落とします。

「……、」
「土方、即刻煙草やめろ。ニコチンとその他諸々のよく分かんねェ物質が原因らしいが、少なくともお前の煙草が影響してる。」
「小せェ部屋で四六時中吸われてたら、そりゃあ否が応でも病気になるって話でさァ。」
「…わかった。ならこれからは紅涙の前で吸わないようにする。」
「はァ!?おまっ…自分が言ってるか意味わかってんのか!?」
「わかってる。それでも……煙草はやめられねェ。」
「テメェッ!」

立ち上がって拳を振り上げた万事屋を、

「やめなせェ。」

すかさず沖田が止めます。

「こんな野郎を殴っても、旦那の手が汚れるだけ。」
「だがコイツはっ」
「あとで俺が成敗しやすんで、旦那はこの辺でお引取りくだせェ。」
「…チッ。」

万事屋は土方を睨みつけると、壊す勢いで障子を閉め、出て行きました。

「…土方さん、さっきの言葉は本気ですかィ?」
「……ああ。」
「なら紅涙をクビにするしかありやせんね。アイツは自分から辞める女じゃねェんで溜め息。」
「……。」
「まさか、それも出来ないと言う気ですかィ?」

土方の苦い顔に、沖田は心底うんざりした様子で溜め息を吐きます。

「見損ないやした、土方さん。このままだとアンタは人殺し。好きな女に苦労させて殺しちまう、最低でドクズな人殺しでさァ。」
「……そうだな。」
「……。…もし、もし紅涙が本当に死んだら、その時は俺がアンタを殺すんで。」
「総悟…、」
「…頼みますぜ、土方さん。」

沖田が部屋を出て行きました。
誰もいなくなった客間で、土方は灰皿の上で燃え続ける煙草に目を落とします。

「まさかこれが紅涙に影響していたなんて…。」

土方の煙草は、一見したところどこにでも売られている銘柄の煙草です。しかし中身は少し違いました。
煙草よりもキツく、土方にはなくてはならないもの。必ず、なくてはならないものです。

「吸わねェで済むなら…いつでもやめてやるよ。」

土方は、やめられないのです。なぜなら、

「俺が…元からこの姿をしていたならな…っ。」

その煙草は、土方を『土方』として形造る薬だから。
…そう。彼は、人ではなかったのです。

「…俺が…獣でなければ紅涙はっ…、」

元の姿は、野獣。
土方が人里へ下りたのは、まだ幼い頃です。親に内緒で『化け薬』を持ち出し、街へ遊びに来たのが始まりでした。時には食べ物を奪うため人を襲い、逆に襲われる時もありました。そんな荒れた『人』として街を歩き回っていた時、今の真選組局長 近藤と出会ったのです。

近藤の人となりに惚れた土方は、近藤の夢を叶えるために人として生きることを決意しました。
『化け薬』は自分で生成し、最も薬と相性がいい煙草に詰めて三時間おきに摂取。そうすることで姿を維持しています。
もちろん近藤は知りません。当然、紅涙がこの事実を知るはずもなく……。

「くそっ…!」

土方にとって禁煙は元の姿へ戻ることを意味します。同時に『土方』としての記憶は全て消え、自我を失い、本能のままに人を傷つけて破壊する野獣と化すのです。

「っ…俺は……失いたくない。」

これまで築いてきたものを、今日までの時間を。

「紅涙……」

愛しい、彼女への想いを。

「…俺は…どうすれば……っ」

握り締める土方の拳は、微かに震えていました。

にいどめ