時間数字12

残りの決意+もう一度

病院に辿り着くと、
―――バタバタッ…
近藤さん達は転げ落ちるように車を降り、駆け出した。

「…行きましょう、土方さん。」

エンジンを切り、先に車を降りる。
後部座席のドアを開けて、土方さんに手を出した。

「自分で降りられる。」
「…、」

土方さんは、駄々をこねなかった。
『病院には行かない。降りる気などない』
そんなことは言わなかった。
懐から出した携帯灰皿で煙草を揉み消し、横に身体をずらしながら車を降りる。時折、息を詰めて。

「…大丈夫ですか?」
「大丈夫っつってんだろ。」

ゆっくり、怪我をした足を庇いながら歩く。先程まで平然と立ち振る舞っていたのが嘘のように、ゆっくりと。

「支えにしてください。」

掴まってもらおうと腕を出した。
土方さんの歩幅だと、目と鼻の先にある病院の入口までですら10分は掛かりそう。

「…。」

土方さんは足を止め、

「…先に行け。」

アゴで病院をさした。

「え、」
「先に行ってろ。」
「…、」

もしかして……怒った?

「あ…あの、」

ここまで来て土方さんを連れて行けなかったら…
皆もこのために私を頼りにして…任せてくれているのに……!

「ごっ、ごめんなさい!」
「?」
「すみませんでした!でもそのっ…早く、行ってほしいだけなんです…!」

土方さんを連れて行かなきゃ意味がない。

「ごめんなさいっ、」

ミツバさんと会わせなきゃ…意味がない!

「私はただとにかく早く土方さんをっ」
「…紅涙、」

落ち着いた土方さんの声に、口を閉じる。

「……わかってるから。」
「!」

土方さんは、怒っていなかった。
困ったような、見ようによっては泣いてしまいそうな笑みを小さく浮かべ、

「わかってる。」

優しく頷く。

「土方さん…、」
「ちゃんと行くから、お前は先に行っててくれ。」
「でも」
「じきに追いつく。心配すんな。」
「……、……わかりました。」

それしか言えない。
あんなに悲しい顔で頼まれて、これ以上、食い下がることなんて出来なかった。

私は土方さんを残して病院に入り、集中治療室へ向かう。廊下には山崎さんと、医師から話を聞く近藤さんがいた。

「来たか。」

私の姿を見ると、近藤さんが医師に頭を下げて話を終える。山崎さんは「お疲れ様」と声をかけてくれた。

「あの…ミツバさんの容態は…?」
「それが…、」
「…残念だが、」

目を伏せ、首を左右に振る。

「最後の…、お別れをと…。」
「っ…!」

山崎さんが集中治療室の方へ目を向けた。

「今、沖田隊長が中に…。」
「…、」

沖田君…。
ガラス張りの壁の中を覗く。
てっきり先程のように姿が見えるのかと思っていたけど、そには誰もいなかった。それどころかベッドすらない。ミツバさんに繋がっていた機械だけが、点々と残されていた。

「……、」

ミツバさんが…
土方さんの好きな人が……

「…早雨君、トシはどうした?」
「え、あっ…」

辺りを見回す。姿はない。

「まだ…みたいですね。すみません、先に行くよう言われて…、……探してきます。」
「すまんな。」

小走りに廊下を進み、階段を降りた。
そこに、

「おいっ、」
「…?」

遠慮がちに叫ぶ声が聞こえ、足を止める。

「上だ、上!」
「?」

顔を上げる。
そこには、手すりから顔を出す坂田さんが見えた。
帰ってなかったんだ…。

「捜してんだろ?」
「…え?」
「マヨラー。」
「!」

坂田さんは自分の背後に向かってクイッと親指をさす。

「いるぞ、上に。」
「え!?」

上!?
急いで駆け上がろうとすれば、

「バカッ、静かに来い!そ~っとだ!」

そんなことを言う。

「…どうしてですか?」
「見りゃ分かるよ。」
「…、」

一体…何が……?
私は指示通りに極力音を立てず、なおかつ急ぎながら階段を上った。

「はぁっ、はぁっ、」
「早くしろー。」

息を切らすのには理由がある。坂田さんが待っていた場所は、病院の最上階。上りながら思った。

「っ、なんでっ…上なんかに…!」

なんでそんな所に土方さんが?というか、足を怪我しているのに上ったの?
……まさか私、坂田さんに騙されてる?

「はい、おめでとー。」

辿り着いた私を、坂田さんは平坦な声で祝う。

「あの…本当にここに」
「静かにしろって。」

シッと唇の前に人差し指を出す。
…自分は喋るのに。

「ここからは、より慎重に行くぞ。」
「わ、わかりました。」

坂田さんが私の背後を指さす。声を出さず、口をパクパクさせた。

『そっち』
「…?」

見ると、扉がある。ここから外へ出られるようになっているらしい。

『行くぞ』

扉に手をかけた。音を立てないよう慎重に開ける。
そのまま先導してもらう形で外へ出て、干されたシーツをかわし、二人で柱の影に隠れた。

『見てみろ』

あっちあっちと指をさす。
顔を出すと、屋上の柵に寄りかかる土方さんの後ろ姿が見えた。

「本当にいた…。」

屋上なんかに…なんで?

「土――」
「シッ!」
―――バシッ
「!」

坂田さんに後頭部を叩かれた。

「黙って様子を窺え。」
「は、はい…。」

なんだろ…この人、ちょっと土方さんと似てる。
坂田さんが何を見せたいのかは分からないけど、私は叩かれた頭を擦りながら、言われた通りに黙って様子を窺った。

少しした頃、

―――バリッバリッ
「辛ェ…。」

土方さんの独り言が風に乗って聞こえてくる。何か物を口に入れているのか、声はどことなく曇っていた。

「何やってるんだろう…。」
「これだ。」
「?」

振り返る。坂田さんの手に1枚の煎餅があった。

「アイツが食ってるやつ。」
「…?」

この真っ赤な丸い煎餅を…土方さんが?

「それ、あの女が好きだった煎餅なんだわ。」
「っ!」

ミツバさんの…好きな……

「あーやべ。」

土方さんの声が耳に入った。少し風が強くなったせいか、耳を澄まさなくても聞こえる。

「辛すぎて…、涙出てきやがった。」

目を擦るような仕草をした。

「……、」

信じられなかった。
土方さんが、誰かを想って泣いているなんて。

「…、」

初めて見た。
初めて、土方さんが泣いている姿を見た。しかも、想いの先にはミツバさんがいる。それだけ……大切な人だった証。

「…。」

私が土方さんの気持ちを、1ミリも違わず理解することは出来ない。
…でも想像は出来る。
もし、もしミツバさんの立場が土方さんで、見送る立場が私だったなら、私は……

「っ、」

たまらなく、悲しんでいるだろう。

「…大丈夫か?」

坂田さんが顔を覗き込む。

「大丈夫…です。」
「…、」

土方さんを…救ってあげたい。
あの悲しみから、助けてあげたい。
今の私には……それが、出来るかもしれない。

「もしかしてアレか?お前…アイツのこと」
「坂田さん、」
「…なんだよ。」
「ミツバさんは…手術をしたんですか?」
「は?なに、藪から棒に。」
「したんですか?」
「…ここではしてない、と思う。運び込まれた時はもうそんな体力なかったし、それどころじゃねェ感じだったから。」
「じゃあ、集中治療室では処置だけを?」
「そうじゃね?知らねェけど。」
「…その処置は、一通りだけだと思います?」
「はァ~?何なんだよ、さっきから。」
「一括りに『処置』と言っても、きっと医師によって色んなアプローチの仕方がありますよね。目的は同じでも、それまでの手順が違う…みたいな。」
「まァ…そうなんじゃねーの?つーか何。」
「…。」

もしかしたら、違う流れの処置を受ければミツバさんは……

「坂田さん、医師には会いましたか?名前とか覚えていたら――」
「いい加減、喋りすぎだ。静かにしねェとバレるぞ?」
「いいんです。」
「いいのかよ…!」

僅かであろうと、そういう可能性に賭けることが出来るのならば……

「今土方さんに見つかっても…どうせなかったことになりますから。」
「はァ?そりゃどういう意味だ。」
「戻って。」
「何?」

時間を、戻して。
ミツバさんが処置を受ける前の時間に。
たとえば一報を聞いた私達が、病院に到着したあの瞬間に。

「戻って…。」

目を閉じた。

「…おい、本気で大丈夫かよ。」

坂田さんの声が聞こえる。肩に触れられても、私は無視をして強く願い続けた。

「おいって、…、」
―――ピリッ…

音が歪む。
耳鳴りのような音が近付いてきて、一瞬の無音が私を包んだ後、
「ただ傍にいるだけで支えになる時もある。今は黙って見守ってやんな。」

聞き覚えのある坂田さんの声が聞こえた。
目を開ける。集中治療室の前だ。大きな窓ガラスに張り付くようにして沖田君が立っている。

「戻れた…よね?」
「あん?」

私の隣で坂田さんが首を傾げた。
一度失敗しているだけに、ちゃんと戻れているのか不安だ。ひとまず使えたか確認しておこう…。

「少し失礼します。」

坂田さんに断りを入れ、ジャケットを脱ぐ。

「ぅおいッ!?ちょっ、何いきなり!?」

驚く坂田さん越しに、沖田君が見える。坂田さんの大きな声で振り向いたようだけど、すぐにまたミツバさんの方へ向き直った。

「坂田さん、お静かに。」
「お静かにってお前っ…」
「大丈夫です、全部は脱ぎませんから。」

手首にあるボタンを外し、シャツを捲り上げた。二の腕を見る。

「2…。」

ちゃんと減っている。加えて、この状況。

「…うん、ちゃんと戻った。」
「何が?」

不思議そうな顔をする坂田さんに、微笑みだけを返して席を立つ。

「どこ行くんだ?」
「野暮用です。」

私は大きなガラス窓に近付き、
―――コンコン
窓を叩いた。中にいた看護師がこちらを見る。

「少しいいですか?」

声をかけ、私は『あっち』と集中治療室の出入り口を指した。
一連の流れを沖田君や坂田さんは不思議に思っていただろうけど、終始黙り見ている。私は聞いてこないのをいいことに、集中治療室の出入り口へ移動した。

「どうかされました?」

中から出てきた看護師も不思議そうだ。

「すみません、お話を伺いたくて…。」
「はい、どのような。」

坂田さんや沖田君の耳に入らないよう、さらに少し移動して頭を下げる。

「今行っている処置を、違う流れで行ってもらえませんか?」
「……はい?」

当然の反応だ。それでも、

「少し変えていただければいいんです。当初の予定と手順を入れ替えたり、そういうことをしていただければ…!」
「何を仰りたいのか……」
「お願いします!」

生きる道を、見つけたい。
少しでもさっきと違うことをして、ミツバさんが延命する道を…探りたい。

「…そう言われましても、先生方は患者さんにベストな処置をお考えになっているわけでして…」
「わかってます!だから中身を変えていただく必要はなくて…その、順番を…手順を変えてくださればそれでいいんです…っ!」
「…、」
「お願いします!!」
「……、」

はぁぁぁ、と長い溜め息が聞こえた。

「……では一度先生方に相談してみます。」
「っ!ありがとうございます!!」

より深く頭を下げる。
これで変わるはずだ。少しは違う未来が生まれるはず!
小躍りしたくなるほど浮き立つ気持ちを隠し、私は元の場所、坂田さんの隣に腰を下ろした。

「なに頼んできたんだよ。」
「っえ!?」

思わず背筋が伸びた。
坂田さんを見ると、片眉を上げて私を見ている。

「デカい声で言ってただろ、『お願いします、ありがとうございます』って。」
「あっ…それは……」

視線をさ迷わせる。今度は沖田君と目が合った。すぐに目をそらさないところを見ると、沖田君も気になっているらしい。…そりゃそうか。

「あ、の…、…わ、たしも直接お願いしてきたんです。ミツバさんをどうか…って。」
「看護師を呼び出してまでか?」
「そ、そうですよ?だって近藤さんもさっき話しに行ってましたし……って、そう言えば近藤さんは?」
「話をそらしやがったな。」
「ちっ違いますよ!純粋な質問です!」
「純粋ね~。」

坂田さんは小指で耳を掻き、背もたれに沈んだ。

「ゴリラはトイレだよ。」
「そうでしたか。」

頷いた時、

「すみません、」

覚えのない声に視線を向ける。医師だった。

「さっきお話いただいた方はどちら様で…」
「っ私です!」

すぐさま立ち上がり、

「あちらで伺います!」

この場から立ち去る。

「おい、なんでだよ!」

坂田さんの声が背中にぶつかったけど、私は無視して歩き続けた。
看護師と話していた場所まで移動し、

「すみません、ここで…」

小声気味に伝える。
医師は不思議そうにしながらも、何も聞かずに話してくれた。

「先ほどの件ですが、手順を変えて進めることは可能です。」
「本当ですか!?ありがとうございます!」

…しまった!また大きな声を…。
こうなったら、今度は坂田さんに詰められる前に逃げよう。

「ただし一つ確認しておきたいのですが。」

医師が人差し指を出す。

「予定していた手順は現状に適した流れです。変えることで、患者様に負担をかけることになるかもしれません。」
「負担…、」

その言葉に気持ちが揺らぐ。
それでもさっきの処置での結果は知っている。時間を戻した意味もない。
今は賭けられる可能性があるなら…なんにだって賭けたい。

「お願いします。」

頭を下げた。そんな私に、医師が溜め息をこぼす。

「どのようなお考えで、今回のような要望を?」
「え…?えっと……、…。」
「近藤局長にはご理解いただけていたようでしたが。何か別に、患者様と約束があってのことですか?」
「えっ!?いえ…違います…。」
「…。」
「……すみません、ご変更いただき感謝します。」

答えられることがなく、私は再び礼を言って頭を下げた。医師は僅かに沈黙した後、

「わかりました、最善を尽くします。」

そう言って集中治療室へ戻って行った。

「…これでいい。」

誰にどう疑われようと、変えられることさえ出来ればそれでいいんだ。
もしこの方法でダメな時は、また違う手順を頼むだけ。
あと2回、時間は戻せる。この2回で必ずミツバさんが生きる道を見つけ出してみせる。

『辛すぎて…、涙出てきやがった』

あんな風に、土方さんを悲しませないために。
今こそ、土方さんが後回しにしてきた幸せを…手にしてもらうために。

「……待ってて、土方さん。」

これまで色々背負わせてきた分、今度は私が背負うよ。

その後、

「だから医者に何頼んでんだよ、お前は!」

坂田さんの問いから逃れるために、携帯が鳴っている振りをして病院を出た。
屯所へ刀を取りに向かいながら、山崎さんに連絡する。一度目より少し早かったのか、まだ埠頭へ向かう最中だったらしい。

「山崎さんは屯所に戻って他の皆を連れて来てください。土方さんも納得するような方法で皆を動かせるのは、山崎さんだけだと思います。」
『…も~、無茶言うなぁ』

そうして向かえた埠頭での闘いは、ほとんど同じ内容だった。同じようなピンチに陥ったし、同じような怪我をした。
ならば時間を戻せなかったあの場面で、もう一度試してみようかと思ったけど…やめておいた。今はミツバさんを優先する。

負傷した土方さんを車に乗せ、病院へ向かった。
近藤さん達が先に入る様子を見て、私達も後に続く。が、

「…先に行け。」

やはり土方さんは『一人で行く』と言った。
想いもあるだろうし、無理強いはしない。私は「待ってます」と告げて先に病院へ入った。

ミツバさんはどうなった…?
未来は変わった?
集中治療室の前で山崎さんと、医師と話す近藤さんを見つける。

「近藤さんっ!」

未来が変わっていれば、嬉しそうな顔をするはず。

「ミツバさんの容態はどうですか?」

『じきに退院できるようになるよ』とか、そんな言葉を期待して…

「それが…、」
「…残念だが、」

え…?

「最後の…、お別れをと…。」
「っ!」

ダメだった。

「今、沖田隊長が中に…。」

この方法では…救えない……。
沖田君を…ミツバさんを……土方さんを救えない。

「…早雨君、トシはどうした?」
「…。」

どこを変えればいいんだろう。
どこを変えればミツバさんに繋がるんだろう。

「どうすれば……」
「早雨君?」

少しでもヒントになることがあれば、次へ活かせるのに。

「あのー、」
「?」

聞き覚えのある声に視線を向ける。医師だった。

「先程お話しした件で…」
「っあ、はい私ですね。」
「少しこちらへ。」

医師に付き従い、移動する。背中に受ける近藤さんと山崎さんの不思議そうな視線が痛かった。

「ご要望通り、手順を変えて処置させていただきましが……」

さっき立ち話をした場所まで来て、医師が険しい表情で口を開く。

「体力面が非常に厳しかったようでして…。」「…はい、ありがとうございました。」

この流れもダメだった。
どうしても…どうしても彼女には、生きてほしいのに。

「…患者様の病は、我々の医学ではまだ解明されていない難しい病です。仮に今を乗り越えたとしても、乗り越えその瞬間から再び病魔に怯える日々となる。」

……だから?

「だから何ですか…?」
「あ、ああいえ、その」
「何が言いたいんです?『だから諦めろ』?『仕方がない』?」
「そういうわけでは…」
「だったらそんな言い方しないでください…っ!」

簡単に呑み込めないから可能性を探っている。
僅かな奇跡の隙間を見つけ出したいから足掻いてるの。

「諦めないっ…!」
「しかしもう…」

医師が伏し目がちに眉間を寄せる。
私は構わず強く願い、目を閉じた。

もう一度、あの瞬間に戻ろう。
あそこからやり直す。そしてまたお願いする。
だから、戻して……。
「ただ傍にいるだけで支えになる時もある。今は黙って見守ってやんな。」

坂田さんの声を聞き、目を開けた。
戻れるチャンスは、あと1回。

「…大丈夫。」
「あァん?」

私は再び看護師を呼び、医師と話した。
あの方法でも、その方法でもない、新たな手順をと…無理を言うために。