敵は本能寺にあり

時は、ハイエナ時代。
幸運のケツ毛を手に入れた男、真選組 近藤 勲。
彼が死に際に放った一言は真選組隊士を猛烈に駆り立てた。

「俺のケツ毛?欲しけりゃくれてやる!探せ!この尻のすべてをそこに置いてきた!」

近藤が遺した『幸運のケツ毛(モーピース)』を巡って、幾人もの隊士たちが己の命をかけて戦っていた…。

「待て待て待て!」
「もう。何ですか?土方さん。」
「『モーピース』って何だよ!つーか近藤さん死んでねェし!」

うるさいなぁ…。

「だから言ったじゃないですか。時はハイエ――」
「そこんとこはいい!ったく、」

煙草を片手に、面倒くさそうな顔で私を見る。

「俺はその話が今回の話とどう関係してだって聞いてんだ。」
「だーかーらー、」

聞いてないなぁ…。
私は土方さんに負けじと面倒くさい顔をして煙を吐いた。

「近藤さんは、私達に幸運のモー――」
「しつこい。」

ふぅ、と土方さんが私に煙を吹き掛ける。

「ッゲホゴホッ!暴力です!受動喫煙の暴力!」
「テメェも同じもん吸ってるくせに何言ってんだよ。」
「関係ありませんから!煙というのは他人に吹き掛けていいもんじゃないんですよ!」
「へーへー、そりゃすまなかったな。…真面目か。」

ハンッと鼻先で笑い、短くなった煙草の火を消す。
…間違ってるわ、土方さん。あなたもよく知ってるはず。同じ銘柄の煙草でも、今現在煙草を吸っている最中でも、人から吐き出された煙は煙たく感じるもの。それこそが喫煙者。自己中心的?上等!

「で?お前が知ってる情報って何なんだよ。」
「近藤さんが消えた件についてでしょう?何度も答えてあげてるじゃないですか。」

私は口に含んだだけの激しく煙たい煙を土方さんに吹き掛けた。仕返しだ。

「ッぐ、ッゲホゲホ!」

良い子の皆は仕返しなんてしちゃダメだぞ☆

「っち、ちょっと待て、紅涙。…本気で言ってんのか?」
「そうですよ?ほら、あの雲の隙間から近藤さんも手を振ってるし。おーい、」
「縁起でもねェこと言うな!」

まぁ雲の上は冗談として。土方さんは私の話をまだ信じきっていないようだ。

今、私たち隊士の間で大ブームとなっている『近藤さんの幸運のケツ毛』話。
汚い?とんでもない!それを手にした者は願いが叶い、次から次へと幸運が訪れるという代物だ。そのケツ毛を自分でむしれば効果増大。一分一秒単位で幸せが舞い込んでくるという!

「酒池肉林も夢じゃないんですよ!!」

咥え煙草で拳を握る。そんな私を土方さんは呆れた目で見て、新しい煙草に火をつけた。

「野蛮過ぎんだろ、お前の願望。」
「普通です。そしてこの程度は序の口。ですよねー、次期局長。」
「…誰に言ってんだ?」
「彼ですよ。」

私は手にしていたゴリラのぬいぐるみを掲げる。

「彼は次期局長、近藤ゴリラJr.さんです。」
「珍しいもんを持ってると思えば…」

膝に乗せ、ジュニアさんの頭を撫でた。

「近藤さんに似てると思いませんか?やっぱり雰囲気が似てると親近感湧きますよね。」
「もうどこからツッコめばいいか分かんねェわ。」
「彼にもケツ毛があれば良かったんですけどねー。そうしたらもっと皆から慕われて、尊敬される存在になると思うんですよ。」
「それ以前の問題が山積みだけどな。」
「……。」
「…なんだよ。」
「土方さん、信じてませんね?彼が次期局長であること。」
「信じるわけねェだろ、ぬいぐるみ相手に。」
「なっ…!ジュニアさん、聞いちゃダメです!」

私はゴリラのぬい…ジュニアさんの耳を塞いだ。

「土方さん、次期局長に謝って!」
「お前も随所でぬいぐるみだと思ってんだろうが。」
「思ってません!…気を付けてくださいよ。そんな態度でいると、あっという間に副長の座から降ろされます!」
「ほう?なら誰が俺の後をやるんだ?」
「当然、私です。」
「…フッ。」

土方さんは小さく笑い、

「それは確かに、なり兼ねねェ話だな。」

煙草を灰皿に押し付けて消した。その手を私の頬へ伸ばし、やんわり撫でる。

「お前が引き継ぐなら考えてやってもいいぞ。」
「…でも副長の座は沖田君も狙ってるんですよね。」
「そうだな、アイツは昔から狙ってやがる。」
「じゃあハッキリ言ってあげてください、『次の副長は紅涙に決まってる』って。」
「総悟を言いくるめろってか?」
「そう。」
「そりゃ無理だな。…だがまァ、」

スッと近づいた唇が、リップ音を立てて離れる。土方さんは意味深な笑みを浮かべて、

「お前次第で推薦くらいはしてやるよ。」

再び唇を近付けようとした。けれど私は、

「待ってください。」
「へぶっ!」

近付く土方さんの顔面に手を押し付けて拒絶する。

「テメェ…どういうつもりだ?」
「愛の薄い土方さんより、私はケツ毛を愛すことにします。」
「はァァ~!?」
「土方さんに構ってる暇、ないんで。」

私は煙草を灰皿に押し付け、立ち上がった。

「おまっ…、今まで暇そうにしてたじゃねェか!」
「うるさい。私はモーピースの旅に出ます。」
「旅ってなんだ!仕事しろ!」
「あ~あ。どっかにゴムゴムの実が落ちてないかなー。そうしたらケツ毛を直接ブチブチッと…」
「おいコラッ、待てって!」

腕を掴まれた。

「アテはあるのか?近藤さんの居場所を知ってるとか。」
「知りませんよ。遺言残してるし、もうお尻をツルッツルにして安らかに眠ってるんじゃないですか?」
「遺言って、あれはお前が考えた勝手な――」

「ヨッシャアアァァァ!!」

「「!?」」
「な…なんだ、今の声は。」
「あの声、…原田さん!?」

いけないっ…出遅れた!?
私は慌てて廊下へ出た。すると庭を挟んだ向かいの廊下で、何やら原田さんが笑いながら握り拳を掲げている。…いや、あの拳、握っていない。何かを……摘んでる?

「クッ…先を越された!」
「っあ、おい紅涙!」

土方さんが呼び止める声を背中で聞き、私は原田さんの元へと駆け寄った。が、すぐに原田さんに気付かれてしまった。

「近付くな!」

それ以上歩くな、と手で制す。

「早雨、お前の魂胆は読めてるぞ。」
「…やだな、何言ってるんですか?」

私は手を広げ、あなたにとって無害ですよとアピールした。

「原田さんが大きな声を上げてたから、どうしたのかな~と思っただけです。」
「なら心配されるようなことはねェから、あっち行け。」
「あっち行けだなんてヒドいなぁ。あれ?その手、どうしたんですか?見せてくださいよ。」

私が一歩近付くと、

「お前には絶対見せねェ!!」

原田さんは一歩遠ざかった。

「苦労もしねェで手に入ると思うなよ!」

…チッ。あの背丈には間合いを詰めるしかないのに。
どう攻めるか考える。その後ろで、土方さんが「マジかよ」と言った。

「マジで流行ってんのか?あの話。」
「何の話っスか、副長。」
「近藤さんのケツ毛がどうとかいう話だ。俺はてっきり紅涙の馬鹿げた作り話かと…」

馬鹿げた!?

「失礼ですよっ、土方さん!」
「そうっスよ!早雨の作り話程度と一緒にしないでください!」
「原田さん!?」
「副長、これは神の産物。奇跡の結晶なんです!」
「いや、近藤さんのケツ毛だろ。」
「「違ァァう!」」
「っせーな、二人で。」
「…土方さん、まだ信じられないと言うならアレを見てください。」

私は原田さんを指さした。

「アレこそが真実ですよ。」
「…どれだよ。」
「原田さんの頭です!」
「頭?それが…」
「よく見てください!毛がっ…っ、毛が生えてるんですよ!」
「なにッ!?」

土方さんが目を凝らした。指を差されている原田さんはどこか誇らしげだ。

「あー…?言われたら…確かに何か長ェのが一本…って気持ち悪!」
「フフン。なんとでも言ってください、副長。今は一本でも、明日になったらどうでしょうね。いや、今夜にはフッサフサかな?アーハッハッハ!」

高笑いして、原田さんが私達に背を向ける。立ち去る気だ。…ならば、襲うには絶好のチャンス!

「ッ、」
「やめとけ、紅涙。」
「!?」

駆け出そうとした私の肩を土方さんが掴む。

「っ…なんで止めるんですか!?」
「俺は――」
「土方さんは原田さんの味方なんですか!?」
「聞け!」
―――ゴンッ
「いっ…」
「なにガキみてェな発想してんだ。俺は他人から奪い取ったもんでいいのか?って言いてェんだよ。そういうのは自分で手に入れねェと意味ねェもんだろ。」

……くっ、

「…信じてないくせに、正論なんて言わないでくださいよ。」

はぁ~あ、いいなぁ原田さん。あの様子じゃあ自分でむしって手に入れたんだろうけど…

「…んん?」

となると、近くに近藤さんがいて、そしてまだ近藤さんのお尻に毛が残っているということじゃないのか!?

「早く見つけ出さないと!」

再び駆け出す。けれどまた土方さんが私の腕を掴んで止めた。

「おい紅涙。」
「もうっ、何ですか!?」
「本気で欲しいのか?近藤さんのケツ毛。」
「モーピース!モーピースですよ!もちろん欲しいです。」
「協力してやるよ。」

!!

「土方さんも信じる気になりました!?」
「それとこれとは別。だがまァ近藤さんを捜すことには変わりねェからな。お前が欲しいって言うなら見つけてやる。」

…くく、これはいい。扱い次第で素晴らしい戦力になる!

「ありがとうございます、土方さん。」

私は土方さんの手を取る。この上なく謙虚に、それでいて嬉しさを隠さず微笑んだ。

「二人で頑張りましょう。私達ならきっとすぐに見つけ出せます。だって私達…恋人同士なんですから。」

僅かに頬を赤らめ、ニコッと笑った。

「お、おう…そうだな。」

土方さんは照れた様子で頷く。
くく…、くくくくく…!使える!!

「それじゃあ行きま――」
「騙されちゃいけませんよ副長!」

…あァん?邪魔しやがるのは誰だコラァ!
声のした方を見た。

「その人に協力なんて言葉はあり得ません!」

「…ザキヤマァ、」

余計なことを…。その口、剥ぎ取ってやる!
歩み寄ろうとすれば、土方さんが私の肩を掴んだ。

「んもぅっ!三度目ですよ!?」
「お前がすぐ突っ走ろうとするからだろうが。そんなことよりも…山崎、」
「はっはい!」
「紅涙のこと、何か根拠があって言ってんのか?」
「もちろんです!思い返してください、これまでの早雨さんの行動に『協力』なんて二文字がありましたか?」
「……、」
「結局、早雨さんは副長をいいように使って捨てる気なんです!」
「捨てる…、」

…言ってくれるじゃない山崎君。しかしその言葉選び、失敗よ。私を責める言葉は私を苛立たせるだけじゃない。

「…おいコラ山崎。」

私を責めるということは、

「誰の女に向かってそんなこと言ってんだコラァ!!」

土方さんをも苛立たせることになる!オーッホッホッホッホ、馬鹿め山崎。

「ででっでも副長!早雨さんの願いは酒池肉林なんですよ!?」
「なぜテメェがそれを…」
「有名な話なんです!いつも早雨さんが言ってるから…。」
「お前…日頃から言ってんのか。」
「ま、まぁ…それなりに。」
「……。」
「……、…な、何か問題でも!?何を願っても私の自由でしょ!?」
「その願いこそが裏切りの証なんです!早雨さん、酒池肉林の中に副長は含まれてるんですか!?」
「くっ…」
「含まれてないでしょ!?副長、早雨さんは自分のことだけなんです!」

…ぐぬぬ…。まったく、うるさい男ね。

「…ヒドイわ!山崎君、あんまりよ!」

私は顔を両手で覆った。

「好き勝手言って一方的に責めるなんて…っひどい!…クスン…、」
「紅涙…、」
「副長、流されちゃダメです!この前だって似たような流れで早雨さんだけの隊服を作らされたでしょ!?」
「クスンクスン…、」
「…、」

私は僅かな指の隙間から土方さんの様子を見た。

「……。」
「副長!冷静に!冷静に考えてください!」
「……、」

…山崎君、

「これ以上、早雨さんの自由にさせちゃダメです!」
「……だァァっ、うるせェ!」

君の負けだよ。土方さんは、

「騙され上等だコラァァ!」

君が思っている以上に、私に惚れている。

「…いいの、土方さん。」
「紅涙…。」
「山崎君をあまり怒らないでいてあげて?私は…何を言われても我慢できるから。」

へへっ…と力なく微笑む。これで、

「っ…山崎ィィィッ!」

完成だ。当然、山崎君は悲鳴とともに走り去る結果となる。
あ~ほんと使えるわ、土方さん。

「…紅涙、」

そんな土方さんが、おもむろに私の頭を撫でつけてきた。

「な、何…ですか?…土方さん。」
「……。」

無言の圧力!…やっぱりバレバレの演技に怒った?

「あ、あの…」
「俺は、」
「?」
「俺はお前が幸せになれる願いなら、何でも協力してやるさ。」
「……、」
「たとえそれが、俺のいない酒池肉林でもな。」

…なんだろ、この痛み。

「絶対手に入れるぞ、近藤さんのケツ…モーピース。」
「…はい、…ありがとう……ございます。」

自分で口にした礼にすら、胸が痛んだ。

「……。」
「…どうした、紅涙。」
「……いえ。」

…気にしない。今はモーピースを手に入れることだけ考えないと。だってすぐ近くに可能性があるんだから。

「行きましょう。」
「おう。」

私は土方さんと共に屯所内を捜しまわった。
近藤さんはきっと近くにいる。屯所内のどこかで身を隠してる。

「…にしてもスゲェな。」
「何がです?」
「コイツらの真剣っぷり。」

「おい!あっちにいたらしいぞ!」
「いや俺は向こうって聞いたけど…」
「部屋に行ったら一本や二本落ちてるんじゃね!?」

「そりゃあ必死にもなりますって。手に入れれば幸運が降り注ぐんですから。」
「降り注ぐ、ねぇ…。」
「みんな、心にモーピースですよ。」

溜め息を吐く土方さんの前を、数人の隊士が猪のように駆けて行く。誰にだって大なり小なり願いはある。不幸せな日々より幸せな日々を送りたいものだ。

「そう言えば紅涙、」
「はい?」
「お前の本当の願いは何だ?」

…え?

「だから、酒池肉林ですけど。」
「その他。どうせ酒池肉林はウケ狙いだろ?」

……いやいや、

「本気ですよ?」
「…マジか。」
「あ、でも永久的に煙草を吸いたいから煙草も欲しいかな。」
「…もうそこまでテメェのことばっかだと気持ちいいわ。」
「失礼な!煙草の件が叶ったら土方さんにも分けてあげるつもりだったのに!」
「そうかよ、そりゃありがてェ話だな。」

…なによ、喜ばないの?

「…私の願いがそんなに不満ですか?」
「いや、そうじゃねェけど。もっと他にもあるだろ?こう…お前にとって嬉しいこと。」
「?…もしかして、『世界平和だゾ☆』とか言ってほしいんですか。」
「まァ世界とまでいかなくても、せめて『攘夷浪士の鎮静化』くらいは願ってもらいてェとこだな。」
「つまんない!」

仕事人間め!

「いいんだよ。よし、それにしろ。」
「そんな胡散臭い願いをするのは沖田君くらいですよ。」
「総悟が?まさか。アイツが一番ねェだろ。」
「わかりませんよ?攘夷浪士の鎮静化から、沖田帝国の建国とか。」
「…やり兼ねねェな。」

二人で頷く。その時、

「失礼な話ですねィ。」

声が割り込んできた。

「勝手に人のイメージで妙な帝国を作らねェでもらえやすか?」
「…じゃあ沖田君の願いは何?」
「聞くなよ、紅涙。どうせろくな願いじゃねェんだから。」
「紅涙よりはマトモですぜ。」

私の願いってそんなにダメなの!?

「…なら何なんだよ、総悟の願い。」
「俺ァ『攘夷滅殺』でさァ。」
「め、滅殺…?」
「あと『全人類沖田崇拝』と『下僕制度の導入』。」
「やっぱ沖田帝国じゃん!」
「国じゃありやせんよ。法律。俺の法律さえありゃあ世界は平和でさァ。あ、それから『土方死ね』。」
「余計なもん付け足すな!」

ここまで願いを考えていたなんて…あなどれない!ゆっくりしてられないわ。数に限りがある近藤さんのケツ…じゃない、モーピース。沖田君が手にする前に全て私がむしり取ってしまわないと…!

「…ククク。」

悶々と思案する私を、沖田君が不敵に笑う。

「次にモーピースを手に入れるのは俺でさァ。ぜーんぶ抜いて、ぜーんぶ俺の願いを叶える。」
「っ…そんなことさせない!」
「安心しなせェ。紅涙を下僕零号にしてやりまさァ。せいぜいその身体、綺麗に洗って待っておきな。」

沖田君は鼻下を伸ばすような顔で私の胸元を覗き込んできた。しかしそれを、

「させるかボケェ!」

土方さんが引き剥がす。

「紅涙が誰のもんか忘れてんじゃねェだろうなァ!?」
「はい?紅涙は誰のものでもありやせんぜ。紅涙は物じゃねーし。」
「っ、うるせェ!」

苛立った様子で土方さんが私の手を掴んだ。

「行くぞ!」
「えっ!?ちょ、」
「待ってくだせェ土方さん。話はまだ終わってやせんぜ。」
「終わった!ったく、どいつもこいつも…!」

土方さんは沖田君に背を向け、廊下を歩き進める。

「紅涙、早く近藤さんを見つけるぞ!」
「え、あ、はい。」
「総悟の願いだけは絶対阻止しねェとな!」
「そ、そうですね。」

…うん、急ぐのは有り難い。でも、急いでも叶うのは私の願い…だよね?

「…土方さんの、」
「ああ?」
「土方さんの願いって、何ですか?」
「俺の?」
「土方さんにも何か叶えたい願い、ありますよね。」

どんな願いかな。やっぱり煙草系?それともマヨネーズ関連?

「俺は…、…そうだな、お前の願い。」
「え?」
「紅涙の願いを叶えることが、俺の願いだ。」
「……、…何言ってんですか。」

本気?

「サムいです。」
「うるせェよ。」
「ちゃんと答えてくださいって。土方さんの願いは?」
「だから、紅涙の願いが叶うこと。」
「……。」

…この人、

「私、酒池肉林なんですよ?」
「フッ、だったな。」
「『私が酒池肉林』なんですからね?土方さんは羨ましそうに見てるだけ。」
「まァお前の願いだから仕方ねェよ。」
「…、…酒池肉林って飲み食いだけの意味じゃありませんよ?イイ男だって揃っちゃうんですから。」
「そりゃさすがに腹立たしいな。」

…嘘。腹立たしいなんて言ってるけど、声は笑ってる。

「…土方さんの望み、ないんですか?」
「しつけェな、だから俺はお前の――」
「違う!」

掴まれていた手を振りほどいた。

「…紅涙?」

この人、どうして他人の幸せしか望まないの?

「土方さんの欲しい物とか、叶って欲しいこととか…っ、何かないんですか!?」

なんで私は、こんなにも不安なの?

「…なに熱くなってんだよ。」
「っ、土方さんがちゃんと答えないから!」
「…じゃあ、攘夷浪士の鎮静化。」
「それもダメです!」
「何がダメなんだ…。」

それは江戸幕府の願い。土方さん個人の願いじゃない。

「どう答えりゃ満足すんだよ。」
「!……、」

…そっか、わかった。

「っあ!おい紅涙、近藤さんだぞ!」

わかったよ、私がどうして不安に思うのか。

「紅涙!」
「……。」
「おいっ!…チッ、近藤さん!ちょっと待ってくれ!」
「トシ!?ま、まさかお前もモーピースをっ…!」
「まァそんなとこだ、まだあるか?」
「くっ…本当はほとんど剃ってきたんだが、仕方ない…。特別だぞ。」
「やったな紅涙!」

いつだって土方さんは、自分のために生きていない。他人の望みが自分の望み。…じゃあもし、

「紅涙!おい紅涙!!」

もしその他人がいなくなった時、土方さんはどうやって生きていくの?『まだ死ねない』って思うくらい叶えたい願いのない土方さんは、死が迫った時、その死を拒まないんじゃないか。簡単に、いなくなってしまうんじゃないか。

「トシ、早くしないと他の奴らに見つかる。」
「ああ分かってる。…紅涙!しっかりしろ、どうした!?」

…だから不安なんだ。死と隣り合わせの私達なのに、あまりに土方さんが空っぽで。

「土方さん…、」

人のために生きるって素敵です。けどね、土方さんだって、その『人』なんですよ。絶対に叶わない願いとか、醜い望みとか、人が生きていくためにはそんな部分も必要なんです。

「ほら、早くやらせてもらえ!」
「えっ、紅涙ちゃんだったの!?ちょ、ちょっと恥ずかしいな…。」
「悪い近藤さん、耐えてくれ。」
「お、おう!」

…私の願いは酒池肉林。でもこんな願いを持てるのは、今と変わらない生活がある前提。土方さんがいるから願えること。

「紅涙!」
「紅涙ちゃん早く!」

そろりと近藤さんが私に向かってお尻を出そうとしている。
念願の光景だった。手に入れたいものだった。なのに今の私は、変わった。心が…沈んでいる。

「……、」
「紅涙?」

私はポケットからライターを取り出した。近藤さんは私に背を向けているので気付かない。

「お前…それをどうする気だ?」
「…土方さん、」

ライターを擦る。そして私は、ごうごうと燃えるその火を、

「ちょっ、おい待て紅涙!」

近藤さんのお尻に近づけた。

「私は…、」
「え何?何が起こってんの!?なんかお尻が暖かいんだけど!」
「動くなよ近藤さん!紅涙、お前どうしたんだ!?」

…私、

「…土方さんに、欲しいものが出来てほしい。」

酒池肉林は、もういいよ。

「土方さんが…誰かのためじゃなく、自分のために叶えたいことを見つけてほしい。」
「紅涙…、」
「ね、ねえ何?俺いつまでこの体勢!?かなり無防備で怖いんだけど!」

…だから、お願いモーピース。

「もっと…醜くなっていいんですよ、土方さん。」

この人が…土方さんが、見えない鎖に縛られませんように。もっとワガママに生きられますように。

「…私の願い、叶えて。」

ここに残る全てのモーピースに、私は願いを託した。そしてライターの火を、

―――ボッ…

近藤さんのお尻に、つけた。

「…あれ?なんかちょっと…お尻が…熱…っ熱い熱い!」
「紅涙!?」
「……、」
「え、何!?トシ!?紅涙ちゃん!?」
「うっ動くな近藤さん!下手に動くと燃え広がる!」
「燃え広がる!?何っ!?えっ火!?この熱いのって火なの!?」
「ああ…っ、今水をっ!」
「ちょっ、え、俺の尻、燃えて…ッドエェェェ!?ゥアッチ!!アヅゥゥゥ~ッッ!!」

すぐさま近藤さんが傍にある水道へ駆け寄った。しゃがむようにしてお尻を水に浸し、

「何で!?毛を抜きに来たんじゃなかったの!?」

涙目で私に指を差す。

「…すみません。でもちゃんとそこに水辺があるのは確認してましたから。」
「そういう問題じゃないよ!」

…ですね。

「…紅涙、なんで火ィつけたんだ?」
「ここにある全てのモーピースに願いを込めたんで、他の人が使わないようにと。」
「そりゃまた何つーか…」
「土方さんって頑固でしょう?だから願いを叶えてもらうには、モーピースもたくさん使わないといけないかなぁって。」
「俺のことを願って…モーピースの全てを使ったのか?」
「はい。」

笑って頷く。その後ろでは近藤さんが「なに良い話風にしてんの!?」と目を三角にして叫んでいた。

「…酒池肉林は良かったのかよ。」
「ええ。土方さんにしてもらえば済みますし。」
「フッ、そりゃ荷が重ェな。」
「ふふ、」

土方さんが手を差し出した。

「まァ…『肉林』辺りからなら頑張らせて頂きましょう。」
「え?」
「お前が言ったんだろ?『醜くなって』って。」

ニヤッと笑う土方さんに、

「いいですよ、どんどん醜くなって?」

私は笑って、その手を握る。

「それじゃあ行きましょうか。」
「おう。」
「っはァ!?ちょ、二人ともォォ!?何帰ろうとしてんの!?」
「悪ィ近藤さん、俺たち野暮用できたから。」
「お先失礼しまーす。あそうだ、『モーピースはなくなった』って皆に伝えておきますね。」
「いやえっ、本気で俺を置いて――」
「「お疲れ」っしたー。」

「何この俺の可哀想な役回りー!!」
2012.7.25up
illust…くろだ様
novel…せつな
2020.5.30 novel加筆修正

にいどめ