腰間の秋水 3

十四時

「すごい…。」

私は鏡に姿を映して呟いた。
まさかちゃんと土方様と会話できる日が来るなんて…思ってもいなかった。いつもは話し掛けてくれる土方様に、届かない返事をするだけだったから。

『俺が折れちまうまで、頑張ってくれよ』

共に敵陣を斬り抜け、共に役目を終える時まで、

『お疲れさん。今日は無理させちまったな』
「刃こぼれしたのは私のせいです!私がもっと強くあれば…」
『悪い』
「……土方様…、」

ずっと、私の声が届くことはないと思っていた。なのに、

「一体…どうして急に?」

何があって、人の姿になれたの?
普段通りに休んで、目を覚めただけ。こうなりたいと願ってはいたけど、まさか本当に叶うなんて…。

「どうしてだと思う?」

この部屋にあるもう一本の刀に問いかけた。

「ねぇ…、」
「……。」
「?」

いつも話しているのに応えてくれない。
ヤキモチ?それとも、人の姿になったから聞こえなくなったのかな?

「……まぁいっか。」

刀同士で話せなくても、今は土方様と話せる。そちらの方が嬉しい。貴重なこの機会を楽しみたい。

「ふふっ、」

早く戻ってこないかな…。
私は土方様が戻ってくるまで、鏡の前で自分の姿を見続けていた。

それからしばらくして。

「はァ…、」

土方様が部屋に戻ってくる。待ちわびた私は飛び付きたい気持ちを抑えて、「おかえりなさい!」と出迎えた。

「お、おう。…そうだったな。」
「…もしかして私のことを忘れていましたか?」
「い、いや…、…ほんとに夢じゃなかったんだなと思ってよ。」

それは私も同じです。

「夢じゃありませんよ?」

土方様の顔を覗き込んだ。けれど、スっと視線を外される。

「土方様?」
「その服…何かとマズい。」
「まずい?」
「やっぱり男物は胸元が広くなりすぎるな…。」

土方様は私の方をチラりとだけ横目に見て、「あーマズイ」と額に手をやった。頬が僅かに赤い。

「…土方様、」

傍に寄り添った。触れているところが温かい。

「大好きです、土方様。」
「……、…くっつくな。」
「嫌ですか?」
「嫌じゃねーけど…、……嫌じゃねェよ。」

言い直した土方様の頬が、さっきよりも赤い。それを見ていると、なんだか私の身体の中が温かくなった。

「…それよりも、」

土方様が腰を下ろす。煙草に火をつけ、私の方を見ながら畳をポンポンと叩いた。促された通り、土方様の隣に座る。

「……いや、こういう時は向かいに座るだろ。」
「なんですか?」
「…まァいい。」

灰皿を引き寄せ、煙草の灰を落とす。

「さて、村麻紗。」
「はい。」
「こうなった理由、聞かせくれ。」
「……えっと、」

私は嘘偽りなく話した。
『なぜ人の姿を得たのか分からない。けれど、ずっと話したいと思っていた』、と。

「…そうか。」
「すみません、何も分からなくて。私が強く願ったから、叶っただけなのかも…。」
「…かもな。」

土方様は少し上を向いて、煙を細く吐き出す。

「なんつーか、」
「はい。」
「人間、ありえねェことばっか体験すると寛容になるもんだな。」
「?」
「人の姿になった理由が分かんねェんなら、まァそれでいいかってよ。」

私を見て、フッと笑った。途端、身体の中央がキュッと締めつけられる。これが…胸の痛み?

「…でも、土方様。」
「ん?」
「私はすぐに…刀に戻ると思っています。」
「…なぜ?」
「私が望んでこうなったのなら、もう…満足していますから。」

願って叶ったのなら、きっと、願望が消えれば元に戻る。
私はこうして土方様と話せただけで十分。刀に戻っても、また、いやそれ以上に、強い気持ちで土方様と戦える。

「村麻紗は、幸せものです。」

妖刀なのに、幸せものだ。

「……、…どこか、」
「はい?」
「どこかに、出掛けるか。」
「…出掛ける?」

土方様はまだ長い煙草を消し、小さく笑う。

「せっかく人の姿になれたんだから、目一杯、楽しまねェと勿体ねェだろ?」
「!!…いいん…ですか?」
「構わねェよ。」
「でも忙しいんじゃ…」
「一日くらい何とでもなる。」
「でもでも私が外に出て行くのは…」
「行きたくねェのかよ。」
「行きたいです!」

行きたい。どこにでも、土方様とならどこにでも行きたい。

「なら決まりだな。」
「ありがとうございます!」

嬉しい…!土方様と並んで歩けるなんて。先の約束が出来るなんて!…あ、だけど。

「屯所の皆さんには見つからないように出て行かなければなりませんね。」
「その日までに適当な理由つけとくさ。心配ねェよ。」

土方様が小さく笑う。ああ…やっぱり、

「やっぱり土方様はお優しい方です。」
「あァ!?…なんだよ急に。」
「ずっと思っていたんです。私を手入れする時も、すごく優しくしてくださるから、とても優しい方だなって。」
「…うっせェ。余計なことは言わなくていい。」
「余計なことではな――」
「村麻紗。」
「……ふふ。」
「…笑ってんじゃねーよ。」

私をギッと睨み、立ち上がる。殺気がないから全然怖くはないけれど。

「どちらに行かれるんですか?」
「先に総悟に話しておく。アイツには早めに話しておかねェと、嗅ぎつけられた後じゃ遅ェからな。あることないこと言い触らしやがる。」

うん、そんな気がします。
私はクスッと笑い、土方様を見送った。
…が、それから数分も経たないうちに、ドタドタと足音が近づいてくる。何やら賑やかな声も聞こえてきて…

「おい!総悟!!」
「いいじゃないですかィ、減るもんじゃあるまいし。」
「だがっ」
―――スパンッ

障子が開いた。

「あ…、」
「…ありゃ。」

総悟さんと目が合う。その視線が私の頭の先から足先までを辿り追えると、顎に手を当てて片眉を上げた。

「何でさァ…土方さん。ほんとにただの女じゃありやせんか。」
「だからそう言っただろうが…。」

何を期待していたんだろう…。
土方様は総悟さんの後ろで溜め息を吐き、部屋の中へ戻った。

「おや~?その女が着てる服、男もんじゃありやせんか。」
「ああ。俺の服だからな。」
「なぜまた土方さんの服を?」
「何でって、こいつは服を…、……。」
「服を?」
「……なんでもいいだろ。」

土方様が気まずそうに視線をそらす。煙草に火を点けた。

「はは~ん。さては土方さん、」

総悟さんはニヤりとした顔をして、顎に手をやる。

「…なんだよ。」
「もう食っちまったんですか。」

食う…?

「ばっ、何言ってんだ!違ェよ!」
「どうせ勢いでビリッと破っちまったんでしょ?手の早ェこって。」
「違うっつってんだろ!?村麻紗、お前からも否定しろ!」
「『食う』というのは何をですか?」
「当然、村麻紗をですぜ。」
「私?」
「総悟!」

どういう意味だろう…?

「私は…食べられませんよ?刀ですし…」

やはり刀として言葉を聞いてきた分だけでは勉強不足だ。土方様達の会話を全て理解するのは難しい…。

「…あらら。こりゃあ正真正銘の天然物じゃありやせんか。」
「天然じゃねェ。知らねェんだよ。」
「何も知らない無垢な女、ってわけですかィ。それはまた…」

総悟さんが何か企んでいるような顔つきをする。私と目が合うと、こちらへ歩み寄ってきた。

「非常に興味、ありまさァ。」
「?」
「…おい総悟、あまり近付くな。どうせ、ろくなこと考えてねェだろ。」
「そう言う人が一番ろくなこと考えてないと思いやすが。」
「なっ、テメッ…人の揚げ足取る話し方ばっかしやがって…!」

土方様が右の拳を握り締める。なおも総悟さんはポケットに手を入れ、何食わぬ顔で私の前に立った。

「にしても、またえらくイヤらしい着付けされちまって。胸がガバーっとしてやすぜ。」
「男物だとそうなるんだよ。…仕方ねェだろ。」
「くく、どうだか。村麻紗、気をつけなせェ。こう見えて土方さんはムッツリだから。」
「ムッツリ…?わかりました!」
「学ぶな、村麻紗!」

この賑やかな感じ、私も知ってる。部屋の隅からいつも見ていた。その中に私も入る日が来るなんて……

「…今、」
「あァ?」
「なんですかィ?」
「今、私幸せです!」

幸せだ。近くにいて、遠くに見えていた人達と話している。言葉を交わしている。

「ふふっ!」
「「……。」」

土方様と総悟さんが顔を見合わせた。少しの間の後、二人してフッと笑う。

「こんなことで幸せ感じるなよ、村麻紗。」
「ハードルの低すぎる幸せですぜ。」

そう話す二人だったけど、私の目には彼らも十分、幸せそうに見えた。

にいどめ