時間数字3

形を変えたモノ+買い物の理由

「車が来たぞ。」

液体をかけられたとはいえ、傷ひとつないにも関わらず、土方さんは私の背に手を添える。

「乗れるか?」
「もっもちろん乗れます!」

いつも以上に心配してもらえるのは嬉しいけど、あまりに心配されると、それそれは申し訳なくなる。
ここはサクッと車に乗り込んで、全く問題ないというアピールをしよう。

「よっと、」
「詰めろ。」
「え!?」

土方さんも後部座席に乗り込んできた。

「あ、あれ!?土方さんは助手席に乗るんじゃ…」
「お前に何かあったら介助できねェだろ。」
「いや…でも…」
「つらくなったら、もたれろよ。」
「ぅ……はい、ありがとう…ございます。…あの、でも本当に私」
「出しますぜ。」
「…、」

沖田君が車を発進させる。
土方さんは懐から携帯を取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。

…はぁ…まぁいっか。

「もしもし?ああ、終わった。」

話しながら煙草を取り出し、火をつける。窓を少し開けた時、信号が赤になった。
沖田君が後部座席を振り返る。

「紅涙、体調に変わりは?」

私は笑って首を左右に振る。

「ないよ、全然。」
「そりゃよかった。」
「はじめから本当に何ともないんだよ?液体自体も無臭だったし、水みたいにサラサラで、ただ濡れただけって感じ。」
「一体何ぶっかけられたんだか。」
「ほんとに…。けど意外と、ただの水だったりして。」
「そりゃねェや。少なからず何かしらの薬品は混じってら。」
「うっ……そうかな。」
「そう。絶対。ま、何かあったらすぐに言いなせェ。病院に直行してやりまさァ。」
「病院なんてそんな大層な―――」

「おい。」

携帯を耳につけたまま、土方さんが前方をアゴでさす。促されるように前を見ると、信号が青に変わっていた。

「あーはいはい。」

沖田君が再びハンドルを握った。
土方さんは薄い溜め息を吐き、「そういうわけだから」と電話を続ける。

「部屋に医者を呼んでおいてくれ。…ああ、頼んだ。」

医者…?
電話を終えた土方さんを見る。

「土方さん、もしかして医者って…私のための?」
「ああ。」
「そっ、そんなの必要ないですよ!何の症状も出てませんし、診てもらったところで私――」
「一応診てもらう。わけ分かんねェ液体をあれだけ浴びてんだからな。」
「でもっ」
「何かあってからじゃ遅ェだろ。」
「っ、そうですけど……、…。」

本当に何ともないのになぁ…。
皆の手を煩わせる方が気が引ける。それもこれも、私が失敗したせいなんだけど…。

「…、」

吐きかけた溜め息を呑み込んだ。
土方さんは煙草に口をつける。その時、ふと土方さんの隊服に目が止まった。

「…?」

胸の辺りに妙な染みがある。まるで濡れているような、色が濃くなっている染みが……

「っ土方さん!」
「!?な、なんだよ、いきなりデカい声出しやがって…」
「その染み…っ、さっきの液体なんじゃ…!?」
「ああ、」

土方さんは平然と自分の胸元に目を落とし、

「そうみたいだな。」

変わらず煙草を吸った。
そんな…っ、…私のせいだ。私が濡れていたから、抱き締められた時に土方さんにも付いたんだ!

「早く拭かないと!」
「いい。この程度なら放っときゃ乾く。」
「そういう問題じゃありません!もし変なウイルスが仕込まれていたら、時間が経つほど危険かも…っ!」
「だったら紅涙の方を早くどうにかすべきだろ。俺と違って、お前は大量に浴びてんだから。」
「私はいいんです!私の代わりなんていくらでもいるけど、土方さんは副長なんですよ?真選組になくてはならない存在なんだし、私よりちゃんと身体に気を使わないと――」
「おい。」
「!」

不機嫌な声音にハッとした。

「いい加減にしろよテメェ。」
「す、すみません…偉そうなことを…」
「そこじゃねェ。お前の話は半分間違ってるって言ってんだ。」
「えっ…」
「いいか。副長の代わりなんてもんは、いくらでもいる。だが確かに俺の代わりはいねェ。それはお前も同じだ、紅涙。」
「!」

土方さんは窓の外へ煙を吐き、私を見た。

「お前の代わりなんて、この世に二人といねェんだよ。」
「…、」

胸を打つとは、このことだと思う。
土方さんの言葉に、胸をドンッと押されたような衝撃を受けた。

「だから『自分の代わりはいる』なんて考え方は改めろ。もっとテメェの身を案じながら生きろ。」
「……ぁ、りがとう…ございます。」
「何の礼だ?」

土方さんが鼻で笑う。

「当たり前のことを言っただけだぞ。」
「はい…、…。」

息苦しいほど、胸が高鳴っている。

「…。」

物言いたげな沖田君の視線にも気付かずに。

「ただ今戻りました。」

屯所へ戻り、玄関で声をかけた。
靴を脱いでいると、バタバタとした足音と共に近藤さんが駆けてくる。

「おかえり早雨君!体調は!?」
「あ、はい、やっぱり何も変わりなくて…」
「よかった!じゃあ早速自室で診察受けて!」

早口で告げ、「さぁあっちあっち」と手で忙しく促される。

「終わったら局長室まで報告に来てくれ!待ってるぞ!」
「は、はい…。」

たぶん、報告するような内容はないだろうな…。
そう思いながら、私は自室へ向かう。

「失礼します…。」

一声かけてから障子を開けた。
自室にも関わらず、なんとなく中に人がいると思うとスッと入りづらい。

「キミが早雨紅涙さんかな?」

部屋には、年配の医者と看護師がゴム手袋をして待ってくれていた。

「お忙しいところ往診していただいてすみません。」
「気にすることはない。それがワシの仕事じゃよ。」
「お身体の具合はいかがですか?」
「それがなんともなくて…」

当時の状況や液体のこと、私の無症状を二人に話した。
医者も心音や各部位の痛み、アザの有無など一通り診てくれたけど、

「うーん……何ともないようじゃが。」

医者の目から見ても、やはり私は至って健康だった。

「浴びてしまった薬品とやらを調べれば一発で分かるじゃろうが、既に乾いてしまっておるしのぉ。」
「そうですね…。」
「先生、乾いた衣服から採取できませんの?」
「出来ることは出来るが、莫大な費用と時間が掛かるじゃろうて。」

ばっ、莫大な費用!?時間!?こわっ!

「あっあの、何か症状が出たら言いますので、ひとまず今回は様子見で大丈夫です。薬品については、調べる必要があれば改めて依頼しますので…。」
「そうじゃな。それがよかろう。」

医者は浅く頷き、荷物をまとめた。

「よいか、今日から数日は大人しくしておきなさい。何があるか分からんからの。」
「…わかりました。」
「お大事になさってくださいね。」

二人が部屋を出て行く。
私も立ち上がり、局長室へ向かった。

「早雨です。」

局長室の前で声をかける。
中から「どうぞ」と返ってきた。あと、煙草の匂いも一緒に。

「失礼します。」

障子を開けるや否や、

「どうだった!?」

近藤さんの声が飛んでくる。
私は苦笑いを浮かべて、首を左右に振った。

「やっぱりなんともないみたいです。」
「そうか!」
「よかったじゃねェか。」

土方さんが言う。近藤さんも笑顔だ。欠片も私を責めない。だからこそ余計に…こたえる。

「……ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。」

頭を下げる。

「やっと大きな事件に連れて行ってもらえたのに…皆さんに余計な手間を増やさせてしまって……っ。」

悔しい。

「このようなミスは二度と致しません…!」
「「…、」」

隊服を握り締める。
局長室は怖いくらい静かだった。その空気を破るのは、

「真面目だなァ、早雨君。」

近藤さんの声。

「うちの隊には貴重な人材だ。そう思わんか?トシ。」
「ああ。…紅涙、あまり気に病むなよ。今回は紅涙が直接何かしたわけじゃねェんだから。」
「っ、でも私が警戒を怠ったせいで…」
「早雨君に限らず、そんな四六時中、完璧に警戒できる人間なんていないさ。相手の不意打ちが上手かったって話だ。」
「…、」
「ハハッ、ほんとに真面目だな。」
「紅涙、俺達は今回の件をお前のミスとしてカウントしない。それでも落ち込みたいなら好きにしろ。だが次の任務で支障が出たら承知しねェからな。」
「っ…、……はい、わかりました。」

そう…だよね。
終わったことは仕方がない。取り返しがつかないんだから、次に向けて切り替えないと…。

「ひとまず風呂にでも浸かって来いよ。浴びた液体も落としてェだろ。」
「おお、そうだな!早雨君、ちょっと早いが一番風呂でスッキリしておいで。」
「……すみません、ありがとうございます。」

二人に頭を下げる。
部屋を出る時、もう一度謝ろうかと思ったけど、

「…失礼します。」

きっと望まれていることじゃないから、やめた。

陽が傾いた頃、早めのお風呂を済ませて自室へ戻る。
ようやく謎の液体から解放され、なんとなく気分も楽になった。

「はぁ…、」

今日はなんか疲れたな。…何もしてないのに。

「あんなことにさえならなければ…。」

今頃は大事件に関われたことを喜んで、フワフワと楽しく過ごしていたはず。あんなドジさえしなければ…、……、…。

「あーやめやめ。」

沈みゆく思考を振り払う。

『紅涙、俺達は今回の件をお前のミスとしてカウントしない。それでも落ち込みたいなら好きにしろ。だが次の任務で支障が出たら承知しねェからな』

気持ちを切り替えないと。

「それよりもこれだ。」

袖をまくり、右の二の腕を見る。
そこには、黒いサインペンくらいの太さで書かれたバツ印があった。

「一体何なんだろう…。」

お風呂に入っている時に気付いた。
アザと呼べる形じゃない。汚れなのかと思ったけど、どれだけ擦っても消えなかった。

「いつから…?」

昨日のお風呂の時には気付かなかった。
ということは今日?でも二の腕がどうかなるような体勢を取ってないし、どうやったらこんなところに……

「……わかんない。」

ゴロンと畳に寝転ぶ。

「まぁいっか。」

痛みもないし、じきに消えるだろう。
とりあえず誰にも見られないようにだけ気をつけなければ。消せと言われても無理だし、面倒なことにならないように――

「紅涙、」
「!?」

突然の声音に心臓が跳ねる。障子には声の主の影が映っていた。土方さんだ。

「部屋にいるか?」
「ッあ、はい!います!」

慌てて起き上がり、髪と着ている色無地と整える。

「ど、どうぞ。」

声をかけると、
―――スッ…
障子が開いた。まだ隊服姿の土方さんが立っている。

「どうかしました?」
「いや…、その、な。」
「?」

土方さんは部屋へ入らず、障子の枠を握ったまま口ごもる。

「事件ですか?」
「違う。そうじゃなくて……、…、」

な、何…?

「買い物に……行かねェかと思ってよ。」
「……え?」

買い物?

「私と…土方さんで?」
「ああ。」
「??」

なんで?買い出しを手伝えって意味…?

「…わ、わかりました。」
「よし、」
「すぐに用意しま――」
「行くぞ。」
「え!?」

クルッと踵を返して歩き出す。

「ちょっ、ちょっと待って下さいよ!」

慌てて立ち上がり、その後を追った。