腰間の秋水 1

午前四時+一時間

刀。
刀とは常に傍にあり、常に俺たちに必要なもの。
近藤さんは言う。
『刀は武士の魂だ』
俺はそうは思わない。俺にとって刀は刀でしかない。
ただ敵陣を走り抜けるための道具。目の前の敵をなぎ倒すためだけの道具。
それだけの……ものだった。
腰間の秋水
(ようかんのしゅうすい)

「ん…、」

朝の四時。薄らと目を開けば、見慣れた天井が見えた。
俺はいつも自然とこの時間に目を覚ます。身体が覚えてしまっているのだろう。長く寝たくても眠れない。

「もう朝か…。」

寝る間際までのデスクワークは翌日まで疲れを持ち越す。俺は気だるい身体に鞭をうち、上体を起こした。が、さすがに頭は回らない。

「……。」

まだ外も暗い。時計を見た。針は四時をさしている。当然だ。

「二度寝でもするか…」

俺はもう一度身体を倒し、甘ったるい溜め息をこぼした。いつもは体質のせいもあって、寝直すことなど出来ない。だが今日は出来そうな気がした。
眠れるのは、おおよそ一時間が限界。女中が動き出す前には起きたい。

「あと…一時間……」

ああ…そうこれこれ、この落ちる感じ。二度寝できるってサイコーだな。

「はぁ……、」

右に寝返りを打って、鼻先まで布団を被った。目を閉じる。……いや、

「…、…?」

正確には、閉じようとした。

「ん…?」

なんだこれは。
寝返りした視線の先に、見知らぬ『モノ』がある。目を見開かずにはいられなかった。

「……ぃや…そりゃねェだろ…。」

声が掠れた。寝起きのせいか、動揺のせいなのか。

「いやいやだって……ほら…俺は昨日深夜までデスクワークで…、……だろ?」

自問する。呟く程度の声量なのに、俺の耳には大きく響いた。
…思い出せ。昨日、本当は何をしていた?
飯を食って、部屋に戻って、書類提出に来たヤツらに駄目出しして。その後は風呂入って、布団を敷いた。眠る前に仕事を思い出したから机に向かったら、結局、日が変わるまで仕事しちまって……そうだよ、やっぱそうじゃねーか。

「間違いねェ…。」

俺は誰とも会ってない。だから絶対にありえないんだ、…こんなことは。

「…つーことはアレだな。」

俺の視界に映ってる『モノ』は幻か。さっき俺は二度寝しようとしてたんじゃなくて、既に二度寝してんだ。ああそうだ、きっとそうに違いない。

「まったく…嫌な夢を見せやがる。」

まァ俺の頭の中の問題だが。どちらにせよ、夢と分かればこっちのもんだ。終わらせてやる。

「起きるぞ。」

起きろ俺。早くしろ。この夢の世界から早く―――

「ぅん……、」
「!?」

『それ』が小さな声を出して身体をよじった。畳の擦れる音がする。俺の心臓は、『それ』の一挙一動にバクバクと音を立てた。

「……おいおい、」

これ、夢じゃねーぞ。なぜだ…?なぜこんなところに……

「ん…、…。」

俺の部屋に……

「……すぅ…、」

女が寝てるんだ!?

「お…女を連れ込んだ記憶なんて…欠片もねェし…。」

見知らぬ女は、俺の視線の先でこちらに身体を向けて眠っている。畳の上に髪を散らばらせ、恐ろしいほどの薄着。薄手の大きな黒い布だけを身体に掛けているせいで、肌が透けている。服はおろか、おそらく下着も着けていない。まるで…情事の後のように。

「む…夢遊病…なのか?」

まさか俺は意識なく行動して…女を……?
―――バサッ
慌てて自分の布団を捲る。気崩れている様子はない。…よかった。

「マジで何なんだよこれ…。」

つーか誰なんだ?この状況だと、どう転んでも俺が疑われるだろ。

『朝起きたら部屋に女がいたんだ』
『トシの部屋に忍び込んできたっていうのか!?』
『そうとしか考えられねェ』
『バカですかィ?仮に屯所へ侵入した人間として、堂々と土方さんの傍で寝ると思いやすか』
『それは…、……』
『そうだな!』
『どうせ女を連れ込んで、帰し忘れちまった言い訳ですぜ』
『トシ……あとで俺にも紹介して』
『違ェから!』
『副長失格でさァ』

…立場がねェ。
だったら見つからないうちに追い返しちまえば……!

「…おい。」

俺は身体を起こし、女に声を掛けた。だが女は小さく唸るばかりで目を覚まさない。

「ちょ…おい。起きろって。」

今度は身体を揺すった。薄手の布地だけのせいで、女の身体はひどく冷たい。これだと遅かれ早かれ風邪ひいちまう。

「起きろ。」
「ん…、……もう…朝…?」

女が目を擦った。身体を起こし、寝ぼけた様子で座る。途端、女の身体から布地が落ちた。

―――パサッ…
「ぶフッ!」

思わず噴き出す。辛うじて長い髪が胸を隠していた。下は……み、見ないことにする。

「何つー格好を…。」

つい心の声が口に出た。女は自分の姿も気にせず、いや気付いていないのか、キョロキョロと周りを見る。
そんなことしてる場合じゃねーだろ…!お前、もはや裸なんだぞ!?

「っおい、服は!?」

とりあえず羽織っていた黒い布地を肩に掛けさせる。女は覚めきっていないのか、俺の方を見てゆっくりと首を傾げた。

「…うん…?」

『うん?』じゃねェよ!なんなんだコイツ…!
マジで女。マジで裸体。俺はこれほどまで理解できない、かつ覚えのない経験は初めてだった。
ほぼ裸体の女は、薄い黒地の布を肩に掛け、ぼんやりした目を俺に向ける。

「……、」
「なっ…、何だよ。」
「……え?」

何度か瞬きして、俺をジッと黙り見る。

「おっ俺は何もしてねェからな!」

俺は悪くない!断じて!……たぶん。

「…私が…わかるんですか?」
「……あァ?」
「私のこと……わかるの?」

…なんだ?どういう意味で言ってる?

「お前の言いたいことがよく分かんねェんだが。」
「!!わかってる…!」

いや分かってないから。…なんか噛み合わねェな。

「テメェは俺の部屋に忍び込んで何する気だったんだ。」
「?…忍び込んでないです。」
「だったら何でここにいるんだよ。」
「??…元から……いたから?」
「……。」
「…?」

…ダメだ、噛み合わん。コイツも自分の状況が理解できてねェのか?まさかそんな怪しい話……ああっ!アレか、総悟が仕込んだ女か!だからトボけてんだな。

「つまんねェことはやめろ。」
「?」
「もうバレてんだぞ。」

俺は枕元に置いてあった煙草を取り、火をつけた。

「総悟にはキツく言っておく。だがお前もこんなことで簡単に脱いだりすんな。」
「あ、あの…土方様?」

『土方様』?ハッ…笑わせる。とんだ呼び方しやがって。

「あの……」

女が俺に手を伸ばし、膝の辺りをそっと触れる。

「触んな。とっと帰れ。」

咥え煙草で女の手を払った。だがなぜか女は、

「あっ…!!」

パッと顔を明るくさせる。

「っ、土方様ぁぁぁぁっ!!!」
「ッ!?」

今度は突然、俺に飛びついてきた。首の辺りに手を回し、身体をぴたりとくっつけてくる。

「っ何やってんだ、離れろ!」

引き剥がそうと肩の辺りを掴む。やわらかい。…そうだ、コイツ裸だった!よく考えれば俺の着物を挟んで柔らかな感触が伝わってくる。凹凸のある、女の…やわらかい身体が……

「ッッ!」

頼むから離れてくれ!

「土方様ぁぁっ、土方様ぁぁぁっ!!」
「っ、おまっ、やめろ!」

俺の首元でグリグリと顔を擦りつけてくる。
何なんだほんと!どうすればコイツは離れるんだ!?というか、どうやったらまともに話を聞いてくれるんだよ!いやそんなことよりも他のヤツらが起きる前に帰ってほしい!!

「まさかこんな日が来るなんてぇぇっ!」
「おいっ」
「嬉しいぃぃぃっ!嬉しいですぅぅっ!!」
「……。」

…あーもういい、好きにしろ。
俺は女が飽きるまで耐えしのぐことにした。女はマーキングでもしてんじゃないかと思うくらい擦り寄ってくる。だがしばらくすると、はたと気付いたように俺を見た。

「ほんとに私の話してることが分かってるんですよね?」

相変わらず意味の分からんことを…。

「…わかるに決まってんだろ、日本語なんだから。」
「日本語は…ずっと話してたんですけど、私――」
「なんでもいいから先に服着ろ!」
「…服?」

俺は顔を斜め上に向けながら話した。まともに目を合わせると、否が応でも女の身体が目に入る。

「服…というのは……?」
「服だよ服!お前、さっきから裸だぞ!?」
「…変ですか?」
「変だろ!こんなとこで…つか、俺のいる前で堂々と裸なんて…」
「私は構いませんよ?いつも戦う時はこの姿ですし。」
戦う時!?…ああ、そういう仕事をする時ってことか。
「今は違うだろ?俺は望んでねェんだし、お前が構わなくてもここでは服を着ろ。」
「『望んでない』…、…わかりました!」

ようやく話が通じた!

「でも私…服という物を持ってなくて…。」
「……はァァァァァ!?」

持ってないだと!?

「だったらここまで何を着て来たんだよ!」
「何も着てません!」

それ公然わいせつ!

「ンなわけあるか!」
「本当です!私の持ち物はこれだけですから。」

後ろに落ちていた黒い布を取り、俺に見せる。その背景に女の身体が見えて、俺は慌てて目を逸らした。

「それに私はずっとここにいたので、他の場所から来たわけじゃありませんし…」
「……。」

…話が元の位置に戻った気がする。

「お前と話してると頭が痛くなるな…。」
「っ、…ごめんなさい。」

しゅんとする。今にも泣きそうな顔に胸が痛んだ。
これじゃあ総悟の思うツボだ。どこにカメラを仕掛けてるか分かったもんじゃねェのに。…しかしいくらアイツでも、ここへ来るまでくらいは服を着させていただろうに。…まさか裸でここへ来させたのか?

『このメス豚が。人に見られて喜んでんじゃねーよ』

「…アイツならやり兼ねねェ。」
「『アイツ』?」
「…まァいい。」

俺は煙草を消し、立ち上がった。

「俺の服を貸してやる。着て帰れ。」

タンスを開け、女が着ても違和感のなさそうな色を探した。
とは言え、暗い色しか持ってない。こんなことなら一本、明るい色の着物も買っておくんだった。…って、こんなこと滅多にねェよ!

「…土方様、」
「あァ?」
「私…、どこに帰るんですか?」
「いや知らねェし。」

まだ続ける気か?もう総悟が絡んでることはバレてるっつーのに。
俺はタンスから深緑色の着物を出した。これが手持ちの中で最も明るい色だ。

「悪いな、こんな色しかない。」
「いえ…、……嬉しいです、土方様の着物。」

俺が渡した着物を胸に抱き、ギュッと目を閉じる。
これはもしや……逃げてきた女か。

「お前、自分の家は分かってんのか?」
「家……、……はい。」
「なら分かってて帰りたくねェんだな?」
「…私に帰るところはありませんから。」

…確定だな。

「わかった。なら先にハッキリさせるぞ。お前は総悟の差し金じゃない、そうだな?」
「総悟さん…?まさか!違います!」
「なら俺の部屋に来た理由は?」
「来たというか…いたんです、元から。」
「真面目に答えろ。」
「本当の話です!」

女は俺の着物を胸に抱いたまま、切実な目で訴えてくる。だからって…おかしいだろうが。

「あのなァ、元からいたって意味わかんねェだろ?」
「でもっ」
「俺が気付かないよう息を潜めてたってのか?そんなのホラーか、ヤバいストーカー…」

……え、そっち?

「お前…どっちだ?」
「?」
「霊的なアレの方か、犯罪者の方か……」

俺としては後者だと言ってほしい。もしコイツが霊的な『レ』の字を発音したら、部屋からダッシュで出よう。後者なら即捕獲。丸腰の女だ、抵抗できまい。

「私っ…、」

女は変わらず必死な形相で俺を見る。そして、

「私っ…、村麻紗です!」

想像を遥かに超えることを口にした。

にいどめ