時間数字5

思いのままに

「にしても、あれは何だったんだろう。」

夜、自室でマヨネーズの一件を思い返した。
あの時、私は予知夢を越えた何かを二度も体験している。

「眠いわけでもなかったのに…。」

うんと伸びをする。
息を吐き出した時、ふと、めくれ上がった袖口から二の腕が見えた。

「……あれ?」

二の腕にあったバツ印が変わっている。
同じような場所にVのようなものと三本の線はあるが、あの日に見たバツ印がない。

「え、…いつの間に?」

変わったの?変わるって何?どういうこと?こうもパッと変わるのは、やはりアザの類ではないってこと…?

「……気持ち悪。」

改めて皮膚を擦った。…消えない。
一体何なんだろ。いつからあるのかも分からないけど、何を機に変わったのかも分からない。

「変わるきっかけみたいなことってあったかな…?」

さっきの…マヨネーズの惨事?

「……うーん…。」

でもそれくらいしか思い浮かばない。
じゃあバツ印自体はいつからだろう。大きな出来事と言えば、科学宗教団体の事件くらいで……

『団体オリジナルの液体を浴びれば願いが叶う』
『俺達は成功していたんだ!』
『お前を最後の実験台にしてやる!光栄に思えェェ!!』

「……まさか。」

この印、もしかして……っ、

「もしかしてあの液体の効果!?」

願いが叶った証として、印が変化してるってこと!?すごい…すごいよトム!天才だ!アンタ本物だよ!!

「魔法じゃん…!」

よし、明日トムに面会できるか確認しよう。あの液体についてもっと聞きたい!

「それまで少し試しておこうかな。…くふふ。」

その日の深夜、
私は周りの目を気にしながら食堂へ向かった。そっと共用冷蔵庫を開ける。
―――ガチャ…
冷蔵庫の奥から白い箱を取り出した。土方さんが買ってくれた例のケーキだ。

「…まずは、ひと口。」

口に入れる。

「~っ、おいしい!!」

冷蔵庫の前で小さく叫び、もうひと口食べた。このまま食べきってしまいたい!…けれど、

「ひとまずこれくらいにしておこう…。」

ケーキを机に置く。
実験が成功すれば、いくらでも食べられる。
……そう。私の実験は、ケーキを何度も復活させること!!

―――ピピッ
「ッ!?」

突如鳴った謎の電子音に心臓が跳ねる。
音がした方を見ると、棚に腕時計が置いてあった。おそらく誰かの忘れ物。それが深夜0時のアラーム音を鳴らしたらしい。

「もう……ビックリしたなぁ。」

これは極秘の実験だ。
くれぐれも人目に注意して進めなければならない。もし他の隊士に知られたら、自分勝手に利用される。そうに決まっている!……実際に私自身がそうなんだから。

「えっと…、どんな状況だったっけ?」

確かあの時は……、
土方さん達に怒られるのを恐れ、『なかったことにしてほしい』『夢であってほしい』と願った。すると貧血のような目眩に襲われ、視界が暗転。目を開けた時には既に戻っていた。

「ということは、強く願うだけ…?……そんなことだけでいいのかな。」

不安だ。自力で貧血を起こすのは難しいから、一応目も閉じておこう。
私はギュッと目を閉じ、胸の前で強く手を握り、願った。

「どうかお願いします…。私のケーキを…元に戻してくださいッ!!」

ドクドクと心臓が脈打つ。静まり返る部屋で、ジッとその時を待った。…けれど、なかなか変化はない。

「…?」

少しして、そっと目を開ける。

「やっぱり…勘違いだった?」

白昼夢ってやつだったのかもしれない。…もう昼じゃなかったけど。

「……はぁ。」

小さく溜め息を吐き、机を見た。

「っ!?」

先ほどまで置いていたはずのケーキが、ない。すぐに冷蔵庫を開けた。

「…う…うそ…、」

冷蔵庫の奥に、取り出したはずの白い箱がある。恐る恐る手に取り、箱を開けた。

「…、」

中にケーキが入っている。土方さんに買ってもらったままの、まっさらなケーキが。

「叶った…っ!!」

私の願い、叶ってる!!じゃあ二の腕の印は!?

「やっぱり!」

ここも変わっている。
縦に3本あった線が、2本に減っていた。

「…あ。もしかして、これって回数?」

歪んでいるものの、見ようによってはローマ数字。つまり、私はあと7回願いを……

―――ピピッ
「ッ!?」

ビクッと身体が震えた。
この音、あの腕時計か!

「っもう!何回鳴らす気!?」

なんでこんな真夜中に細かくアラーム設定するかな!?誰の時計よ!この感じだと5分置きに鳴らしてるんじゃ……

「…え?」

壁掛け時計を見て、思考が固まった。
今は0時。つまり今の音は、0時の設定で鳴ったアラーム。

「なん…で?さっき……、」

さっき、私は0時に鳴るアラーム音を聞いた。まだケーキが復活する前の…話だけど……

「まさかこの薬……、」

願いを叶えるんじゃなくて、時間を戻すだけの薬ってこと?

「…なんでも叶う薬じゃないんだ。」

ちょっとガッカリ。…いや、充分すごいんだけど。

「あと7回かー…。」

どう使おうかな。
大事に使いたいけど、有効期限がある可能性もある。そう考えると、大事に取っておくのが最良とも言いきれない。

「日常で時間を戻したくなるほどの機会なんてそうないだろうし…。」

今日みたいな厄日を除いては。
まぁさすがに『何度もケーキを食べたいから』みたいな使い方だけはしないようにしようかな。
……なんて、そんな誓いを立てた翌日。

「~♪」
「なんでィ、鼻歌なんか歌って。」

いつもの縁側で、アイマスクをつけて寝転ぶ私に話しかけてくる人がいた。わざわざ顔を見なくても分かる。私はアイマスクをつけたまま、その人に問いかけた。

「沖田君も休憩?」
「俺ァいつでも休憩中でさァ。」

気配が移動する。どうやら隣に座ったらしい。

「で、紅涙はなんでそんなご機嫌で?」
「ちょっと良いものを手に入れたからね~。」
「なに。」
「内緒~。」
「言わねェと殺す。」
「言わな~い。」

いくら沖田君でも言えない。これは私だけの秘密だ。

「チッ、つまんねェの。てっきり沈み込んでるかと思ってたのに。」
「…え、もしかして私を心配してくれてたの?」
「自惚れんじゃねェ。」
「……ふふ。」

思わず頬が緩んだ。

「いつもありがと、沖田君。」
「だから自惚れんな。」
「はーい。」
「…。」
「…沖田君?」
「…。」

……あれ。怒った?
いつもなら『死んでくんねェかな』とか上乗せしてくるのに。

「…。」
「…、」

…何よ、この空気。
どうしよう。謝った方がいい?心配してくれた人をからかったみたいになったわけだし…。でも謝って『許す代わりに機嫌が良い理由を教えろ』なんて言われても……

―――カサッ…
「?」

急に視界の端から光が射した。瞬く間にアイマスクが消える。

「え…?」

覗き込む沖田君と目が合って、そこでようやくアイマスクが剥ぎ取られたことに気付いた。

「…紅涙。」

あ…ヤバいな。沖田君のこの雰囲気、真剣に機嫌悪い時だ。
険しい顔つきを見て、頭が働くよりも先に私は謝罪していた。

「ごっごめん、沖田君。私…」
―――チュッ…
「え、」
「…。」

え、なに…?唇に…生温かい感触が……

「沖田…君?」

今……何した?

「俺の隊に入れ、紅涙。」
「え…?」
「野郎の傍にいるな。」
「沖田君…」
「傍にいろ。」

沖田君の髪がフワッと揺れる。
再び近付いてきた唇に、

「ッおおおお沖田君!?」

瞬時に手を伸ばし、防いだ。

「何やってるの!?」
「キス。」
「ッ…は、はいィィ~!?」
「俺の方が先に好きになったのに、それを知らずに横取りされるのは解せねェ。」
「へ!?」

なに!?何の話!?

「紅涙は野郎が好きなんだろィ?」
「ひへ!?」

しまった、声が裏返った!

「いいいっいきなり何の話を!?」
「いきなりじゃねェ。俺ァここんとこ、そればっか考えてる。」

知らないし!

「紅涙、俺はお前のことが好きなんでさァ。俺と付き合え。」
「ええ!?何言って」
「付き合え。」

顔が近付いてくる。
逃れようと身体をよじった。…が、動けない。いつの間にか、腕を押さえつけられていた。

「ちょっ、沖田君!?」
「野郎はやめろ。今なら遅くねェ。」
「離れてっ!」
「紅涙、」
「っっ、」

なんでっ…なんでこんな展開になった!?
私達仲良くしてたのに…っ、友達だったのに、こんなことになったら…っ、

「信じろ、紅涙。野郎は」
「沖田君!」

こんなことをしたら私達…っ

「戻して!」

それしかない。

「…『戻して』?」
「戻してよっ…お願い!!」

ギュッと目を閉じた。

「おい紅涙、何言って」
―――プツン……

不自然に沖田君の声が途切れる。

「…、」

これは…この感じは…きっと……

「っ……、」

恐る恐る目を開いた。
視界は、黒い。

「で、紅涙はなんでそんなご機嫌で?」

真っ暗闇の中、聞き覚えのある沖田君の声がした。