腰間の秋水 4

十五時

「ところで村麻紗、」

総悟さんが土方様の部屋で腰を下ろす。

「今の名前は何なんですかィ?」
「今の…名前?村麻紗…ですけど。」
「そりゃあ刀の名前でさァ。俺が聞きたいのは人としての名前。」
「人として…、」

考えたこともなかった。

「必要ですか?」
「俺ァあった方がいいと思いやすけど。村麻紗のままだと、あまりにも味気ねェ。」
「そうですか…、」

そういうものなのかな。だったら…

「味気なんていらねェよ。」

静かに煙草を吸っていた土方様が口を開く。

「村麻紗は村麻紗。それでいい。」
「土方さん、そりゃあ可哀相ですぜ。今ここにいるのは副長室にいるただの女。刀じゃありやせん。」

総悟さん…。

「名前があれば個を認められる。付けてやったらどうですかィ?名前。」
「……、」

土方様は煙草を灰皿に軽く叩き、私を見た。

「欲しいか?名前。」

どうだろう…。気付かなかったら『欲しい』なんて思わなかったけど、土方様に付けてもらえるというのなら……

「…欲しい、です。」
「そうか。…わかった、じゃあ付けてやる。」
「なら早速決めやしょう。どんな名前にしやすか?抹茶?昆布?山苔?」
「テメェ…っ、提案するなら真面目に考えろよ!適当に服の色から連想すんな!つーか部屋に戻れ!」
「何ですかィ急に。俺にも立ち合わせてくだせェよ、このレアなシーンに。」
「お前がいたら真剣に名前考えられねェんだよ!」

煙草を消し、「出て行け!」と部屋の外を指さす。

「冷てェ人でさァ。村麻紗、こんな持ち主でいいんですかィ?俺の刀になりなせェ。」
「何どさくさに紛れて口説いてんだ!」
「口説くだなんて土方さん、俺ァ単に刀として勧誘してるだけですぜ?」 
「ぐっ…、」
「思いっきり女として見てやすね。」
「う…うるせェ!早く出て行け!」
「あーあ。俺の刀も擬人化しねェかなー。」
「擬人化言うな!」

総悟さんは頭の後ろで手を組み、だらしなく障子の方へ歩いて行く。ふらりと振り返った。

「村麻紗、俺の刀も人の姿になりやせんか?」
「どうでしょう。彼次第だと思いますよ。」
「彼?」
「はい。私は願うことで叶いましたから、彼も願えば人の姿になれるかもしれません。」
「いや、え…『彼』、ですかィ?」
「そうです…けど…?」
「あー…ね。」
「?」

落ち込んでる…?そこまで人の姿になってほしかったんだ…。
…そうだよね、話せたら分かることもあるだろうし。私が伝達できればよかったな。そうしたら総悟さんが喜ぶような言葉を伝えてあげることが……、…あ!

「以前に総悟さんを好きだと言っていましたよ!」
「…誰がでさァ。」
「彼です!総悟さんの刀の!まるで自分の思っていることが伝わるように動いてくれるって。」
「…ハハ。そりゃ有難ェや。」
「ぷっ、く、ハハハ!」

土方様が我慢を超えたといった様子で笑い出した。

「ざまァみろ総悟。そんな都合よく事が進むわけねェんだよ。」
「ちぇっ。…つまんねェの。」
「とっとと部屋に戻って刀の手入れでもしろ。お前を好む貴重な存在なんだからよ。」
「…言ってくれまさァ。土方さん、アンタもせいぜい勘違いしないよう気を付けてくだせェよ。」
「『気を付ける』?…何をだよ。」
「テメェの刀なんだから懐くのは当たり前。その好意の受け取り方を間違えると身を滅ぼしやすぜ。」
「……。」

土方様が口を閉じた。

「…るせェ。余計なお世話だ。」

眉間に皺を寄せる。不機嫌になったのか、それとも口に咥えた煙草の煙が煙たいせいかは分からないけど、

「あの、刀だからといって無条件に懐くわけではないですよ?」

そこの部分は正したかった。

「刀の中には、持ち主を嫌いな刀もいます。」
「…そうなのか?」
「はい。私達は持ち主あってこそ意味を成す存在。けれど扱い方の酷い持ち主のことは基本的に好みません。まれに…単純な相性の問題もありますけど。」
「面白ェ話ですねィ。でも扱う側に振るう権利がある以上、刀に好かれなくても問題ねェんでは?」
「主と共にあろうとする気持ちがない刀は、簡単に壊れたり、嫌がらせをしたりします。たとえば、今すぐ引き抜かないと命に関わるような時に刀を抜きづらくするとか。」
「あー。そういうの何回か見たことありまさァ。土方さんもありやせんでしたっけ?」
「……ない。」
「少なくとも私の時はありませんでしたよ。私は土方様のことが大好きですから!」

ふふっと笑いかければ、土方様は「…バカ野郎」と呟いて目をそらした。少し頬が赤い。

「は~あ。見てらんねェや。」

総悟さんが溜め息を声にする。

「もう俺ァ部屋に戻りやす。」
「そうしろっつってんだろ、さっきから。」
「くれぐれも俺の忠告、忘れないでくだせェよ。」
「……言われなくても分かってる。」
「くく。村麻紗、どんな名前が付くか楽しみにしてやすぜ。」
「はい!」

退室する総悟さんをニコニコと見送った。

「…村麻紗、」
「はい?」
「お前、他の刀と話せるのか?」
「はい!でも人の姿になってからは話せないみたいで…。」
「…そうか。」
「なんだか少し不思議な感じです。いつも小言ばかり言われて、厳しい声だったけど…全く聞こえないというのはなんだか…」

ほんの少し…不安になる。

「声に飢えてるなら俺と話せばいいだろ?」
「…土方様、」
「刀と話せなくても別に構わねェじゃねーか。今の村麻紗は人だ。声がなくて寂しいっつーんなら、俺が付き合ってやるよ。」

土方様……、…ありがとう。

「…大好きです、土方様。」

大好き。一緒にいると、それしか頭に浮かばなくなる。

「お前なァ、そうやって恥ずかしいことを平然と口にするなよ。」
「嫌で――」
「嫌じゃねーけど。」
「ふふっ。じゃあ口にします。」

寄り添った。刀として触れる機会が多かったせいか、身体のどこかを土方様にくっつけていると落ち着く。

「名前、決めねェとな。」
「はい。どんな名前にしてくれますか?」
「どんなのがいい?」
「なんでもいいです!土方様が決めてくれる名前なら、なんでも嬉しい。」
「…言うと思った。」

小さく笑って煙草を吸う。
その後しばらく、部屋は静寂に包まれた。
真剣に名前を考えてくれているのだろう。私は土方様の肩に寄りかかり、目を閉じてその時を待った。耳に届くのは、土方様の息遣いと煙草を灰皿に叩く音だけ。
心地いい。このまま眠ってしまいそうなくらいに……

『…るな』

…え?

『…れるな、村麻紗』

「…なんですか?」
「ん?」

土方様が顔半分をこちらに向け、片眉を上げる。

「なんだ?」
「いえ…あの、土方様が何か仰って……」
「いや?俺は話してねェけど。」
「そう…ですか?」

でも確かに男の人の声が…。

「寝ぼけてたんだろ。お前、寝息立ててし。」
「っす、すみません!つい心地よくて…」
「構わねェよ。ちょうど名前も思いついたとこだ。」
「本当ですか!?」

座り直す。土方様は煙草を灰皿に置いて、私と向かい合った。

「紅涙…は、どうだ……ろうか。」
「紅涙…ですか?」
「ああ。」

紅涙…。紅涙が…土方様の考えてくださった私の名前……

「気に入らねェか?」
「っそれがいいです!紅涙がいい!」

私は必死に頷いた。なんて素敵な響きなんだろう…!

「『紅涙』にはどんな意味があるんですか?」
「いや、意味はない。お前にはそういう音が合うんじゃねーかと思って考えた…それだけだ。」

ほんのりと頬を赤くして、土方様が目をそらす。

「…気に入ったか?」
「はい!とても!」
「そうか。」

土方様が私に向かって手を伸ばした。何だろうと思っていると、その手は私の髪に触れ、優しく撫でてくれた。

「今日からお前は紅涙だ。」
「は、はい…。」
身体の真ん中がドキドキと音を立てている。苦しい…。
「…私は、」
「うん?」
「私は、刀の中でも特別幸せ者だと言われていました。妖刀でありながら、素晴らしい持ち主に出逢えたと。」

『そのことを感謝しろ』
『お前はお前の務めを果たすことだけ考えろ』
そう、言われてきた。刀として正論だと思う。
でも私は、頷きながらも欲を抱いていた。一度でいいから土方様と話しがしたい、と。

「あの時も幸せ者だと思ってたけど…今はもっと、そう感じています。」

諦めなくてよかった。貪欲に願い続けてよかった。

「お前はほんとに…無垢だな。」
「…?」
「……妖刀らしくねェよ。」
「それは…いけないことですか?」
「どうだろうな。ただ、誰も踏んでない雪道に足跡を残していくみてェで…妙な罪悪感がある。」
「??」
「…ふっ。気にすんな。」

土方様は困ったような顔で笑うと、置きっぱなしにしていた煙草を口に咥えて立ち上がった。

「さてと。」

咥え煙草でジャケットを手に取り、羽織る。

「どちらに行かれるんですか?」
「見廻りだ。」
「見廻り…、」

土方様が屈んで煙草の灰を灰皿に落とす。私は時計を見て、

「いつもより少し早いですね。」

そう声を掛けると、

「…ああ。そう…だけど、」

なぜか不思議そうな顔をされた。違ったっけ?

「お前、よく知ってんな。」
「何をですか?」
「確かに今日は普段の市中見廻りより一時間早い。…なぜ知ってるんだ?」

土方様の表情は、不思議を通りすぎて不信な顔にさえ見える。そんな様子に、思わず苦笑した。

「当然じゃないですか。私はいつも一緒にいたんですよ?」
「…一緒に?」
「はい。土方様の腰に。」

微笑む。土方様はどこか気まずそうにして「そうだったな」と浅く頷いた。
…どうしたんだろう。少し様子が…おかしい?
刀の時は手に取るように土方様の考えが読めていたのに、人になった途端、読めなくなった。

「…ん?っかしいな…。」
「どうされました?」
「ないんだよ。いつもは大体ここに掛けてんだが…」

部屋の中を見回す。

「俺の刀、どこに置いちまったんだったかな…。」
「…、……え?」

冗談、のつもりだろうか。今の今、その話をしたというのに。

「…土方様土方様、」
「ん?」
「刀はここですよ。」
「あァ?」
「ここです。」

私は自分を指さした。

「いつも持ち歩いている刀は私じゃないですか。」
「!…あ、ああ…。そうだったな、……悪ィ。」

本当に忘れていたような立ち振る舞い。土方様が頭を掻き、部屋に置いてあるもう一本の刀を手にした。

「じゃあ昔の刀で行ってくる。」
「はい、…お気をつけて。」

部屋を出る。その背中を見送りながら、私は何か言いえぬものを感じていた。

「土方様…、」

どこかおかしい。
…けれど、私が気にしすぎているだけなのかもしれない。今の私は感覚が鈍っている。そのせいで分からないことに対して過敏になっているだけなのかも…。

「大丈夫…だよね。」

口にして、納得した。いや、したかった。だけど土方様は、

「チッ、またどっかに置いてきちまった。」

見廻りから帰ってきた後、私の前で、

「どこにやったんだったかなァ…俺の刀。」

同じ物を探した。
それも一度や二度じゃない。一日、また一日と日が経つにつれ、頻繁に口にする。

まるで私が村麻紗であることを…刀である私を忘れていくように。

にいどめ