正夢じゃない
隊服姿の喫煙者と、色無地姿の女が二人で。
「…土方さん、」
「ん?」
「私達、もしかして勘違いされてません?」
「何に。」
「そのー…恋人?」
行き交う人々から感じる、興味深そうな視線。
半ばニヤつきながら土方さんを窺うと、
「ねェな。」
キッパリと否定された。
私達が二人きりで街に出ることは多々あるけど、この格好で出歩いたことは一度もない。
もしかしたら明日にでも『副長が恋人と街を歩いていた』なんて噂が広まってるかも……
「どちらかと言えば連行だと思われてんだよ。『あの女、何しでかしたんだろう』って。」
「え。」
そっち?あーそっちの興味か~…。ありえる。
「そんなことより早く買い物しろ。」
「……へ?…買い物って……」
『買い物に……行かねェかと思ってよ』
「何を買えばいいんですか?」
「知るわけねェだろ。何かねェのか?欲しいもん。」
「え?」
「?」
「…あの、土方さんが買い出しを頼まれたから、私を連れて買い物に来た…んじゃないんですか?」
「!」
土方さんはハッとした顔をして、
―――ポロッ
「「あ。」」
指に挟んでいた、まだ長い煙草を地面に落とした。
「あららー、もったいない。」
「あ、ああ悪ィ。」
いや、私に謝られても…。
というか、土方さんが動揺してる。珍しいな。
「何かありました?」
「何が。」
「今日の土方さん、ちょっと様子が違うような気が――」
「んなことねェよ。普通だ普通。」
落ちた煙草を拾い、懐から取り出した携帯灰皿へ入れる。その手で新しい煙草に火をつけると、溜め息混じりに煙を吐いた。かと思えば、
「ッああ、マヨネーズ!」
「!?」
突然大きな声で『マヨネーズ』と叫ぶ。
「なっ…なんですか、いきなり。」
「マヨネーズだよ、マヨネーズ。」
だから何。
「…マヨネーズがどうしたんです?」
「マヨネーズを買いに来たんだった。」
「…。」
……何それ。
……おかしくない?
尋常じゃないほどのマヨネーズ好きが、マヨネーズを買うことを忘れる?いや待て!それよりマヨネーズを買うくらいで私を連れ出したの!?
「……。」
言いたいことは色々あった。けど、
「…わかりました、行きましょう。」
「おう!」
ひとまず任務を遂行しよう。
意気揚々と土方さんはスーパーへ向かう。私はその背中に浅い溜め息を漏らした。
「一体どんな量を買う気でいるんだろう…。」
わざわざ私を連れてくるんだ。さぞかし大量購入する気でいるんだろう。重いの嫌だな…。
…にしても、それを今の今まで忘れていたなんて……なんで?
「土方さん、悩み事とかあります?」
「テメェ…俺をバカにしてんのか。」
「あっ、いえ、そうじゃなくて。今悩んでることがあって、頭の中がいっぱいなのかなーって。」
「あァ?べつにいつもと変わらねェけど。」
「そうなんですか…。」
変わらないのか…。……うーん。
「お。あったあった。」
かがんだ土方さんがマヨネーズに手を伸ばす。1つ、2つ、3つと買い物カゴへ入れた。5つ目くらいで声を掛ける。
「箱買いした方が早くないですか?」
「いや、今日はこのくらいでいいから。」
立ち上がった。
……はい?
「5つ…だけ?」
「ああ。多めに買って保管しておくのも心配だからな。ほら、温度とか湿度とかあるだろ?あと誰かに盗まれたりよ。」
「…。」
いや、ツッコミどころが多すぎる。
これまで常に大量買いして短期間で大量消費してきた人が、今さらそこを心配するの?
というより、たった5つを買うためだけに私を連れてきたわけ!?本気!?なんで!?どういうつもり!?
あと誰もマヨネーズなんて盗みませんけど!?
「……。」
…まぁマヨネーズ以外の物も買うのかもしれないし。マヨネーズを大量に買うと荷物が重くなるから我慢してるって話かもしれないし!
「ありがとうございました~。」
「…。」
結果、店に入って5分足らずで私達は退店する。
土方さんの手にあるスーパーの袋には、マヨネーズが5つ。結局マヨネーズが…5つだけ。
「…土方さん。」
「ん?」
謎すぎる。
「この買い物に私っていりました?」
マヨネーズを5つ買うために私を連れてきたの?どう考えても一人で行ける買い物でしょうが!
「…何言ってんだ、必要だろ。」
どの辺が!?
「……たまには、事件性なく外出する時間も必要だ。」
「え…?」
なに?
言われたことを瞬時に理解できず、頭の中で反復した。
『たまには、事件性なく外出する時間も必要だ』
土方さんはそう考えて私を連れ出した。つまり、マヨネーズを買うことが当初からの目的ではなく……
「もしかして……私と…外出するために?」
「ああ。」
「!」
二人で街へ出ることが……本来の目的。
「…、」
こっ…これは……っ、これはどういう展開ィィ~ッ!?
「ひっ、土方さん!」
「ん?」
「あのっ…、は…はじめから……デートならデートって言ってください。」
「デッ…、…はァ!?」
「デートのお誘いって分かってたら、私ももっと綺麗な着物を――」
「ばっ、違ェよ!勘違いすんな!」
「へ…………?」
「俺はただ、お前が好きなケーキでも買って、気晴らしになればと思って連れ出しただけだ!」
「えっ…」
え、えっ…土方さん……
「もしかして…私が落ち込んでると思って…?」
「……いちいち口にすんな。」
フイッと顔をそむける。その耳が赤い。夕陽のせいかもしれないけど。
「…ふふっ、」
ヤバい、これはニヤける。
「笑うな。」
「すみません、でも……ふふ。」
あながち、デートは間違いじゃなかった。
愛だの恋だのは関係なかったとしても、私を思って連れ出してくれたのなら、私にとってはデートと同じ。
…優しいな。ほんと、真選組の人はみんな優しい。
「土方さん、」
立ち止まり、その名を呼んだ。土方さんは数歩先で振り返り、不機嫌そうに私を見る。
「…なんだよ。」
「ありがとうございます。」
「……、」
何も言わず、背を向けた。
「…行くぞ。マヨネーズが腐る。」
土方さんの気遣い通り、ケーキ屋へ立ち寄る。
私は今日を『土方さんが優しかった記念』とこっそり称し、一番高いケーキを買うことにした。
「お会計はこちらになります。」
「はい!」
支払おうとした時、
「買ってやるよ。」
「!」
土方さんが財布を取り出す。
「そのケーキがお前の活力になるなら安いもんだ。」
「土方さん…!」
もう…っ、どこまでカッコいいんですか!
「ご馳走になります!」
「おう。」
ついさっきまで、今日を最悪の一日だと思っていた。でも今は最高の一日だと思う。我ながら単純だ。
屯所への帰り道も足取りが軽い。
帰ったらまずはケーキを隠さなければ。
冷蔵庫の奥に入れて、一人の時間になってから食べる。なにせ土方さんが買ってくれたケーキ。誰にも分けてなるものか!
「紅涙、」
「っぅえ、は、はい!」
屯所に辿り着き、玄関口で土方さんが振り返った。
「そのケーキ、今から食うのか?」
「あ、いえ、もう少しあとに食べるつもりですけど…」
「なら冷蔵庫にしまうんだろ?ついでにこれも頼む。」
手に持っていたスーパーの袋を私に差し出した。中身はもちろんマヨネーズ。
「…え。」
「全部俺の冷蔵庫に入るはずだから。」
『俺の冷蔵庫』。
冷蔵庫の横にある、小さめのマヨネーズ専用冷蔵庫のこと。
皆の冷蔵庫内にも共用のマヨネーズが置いてあるけど、大量摂取する土方さんのためにマヨネーズ専用冷蔵庫を設置している。
…という話は置いておいて。
「この足で一緒に行きませんか?」
「?なんで。」
「その…食堂はすぐそこですし、一緒に行ってマヨネーズをしまえばいいんじゃないかなぁと…。」
「わざわざ二人ですることでもねェだろ。」
「うっ…、ま…まぁそうですよね。」
嗚呼…早くも二人きりタイム終了。
「いいか?冷蔵庫を間違えんなよ?買ってきたマヨネーズは“俺の”冷蔵庫だからな。」
「わかってますよ。」
土方さんは『絶対間違えんなよ』としつこく念押しし、自室へ戻った。そこまで念押しされると、もさや間違えてほしいのかと思う。
「…そもそも入るかなぁ、5つも。」
食堂へ向かい、小さな冷蔵庫に目を細めた。
私は知っている。
この小さな冷蔵庫の中は、常にギッチギチにマヨネーズが詰まっていることを。当然、減ったから買い足したんだろうけど…
―――ガチャッ
「…。」
いや、ギッチギチ。
新たに5つも入れるスペースないじゃん。なんで買ったの、土方さん。
……あ。私を連れ出す口実か。
今日はマヨネーズを買う予定なんてなかったのに、何も知らない私が詰め寄ったから買うことになったのか……、……。
「もう…仕方ないなぁ。」
どうにか隙間を作って入れてあげよう。
まずは冷えたマヨネーズを数本を取り出した。買ってきたばかりのマヨネーズを奥へ並べる。
「あとは元に戻せば、っと。」
膝をつき、取り出したマヨネーズを冷蔵庫へ戻していった。…が、
「……ヤバ。」
入らない。
横にしたり、重ねたり、左右の隙間を探したり、前後を逆にしてちょっと無理に押し込んでみたけど、冷蔵庫の扉が閉じきらない。
「あとちょっとなのに…!」
もう少しこのマヨネーズが引っ込んでくれれば扉は閉まる!
「こっ、のぉぉっ…!!」
整列させたマヨネーズ達を力任せに押した。瞬間、
―――ブチュブチュッ
「わっ…!」
視界が黄色く染まる。同時に、マヨネーズの臭いが鼻をつんざいた。
「ぐっ…、ぅ、う、そ……。」
私が力いっぱい押したせいで、手前にあったマヨネーズが……破裂している。
「…、」
冷蔵庫の中に広がるマヨネーズ。
顔面に飛んできたマヨネーズ。
着物にも、もちろん床にだってボタボタと付いているマヨネーズ…。
「こっ、こんなことって…、…。」
こんなことって…ある!?マヨネーズが破裂するの!?はァ~!?
破裂したマヨネーズを手に取る。ヌルッと滑って床に転がった。また一つ汚れが増える。
「ああもうっ!……あれ?」
破裂したとばかり思っていたマヨネーズを見て驚いた。破裂はしていない。キャップこそ吹き飛んでしまっているが、容器自体に破損はない。どうやら圧力に負けて中身が飛び出しただけらしい。
「…そうか。」
推測するに、このマヨネーズは土方さんの使いかけだ。
日頃からキャップを外して使う極太状態のマヨネーズを絞り出していた土方さんは、この日、キャップをきちんと締めきらないまま冷蔵庫へしまった。それを私が圧力を掛けたことにより、中身が耐えきれず外へ…。
「絶対そうだ!」
だから土方さんが悪い!無理やり押し込もうとした私にも責任はあるけど!
…なんて話を考えてる場合じゃない!!
「ああっ、どうしよう!マヨネーズ臭いし!!」
百歩譲ってそこは我慢する。
ただ、この惨事を土方さんにどう報告すればいい?
絶対怒られるし、何よりガッカリされるのが目に見えている。今日だけで2回の失敗なんて、さすがに見限られるかもしれない。
「…、」
出来れば、こっそり片付けたい。
だけどマヨネーズの残数でバレる。
加え、5分もすれば夕飯の支度が始まる。片付けている最中に女中さん達が来たら、『ただでさえ忙しい時間に!』と叱られるだろう。仮に一人で片付けきったとしても、このヌルヌルと酸っぱ臭さが消えるまで時間が必要だ。
「~~っ、あぁァァっもうほんとヤバい!!!」
どうしよう、どうやって処理しよう。
「ヤバイ…、早く考えないと…ッ!」
刻々と時間は過ぎていく。
頭を抱えた。ヌルッとした感触がして、手の平を見る。
「……、」
マヨネーズだ。髪にまで付いているらしい。
「気持ち悪い…。」
冷や汗が滲み始めた。それすらも脂っぽい気がする。
「……マヨネーズ臭い。」
やっぱり我慢できない。匂いと焦りで吐き気がする。なのに、頭は回らない。
「…………もうダメだ。」
なんだか眩暈までしてきた。視界の端が暗くなって、身体がゆっくりと傾き出す。
「…、」
あ、倒れる。でもこのまま倒れたら、着地は確実にマヨネーズの上。…最悪だ。いっそ次に目を開けたら、全部がなかったことになっていたらいいのに。
「…。」
自由が効かない身体で叶わないことを願い、覚悟した。私を待ち受ける、マヨネーズ塗れな床を。
「…、……あれ?」
けれど、なかなか倒れない。
さっきまで身体は確かに傾いていたのに、床に倒れこむ感覚が全く襲ってこない。
「…?」
気持ち悪さも引き始め、目を開けた。
「……、……え?」
いつの間にか立っている。しかも、
「……どういうこと?」
あれだけ汚れていた床が綺麗になっていた。手を見ても、自分の着物を見ても、マヨネーズなんて1滴も付いていない。
「なん…で……?」
おまけに閉じた記憶のない冷蔵庫の扉が閉まっている。
…いや、これは元から閉まってたんだっけ?それとも私が閉めたんだっけ?
―――ガチャッ
冷蔵庫を開けた。
「えっ…!?」
信じられない。
汚れのない冷蔵庫内に、マヨネーズがギッチギチに詰め込まれている。けれどこの並べ方は私が触る前の状態。つまり、
「……え…、」
傍にはまだ、袋に入ったマヨネーズが置いてある。
「ちょ……、…え?……夢?」
私…夢見てた?マヨネーズが破裂した夢を…?
でもいきなり夢なんて見るかな。横になってもいないのに…
「…。」
頬をつねった。
「痛い……。」
起きている。少なくとも今は夢じゃない。
…一体どういうこと?もしかして……
「私、相当疲れてる?」
立って寝ちゃうくらいに。
「……、…………まぁいっか。」
とりあえず、あの惨事が消えてホッとした。
夢で良かった。こうなったら手早くマヨネーズをしまって、この不吉な場所から立ち去ろう。
改めて私は5つのマヨネーズを奥に並べた。
ただし夢を教訓に、古いマヨネーズのキャップがしっかり閉まっていることを確認してから詰め込む。が、
「やっぱりね。」
5つ全部を入れると扉が閉まらない。なので夢とは違う並べ方をして、
「これでどうだ!」
冷蔵庫を閉めた。しかしまだ、グワッと跳ね返される。どうやら中からマヨネーズが扉を押しているらしい。
「いやいや、ここまで入ったならさすがに大丈夫でしょ。」
夢の中よりだいぶ綺麗に入っている。あと少し。きっとあと少しギュッとしたら扉は閉まるはず!
「閉まれ~…っ!」
―――ギュギュ…
冷蔵庫の扉を押す。途端、
―――ブチュブチュッ
「…。」
覚えのある音が、冷蔵庫の中から聞こえた。そろりと開ければ、
「…ま……マヨネーズ臭……。」
匂いと共に胸焼けが再来する。
「正夢だ…、」
正夢にしてしまった…。
「…おいコラ。」
「!!」
低く突き上げる声に心臓が跳ねた。
「何が『正夢だ』だコラァ。」
「…い、や、あの…、」
絵に書いたようにゆっくりと振り返る。仁王立ちの土方さんと目が合った。
「っ、」
あ…ヤバい。この威圧感と胸焼けで吐き気が喉まで来た。抑え込むように下を向く。そこへ女中さんの声がした。
「あらやだっ!一体何です!?この状況は!」
夕飯を作る時間になったんだ…。
「早雨さんがしたの!?どういうこと!?」
「紅涙!テメェ下向いてんじゃねェ!説明しろ!項垂れてェのはこっちなんだよ!」
「うっ…、」
説明したいのは山々ですが、このままでは私、怒られてる最中に吐いてしまいそうなんです…。
でもそんなことになったら、輪をかけて大惨事。私としても、今後しばらく合わせる顔がなくなる。
「紅涙!」
「早雨さん!?」
「…、」
どうしよう…。この場も、吐き気も、もう避けようがない。
これもさっきみたいに夢ならいいのにな…。そうすれば、やり直せる。今度こそ丁寧にマヨネーズを扱うし、面倒でも押し込んだりしないと約束するから……
―――ガクンッ!
「っ!?」
身体が大きく揺れた…ような気がした。
あまりの衝撃に、心臓がドクドクと脈打っている。
「な、に…?」
今の。
……でもその前に。
「……え、……また?」
目の前の光景に、思考が固まった。
そんな私を嘲笑うかのように、キッチリ閉まった冷蔵庫が鎮座している。そしてまだ冷蔵庫を知らない5つのマヨネーズも。
「何なの…これ…。」
さすがに二度もあると、『夢を見ていた』という話で片付けてはいけない気がする。これは単なる夢じゃない。これはもう、
「時間が……戻ってる…?」
口にして、まさかと思う。だけど、そうとしか言えない。
「…ありえないでしょ。」
時間が戻るってどうやって?何でそんなことに?どうなったら戻った?
「……考えるのは後にしよう。」
とりあえずはマヨネーズ。
今度こそ無理せず並び替え、あえて古いマヨネーズ2つを外へ出した。土方さんのことだから、2つくらい今日の夕食で食べきれるはず。
「…よし!」
これでようやく、マヨネーズの惨事ループから抜け出した!
「紅涙、終わったか?」
「あっ、」
土方さんの声がして、立ち上がる。
「聞いてくださいよ、土方さん!今やっとマヨネーズを」
―――ブチュブチュッ!
「「…、」」
なんということでしょう。
興奮のあまり、私は外に出していたマヨネーズを勢いよく踏みつけてしまった。圧迫されたマヨネーズは容器から飛び出し、綺麗な放物線を描いて土方さんの隊服へ。
「…紅涙。」
「お…終わった……ところだったんですよ?」
「テメェェ…、」
マヨネーズを拭く。けれど布地に入り込んで、綺麗には落ちない。
「なんでテメェはマヨネーズをそんなところに…ッ、」
「ごごっごめんなさい!これには訳がっ」
「ごめんで済むかコノヤロォォォォ!!!!」
「うギャャャャャ!!!!」
…結局、私は二度のチャンスを生かせなかった。
でも普段通りの怒り方をされて、内心ホッとする。もし怒ってくれなかったら、それは心底私にガッカリした証。おしまいだ。
いつも通りの土方さんで本当によかった。
「次こそ失敗を取り返してみせますので!」
「…いや、もういい。お前はあんまり意気込むな。空回りする。」
「え!?」