腰間の秋水 2

三十分

「村麻紗…だと?」
「はい!!」

女は自分の名を『村麻紗』と言った。
だが待て。村麻紗は俺の刀の名だ。そんな名前が人名として存在するだろうか。…否、到底存在するとは思えねェ。もしいたとするなら、よっぽど刀バカな親。憐れんでやるよ。
それくらい、ありえない名なんだ。

「馬鹿にするのはよせ。」
「バカに…?」
「そんな名前ありえねェ。どこで知ったか知らねェが、それは俺の――」
「刀の名前です!」

先に女が言う。嬉々とした表情をして言うもんだから、余計に理解できない。

「いつも『相棒』と呼んでくれていますよね!」
「刀にな。お前に言ってるわけじゃねェから。」
「私です!私があの『村麻紗』なんです!」
「……。」

なんかとんでもねェこと言い出したぞ…?
女は身を乗り出し、目を輝かせている。その手にはまだ俺が渡した深緑色の着物を抱えていた。

「…なんでもいいから先に服着ろよ。」
「よくありません!こちらの方が大事です!」

…いや、服の方が大事だろ。

「私、村麻紗なんです!」
「…じゃあ何か?お前は……俺の刀だって言いたいのか。」
「そうです!」
「……。」

コイツ…間髪入れずに頷きやがった。…アホらし。付き合ってらんねェわ。

「わかったわかった。そういう設定でいい。」
「設定?」
「話はまた日を改めて聞くから。とりあえず今日は帰ってくれ。俺、そろそろ着替えてェんだよ。」

立ち上がり、隊服に手を伸ばした。途端、トンッと背中に何かがぶつかる。…女だ。

「帰りません!私に帰る場所なんてありません!」
「それはもう聞いた。」
「土方様、信じてくれないんですね…。」

平行線の話に溜め息を吐く。足元に深緑色の着物が落ちていた。コイツ…まだ真っ裸か……。

「私は村麻紗です、信じてください!」
「信じられるわけねェだろ…。」
「あの時っ…、土方様も言ってくれたじゃないですか!」
「何を?」
「『刀から美女が出てきてくれたらいいのに』って。」

『中から美女が出てきたりするでござるか!!』
あー……言った気がする。トッシーの時な。あれは俺であって俺じゃねェし。

「わ、私は美女とまで言えませんけど…。」

女は気恥しそうにして言葉を濁らせた。
にしてもコイツ、いらねェことまでよく知ってるな。『逃げてきた女』じゃなくて、『ヤバいストーカー』の方か。

「…あれは単なる妄想の願いだ。叶わないのが分かってて言ってんだよ。」
「それが叶ったんです!」
「はいはい。」

抱きつく女を引き剥がし、ワイシャツを取る。

「着替えるから出て行け。」
「~っ、分かりました!」

やっと分かってくれ――

「私しか知らないことを言います!」

「…はァ?」

なんだよそれ…。
振り返る。が、直視しづらい裸体が目の前にある。俺はすぐさま視線を斜め上へ避けた。

「…おい、服。」

何回言わせんだ…。

「一つ目!」

聞いてねェし…。
女は得意げに人差し指を掲げた。

「土方様は何だかんだ言って、いつも明け方まで仕事をしています!」
「……。」

なんだよ、その程度の話かよ。ちょっとドキドキして損したわ。

「それ、いくつあるんだ?」
「いくらでもあります!土方様がギャフンと言うまで!」

こりねェやつだな…。
この様子だと、ある程度聞かなければ諦めそうにない。俺は再び布団に腰を下ろし、傍に置いてあった灰皿を引き寄せた。

「二つ目!」

はいはい。
心の中で相づちを打ちながら、煙草に火をつける。

「いまだにトモエちゃんグッズを隠し持っています!」
「っ!?」
「あそこに!」
「!!」

女が本棚を指さす。
これには……驚いた。確かにあの時の産物はまだ隠し持っている。それも押入れではなく、本棚の後ろにあるデッドスペースに収納するという念の入れよう…。

だ、だがそれは置いておけばプレミア的価値が出るかもしれないという考えなだけで、べつに拙者は……
って、おいおい。危うく引き戻されるところだったじゃねェか。
この女……どこで見ていたか知らねェが、やるな。

「ギャフン?」

女が小首を傾げる。

「…まだだ。」
「そうですか…、」

正直、これ以上聞くことに妙な恐怖がある。コイツの話は徐々にキワどさを増しているし、このまま進んで一体どんなことを話し出すか分かったもんじゃ――

「三つ目!」
「!」

び、ビックリさせんなよ…。
俺は煙草をひと吸いして心を落ち着かせた。

「土方様には出来れば三つ目で…ギャフンと言って頂きたいです。」
「……言わねェ。」

たぶんな。

「…わかりました、じゃあ三つ目。」

よし来い!

「トッシーになった頃、…ま、毎晩……」
「……、」
「毎晩…、To Loveるの同人誌を見て…、…い…息を荒げていました…!」

……これは死ぬ。

「気持ちよさそうに…して……」
「やめろっ!」

これはマジで死ぬぞ!恥ずかしくて死ねる!!

「どうされました…?」
「も、もういい。わかった。」
「それは…ギャフン、ですか?」
「……ああ。」
「よかった!じゃあ四つ目以降は秘密にしておきますね!」

こ、怖い…。怖すぎる。あれ以上の内容をまだいくつも待ってんのかよ…!

「土方様?」
「あ、ああ…。……あ。」

動揺して、指から煙草が落ちた。

「ひゃっ!土方様!煙草!布団の上に煙草!!」
「大丈夫だ、すぐに拾えば――」
「火事になってしまいます!」

女が慌てて駆け寄り、煙草を握りろうとした。素手で、火がついているのも気にせずに。

「ッ危ない!!」

手を掴み、間一髪のところで防ぐ。

「何考えてんだ!火傷するだろ!?」
「土方様…、」

女は俺の顔を見て数回瞬きすると、「大丈夫」と首を横に振った。

「私は本来、刀なので。火傷はしませんよ?」

そう言って微笑む。嘘は感じられなかった。

「……。」

刀掛けへ目をやる。そこに俺の刀、村麻紗はなかった。
…当然だ。いつ何時、有事があった際にすぐ手に出来るよう、俺はいつも布団の横に置いて眠っている。…そう、この女が寝ていた場所に。

「……わァったよ、」

普通に考えれば、信じられるもんじゃない。刀が人の姿を得たなんて…信じない。だがもう…信じないわけにいかないところまで来ている。

「お前の言ったことを信じる、……村麻紗。」
「土方様…!」
「だから早く服を着てくれ。」

女はまたパァっと嬉しそう顔になり、

「土方様ぁぁぁ!」

抱きついてきた。

「嬉しいです!嬉しいですぅぅ!」
「さっきも聞いたから。…だァッもう!早く服着ろよ!」
「はい!…でも私…この着方が分からなくて…」
「ったく、世話焼けるヤツだな。」
「すみません…。」
「……、」

いちいち落ち込みやがって。

「真に受けんな。冗談だ。」
「そうなのですか?よかった!」

…世話は焼けるがな。

「ほら、立て。」
「はいっ!」

村麻紗に俺の着物を着せた。やはりサイズが合わない。それでも真っ裸よりはマシだ。

「いいか?詳しいことは後で聞くから。」

俺は隊服に着替えながら村麻紗に話す。村麻紗は畳の上に正座して、ジッと俺の着替えを見ていた。……なんて言い方をすると恥ずかしくなるけど。

「とりあえず朝飯持って来るまではここで待機。絶対に部屋から出るな。いいな?」
「はい!…でも私、」
「今度は何だ?」

俺はスカーフを巻きながら、鏡越しに村麻紗を見た。

「私、お腹が減らないのでご飯は必要ありませんよ。」
「……、…そう、なのか?」
「はい!刀ですから。」
「……。」

そういうもんか。…そうだよな、刀なら。

「じゃあ…行ってくる。」
「はい、行ってらっしゃいませ!」

村麻紗の微笑みは、俺の胸の下辺りをザワザワさせる。
…たぶん、腹が減っていたせいだよな。

にいどめ