時間数字9

守るための犠牲+彼の背中

土方さんと別れた後、自室へ戻るのをやめて道場に向かった。
土方さんとやり合った相手は、おそらくまだそこにいる。

「…。」

確認したい。
そこに、予想通りの人がいるのか。

「っ!」

……いた。
練習着姿で、壁を支えにしてこちらへ歩いてくる。

「っ沖田君!」

すぐさま駆け寄り、その身体を支えた。

「紅涙?なんで…」
「聞きたいのは私の方だよ。」

見たところ、怪我の具合は土方さんより酷い。ボロボロの練習着に明らかな鮮血。口元にも拭ったような跡があった。

「…ひとまず医務室に行こう。」

沖田君の腕を自分の肩へ回し、医務室まで連れて行く。しかしこんな時に限って常駐医は不在だった。

「イテテテ。」
「我慢して。」

医者の代わりに、私が傷口を消毒する。
出血した箇所を手当てし、打ち身を確認。小さな怪我は数えきれないくらいある。…とはいえ、真選組で一二を争う実力者同士の争いだ。この程度で済んだだけマシかもしれない。

「…、」

あの時すれ違った土方さんも、同じくらい怪我していたのだろう。……ちゃんと手当てしたかな。

―――ドタドタ…
「?」

なんだか外が騒がしい。
―――ドタドタドタッ
徐々に足音が近づいてくる。そして、

―――バンッ!
「ッ沖田隊長!!」
「「!」」

勢いよく医務室の扉が開いた。隊士の一人だ。

「ビックリした…、」
「なんでィ、どうした。」
「今しがた、病院から連絡が入りましてッ…沖田隊長のお姉さんの容態がッッ!!」
「「っ!?」」
―――ガタンッ

耳に入るや否や、沖田君は部屋を飛び出した。まだ難なく走り出せる状態ではないはずなのに。

「沖田君!」

追って私も廊下へ出る。

「っ…、」

どうしよう。私も病院に行っていいの…?心配だし、気になるけど…ミツバさんと親しいわけでも……

「早雨君!」
「!」

同じく沖田君を追う形で出てきた近藤さんが、私を見て玄関を指さした。

「今から車を出す!一緒に来い!」
「えっ…あ、はい!」

なんで呼んでくれたのかは分からない。
分からないけど、必要だと思われたから呼んでくれたんだろう。
私はそう解釈し、近藤さんの後を追った。

ミツバさんは大江戸病院にいるらしい。

「急に容態が悪化したって。」
「かなりマズイみたいで。」

到着後に案内されたのは集中治療室だった。
なぜかそこには既に坂田さんがいる。壁際に設置された椅子に、ダラしなく腰掛けて。

「…?」

…この人、ミツバさんと親しいのかな。初めて見た夜も一緒にいたけど。

「家族の者は、それ相応の覚悟はしておけと…医者が。」

大きな窓ガラスの先で、医師が慌ただしく動いている。そんな空間の中、ミツバさんは穏やかな表情をして眠っていた。口元に人工呼吸器をつけて。

「姉上…。」

沖田君はミツバさんの姿を見ても取り乱さない。ただ目を見開き、ガラス張りの壁に張り付くようにしてたたずんでいた。

「…、姉上…、」

決して大きくはない声で、何度も口にして。

「沖田君…。」

静かすぎる廊下が、苦しげに呟く声を反響させる。
あまりにつらく悲しい声は、聞く者の耳をも突き刺した。

「…早雨君、俺は先生の話を聞いてくる。総悟を頼んだ。」
「……わかりました。」

近藤さんがナースステーションへ向かう。私は沖田君の背を見つめ、掛ける言葉を探した。けれど、

「…、」

見つからない。そもそも声を掛ける勇気がない。下手に触れて、もし壊してしまったらと思うと……怖い。

「座れば?」

声に振り返った。坂田さんが自身の隣を軽く叩いている。

「…、」

座るのは、気が引けた。
沖田君の必死な想いが傍にあるだけに、座るのは……

「立ってても何も変わらねェよ。」
「…。」

そうだけど…。
まるで考えを読み取られたかのような言葉に眉を潜める。

「まァ痔の呪いでも掛けられてて、爆発するから座れませんって話なら仕方ねェけど。」
「……、…いえ、」

坂田さんの隣に腰を下ろす。
より一層、沖田君の姿が目に入った。沖田君は何分、いや、何十分…何時間でもあのまま静かに立っている気がする。

「……私、」
「ん?」
「私…、…なんて声を掛ければいいのか…。」

沖田君を支えたい。
取り乱していないからこそ心配に思う。
静かにたたずむあの身体の中心は叫んでいる。助けてほしい、助かってほしい。掻きむしりたいほど願っているのが分かる。
それなのに私は…

「何をしてあげればいいのか…、」

わからない。何か…してあげたいのに。

「何もしなくていいんじゃねェ?」
「……え?」

あまりに気の抜けた声に、坂田さんを見た。

「アレが何かしてほしい背中に見えるか?」
「…、」
「ただ傍にいるだけで支えになる時もある。今は黙って見守ってやんな。」

…この人、

「……そうですね。」

もしかして…本当はすごい観察力の持ち主?
ひょうひょうと生きてるように見えるけど、的を得たアドバイスだった。土方さんが怪しむのも分かる……って、

「そう言えば土方さん…、」

思えば、姿を見ていない。
辺りを見回しても姿はない。てっきり駆けつけると思っていた。ミツバさんの…話だから。

「アイツならまだ来てねェよ、一度も。」
「一度も…?」

もしかして…連絡が回ってないの?

「っ、電話してきます!」
「へ?っあ、おい、」

坂田さんの声を背中で聞きながら、足早にロビーへ向かう。

早く、早く教えてあげないと…。早く電話してあげないと!

携帯を取り出し、すぐさま発信ボタンを押した。
―――プルルルルル…
出ない。

「なんで…?」

仕事の鬼が電話に出ないことなんて、これまで一度なかった。どんな時でも電話に出る。休みでも、寝ていても、『大事になったら大変だから』って電話に出ていた。なのに……出ない。

「何か……あった…?」

胸騒ぎがして、今度は山崎さんに電話した。

―――プルルルル…
『はい、山崎です』
「山崎さん、今どこですか?」
『えっ、あー…ちょっと出先だけど。どうかした?』
「土方さん知りませんか?電話が繋がらなくてっ…」
『あ、あー……、……うん、まぁ、』
「?」
『用件を言ってくれたら俺から伝えておくよ』

…え?それは……土方さんの居場所を知ってるってこと?
そもそも歯切れの悪さは何?何か隠してるようにしか思えな……

「あ…」
『うん?』

ふと、頭に浮かんだ。
昨夜、二人は見廻り担当でもないのに帯刀して歩いていた。アフロ頭の山崎さんと、土方さんで。

「……山崎さん、今土方さんと一緒なんですね?」
『ぅえっ!?やっ、え…、えーっ一緒というかぁ…、……』
「…。」
『…………まぁ、そうかな』

やっぱり。

「……はぁ。」
『早雨さん?』

胸騒ぎが酷い。黒い塊になって、口から出てきそうだ。

「……今どこにいるんですか。」

電話しながら、私の足は自然と病院の出口へ向かっていた。

『いやっ、それは……』
「二人して何してるんですか。」
『だからそれは……そのー…、……ちょっと言えなくて』
「なんで?」
『え…っと…、……』
「なんで隠すんですか。」

なんで言わないの?

「…どうせ事件なんでしょう?どうして皆に言わないんですか。」

皆で行けば早く片付く。にも関わらず、どうして今回に限って皆と共有しないのか。

『そ、それはっ…、……副長の意向だから』
「えっ…?」
『ごめんね、早雨さん』

…『ごめん』?ごめんって……何よ。
山崎さんの謝罪で、私の中の何かが切れた。

「……わかりました。」

もういい。

『あ…、そう?よかっ―――』
「どこにいるんですか。」
『ええっ!?いや、だから』
「どこにいるかって聞いてるんです!!」
『っ!?』

ごめんなんかで済まさせたりしない。見逃してあげたりしない。
事情なんかどうでもいい。今は一刻を争うんだ。
二人で何を片付けようとしているのか知らないけど、

「山崎さんッ!!」
『っこ、こわ…っ』

二人だけで済ませたい事件なんて、どうせろくな事件じゃないんだから。早く終わらせて、土方さんをミツバさんの元へ向かわせないと。

『その…、…。』
「…。」

沈黙の向こうで風の音が聞こえる。
この間が惜しい。気が焦る。
でも山崎さんは電話を切らなかった。ということは、話す気がある。

『…早雨さん、』
「はい。」

『……副長は、この事件を公にすることを望んでないんだ。俺は君が悲愴だから答えるけど……』
「わかりましたから。早く言ってください。」
『…何か行動を起こす前に、絶対副長の気持ちを考えてあげてよ?』
「?…わかり…ました。」

何だっていうの…?

山崎さんは今、港にいると話した。
攘夷浪士らしき人物が違法な取り引きをしているらしく、その現場を押えるために張り込んでいるそうだ。既に裏は取れていて、あとは容疑者を捕まえるだけの状態だと言う。

「…、」

話を聞いて、思った。
どうしてそれが皆に話せない話なのか。
裏が取れているなら尚更。現場を押さえるだけなら尚更。皆で取り掛かれば取り逃す可能性も減る。なのに…。
……もしかして規模が小さいから?

「向こうは何人ですか?」
『まだ掴みきれてない』

……え、

『とりあえず組織ぐるみの犯行だとは分かってるんだけど、現場に何人いるかまではちょっと…』
「何やってるんですか!?」

信じられない。

「なんでそんなよく分からない状況なのに二人で動いてるんですか!?」

意味が分からない。無茶苦茶だ。分からないことがあるなら皆で動くべき。
私は電話を繋いだまま、病院を飛び出した。

『…それがさ、早雨さん』

山崎さんが呆れたような溜め息を漏らす。

『二人じゃないんだよね』
「…え?」
『一人だよ。そんな現場に、副長は一人で乗り込んだんだ』
「……?」

どういう…こと?
電話の向こうで風の音が強くなった。山崎さんの息遣いも聞こえてくる。どうやら向こうも走り出したらしい。

「山崎さん…?山崎さんは今…土方さんと一緒なんですよね?」
『一緒じゃない。俺も今日動くって知らなくて、慌てて現場に駆けつけたとこなんだ』

え……?じゃあ…

「土方さんは…今……一人…?」
『うん』
「!」
『ここから副長の姿は見えてるけど、ちょっとまだ近付ける感じじゃなくてさ』
「…ど、どうして土方さんは……そこまでして……」

こんな不明瞭なままの事件を、一人でどうにかしようと考える人じゃない。皆で攻めて、皆で手柄を立てる。そんな人なのに……

『一人で片付けたいんだよ。なんたって容疑者の一人がミツバさんの婚約者だからね』
「っ!?」

容疑者が…ミツバさんの?

『俺もビックリしたよ、まさかこんなことがあるなんてって』
「…沖田君は……知ってるんですか?」
『知らないと思う。副長は沖田隊長のことが気掛かりで皆に伏せてきたからね。精神的な面を心配してってのもあるけど、沖田隊長の親族になる者が攘夷浪士と関係してるなんて知れ渡ったたら、真選組での立場を失っちゃうから』
「そんなっ……」
『まァ他にも色々あるんだろうけどね。どのみち、容疑者確保に皆を使わなかった根本的な部分はそこなんだ』

だからって…、…だからってそれを一人で背負い込むの?

「…、」

結局…、結局あなたはいつもそうだ。

「…っ…」

自分を大事にしろって言ったのは、土方さんの方なのに。
『いいか。副長の代わりなんてもんは、いくらでもいるんだ。だが確かに俺の代わりはいねェ。それはお前も同じだろ、紅涙』
『だから『自分の代わりはいる』なんて考え方は改めろ。もっとテメェの身を案じながら生きろ』

…言葉に責任を持ってくれなきゃ困る。
忘れたなんて言わせない。絶対…言わせませんよ。

「…山崎さん、現場には私が入ります。」
『え?でも俺、もう到着してるし…』
「山崎さんは他の皆を連れて来てください。土方さんも納得するような方法で皆を動かせるのは、山崎さんだけだと思います。」
『…も~、無茶言うなぁ』

山崎さんは苦笑して、

『わかったよ。じゃあ今から俺の知り得る範囲の状況を君に伝えるから。くれぐれも気をつけて』

そうして私は現状を引き継いだ。
話を聞きながら屯所へ戻り、自室に置いてある刀を手にする。皆には何も告げず、私は再び屯所を出た。

港まで走った道のりは、着いた先でどう攻めるか策を考えるより、土方さんのことばかりを考えていた。

土方さんが護りたいのは、おそらく沖田君だけじゃない。ミツバさんを……ミツバさんという存在そのものを護りたいんだと思う。

「何かに……気付いてたのかな。」

土方さんの性格から考えて、
もしミツバさんがその男を心から愛し結婚するなら、もっと他の方法を探して捕まえていたように思う。いずれ二人が添い遂げられるようにと、それこそ沖田君も巻き込んで最良の逮捕を計画したはずだ。

なのに、今回のやり方はまるで違う。そんな未来など与えないと言わんばかりの動き方。向こうが余程の悪人だったせいなのか、それとも、

ミツバさんの、心の根にある想いに気付いていたからか。

「…。」

土方さんは、たとえ自分が悪者になろうと、結果としてミツバさんや沖田君の人生を救うことになるならそれでいいと……そう思って行動している。

「………優しいな。」

嫌になるくらい、優しい。
だったらそんな土方さんを私が護りたい。そんな人を……失いたくはないから。

「…ここか。」

山崎さんから聞いた港は、コンテナが建ち並ぶ埠頭だった。
しかし使われていないのか、大きなコンテナが不規則に並んでいる。故に見通しも悪い。そんな場所が既に争いの場と化しているのは、音で分かった。

―――ガキンッ

鈍く響く金属音。そして何人もの怒声。
あの声が向けられている先に土方さんがいる。身を隠し、音の方へ近付いた。そこへ、

「オオオオオオォッ!!」
「!」

聞き覚えのある声に足を止める。顔を出し、様子を窺った。
わらわらと群れる集団の中に、一つの黒い影が必死に動いている。

「土方さんっ…」

姿は見えたものの、すぐさま集団に埋もれて見えなくなった。その上に、誰のものか分からない血が舞う。

「っ!」

息を呑んだ。
けれど直後に群衆が割け、再び土方さんの姿が見える。ホッとしたのも束の間、その姿は傷だらけだった。

「…っ、」

どう見ても不利な状況。
私はどう動く?
どう動けば、上手く土方さんに助太刀できる?
焦りが占める中、必死に頭を働かせた。
…そんな時だった。

「背中がガラ空きだァァァ!!」

土方さんの背後から斬りかかろうとしている男が見える。

「ッ!!」
―――ガキンッ!
「!」

男の刀と私の刀が大きな音を立てて弾き合った。

「紅涙!?お前っ…」
「なんだこの女!どこから出てきやがった!?」

…よかった。私の身体、あの一瞬にもちゃんと反応できた。

「なんでここにいるんだよ…。」

土方さんの声を頭の片隅で聞きながら、私は目の前の男の脇腹を斬りつける。

「グァァァァっ!!」
「…。」

手が血に塗れる。

「……、」

初めてだった。
…でも、これでいい。これで、いいんだ。

「…土方さん、」

土方さんの背に背を合わせ、刀を握り直す。

「一人で無茶なことしないでください。」
「…なんでいるんだよ。」
「山崎さんに聞きました。あ、山崎さんを叱らないであげてくださいね。私が無理やり聞き出したようなも――」
「なんでここにいるんだ!」
「…、」
「なんで…ッなんでお前が…ッ」

怒りを滲ませる声に、私は浅く息を吐いた。

「だって…、」

だって私…

「副長補佐じゃないですか。」
「…、」
「副長一人で戦わせるわけにはいきません。」
「……馬鹿が。まだ任命してねェだろ。」
「そうでしたっけ。…でもまぁ、暫定でもいいじゃないですか。」

これ以上、この人に寂しい戦いをさせたくない。皆を突き放してまで、一人で背負い込ませたくない。私がいる。土方さんが誰を愛していても……私は傍にいる。

「…私では頼りないと思いますけど、今だけは背中、護らせてください。」

実際、最後まで護りきれるほどの実力がないことは自分でも分かっていた。それでも援軍が来るまでくらいは護れる。護ってみせる。必ず…護ると誓う。

「…好きにしろ。」
「…はい!」

その言葉を合図に、私と土方さんは向けられた無数の刃に立ち向かった。